七つまでは神のうち⑥
今まさに打ち壊しの起こっている工場から、アナスタシアが出てくるとはこれっぽっちも思わず、但馬は面食らって目をパチクリさせた。面食らっているのは銃士隊長クロノアも同じで、自分よりも一回りも二回りも小さい小娘に、軽くあしらわれたことがよほどショックだったのだろうか、彼は信じられないといった感じにブルブル震えると、再度剣を構えて突撃を図ろうとして……
「おいこら! 待て待て待て!!」
近衛兵に四方八方から止められて地面に這いつくばった。
「何をするんだ!」
「あんたこそ何すんだ! こちらは宰相閣下の娘さんですよ」
「ええっ!?」
クロノアは今度こそ仰天して目ん玉をひん剥いた。但馬には養女が居ると聞いてはいたが、それがこんなにも小さくて可憐で、華奢な女の子だとは思いもよらなかった。腰なんか細くて折れてしまいそうなほどだ。多分、何も知らずに街で出会いでもしたら、必死になって口説き落とそうとしてるに違いない。
そんな子相手に、自分はなすすべ無く地面に転がされたのか……クロノアがガックリと項垂れると、彼のまとっていたオーラが消え、周囲の近衛兵たちに投石がガツンガツンとぶつかり始めた。甲冑を着ていなかったら大惨事である。
盾を頭の上に構えたエリオスが進み出てきて、工場からの投石を弾きつつ、
「アナスタシア、一体これはどういう事だ。どうして君がここにいる?」
「ただの偶然なんだけど……」
「そのお嬢さんが怪我人を懸命に介抱してくださったんです!」
アナスタシアが何から話せばいいのか口ごもっていると、但馬達を案内してくれた憲兵隊員がやってきて言った。暴動が起こってから相当の怪我人が発生したが、深刻な事態になっていないのは彼女のおかげらしい。
「中の人達は説得するから、もうちょっとだけ待ってあげて!」
「しかしなあ……」
エリオスが困ったように振り返る。但馬は軽く頷くと、
「ここは彼女に預けましょう。近衛兵隊は工場前から一時撤退して」
「はっ!」
近衛隊がクロノアを引きずって撤退すると、ようやく工場からの投石が止まった。但馬はアナスタシアに向かって、
「詳しいことはあとで聞かせてもらうけど……こっちも遊びじゃないんだ。場合によっては強行突入もありうる。その覚悟だけはしといてくれ」
「わかった」
アナスタシアはコクリと頷くと、身を翻してさっと工場内に戻っていった。
本当に分かっているのかな……? 今回ばかりは、自分も100%味方ではないのだぞ……
不安になりながらも、彼は踵を返すと、近衛兵たちが撤退していった広場の入り口へと向かった。出来れば労働者たちには穏便に投降してもらいたいものだが……駄目だったら本当に突入するしかない。
但馬がマントを翻し戻ってくると、近衛兵が何も言わずにどこかから持ってきた椅子をさっと差し出した。自分も偉くなったものだと、半ばうんざりしながらも、彼がその椅子に座ろうとしたとき……
ふと、路地裏でそわそわとこちらの様子を窺っている人影が見えた。
こっそりと盗み見ているという感じではない。何しろその人影はエリオスよりも大きいのだから、隠れることが出来なかったのだ。
「ジュリアさん!」
但馬はその人影に向かって叫んだ。
ジュリアはドキッと立ち止まってから、ホッとした顔を見せて、それからまたどんな顔をしていいのか分からない、と言った感じの苦笑いを顔に貼り付けながら、但馬の方へと恐る恐る歩いてきた。
「あらあらあら、まあまあまあ、社長さ~ん……ご無沙汰ね~。お噂はかねがね聞いてるわ~。凄いわね~」
「いや、成り行きで……ジュリアさんは一体ここで何を?」
「お姉さんはこの街で孤児院を経営してるんだけど……」
「孤児院? ……はぁ~、それは感心ですね」
