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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
グレートジャーニー(玉葱とクラリオン after story)
401/418

NY探訪編③

 北米の世界樹を目指していたら突如として現れた謎の大都会。アンナは空腹を満たすために大道芸をしていたところ、ほんのちょっと目を離した隙に大切なギターを盗まれてしまった。


「あ、こら、待ちなさい!!」


 慌てて視線を巡らせれば、ギターを抱えた小さな子供がちょうど角を曲がっていくところだった。彼女はギターケースを引っ掴むと、その後を追って駆け出した。


 人でごった返す広場を抜けて角を曲がると、ギターはまだすぐ眼の前にあった。相手は子供だから、それほど速くは走れないようである。これならすぐ捕まえられるだろう。そう思っていたのだが、アンナはアンナで都会の雑踏に慣れておらず、通行人を避けながらの追跡では中々距離が縮まらなかった。


 そうやって逃げる者と追う者、距離を保ったままの追跡が暫くのあいだ続いた。


 アンナはその間も逃げるギターに向かって、待て! と叫び続けていたのだが、相手が止まる気配はなく、そして通行人が制止する素振りも見られなかった。なんて冷たい連中だと思っていると、すると3ブロックほど行った先で、子供は不意に方向転換して狭い路地裏へと入っていった。


 おそらくは追跡を振り切るためだろうが、あんまり良い手ではなかっただろう。アンナは路地までたどり着くと、すかさずギアチェンジして速度を上げた。今までは通行人が邪魔でまっすぐ走れなかったが、彼女にとっては都会の雑踏よりも、こういう狭い路地のほうがよっぽど走りやすいのだ。


 とはいえ、逃亡者もわざわざその道を選択しただけあって、ポリバケツを蹴倒し、室外機の隙間をかいくぐりと、巧みに逃げた。しかし、不規則に動く人間と比べたら、その程度の障害物など苦にもならないアンナの速度が上回って、二人の距離は徐々に詰まっていった。


 すると追いつかれると焦ったのだろうか、子供はまた方向転換して、たまたま開いていたビルの裏口へと飛び込んでいった。アンナも開け放されたドアを掴んで急ブレーキを踏むと、その中へと入っていった。


 中に入るとそこに通路はなく、錆びついたステンレスの郵便受けが並ぶ狭い空間の先に、いきなり上へ昇る階段が続いていた。幅は狭くて人一人が通るのがやっとで、急勾配の段差は天井に頭がぶつかりそうなくらい低かった。


 子供はそんな急階段を苦も無くスタスタ昇っていった。幼く見えるがかなりの身体能力のようだ。とはいえ運動神経ならアンナだって自信があった。彼女も急勾配に取りすがると、四つん這いになって階段をしゃかしゃか上がっていった。


 その階段は中階に踊り場がある作りではなくて、次のフロアまで一直線に続いていた。2階に上がったら通路を反対側まで引き返し、また同じような急勾配を昇るという感じだ。


 アンナが飛び込んだ時には子供はもう2階に到達しており、それを追いかけて彼女が2階の廊下まで上っていくと、彼はちょうど反対側の階段の角を曲がっているところだった。


 その曲がり角を曲がって3階へ続く階段までやって来ると、子供は既に上りきって4階に達しており、ちょっと昇るの早すぎないか? と思いはしたが、負けじと速度を上げてその後を追えば、4階の廊下に辿り着いたときにはまた彼は反対側の階段の角を曲がっているところだった。


 そんな風にクルクルと、上へ上へと追いかけっこを続けていたのだが、なかなか二人の距離は縮まらなかった。アンナは決して手を抜いてるわけではなく、彼女なりに結構本気で走り続けていたのだが、まるで追いつく気配がなかった。暫くすると、流石の彼女も息が切れて速度が落ちてきたが、しかし引き離されることもなく、依然として等間隔をキープしていた。


 こうなってくると流石にアンナもおかしいと思い始めた。相手は年端も行かない子供のはずなのに、追いつけないのもさることながら、さっきから二人は何階上り続けているのだろうか?


 10階なんてもんじゃない。既に20階30階と通過しているが、この雑居ビルみたいな建物に、そんなフロア数が果たしてあるのだろうか。飛び込む前にビルの高さを確かめなかったのは落ち度だが、いくらなんでもおかしすぎる。


 彼女は異常を感じていたが、しかし大事なギターを人質に取られているので引き返すわけにもいかず、必死に追い続けるしかなかった。息せき切って駆け続けた彼女は、やがて体力が尽きて何も考えられなくなっていった。呼吸が苦しく頭はぼーっとしてきて、キーンと耳鳴りがしている。


 と、その時、急に上階から光が漏れてきて、階段以外の全ての景色が白く染まっていった。ひどい耳鳴りがする中、その異様な光景に、なんだこれはと思いながらも、息も絶え絶え、それでも必死にその背中を追いかけ続けていると、やがて二人の距離が縮まり始めて、ついに子供が足を止めた。


 アンナはようやく見えたゴールに恍惚感を感じ表情を緩めると、殆ど這うようにして階段を上り……そして、子供の体を抱きしめるように、自分のギターに飛びついた。


「きゃあああああーーーーーーーっっ!!!」


 その瞬間、子供が甲高い叫び声を上がった。


 もし誰かに見られていたら誘拐と間違われそうだったが、なりふり構ってられないアンナは逃すまいと力を込めた。


 やっと取り返したぞ。このガキめ。どうしてくれようか。それにしてもさっきから酷い耳鳴りだ。頭もガンガンするし、なんなんだろう?


