表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第五章
157/418

孤独のグルメ⑥

 下手すりゃストーカーと間違われても仕方ないが、アナスタシアを追っかけて、遠いハリチの地までやって来たザビエルは、齢にして60を越えた初老のハゲだった。普通ならアナスタシアにつきまとう男なんて、有無をいわさず八つ裂きにするだけなのだが、年も見た目もあり得ないから、なんとなく嫌悪感が沸かずに放置していた。


 それになにより、納豆の美味さを誰にも理解されないままに数日が過ぎ、その間、それを美味いと言ったのはザビエルのみであったのが大きかった。人間、孤立無援の状態にあると、それが敵であってもシンパシーを感じるものだ。お? あいつは分かってるなと思うと、なんとなくホッとするのである。だから、どうせならアナスタシアとも仲良くやってくれればいいのに、彼は頑としてアナスタシアが嫌がることを続けている。


 それにしてもなんでそこまでしつこいのかと問えば、評価されるべき人物が評価されないでいるのは神への冒涜であると彼は真顔で言った。本来、世の中には慈善家が大勢いるのだが、こういう人たちに限って奥ゆかしく前面に出たがらないせいで、偽善者がはびこる土壌があるのだから、評価されるべき人がそれを拒むのは義務に反していると彼は考えているのだそうだ。


 エトルリアの教会が腐敗しているのもそれが原因で、敬虔に神への奉仕を重ねているものほど目立たないせいで表彰されにくく、逆に中央で貴族相手に裏工作をしているものほど不当に評価されるではないかと彼は言った。だから、本当に能力のあるものが、表に立って人々を導かねばならないのだと。


 軽い選民思想に浸ってはいるが、彼がいうことにも一理はあるだろう。実際、誰かが引っ張りあげてあげなければ、ただ埋もれるだけの才能というものも往々にしてある。ただ、それをアナスタシアに求めるのは酷だと思うので、気が済んだらさっさと帰ってと一応言っておいたのだが、のれんに腕押しのようだった。


 ザビエルはいうなれば確信犯であった。アナスタシアの身になってみれば、決別したところから表彰を受けるなんてのは、真っ平御免で気分の良いものではないだろう、だからいくら言っても多分無駄だよと言ってるのだが、それを理解していても、彼は譲歩する気配が無かった。信念を曲げられるのであれば、そもそも宗教家をやってはいないのだろうから、こっから先はもはや戦争みたいなものである。


 ともあれ、そんな具合に頭の硬い宗教家の対立が始まってから数日、アナスタシアにけんもほろろの対応を受け続けていたザビエルは、気がつけば街中から浮いていた。彼が街を歩いていると人々は明らかに嫌悪感を露わにして、彼を遠巻きにするのだ。何故なのかは言うまでもなく、アナスタシアは密かな人気者であるから、そんな彼女にしつこくしているせいで彼は嫌われていたのだ。


 しかし、放っておけば路銀が尽きて、そのうち居なくなるだろうと思われていた彼であったが、実際にそうなってみると予想に反して逞しく立ち回るのだった。いつからか、彼はアナスタシアを追いかける傍ら、街の近場の野原にキャンプを張り、生えている草をプチプチと摘んでは鍋に放り込んでグツグツ煮ていた。


 それが哀れというよりも寧ろたくましく感じるものだから、いよいよ憎たらしく思われていた。そんなどこへいっても厄介払いされる彼に対し、あるとき但馬はついに見るに見かねて言った。


「……ザビエルさん、あんた向こうの大陸ではそれなりに偉い神父さんなんでしょう? そんなみっともない真似してないで、もう諦めて国に帰りなさいよ」


 しかし、彼はまるで気にした素振りも見せず、平然と言い放った。


「偉い人間が汗をかくことを厭おては国が傾きましょう。人はただ己の職務に忠実であるべきです」

「そうは言ってもね、物には限度があるでしょう。もういい年してんだから、路上生活なんか続けてたら体壊して死んじゃうよ?」

「それを決めるのは我々ではなく神です故。ならば、まだ平気だということでしょう」

「ああ言えばこう言う……」

「それに、道草というものは言うほどバカにしたものではありませんぞ。道草を食うという言葉があるように、それが美味しくなければ、誰も立ち止まってまで食べたりはしません。こうしてじっくり煮てみれば、なかなかどうして、美味いものです」