見るとジュリアのスカートに、何人もの子供たちがピッタリとひっついていた。彼らはみんな怯えるように但馬や兵隊のことを見上げている。子供を驚かせてはいけないと、但馬はしゃがみこんで目線を合わせてみたが、それはかえって彼らを怯えさせるだけだったようだ。
ジュリアのスカートにギュッと顔を埋めて、彼女の背中に隠れてしまった子供に対し、但馬はポリポリと後頭部をかきながら立ち上がると、
「ああ、もしかして、アーニャちゃんがここに居たのは、ジュリアさんに会いに来たからなのか。おかしなところで会ったもんだと思ったけど」
「ここへ来ること、ナースチャから何も聞いていなかったの~?」
「ん……うん。いや、ここんところすれ違いで……中々家に帰れなくてね」
と言うか、まったく家に帰っていなかったから、彼女がどこで何をしているのかすら知らなかった。但馬はバツが悪そうにブルブルと頭を振った。彼が視線をふいに逸らすから、ジュリアはそれでなんとなく、二人の関係が今上手くいってないだろうことを感じ取ったようだった。
「お姉さんのとこに、いきなり会いに来たからびっくりしたわ~。ちょ~っと元気ないみたいだったけど……」
「……それで、どうしてあの子が工場の労働者と一緒に居るの?」
「それがね~……」
ジュリアは事の経緯をかいつまんで説明した。
工場の労働条件がひどすぎて、従業員やその子供に疫病が蔓延していたこと。そのせいで孤児が発生し、ジュリアが孤児院を設立したこと。それに同情したアナスタシアが、見るに見かねて街の工場の従業員を治療して回ったこと。
労働者たちは久しぶりに人間らしい扱いを受けて心を打たれたらしい。そして、自分たちの境遇を省み、一体何をやってるのか考えこんでしまったようだ。
毎日クタクタになるまで働いて、何も考えられなかったが、こんなことはいつまでも続かない。だが、故郷に帰っても仕事は無く、従って子供を育てるならここで踏みとどまるしか無く、しかし、その子供も無償の労働力として酷使されて、仕事が遅ければ殴られて、不満を言うことも許されず、それが出来なければ移民は強制送還……そう言った、追い詰められた彼らの気持ちを利用して、工場主たちは私服を肥やしていたのだ。
こんな理不尽、許していいのか?
一度ついた怒りの炎は瞬く間に広がった。それまで、彼らを奴隷のように扱っていた監督者がまず報復され、続いて街中の工場が打ち壊しにあった。
ジュリアはビックリして子供をつれて孤児院に避難したが、アナスタシアは怪我人を放っては置けず、ジュリア達を安全な場所に届けた後、騒ぎが起きたのは自分の責任だからと言って、街に戻っていったそうだ。
しかし、助けてくれた彼女に手を出すことは無かったものの、移民労働者たちの暴走が止まることも無かった。途中でやめたところで、彼らがこの国から追い出されることはもう間違いないだろう。彼らはとっくに追い詰められていたのだ。
それで結局、街の工場や商店が被害に遭ってしまったようだが……
「ああ! なんてことだっ!!」
但馬が事情を聞いていると、背後から街の惨状を嘆く声が聞こえてきた。見れば、ちょび髭を生やしたおっさんが、ボロボロに破壊された工場を茫然自失の体で見上げている。
彼はしばらくそうして放心したあと、はっと我を取り戻すと、すぐ近くに居た近衛兵にすがりついて、
「おい! 君たち、何を悠長に構えてるんだ! 早く賊共を始末してくれ!」
「現在、暴徒と交渉中でして、突入許可が下りてません」
「ええいっ! 君たちの隊長はどこか! 私が話をつけてくる」
「隊長はおりますが……現場責任者は我々ではないので従えません」
「じゃあ誰に文句をつければいいんだ!!」
「……あちらに」
男がギロリと但馬の方を睨みつける。工場が壊されて興奮しているのだろう。彼は文句を言ってやろうとして、ズカズカと足音を立てて近づいてきたが……
「ひぃっ!? 宰相!?」
自分が睨みつけてる相手が誰かに気づいて、素っ頓狂な声を上げた。
