NY探訪編④
路銀稼ぎで大道芸をしている最中、子供に盗まれてしまったギター。アンナはようやく取り返すと、急いでその状態を確かめた。
結構、乱暴に扱われていたが、どこか壊れていたりしないだろうか……? 心配だったが、見た感じどこも傷ついている様子はなく、ホッと一安心した彼女はギータケースにしまうと、盗人を取っちめてやろうと腕まくりして振り返った。
ところが、彼女が振り返ってみると背後にはもう誰もいなかった。あれ? とキョロキョロ見回してみれば、子供はもう用はないと言わんばかりに背中を向けて立ち去ろうとしているところだった。彼女はほっぺたを膨らませると急いで彼の前へ回り込み、
「ちょっと待ちなさいよ」
「なんだよ。ギターなら返しただろ?」
彼は目を丸くして、さも当然と言わんばかりにそう言うと、彼女のことを押しのけてまたどこかへ行こうとした。まるでそっちの方がおかしいんだと言わんばかりのその態度にアンナはむかっ腹が立ったが、戦場を渡り歩き、戦災孤児のリーダーをしていた彼女は、こういう子供の扱いにも慣れていた。
彼女は子供の首根っこを掴んで引き戻すと、両の拳を彼のこめかみに当ててグリグリしながら、
「ひ・と・の・も・の・を! 盗んでおいて、そんな態度が許されると思ってるわけっ?」
「痛い痛い! やめろよ! 訴えるぞ!」
「止めてほしいんなら、なんで盗んだのか言ってみなさい!」
彼女は拘束を強めながら顔を近づけ、脅すようにそう言った。どうせこういう子供に謝れと言っても逆効果なのだ。それより原因をはっきりさせてその点を突いたほうがいい。得てして、謝れなくても言い訳ならいくらでも出てくるのが悪ガキである。だから彼もすぐ口を割ると思ったのだが……
ところが、いくらこめかみをグリグリやっても、彼は離せと暴れるだけで何も言い訳をしなかった。その態度に逆に興味を惹かれたアンナは拘束を緩めると、今度は彼の目線に合わせてじっとその目を見つめながら問いただした。
「理由があるなら、ちゃんと話して。ないんなら警察に突き出すわよ」
すると警察という言葉を嫌ったのか、彼は不満そうに舌打ちしてから、
「別に……欲しいから盗った。それだけさ」
「どうして欲しかったの。ギターの練習がしたかったの?」
「違う。僕じゃない」
「じゃあ、誰?」
アンナが根気よく聞いていくと、やがて彼は諦めたように、
「……お母さんが、ギターが欲しいって言ってたんだ。だから持ってってあげたら喜ぶと思って……」
彼は視線を逸らしながら不貞腐れたように地面を蹴りつつそう呟いた。そうしていると年相応の子供のように見えるが……というか、実際、彼は何歳くらいなのだろうか?
追いかけっこに夢中で相手が子供ということ以外、これまで特に気にしてもいなかったが、改まってよく見てみれば、彼は思っていた以上に幼く見えた。
年の頃は5~6歳くらい、同年代と比べても体が小さくやせ細っていて、ひねくれた態度のわりには、まだちょっと舌っ足らずで子供っぽさは抜けきれていない。なんというか、少し無理して背伸びをしているような、そんな子供だった。
そんな幼子が、お母さんのためにギターが欲しいとは、どういう意味だろうか。額面通りに受け取れば親孝行のようにも聞こえるが、普通に考えて、ギターを欲しがる母親なんてどこを探しても居やしないだろう。なら、彼の本当の目的は何だったんだろうか?
