そう……だったのか……
しかし、マルグリット・ヒュライアのことを淫売と切って捨てるその勢いに飲まれて、大慌てで部屋を飛び出したは良いものの、本当にあの毒婦はクロノアにちょっかいをかけに行ったのだろうか。
大体、仮にそうしたところで、男女の艶事に上司が首を突っ込むのもおかしな話だ。クロノアがどうするか知らないが、もういい大人なんだから、変に口出しなんかせず、彼の判断に任せるしかないではないか。
「いいえ、旦那様。あの女は確実にクロノア様にちょっかいをかけるでしょうし、確実に旦那様に迷惑をかけるでしょう。それによって、クロノア様の恋が台無しになるのも間違いありません」
「言い切るね」
「……お嬢様の使用人になって、もう長いですから。嫌でもわかります」
久しぶりに再会したレベッカは、以前とは別人かと思うくらいに感じが変わっていた。何というか、初めて出会った時は何をするにもオドオドとして、言い方は悪いがドン臭い感じであったのに、今はハキハキと喋って人の顔色を窺うようなこともないし、胸を張って歩く姿はとても元奴隷だとは思えないくらい堂々としたものである。
それはメグのような相性の悪い相手と長年付き合ってしまったがためだろうか。
「お嬢様は、ご自身の体を提供することで、何か得をすることがあるならば、まず躊躇するということはありません。どんな相手にも娼婦のように愛想を振りまいて、いいように手玉に取ります。それを楽しんでおいでなのです。本質的に淫乱ですから」
「まあ、それは認めるけど。でも相手が靡かなければ、結局は何も出来ないんだから好きにさせときゃいいんじゃないか。誰も彼もが、彼女のことを抱きたいと思うとは限らないんだぜ」
「甘いですわ、旦那様。お嬢様は、こと男性を手玉に取ることにかけては天才です。あれにコロッとやられない男は、まずいませんよ」
「んなこたーないだろ。俺はさっぱり興味わかないし……」
「ですが、いいように扱われてますよね。今回も、しなくてもいい助け舟を出すことになっていますよね」
確かに……言われてみればそうである。その前は一方的にアウルムを紹介され、さらにその前は軍の機密を(別に話しても問題はなかったが)べらべら喋らされたような……
「体に靡かないのであれば、別の方法を取るまでですよ。失礼ですが、旦那様。あなたはお嬢様のことを見下しておいでですね? あしらいやすい女だと思っておいでですね? 他の女性と違って、喋りやすい相手だと……男友達のように、ざっくばらんな付き合いが出来る相手だと、そんなふうに考えてはおりませんか」
なんかものすごく鋭利な刃物でザックリとやられた気分である。
「お嬢様は、相手がこうだと望んでいる姿に、自分を見せかけるのが得意なんです。貞淑な淑女であれば慎ましやかに。淫乱な娼婦であれば妖艶に。好きな相手に素直になれない女友達や、子犬のように慕ってくる少女にだって……男性の理想を、まるで鏡写しのように、自分を変えて演じることが出来るのですよ。それも、お嬢様自身はまったく意識すること無く……」
それはついさっき、他ならぬ但馬自身が抱いた感想そのものだった。
彼女は相手にする男によって、カメレオンのように自分の姿を変える……どうして自分だけは違うと思い込んでいたのだろうか。
「なるほど……俺はとんでもなく間抜けだったようだな」
「出すぎた真似でした。ご無礼をお許し下さい」
「いや、とてもためになったよ……君は良い使用人だよ。状況がよく見えている。あれにはもったいないくらいだ」
但馬がそう褒めると、レベッカは頬を赤らめうつむいた。その顔が、かつて見たか細い姿と重なって、根本的な性質は何も変わってないんじゃないかと思った。
「それにしても……思ったよりも、あの馬鹿と上手く付き合えてるみたいで良かったよ。さっきベッドにふん縛られてるのを見た時は、もしかして、相変わらずイジメられてるんじゃないかと思ったけど」
「……先ほどはお目汚ししまして、大変失礼いたしました」
「いやいや、結構なものを見せていただいて……ゴホンゴホン!」
何を言っても藪蛇なような気がする。但馬が黙っていると、微妙な空気を感じたレベッカが話題を戻した。