だが、直ぐにはっと気を取り直すと、
「宰相閣下! あなたが居らっしゃるとは幸運だ! ご覧になってください、この惨状を。私の手塩にかけて作り上げた工場が、こんなにもボロボロにされてしまって……早くあの賊共を死刑にしてください!」
死刑て……被害総額を考えると彼の怒りは理解できたが、今しがたこの工場で何が起こっていたのかを説明されたばかりで、同情はまったく出来なかった。
但馬は努めて冷静に言った。
「お気持ちはわかりますが、法を決めるのは皇帝なんで。俺がどうこうしたり出来ませんよ。とにかく暴動が治まるよう、尽力しますが」
「なら、早く兵隊を突入させてくださいよ! あの野郎ども、こんなにしやがって……抵抗するなら間違って殺してしまっても文句は言えないでしょう!」
「ちょっとちょっと、無茶苦茶言わないでくださいよ! そんなことしたら、他の街の労働者たちも黙ってませんよ? 国中で一斉に蜂起しますよ、きっと」
「そんなの知るもんか! これだけの被害……一体、どれだけの損害が生まれたか分かりませんか!? なんで私だけがこんな仕打ちを受けなければならないのか……」
「なんでって……じゃあ、あんた、それと同じことを、あの労働者に面と向かって言えますか?」
「それは……」
「ほらみなさい。自分がやってることが彼らにとっては理不尽だって、あなただって実は理解しているんじゃないんですか」
但馬にそう言い返されるとは想定外だったのだろう。工場主は、ウッと息を飲み込んだあと、拳を握りしめ、ブルブル震えながら絞りだすように言った。
「……しかし、こうでもしないと、やっていけないのですよ! 国中、どこもかしこもみんなこうやって、労働者を朝から晩までこき使うことで国が回ってるんです。私がそれをやめたところで、私だけが損をするばかりで、何も変わりゃしませんよ! 他ではまた別の労働者が搾取される。なのに宰相は私にだけやめろとおっしゃるのですか! やめたら私はどうやって生きていけばいいのですか? それとも、国が補償してくれるとでも言うのですか!」
「いや、そんなわけには……」
「商売は競争なのですよ。それは商人であるあなたが一番よくご承知だと思っておりましたが。残念です」
工場主は吐き捨てるように言った。自分だけ綺麗事ぬかしやがって、おまえだってやってるんだろう? といった感じである。
但馬は自分の会社ではこんなことはしてなかった。だから、知らんと言ってしまえばそれまでなのだが……とても、そんな詭弁を言う気にはなれなかった。
但馬がやらないで済んでるのは競争がないからだ。独占事業だらけで、従業員も貴族の子女が多い。顧客は国や上流階級が殆どであり、いつの間にかいわゆる底辺の生活というものから乖離したところで生きていた。
だから好景気の影で、庶民の間で過当競争が生まれていたことに気づかなかったのである。
「宰相閣下! たったいま、工場の方から合図が……」
工場主と話していると動きがあった。
「話を聞いてくれるのであれば投降する。だから宰相閣下一人だけで来てくれと言ってます。もちろん、断りますよね?」
「いや行こう」
ここで工場主と議論していても何も始まらない。但馬はため息を吐いて、よっこらしょっと椅子から腰を上げた。
「ええっ!? 安全上、承服しかねます!」
「大丈夫だろ、アーニャちゃんもいるし。エリオスさん、いいだろ?」
渋面を作りつつ、エリオスもやれやれといった感じに頷いた。近衛兵は信じられないといった顔をしたが、意見をするほどの立場でもないと思ったのか、ぐっと堪えて一歩下がった。
但馬が工場に向かって歩き出そうとしたら……
「ジュリア! ジュリア!」
「ええ!? わたしぃ~?」
破壊された工場の入り口からアナスタシアが顔を出し、ジュリアに向かって手招きをした。どういうことだろう。彼女にも来いということだろうか?