そう考えて、改めてよく見てみれば、子供はアンナとどっこいどっこいのボロを纏っていた。あちこち穴だらけでろくに修繕もされていない。もしもアーサーがここに居たら、今ごろ手芸スキルを炸裂してパッチだらけになってるだろう。つまり、まあ、要するに、やはり金に困っての犯行だったのではなかろうか。
アンナは、はぁ~……っと溜め息を吐くと、懐を探って、さっき大道芸で手に入れたばかりのお金を取り出し、
「はい、これ上げる」
と、彼に差し出した。
「このギターは大切なものだからあげられないけど、お金はまた稼げばいいんだから。でももう、あんなことしちゃ駄目よ。今は良くても、いつかしっぺ返しを食うんだから」
彼女としては相手の気持ちを汲んだつもりだったが、ところが子供の方はと言えば、現金を見るなりギョッとしながら、
「え? いいよ。いらないよ」
「いいから、遠慮しないで」
「いや、いいってば。施しを受ける理由なんかないだろ」
「そんな事言わずに、貰ってちょうだい」
「だから嫌だって、気持ち悪いなあ……ショタコンなの?」
子供はいきなり現金を差し出すアンナのことを気味悪がっているようだった。まあ、確かに、見知らぬ大人にいきなり金をやると言われても不審に思うのが普通だろう。彼みたいに、少し大人びている子供なら尚更だ。
しかし、盗むのは良くても施しを受けるのは駄目だというのはどういう了見だろうか。アンナも一度やると言ったからには後には引けず、二人が押し問答をしている時だった。
「ハリー!」
と、そんな二人の横合いから声が聞こえてきた。振り返ればそこにはアンナと同じ黒目黒髪の、いわゆる東洋人っぽい女性が立っていた。年齢は二十歳くらいで、見たところ眼の前にいる子供の知り合いのようだったが、もしかして彼の母親だろうか? だとすれば少々若すぎるような気もしたが、東洋人の年齢は分かりにくいと言うから案外もっと年上かも知れない。
そんな風に相手のことを観察していたら、相手の方もアンナのことをジロジロと値踏みするように、特に子供に差し出している現金を気にしながら、少しずつ距離を詰めるように近づいてきた。かと思えば、ぱっと掻っ攫うように子供のことを抱きかかえて、
「あんた……なに? ショタコン?」
「違うわよ!」
どうやら本当に彼の母親だったらしい。発想がそっくりである。アンナが慌てて首を振ると、彼女は更に胡乱な目つきをしながら、
「ならなんでうちの子供に現ナマ手渡そうとしてんのよ? まさか、誘拐するつもり? うちに身代金を払う余裕なんてないわよ」
「だから違うって言ってるでしょ!」
アンナは埒が明かないと思い、これまでの経緯を話すことにした。子供が可哀想だから、出来れば盗みのことは伏せておきたかったが、このままでは自分がヘンタイにされそうだったので、洗いざらい全部話すと、女性はキッと目を吊り上げて自分の子供にゲンコツをお見舞いし、
「このバカ! 人様のものに手を出しちゃいけないって、ママいつも言ってるでしょ! なのにどうして、あんたって子は、いつまで経っても分からないの、このバカ!」
ベチベチと母親にしこたま叩かれ、子供はギャン泣きしている。荒っぽい家庭にはあまり慣れていないアンナはオロオロしながら、彼がこれ以上叩かれないように母親の気を引こうと割って入った。
「いいのよ! いいってば! ホントに、こうして戻ってきたんだから、そんな怒らないで。それより、さっきその子が言っていたんだけど、あなたがギターが欲しがってるって。それって本当なの?」
彼女は本当に気を引くためだけに言ったつもりだったが、すると我が子を叱りつけていた母親ははたと手を止めて、
「え? この子そんなこと言ってたの? ……そう、それで盗みを働こうとしたのね」
母親は何か思い当たるようにそう呟くと、泣いている子供の頭をくしゃくしゃと掻き混ぜたかと思えば、突然、パッとギターケースを背負っているアンナの方に向き直り、
「そういえば、あなたってギター弾ける? 弾けるわよね、そんなの持ってるくらいなんだから」
「え? うん……弾けるけど」
母親は少々前のめりに質問してくる。対して、仰け反りながらアンナが頷くと、すると彼女はいきなりアンナの両手をがしっと握りしめて、
「ならお願い! 助っ人頼まれてくれない?」
「助っ人?」
「実はこれからデイケアのクリスマスパーティーがあるんだけど、そこで演奏を頼まれているのよ。ところがギターの子がインフルに罹っちゃって、それで代役を探してたんだけど、全然見つからなくって困ってたのよね」
どうやら彼の母親は本当にギターを欲しがっていたらしい。ただしそれはギターそのものじゃなくて、ギターを弾ける人間のことだったようだ。アンナは早とちりをして現金を渡そうとしていた過去の己を恥じつつ、
「そういうことなら構わないけど。でも私、期待されるほど上手くはないわよ?」
さっき広場で自分の演奏がまったく通用しなかったこと、そしてその後見たあのコンサートの衝撃を思い出し、アンナが少々自信なげにそう言うと、すると母親は何を言ってるんだと言わんばかりに、大げさに目を開いて大きく首を振って、
「そんなの全然いいわよ。あなた……上手いから弾くんじゃないでしょ? 楽しいから弾くんじゃない。下手でも、みんなが楽しんでくれたのなら、それは正解なのよ」