「そうですね。お嬢様とは、相変わらずです。何が変わったというわけではありませんが、それなりに上手くやらせて頂いております。一度、死にかけたことで、肚が据わったのかも知れませんね」
そう言う彼女の顔はどこかサバサバとしたものがあった。乾いているのではなく、仕事に忠実な人の見せる顔だ。
「私は……言ってしまえば、奴隷でした。搾取されるのが当たり前だと思っておりました。生殺与奪権を握られていて、いつ自分の命を理不尽に摘み取られるか分からない。だから、主人の言うことはどんなことでも絶対だと、そう言い聞かされて生きてきました。ですが、そうやって自分を殺して生きていたところで、死ぬときは死ぬんですよね。
そう思ったら、色々と馬鹿らしくなったのです。そもそも、お嬢様は聖教会の追跡調査がある手前、私に危害を加える事は出来ません。お嬢様は平気で人を脅かすようなことを言いますが、私がそれを拒否したらそれ以上何も出来ないのです。
使用人というものは奴隷とは違います。なのに私は怖がって、お嬢様に萎縮していたのも悪かったのですよ。それに気づいてからは気が楽になったと申しますか……寧ろ使命感のような気持ちが芽生えてきました。私は第二の人生を与えられ、彼女の使用人になったのですから、主人をまっとうな人間にするために働きたい……
何しろお嬢様は、どうしようもない淫売ですから」
「クックック……」
自分の主人のことを、清々しいほど悪しざまに言い切った彼女のセリフがおかしくて、但馬は思わず吹き出した。そう言えば思い出したが、アナスタシアが言うには、レベッカはガチガチのクリスチャンなのだ。メグとは水と油なのだ。
但馬が愉快そうに笑い続けるのが気になったのか、先を行くレベッカはチラリと何度も振り返り、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべた。元々、そう言う風に笑う子だったのだろう。彼女の傷が癒えたのであれば、本当に良かったと但馬は思った。
カンディアで出会った時のことを思い出して、またひどい目に遭わされてるのではなかろうかと不安に考えていたが、どうやら杞憂だったようだ。もしかしたら、メグのほうがレベッカのことを苦手として、今回のような嫌がらせを思いついたのかも知れない。但馬が彼女のことを見初めて、引き取ってくれたらラッキーくらいに考えて。
「そうかも知れません。最近ではお嬢様は外出なさる時、私の同行を嫌がります」
「そりゃあ、いい気味だ。でも、君自身はそれでいいのかい」
「……え?」
「実は、次に会った時は本当に、機会を見計らってヒュライアから君を引き取れないかと考えてたんだよ」
するとレベッカは怪訝な表情をしながら振り返り、急ぎ足を若干ゆるめた。
「君はほら、うちのアナスタシアの友達だし、カンディアで出会った時にひどい目に遭わされてたからね。気になってたんだ。本当ならすぐにでも引き取りたかったんだが、残念ながら、あの時の帝国と皇国は戦争中だった。ヒュライアはリリィ様に押し付けられたと言っていたけど、そのリリィ様に接触する術がなかったから、諦めるしかなかったんだよ」
但馬がそう言うと、レベッカは眉根に皺を寄せて険しい表情を見せた。但馬は何か気に障ることでも言ったろうかと思い、
「いや、上から目線で同情されて、もしかしたら気を悪くしたかも知れない。それは謝るけど……でも、改めて考えてみたらどうだろうか。君とヒュライアは水と油だ。今は君も使命感に燃えているから良いけども、これから先一緒に居てもあんまりいい関係にはなれないと思うよ。だったらうちに来たらどうだい? 今ならリリィ様に頼めば、一発で許可してくれると思うよ」
「それは出来ません」
但馬が言い終わる前に、それを遮るかのようにレベッカが首を振った。その表情は険しいと言うよりもどこか悲しげなものに変わっていた。
その何というか頑なな態度に、但馬は彼女のプライドを傷つけてしまったのだろうかと思ったが、
「そうじゃありません。そうじゃなくて……私が旦那様にお仕えしては、ナースチャに顔向けが出来ません。そんなことが許される立場ではないのです」