 彼女がキーンという耳鳴りの中で顔を上げると、いつの間にか周囲は目も眩むような真っ白い光に包まれており、振り返っても自分が昇ってきたはずの階段がどこにも見当たらなくなっていた。


 驚いて周囲を見回せば、ギターごと抱きしめた子供の肩越しに人影が見えた。しかし、その人影は地に足がついておらず宙に浮かんでいる。


 それは魔法でもなく、比喩でもなく、単に物理的に彼女は上から吊るされていた。


 天井の梁は見えないけれど、どこか上の方にロープが吊るしてあって、彼女はその先端の輪っかに首を突っ込んでぶら下がっているのだ。


 自重で首が締められ苦悶に満ちたその顔は、どす黒く変色し、足の先からはポタポタと汚物が撒き散らされている。


 なんだ……これは……??


「きゃあああああーーーーーーーっっ!!!」


 突然、現れた首吊り死体に驚いていると、耳鳴りがどんどん酷くなっていった。いや、それは耳鳴りではなく、さっきから抱きしめている子供が発する悲鳴だったのだ。


「きゃあああああーーーーーーーっっ!!!」


 彼は死体の前に立ち尽くし、顔をまっすぐ死体に向け、口をあんぐり開けて、甲高い音を吐き出し続けていた。


 その表情は1ミリも動くことはなく、まるで魂が抜けてしまったかのようにフラットで、ただ死体に視線を合わせたまま20000Hz付近の音を垂れ流すだけの、そんな機械みたいだった。


 こんなの子供に見せちゃいけない。


「きゃあああああーーーーーーーっっ!!!」


 アンナはそう思うと、咄嗟に彼の目に手をやってその視線を遮った。だが視線を遮られても彼は微動だにせず、相変わらず高音を吐き出し続けており、暴れることはなく、ただされるがままに立ち尽くしていた。


 すると何故か世界の方が暴れ出した。突然、真っ白だった風景が薄暗くなってきたと思ったら、ガタガタと地面が地震ように揺れだし、その揺れは徐々に大きくなっていって、ついには立っていることさえ出来なくなった。


「きゃあああああーーーーーーーっっ!!!」


 地響きは地割れを呼び起こし、世界に亀裂が走る。


 空からは岩のような何かが降ってきて、アンナは子供を庇うようにその頭を抱き寄せた。


 世界は経年劣化した壁が崩れ落ちるかのように、どんどん白から黒へと変わっていき、ついには何も見えなくなっていった。


 何もかもが崩れ去る世界の中で、首吊り死体だけがいつまでもその場にとどまり続けており、アンナのことをじっと見下ろしている。


 そして世界は暗闇に閉ざされ……


***


『きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっ!!!!!!!!!!』


 耳をつんざく轟音に、脳みそが吹き飛びそうになる。


 アンナは突然襲ってきた爆音のような歓声に驚き、ぺたんとその場に尻もちをついた。


 それはさっき子供が発していた甲高い声ではなく、それとは比べ物にならないくらい強烈な悲鳴が、何故か360度あっちこっちから聞こえてくるのだ。


 世界の終わりか? はたまた天変地異か? 一体、何が起きたんだろうと、戸惑う彼女が暗闇の中で目を凝らせば、よく見れば周囲にはおびただしい数の群衆が詰めかけており、みんな同じ方を向いて手を振り、悲鳴みたいな金切り声を上げて、声を枯らして歌を歌って、中には涙を流している者までいた。


 わけが分からず、その視線の先を追ってみれば、彼女のすぐ後ろにいつの間にかステージがあって、スポットライトを浴びた男たちが佇んでいた。


 ドラムにベースにボーカル、そしてアンナと同じギタリスト。


 しかしそのギターは1つのボディーに、何故かネックが2本あった。片方は6弦、そしてもう片方には12弦。なんだこれは? とその奇天烈な形状に眉を顰めていると、ふいに曲が始まって二度びっくりした。何故ならギターはギターなのだが、そこから流れてくる音が、アンナが知っているギターのそれとはまったく別物だったのだ。