大きな体に見合わず小心者のジュリアはブルブルと震えていたが、不安げに彼女を見上げる子供たちの目を見て、やがて決心したか、おっかなびっくり但馬の後に続いた。スカートには相変わらず、何人もの子供たちがひっつき虫のように引っ付けてるのだが、これはいいのだろうか……まあ、物の数にもならないし良いのだろう。
但馬はそれ以上考えずに歩を進めた。
ボロボロに破壊された工場の中は砂埃がひどく、足を踏み入れただけで鼻がムズムズした。涙目をこらえ、ハンカチで息をしつつ先へ進むと、やがて工場の奥の方にアナスタシアが立っていて、その中からシクシクと誰かが泣いている声が聞こえてきた。
工場の中では大の男たちが車座になって、お互いに肩を抱き合いむせび泣いていた。さっきまであんなに威勢が良かったのに、まるでお通夜のようだった。どうやら、アナスタシアの説得が成功し、彼らはいま、興奮から冷めて現実を直視しているようだ。
彼らはこれから、恐らく一番軽い刑罰でも、裁判の後に国外に追放されることだろう。だが、それでもマシな方なのだ。もしも下手な為政者の下であったら、工場主が叫んでいたように死刑だってあり得たろう。彼らは将来に悲観していた。
気の毒ではある。だが但馬は自分の立場からでは何も言えなかった。
「あんたが宰相さんですか」
「ああ」
但馬が部屋の入口で突っ立っていると、目を真っ赤にしたリーダーらしき男が近づいてきて、但馬に言った。
「俺達はどうなる? 処刑されちまうんか……」
「……こうなった事情は聞いている。あんたらが暴れた理由も理解できる。それに、現行法では死者が出ていない以上、極刑はないだろう。安心してくれ。ただ、何の咎めも無しというわけにはいかないよ」
「先生、なんとかならないの?」
アナスタシアが不安げな表情で言う。彼女は労働者たちに同情しているのだ。気持ちは分かるが……
「信賞必罰は厳格にしないと、不正だらけになっちまうだろう」
「でも、この人達は、酷いことされたから怒っただけなんだよ? 喧嘩両成敗でいいじゃない」
「駄目だ。工場は別に法を犯していたわけじゃないからな。破壊活動を行った彼らが一方的に悪いんだよ」
「そんなのおかしいよ。この人達だって、やりたくってやったわけじゃない」
そんなことは分かってる。だが但馬がそれを口にするのは理に反する。それを口にしたら、本当にそうなってしまうのだ。自分はもうそういう立場に居るのだ。
「もういいんだお嬢さん……」
なおも食い下がってくるアナスタシアを制して、男が言った。
「俺達はもう駄目だろう、こんだけのことをやっちまったんだから、助けてくれなんて言わない。だが、どうしても我慢ならなかったんだ」
彼は分かるだろう? といった感じに、但馬の目を真っ直ぐと見た。もちろん、わからないわけがない。だが、立場上、同意することも出来なかった。但馬は目を逸らした。
「あんたはえらい人なんだろう? あんたが上の方でふんぞり返ってる間、下の方では俺達みたいのが泥水をすすっているんだ。それを忘れないでくれ。これ以上、こういう悲しいことが起こらないように、国を良くしていってくれ」
「……ああ」
「それから……院長先生」
リーダー格の男が言うと、その場に居た労働者たちが、男も女も一斉にジュリアの方を向いて頭を下げた。ジュリアはビックリして目をパチクリさせた。
「な、なにかしら~?」
「俺たちは罪を犯してしまった。でも、子供たちは何も悪いことはしていないんだから、この国に残ることが出来るはずだ……院長先生……これは俺達が言えた義理じゃないんだが、どうか子供たちの面倒を見てやってくれないか」
これにはジュリアのみならず、但馬も面食らった。
「ちょ、ちょっと待て! あんたら自分の子供を置いていくってのか?」