「え? どうして……もしかして、アーニャちゃんと喧嘩でもしたの?」
するとレベッカは足を止め、その場に立ち尽くした。
彼女の後ろを歩いていた但馬は、そのまま彼女の横を通りすぎてから、彼女がついてこないのを見て振り返ると、レベッカは何故か但馬に向けて深々と頭を下げていた。
「申し訳ございません」
但馬は彼女の突然の態度に戸惑い、目をパチクリしながら立ち止まった。
「私は罪を犯しました……本当は旦那様、あなたに同情してもらえるような人間ではないのです」
「……どういうこと?」
「実は……あなたはあの時カンディアで、ナースチャとデートの約束をしていましたよね? だけど、彼女は来なかった」
「あ、ああ……」
懐かしくて、そして苦い記憶だった。
あの日、但馬はカンディアでアナスタシアを呼び出して、お互いの関係を前進させようと歩み寄った。しかし待ち合わせ場所に彼女は来なくって、結局、自分一人相撲でしか無かったのだと打ちのめされた。
その後、ペスト騒動なんかがあったせいで、落ち込んでも居られなくなり、どうにかズルズル行かずに普段通りの関係に戻ることが出来たのだが……
「あれは私のせいなんです」
右の耳から左の耳に言葉が抜けていくみたいで、上手く頭の中に入ってこない。だけどなんだか胸だけが、やたらとざわついて苦しかった。
「あの日、本当は彼女はあなたの元へ向かっていたんです。とても可愛らしい服を着て、とても幸せそうで……なんだか、この世の全ての幸福を、一身にあの子だけが受けてるようなそんな気がして……私はそれが許せなかったんです。同じ時、同じ場所で、同じように尊厳を踏みにじられて、這いつくばって生きていたのに……なのに、私だけが未だにそこから抜け出せず、彼女だけが神に愛されている。そんなの不公平じゃないかって、私はそんな風に思って、彼女に嫉妬したのです。
自分が娼婦だったことを思い出せ。彼女はそう言う私の言葉に傷ついていました。それで、あなたの元へ行けなくなったのです……私は、罪を犯しました。あなたたちが大騒ぎしているのを知っていながら、それを黙って見ていることしかしませんでした。だから、ペストに罹った時、私は天罰が下ったのだと思いました。でも、彼女はそんな私をも助けてくれたのです……」
レベッカはその時の後悔があったのだろう。以来、無私の自分を神に捧げて、宗教のためだけに生きてきた。信仰を得た彼女は図太く、マルグリット・ヒュライアの意地悪なんかには、動じることがまるで無くなった。彼女はもう、自分一人で生きていくことが出来るのだ。
だから、自分のことは気にかけないでくれと彼女は言った。自分は罪を犯した。本当は、但馬にもアナスタシアにも顔向け出来ないのだと。
「そう……だったのか……」
但馬はポカンと彼女の顔を見つめていた。何か気の利いたセリフの一つも言いたいのであるが、笑ってしまうくらい頭の中身が真っ白で、何も思い浮かばなかった。
ぼんやりと見つめる但馬の視線に、罪悪感に駆られたレベッカが目を伏せる……
彼女のことを非難したいわけではない。
彼女のことを憎いとも思わなかった。
仕方ないことだった。
それに今更だった。
だから平気だよと言ってあげたいのだけれど、但馬は何も言うことが出来なかった。
そんな拷問みたいなお見合いがどのくらい続いただろうか……
「あ! お嬢様!」
そうこうしているとレベッカは、但馬の背後に何かを見つけて、険しい表情をしながら一礼すると、呆然と立ち尽くす彼の横をすり抜けて廊下を走っていった。
その後姿を目だけで追いかけると、迎賓館の一階ロビーにはクロノアとメグが居て、レベッカの読み通り、メグはクロノアにしなだれかかって何やら誘惑めいたことをしているようだった。
大方、足がもつれたとか、ヒールが折れたとか、そう言うくだらない理由で体を預けているのだろう。クロノアはそれがわざとであると、薄々感づいているようであったが、相手が女性であるから強く出ることが出来ず、苦笑交じりに相手をしているようだった。
