NY探訪編①
欧州の世界樹の遺跡で、忽然と姿を消してしまった但馬波瑠。そんな彼を救出すべく北米を訪れたブリジットたち一行は、目的地であるマンハッタン島を目前にして、濃霧に阻まれ立ち往生していた。それは少しでも早く但馬を助けたくて仕方がないブリジットをヤキモキさせたが、幸いなことに一晩も経てば霧も晴れて、翌朝には元通り雲一つない快晴の空が戻ってきた。彼らは朝食を終えると最後のフライトへと飛び立っていったが……
しかし異変はこの時すでに起こっていた。彼らが立ち往生している一晩の間に、周辺の景色は一変していたのだ。
野営地を発った彼らはこれまで通り暫くの間は、どこまでも続く濃い緑に覆われた大地の上を飛んでいたのだが、小一時間もするとそれは突如として終わりを迎え、その先には灰色のコンクリートジャングルが広がっていた。それは突然、砂漠が見えてきたという比喩ではなく、文字通りコンクリートで固められた巨大なビル群がそこに建っていたのだ。
マンハッタン島には碁盤の目状にアスファルトの道路が張り巡らされており、道路に囲まれた全てのブロックには信じられないくらい高いビルが何本も何本もそびえ立っていた。
ロディーナ大陸やレムリアでは10階以上はみんな高層ビルと呼ばれていたが、ここでは30階建ての高層ビルなどザラにあり、中には100階を超える本物の摩天楼すら建っていた。
それは見る人が見ればエンパイアステートビル、クライスラービル、ロックフェラープラザ、そしてワールドトレードセンターと呼ばれる超高層ビル群であり、NYを訪れる旅行客だったらカメラ片手に歓喜の声を上げただろう。
しかし、そんなものなど知るはずもない彼らからすれば、その巨大なビル群にはただ圧倒されるばかりで、景色を楽しんでいる余裕などまったくなかった。
この異常事態を前にして、先頭を飛んでいたリオンはすぐ地上へ降りようと考えたが、しかしグライダーを降ろそうにも、道路には無数の車列が渋滞を作っており、そして歩道では通行人たちがこちらを指さしながら変な板をかざしていて、とても降りられそうになかった。
ところが、まごついていると突然、それまで動力にしていた耳長族の杖の反応が無くなり、グライダーは否応なしに滑空状態になってしまった。もちろん、飛行機の構造上、すぐに落ちるということはないが、高度はみるみる落ちていく。困ったリオンは視線を巡らせると、このコンクリートジャングルの中ではかなり目立つ森のような広場を見つけ、そこへ降ろそうと機体を旋回した。
そうして三台のグライダーは滑空状態のままセントラルパークへと飛んでいき、そしてゆっくりと芝生の広場へと着陸した。突然の空からの訪問客に、散歩に来ていたニューヨーカーたちは驚き、犬がわんわんと騒いでいた。
ブリジットたちはそんな騒ぎの中で機体を下りると、こそこそと集まって相談を始めた。普段なら大抵のことには楽観的な彼女でも、流石にこの状況は異常であると感じているようだった。
「これは……何が起きているんでしょうか? リオンさん、わかりますか?」
「いえ、僕にもさっぱり……」
ブリジットは周囲を取り巻くギャラリーをちらりと見てから、
「先生の話では、この世界にはもうロディーナ大陸以外に人は住んでないはずだったんですよね? ……まさかまだこれ程の人間が生き残っていたってことなんでしょうか?」
「いや、流石にそれは考えられませんよ。さっき上空からちらっと見ただけでも、この街の人口は数万や数十万ではきかなそうでしたよ? 恐らくは数百万……川の向こう側にもまだ同じような町並みがずっと続いていましたし、それにこの巨大なビル群……これは明らかに、レムリアの科学力を上回っています。そんな高度な文明が今まで誰にも発見されずに残っていたなんて……絶対に有り得ない!」
「そんなことより、杖が全く機能しなくなっている。三つともだ。同時に壊れるなんて考えられないのだが」
ブリジットとリオンが話し合っていると、遅れてやって来た耳長族のリーダーが心底不安そうな表情で訴えてきた。杖は彼らの部族の聖遺物であり、考えようによっては命よりも大切なものだから、それを同時に三本も壊したとなったら一大事だ。このままでは二度と村に帰れなくなると青ざめている彼に対し、ブリジットはちょっと待てと手で制しながら、じっと集中すると、
「……やはり、マナが感じられませんね」
「マナが無い、だって?」
「ええ。実はこの島に差し掛かった辺りから、微妙にマナの気配が変わっていたんですよ。どうもこの近辺には、マナを遮断する結界のようなものがあるみたいです」
「そうか。マナがないから杖が機能しなくなったんだな。壊れたんでないなら良い。それにしても、あんたすごいな。マナの気配が分かるなんて……」
耳長のリーダーはホッとため息を吐いている。リオンは周囲を見渡しながら、
「そういえば、世界樹も見当たりませんね。お父さんの話では、元々この近辺に世界樹があって、戦争のせいでそれが消失してしまったから、耳長族は欧州に引っ越していったって話でしたが……」
「あの忌々しいAIの気配も感じられませんね。リオンさん。ここって、本当にマンハッタン島で間違いないんですか?」
「地図が間違っていなければ。というか、これだけあからさまな異変が起きているんですし、実は別の場所でした、なんてことも考えられないと思いますが」