「他に方法がないんだ。俺達が国に帰ったところで、自分たちすら食えるかどうか分からないのに、そんなところへ子供を連れ帰っても意味が無い」
「いや、駄目だろう!? 自分の子供なんだから、自分で面倒を見ろよ」
「それが出来るなら、そうしている!」
男はため息を吐いた。
「なあ、宰相さんよ。俺達がどうして流れ流れてリディアに来たのか、その理由が分かるかい? それはなあ、食い扶持を減らすためだったんだ……あっちの大陸では俺達は農奴でしかなくて、働いても働いても稼ぎに限界があった。だから、家族が増えれば増えただけ、ひもじい思いをしなきゃならない。次男や三男は結婚なんて到底出来ないし、女は毎年子供を産むが、生き残れるのは一握りだ。そして凶作なんかが起きたら……子供たちは食い扶持を減らすために、まず真っ先に間引かれる運命にあったんだよ」
7つまでは神の内……子供は弱く、ちょっとしたことで死ぬ。どうせ、長く生きれるかどうか分からないのなら、神様にお返ししてもいいではないか。他の誰かが生き残るために……
「俺は、俺たちはそんなのは御免だった。だから、そこから抜け出すために、国を捨ててリディアに渡ってきたんだ。この国なら所帯を持つことも、子どもと一緒に暮らすことも出来ると思ったからだ。でも、考えが甘かった。確かに、この国に渡ってきて、俺達も子供たちも腹を空かせることはなくなった。病気をしても治してもらえるようになった。だが、その代わり金がかかる。そして、その金を稼ぐために、俺達は人間として大切な何かを犠牲にしなきゃならなかったんだ……世の中には搾取する奴とされる奴が居て、俺達はどこまで言っても搾取される側だったんだ」
生活に追われ始めると、そこから抜け出すことが出来なくなる。立ち止まったら死んでしまうからだ。そして、こんな自転車操業状態に陥ってしまったら、もはやそれを覆すことは出来ないだろう、革命でも起こさないかぎりは。
「俺たちは負け犬だ。この国から追い出されても仕方ない。だが、子供たちはどうかここに残してもらえないだろうか……親としては情けない限りだが……つらい思いをしても、残飯を漁ってでも、例えどんなに恨まれても……それでも生きていて欲しいんだ」
但馬は絶句した。言わんとしてることはわかる。だが、何を言っていいか分からない、なんとも納得がいかない、理不尽なまでに曖昧な感情が、体の中をドロドロと気持ち悪く渦巻いていた。
その場に居る、すべての親たちが、同じ思いなのだろう。彼らは地面に頭をこすりつけるようにして、ジュリアに向かって頭を下げた。彼女は困ったような顔をしながら、
「そうね~……可哀想だからなんとかしてあげたいのだけど……みんなってなると、流石にお姉さんの孤児院でも面倒見切れないわ~。お部屋が足りないもの……」
「そこをなんとか頼めませんか?」
「う~ん……困ったわね~」
それをジュリアは当たり前のように受け入れようとしていた。しかし、軽く引き受けるわけにもいくまい。物理的にも、金銭面でも、問題だらけだ。ジュリアはなんとか資金の工面がつかないだろうかと頭を回転させた。だが……その必要はすぐ無くなった。
彼らの話を、口を真一文字にしながら聞いていた但馬がボソッと言った。
「いや、駄目だ」
全員の注目が集まる。
「子供だけ例外にすることは出来ない。親が国外追放になった場合、子供も一緒に出て行ってもらう必要がある」
「宰相さん……俺の話を聞いてくれてましたか? 子供たちは国に帰っても生きていく当てがないんだ。みすみす死にに戻るようなものなのに……それでも駄目って言うのか」
「それでも駄目だ。ちゃんと連れ帰って貰わなければならない」
にべもなく言い捨てられた男は言葉を失った。何かを言い返そうとするが、口がパクパクするだけで、どんな音も発することが出来なかった。それを黙って見ていたアナスタシアが険しい顔をして言った。