「そう……かな」
「それに自分の演奏を恥ずかしく思えるのは、耳が確かな証拠よ。改善すべき点が分かっているなら、あとは努力するだけじゃない」
「う、うん」
「じゃ行きましょう、未来の大演奏家」
彼女はアンナの背中をバンバンと叩いてから、まだ泣いている子供の手を引いて歩き出した。少々自信を無くしていたアンナは、母親のポジティブな言葉に頷くと、確かに彼女の言う通りだと気を取り直し、助っ人を買って出ることに決めた。
***
そしておっかなびっくり参加したクリスマスパーティーは終始和やかな雰囲気で終わった。そもそもプロの演奏会でもあるまいし、多少下手くそでも誰も気づきはしないのだ。アンナに求められた役目は、子どもたちの歌に合わせて伴奏することと、リクエストに答えて曲を披露すること。その曲も基本的には別の人が決めるのだから、彼女は楽譜を見てコードを押さえているだけで良かった。後はデイケアの先生たちと談笑したり、はしゃぐ子供たちの相手をしたりして、日が暮れる頃にはお役御免となった。
その後は現地解散しても良かったのだが、行き場がないアンナがまごついてると、母親が今日のお礼にと言って食事に招いてくれた。彼女の家はパーティー会場から5ブロックほど離れた倉庫街の薄暗い路地にあり、あちこちに落書きがあったりして少々治安は悪そうだったが、住めば都というべきか、ロフト付きのこじんまりとした部屋は案外快適そうだった。
「それじゃアンナはお父さんを探しにニューヨークに来たわけ?」
帰りに貰ったパーティーの余り物をつまみながら、母親が尋ねてきた。傍らにはお腹いっぱいになったからかウトウトしている子供がいる。確かハリーと呼ばれていただろうか。アンナは彼の寝顔をつんつんしながら、
「うん。この街の何処かにいるんだろうけど、当てがなくって……」
「それで滞在費を稼ごうと弾き語りをしてたってわけね」
子供と出会った経緯を聞かれて、なんとなくそう答えておいた。実際には仲間が居て、そっちと合流すればなんとかなるのだが、今はまだ警察に捕まってるだろうし、すぐには戻れそうになかった。なので、彼らが自由になるまで小金を稼いで待つつもりだったのだが、
「前線……じゃなくて、故郷に居た時はそれでもやっていけたんだけど、こっちでは全然見向きもされなくって。剣舞……じゃなくて、ダンスを披露したほうがよっぽど稼げたんだ。正直ちょっと、自信無くしちゃった」
「そうなの? でもあんた、別に全然下手じゃなかったじゃない」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……私のギターは古臭いんだって。もっと流行りのをやれって言われたわ」
そんな風にアンナがくよくよしていると、母親はふむと頷いて、
「ふーん、どんなの? 試しに弾いてみてよ」
「でも」
「誰も笑ったりしないわよ。あ、お捻りはあげらんないんだけど」
彼女は苦笑いしながらそう言った。その笑顔に絆されて、少し気が楽になったアンナはケースからギターを取り出すと、ふーっと一回、大きく深呼吸をしてから爪弾き始めた。
それはビテュニアの宮殿をギター一本背負って飛び出し、あの太陽が半分消えかけた薄暗い世界で、何度も何度も繰り返し弾いた思い出の曲だった。
それは彼女が初めて弾けるようになった曲らしい曲でもあり、作曲者が不明の単調なメロディーは、もしかしたら子供の頃、子守唄代わりに母親から聞かされていたような気もする。
そんなちょっと暗めの曲だからか、あの人で賑わう広場には似つかわしくなかったのかも知れない。こうして狭い部屋の中で三人寄り添うようにして聞く分には、そう悪くない曲ではあった。
でも、やっぱりお捻りが貰えるほどではないかなと、そんな風に思いながらメロディーに身を任せていると……
と、その時、黙って演奏を聴いていた母親が不意に立ち上がり、キーボードを取り出してくると、アンナに合わせて鍵盤を叩き始めた。すると単調だった曲が急に華やいだように陽気になり、彼女がアレンジするメロディーが和音のように心地よく耳に響いてきた。
アンナは突然の出来事に戸惑いつつも、ああ、こんなことも出来るんだと、彼女のキーボードに合わせて自分もアレンジを加えてみせた。すると彼女は即座に反応し、二人の演奏はまるで進化するように新たなメロディーラインを生み出し始めた。
それが面白くってアンナはまたギターを掻き鳴らし、母親の方も負けじと新たなメロディーを紡ぎ始めた。そうして始まった二人のセッションは果てしなく続き、その心地よい時間が終わるころには、二人はまるでずっとそうしてきたような、そんな懐かしい感覚に包まれていた。
ほう……っと、どちらからともなく溜め息が漏れる。
「そう言えば、まだ名乗ってもいなかったわね」
名残惜しそうにギターのネックを擦っていると、同じように自分の鍵盤を撫でながら彼女が言った。
「私はシオン。ねえ、アンナ。もし良かったら、私とバンドを組まない? そしたら、ここで一緒に暮らせるじゃない」
彼女はそう言って、握手を求めるように手を差し伸べた。アンナはその指先をじっと見ながら、公園で別れたブリジットたちの顔を思い浮かべもしたが、どっちにしろ暫くはこの街に滞在するしかないんだからと言い訳して、迷うことなくシオンの手を取ることにした。