「それもそうですね……あれ?」
ブリジットは納得しつつ、その途中で急に、強烈な違和感を覚えた。それは会話の中身ではなく、もっと別のものだった。それはなんだろうか? と首を傾げていた彼女は、やがてその違和感に気づいて目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待ってください? その耳長の人って、喋れましたっけ?」
「……え?」
「ええと確か喋れるけど、リオンさん以外とは会話が通じないんじゃなかったのでは? なのに、さっきから言葉が通じているような……」
「あれ!?」「本当だ!」
ブリジットに指摘されて、リオンだけでなく、当の本人まで驚いている。
と、その時だった。遠くの方からファンファンファンと甲高いサイレンの音が聞こえてきて、回転灯をつけた青白のツートンカラーの車が公園内に滑り込んできた。
車は広場へ横付けすると、中からおそろいの制服に身を包んだ男たちが降りてきた。もちろん、その場に居る全員が初めて見る制服だったが、ブリジットたちはすぐに彼らが何者であるかを察した。
男たちは腰のホルスターから拳銃を抜き出すと、銃口を上に向けたままジリジリ近づいてくる。
「おい、そこの! さっき街の上をグライダーで飛んでいたのはお前達だな!? 両手を挙げて背を向けなさい!」
このタイミングでやって来るなんて、この街の憲兵くらいしか考えられなかった。人数は二人、ブリジットからすればまったく問題にもならない数であったが、
「どうしましょう……捕まると厄介なことになりそうですし、片付けましょうか?」
「いや、姫様。来て早々、騒ぎを起こすのは得策ではないですよ。ここは穏便に話し合ってみる方がいいかと。情報収集にもなりますし」
「ふーむ……それもそうですね」
リオンとブリジットはお互いに顔を見合わせると、ここは逆らうべきじゃないと判断し、言われたとおりに手を挙げた。二人の様子を見ていた耳長リーダーとハルも続く。
「あ、こらーっ!!」
ところが、その時、グライダーの中から物凄い勢いで人影が飛び出してきて、警官たちの横を抜けてあっという間に雑木林へと駆け込んでいってしまった。あまりに突然だったので反応しきれず、警官たちは発砲すべきか迷っているようだった。
人影はそのまま手近にあった高い木に駆け寄ると、信じられない速度でてっぺんまで登っていってしまった。その木登りの速度たるや、まるで本物の猿みたいで、警官たちは舌を巻いていた。犯人は樹上でフーフーと唸り声をあげて威嚇している。どうやら、ずっと機体に潜んでいたエルフがビックリして逃げ出してしまったらしかった。
「クレイジーだ……」
「すみません! すみません! 彼女に悪気は無いんです! ただちょっと人混みが苦手なだけで……僕がすぐ言って聞かせますから、どうか見逃してもらえませんか?」
彼女は田舎しか知らないから、この異常な人混みに当てられてパニックになっているのだろう。リオンが慌ててフォローを入れると、警官たちは木の上と彼とを交互に見てから、危険はないと判断したらしく、拳銃をホルスターに収めて、
「君らはなんの集団だ? ユーチューバーか? すごいパルクールだな」
「ユーチューバー……? なんです、それ? とりあえず、そっちを向いていいですか」
「ああ、彼女の説得は君に任せるよ。それで、責任者は誰なんだ?」
「私です」
ブリジットが手を振ると、警官たちは驚いたように目を丸くして、ハルの方をチラチラ見ながら、
「お嬢ちゃんの方なのか!? てっきり、そっちの彼だと思っていたのだが……」
「私じゃ何か不都合でも?」
「あ? いや、そんなこともないんだが……」
どうも警官たちはブリジットの背が低いせいで、彼女を子供だと勘違いしいたようだった。ところが、振り返った彼女の胸がバインバインなのを見るや考えを改めたらしく、
「失礼しました。この中ではお嬢さんが一番若く見えたものですから」
「ちゃんと目を見て話してくださいよ。喧嘩なら買いますよ」
ブリジットのこめかみの辺りがピクピク動いている。見た目とは裏腹にキレやすいんだから下手に刺激しないでくれと、ハルは内心ドキドキしながらその様子を見守っていた。
と、その時、彼は気づいた。よく見れば仲間の人数が足りない。彼の隣には耳長のリーダーがいて、眼の前には警官の聴取を受けているブリジット、雑木林の方ではエルフに木から降りてこいと説得しているリオンが見えるが、アンナの姿はどこにも見当たらなかった。
慌ててこっそりグライダーの中を確認すれば、いつの間にか彼女が大事にしているギターケースが無くなっていた。どうやら、このゴタゴタの隙を突いて、密かに逃亡してしまったようだ。
戦場を独りで渡り歩いていたくらいだから、彼女の逞しさは良く知っているが、この状況で単独行動に走るの不安でしかなかった。
突然の大都会の出現。マナの消失。耳長リーダーと会話が出来るようになっていたり、明らかに尋常ではない何かが今、現在進行系で起きているのだ。かと言って、警察に事情を話して保護してくれというのも何か違う気がするし……
無事でいてくれるといいのだが。そう思いつつ、ハルは黙っておくことにした。