それがメグの得意技であり、そのまま続けていればクロノアであっても絡め取られてしまったのであろうが……レベッカが乱入してくるとメグは目を丸くし、
「げえぇ~……レベッカ! あんた、もう戻ってきたの!?」
「お嬢様。今日という今日は堪忍袋の緒が切れましたよ」
「なによー、まだ何も悪いことしてないじゃん」
「まだ……ということは、これからする気満々なのですね」
「ドキッ!」
「ほんとにもう……あなたは自分の恩人に申し訳ないと思わないのですか!! あなたを助けるために但馬様が奔走してくださるというのに、その部下であるクロノア様に色目を使って……」
レベッカがくどくどとお説教をする中、但馬がむき出しのポリゴンで描かれたキャラみたいに、ぎくしゃくとした足取りでロビーに入ってくると、彼に気づいたクロノアが苦笑しながら迎えた。
しかし、すぐ怪訝そうに首をかしげると、
「閣下。どうかされたのですか? 顔色が真っ青ですよ……?」
「いや……」
そうか、そんな顔をしているのか……但馬は他人事のようにそう思いながら、動揺を気取られまいとして、何かに気を逸らそうと辺りをキョロキョロ見渡した。
すると、そんな時だった。
ゾクッ……
っと、背筋が凍りつくような殺気が全身を貫いて、但馬は真っ青を通り越して、更に血の気が引くのを感じた。
ゴクリ……
っと、つばを飲み込み、但馬が震える手で、その殺気の方を指差すと……
「……え、エリザベス様?」
但馬と同じくその殺気に気がついたクロノアが、ぎょっとした顔をして目を丸くした。
玄関ロビーの入り口には観音開きの大きな扉があるのだが、その中央にいつの間にやって来たのか、引きつった笑みを浮かべたブリジットが立っていた。
因みに殺気の主は彼女では無く、その背後からである。
どのくらいのマナを練りあげたらそんな風になるのだろうか……
ここがたまたま世界樹のお膝元だったというのもあるだろうか。ブリジットの背後に隠れるようにくっついていたリーゼロッテが、大量のマナからなるオーラを発しながら、じぃ~……っと、ロビーの方を白けた目で見つめていた。
あまりにも大量のマナを集中させたからか、彼女の体が霞んで見えないほどであり、そのゆらゆらと揺れるオーラの中で、鋭い眼光がくっきりと光って見えて、まるでホラー映画のようだった。
その瞳が何を捉えていたかは言うまでもない。
クロノアにおっぱいをこすり付けるように腕を絡めていたメグは、まるで蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませて、崩折れるように地面にペッタンと腰を落とした。きっと、腰を抜かしたに違いない。
そんな素人にもハッキリと分かるくらいの殺気を漂わせ、ロビーにたまたま居合わせた気の毒な人々を威圧しながら、リーゼロッテは緊張に冷や汗をかくブリジットの背後から、ズリズリと姿をあらわすと……
「べ、別に、あんたのことなんて、なんとも思ってないんだからねっ!」
と言って、プンスカしながら走り去っていった。
プハーッと、あちこちから息を吐く音が響いてくる。どうやら、そこにいるみんなが、呼吸をするのを忘れていたようである。
そんな中、あっけにとられていたクロノアは、自分に何が起きたのか分かってるんだか分かってないんだか、
「え、エリザベス様! お待ち下さいっ! エリザベス様ー!」
すがりつくメグをゲシッと足蹴にして、一目散に駆けていった。
「ぴぎゃっ!」
っとカエルが潰されたような悲鳴を上げて、メグがバタンキューとぶっ倒れた。
緊迫の状況に未だに金縛りが解けない人々が表情を凍りつかせている中、但馬は緊張をほぐすためにも、ここは敢えて自分が何か言わなきゃいけないような気がして、
「ツンデレて……三十路が図々しいんだよっ!」
っとボヤくのだった。
こういう時だけスラスラと言葉が出てくる自分が悲しかった。
その後、緊張の糸が切れた人々が、ロビーで弛緩した空気を醸し出している中、ティレニアの武官を呼びに行ったエリックが帰ってきて、のんきな声で何があったのかと尋ねてきたが、もちろん何も返せなかったし……せっかく連れて来てくれた客とも、実のある話は何も出来なかった。