「どうして? 子供たちは何も悪いことしてないのに」
「駄目だ。これを許してしまったら、今後、子供を捨てにこの国に渡ってくる移民が出てきてしまうだろう?」
アナトリア帝国の移民法では現在、国籍取得には5年間の国内企業での労働が必須とされていた。だが、子供たちはそもそも労働力としては見做されてない。今回の件を認めてしまうと、その前提がおかしくなってしまう。
「……それは、いけないことなの?」
「なっ! 当たり前だろう? 帝国は託児所じゃないんだぞ」
「でも、それで助かる命があるのは確かなのだし、それは良いことじゃないの?」
「いいや、同情だけで下手に手を出しても、良いことは何もないよ。そうして助けた命を誰が扶養すると思ってるの? どうして帝国がそこまで面倒見なきゃいけないの」
「初めはそうかも知れないけど、子供たちだっていつまでも小さいままじゃない。大きくなったらきっと働いて恩返ししてくれるはずだよ」
「いや、そうとは限らないだろう。犯罪者になる可能性だって、浮浪者になる可能性だってある。とにかく、国としてはそんなの面倒見切れないから、受け入れるわけにはいかない」
「……私には国のことはよく分からないけど……それじゃ、先生が個人的に助けてあげることは出来ないの? お金のことなら、私も働いて返すから」
「どうして見ず知らずの子供たちのために、俺達がそこまでしなきゃならないんだ?」
「意地悪な事を言いたいわけじゃないの。私はただ、今目の前にある生命を助けたいと思うし、先生なら助けられると思う……ううん、この世に先生が助けられない命はないんだから、見て見ぬふりはしないで欲しいの」
但馬は盛大なため息を吐いた。これ以上続けても、きっと平行線だ。彼は肩をすくめてやれやれとお手上げのポーズを取ると、
「アーニャちゃんが何言ってるのかよく分からないよ」
「じゃあ、どうして私のことを助けたの?」
あの時、殆ど全財産といっていい程の大金をはたいて。
「どうしてそんなにお金を貯めこんでいるの?」
使い道が全く無い、いくら持ってるかすらもう分からないお金を。
「私は、先生のほうがよく分からないよ」
但馬は何も言い返せなかった。ただ、下唇を噛み締めながら、腹の中を渦巻く何かに耐えるように、声を絞り出すことしか出来なかった。
「……とにかく、移民の子供を受け入れるわけにはいかない」
「どうして……」
「もういいから! 君は家に帰りなさい!」
「帰るって、どこに帰れば良いって言うのよ! 先生は、いつ帰ってくるのよ!」
彼女は叫ぶように言い放つと、悔し涙を浮かべてくるりと踵を返した。そして振り返ること無く一直線にその場を後にした。
「ナースチャ!」
二人のやり取りをオロオロと見守っていたジュリアが困惑気味に叫ぶ。だが、彼女の耳にはもう届いてないようだった。ジュリアのスカートにひっついていた子供たちが、場の空気にあてられたのか、突然ワンワンと泣き出した。
それに釣られてグズグズと、周囲から聞こえるすすり泣きが一段トーンを上げた。
彼らは但馬のことを恨めしそうに見つめては涙を噛み締めた。せめて子供だけは助けて欲しい……その願いを、たった今、但馬が粉々に打ち砕いたのだ。
「どうしろってんだ……」
後味が悪い……最悪だ……
むせび泣く労働者たちの真ん中で、但馬もいっそ泣き出してしまいたかった。だが、彼の涙は労働者たちのそれとは根本的に質が違うのだ。ここで自分が泣き出してしまうのは傲慢だ。
為政者として、自分の判断は間違っていない。間違ってはいないはずだ……
彼は唇を噛み締めながら、心の奥にうずまくモヤモヤを、どうにかなだめようと努力した。だが、それはいつまでもいつまでも、腹の奥底にこびりついていて、離れることはなかった。