 まるで体に電気が走るようなその音に驚いていると、大歓声とともに歌が始まった。


『光り物はみんな金だって信じてる女がいる。彼女は天国への階段を買っているんだ』


 それは淡々としたアルペジオとリフの繰り返しで単調な曲だったが、異常に人を惹きつける何かがあった。


 まるで音が形を伴ってそこにあるような、不思議な感覚にアンナは目は釘付けになった。


『ああ、不思議に思う。不思議に思う。そして彼女は天国への階段を買っている』


 突然の転調が来てイメージがガラリと変わり、曲は次第に音量を増して盛り上がっていき、ついにクライマックスを迎えた。そして12弦ギターから奏でられるまるでオーケストラみたいな序奏に続いて、流れるようにギターソロが始まると、会場に溢れる歓声はピークを越えてもはや爆撃みたいになっていた。


 半狂乱のコンサートホールの中、ギタリストが奏でる音の速度、正確さ、テクニック、そして見栄えのするストロークに、アンナは目が離せなくなっていた。ともすると独りよがりにも見えるそのテクは、信じられないほど繊細で見る者の心を惹きつけて離さなかった。その指から奏でられる音が、わけが分からないくらい体の芯に響いてきた。きっと彼女が同じことをしても、あんな音を出すことは叶わないだろう。彼女は、自分が同じギタリストだと言うのが恥ずかしいと思えるくらい、打ちのめされていた。


 初めてそれに触れてしまった衝撃に、感動しすぎて涙が出るよりも先に、アンナはゲロを吐きそうだった。


 ギターってこんな音が出せるの? じゃあ、今まで自分がやって来たことってなんだったの?


 そう考えると胃がキリキリと痛んで立っていられなくなった。自分は何も知らなかったのだ。


 世界が狭すぎたのだ!!


「何なの、これ……何なの……!!」


 360度あちこちから聞こえてくる暴力的な喧騒の中で、アンナは放心しながら、そんな言葉を繰り返していた。それは誰かに届けようとしたわけでもなく、自然と出た溜め息みたいなものであり、返事を期待したものではなかった。


「レッド・ツェッペリンさ」


 しかし、そんな彼女の疑問に答える声が、彼女のすぐ下の方から聞こえてきた。


 ぽかんとしながら下を向いたら、そこに彼女に抱きかかえられた、さっきの子供が膝の上に収まっていた。彼は彼女を押しのけるように体を引き剥がすと、


「世界で最も売れたアーティストの一つさ。ボーカリストのロバート・プラント、ベーシストのジョン・ポール・ジョーンズ、ドラマーのジョン・ボーナム、そしてギタリストのジミー・ペイジ。イギリスのロックバンドだ。あんた、ギターやってるくせにそんなことも知らないの?」

「ジミー・ペイジ……」


 それがあのギタリストの名前なんだ。キラキラとした瞳でアンナはステージの上を見上げた。


 と、そんな時だった。彼らのもとへ制服を来た警備員が駆け寄ってきて、


「こらー! そこのおまえら、一体どこから入り込んだんだ!!」


 警備員は今にもステージに殺到しそうな観客を押しのけながらアンナたちのところまでやって来ると、乱暴に彼女の腕を引っ張った。


「ただ見とはふてえ連中だ! さあ、今すぐ外に出るんだ!」


 警備員は顔を真っ赤にしてグイグイと二人を会場から連れ出した。


 まだ歓声が轟くコンサートホールから通路へ出ると、さっきまでの熱気が嘘のように冷たい風が吹いていた。


 正面玄関から外へと追い出されると、もう音はどこからも聞こえてこなくなり、代わりにますます刺すような寒さが襲ってきた。慌ててマントの前を閉じたら、警備員は汚物でも見るような目つきで聞いてきた。


「よく見たら、なんだね、その格好は? お嬢ちゃん、ホームレスか?」

「違うわよ、失礼ね」

「ふん……丁重に扱ってほしいなら、まずはルールを守るんだな。全く、近頃の若いもんわ」


 警備員はぶつくさ言いながらまた会場の中へと戻っていった。取り残された二人は寒空の下、そんな警備員の背中を見送ることしか出来なかった。通行人がそんな奇妙な二人のことをジロジロ見ながら通り過ぎていく。


 アンナはその背中に文句の一つも言ってやりたかったが、実際チケットを買った記憶は無かったから、咎められたら言い訳のしようもなかった。


 でも、こっちだって悪気があって不法侵入したわけでもないのだから、せめて事情くらい聞いてくれてもいいじゃないか。


 そう考えてから、アンナは、はて……? と首を傾げた。


 確かに不法侵入した覚えはなかったが、それじゃどうやってあの中に入り込んだのか、その記憶も無かった。確か、ビルで追っかけっ子していたら、いきなり首吊り死体が現れて、驚いていたら急に辺りが暗くなり始めて、気がついたら何故かあの場にいたんだが……


 我ながら、わけの分からなさにビックリしつつ、隣を見れば、その時追っかけっ子していた子供が立っていた。流石にもう逃げるつもりはないのだろうか、不貞腐れたように地面を見つめて大人しくしている。


 アンナはハッと我に返ると、彼からギターを取り返して、


「良かった。どこも傷ついてない」


 と状態を確かめてから、ギターケースに大事にしまった。


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