「道草を食うって語源は、人間のことじゃなくて馬のことだからね……」


 一応心配して声をかけてみたのだが、ザビエルは堪えてないようだった。確かに、街の人達が嫌になるくらいに元気なものである。じゃあ、もう、放っておけばいいかと、但馬は半ば諦め気味にため息をつくと、ザビエルが自慢気に見せる鍋に目をやった。


 それにしても……但馬はゴクリと唾を飲み込んだ。


 美味いと彼が言うとおり、彼の作る野菜鍋からは香ばしい匂いが立ち込めていた。野草にも下準備さえしっかりやれば美味しくいただけるものがあるとはよく聞く。正月には付き物の春の七草なんてのも、元々は冬の畑に勝手に生えてた雑草のことなのだ。


 ザビエルは鉄鍋をグルグルとお玉でかき混ぜると、そろそろいいかなとばかりにお椀にその中身を注いだ。そして湯気のたつそれに鼻を近づけてクンクンと、実に香しいと言わんばかりにウットリとした顔を見せた。それからおもむろに箸を突き立て、お椀に口をつけると、ズズズッ……ズズズッ……っと音を立てて汁を啜り、はぁ~……っとため息を吐いてから、野草を一口、二口と口に運び、もぐもぐと噛み締めてから飲み込んだ。


 実に美味そうだ……いや、本当に美味いんじゃなかろうか?


 匂いもそうだが、ザビエルの食べっぷりも見事なものである。そんな風に但馬がよだれを垂らして見ていたら、


「……あなたも食べますかな? あまり量はございませんが」

「良いんですか?」


 何しろ、金がなくて草を食ってるような相手だ。その飯をいただこうなんて正直気が引けたが……


「無論です。以前いただいた納豆ご飯……大変おいしゅうございました。今度は私が返す番です故」


 と、彼が言うので、但馬はお言葉に甘える事にした。


「……でしたら一杯だけ」

「社長!」


 しかし、それを見ていたエリオスが慌てて止めようとする。だが、


「少しくらい良いじゃないの。別に毒が入ってるわけでもないんだから」

「他人の目というものがあるだろう」

「別に今更俺が変わったことしてても誰も気にしちゃいないさ」

「いつまでも変わらないのが君の美徳ではあるが……」

「そうだろ?」

「だが、今ではもう大臣なのだぞ。少しは慎め」

「そういやそうだったね……でも、それこそ、偉くなったからって、庶民の風俗を馬鹿にするようになっちゃお話しにならないんじゃないの?」

「むぅ~……ああ言えばこう言う」


 但馬がそう言うとエリオスは口を尖らせて黙った。きっと言っても無駄だろうと思ったのだろう。彼はそれ以上何も言わずに、呆れたように肩を竦めた。


 それをOKのサインだと見て取った但馬は、喜々としてザビエルからお椀を受け取った。そして彼がやったように、お椀に鼻を近づけてクンクンと嗅いでみると……なんだか、妙に懐かしいような、不思議と落ち着く匂いがした。


 なんだろう、これは……? どこかで嗅いだことがあるような……そう思いながら、いざその汁を口に含んだら……


 但馬の口の中でその芳香が弾けるような気がした。何かのブイヨンをベースとしたスープの中で、その美味さを引き立てるように、春を告げる草花の香りが口の中いっぱいに広がるように溶け込んでいた。塩味とうま味が渾然となって喉を通り過ぎて行く時、また複雑な匂いと味が鼻の中から抜けていくような感じがした。


 ただ食えるってだけじゃない。これは間違いなく美味い。


「ただの野草汁だと思ったら……出汁が効いてますね。一体これは?」

「ふむ、なんでしょうか。見たことのない魚ですので」


 そう言うと、彼は鉄鍋の中でグルグルとお玉を動かし、中から無造作に煮崩れた魚の骨を引き上げた。但馬はそれをポカンとした顔で見てから、「あー!」っと叫び、


「カツオか。そうか……これはカツオのあら汁だったのか!」


 ハリチには缶詰工場があるが、マグロやカツオは三枚におろされると、そのアラや臓物は捨てられていた。彼はそれをもらってきて、グツグツ煮立てて出汁にしたのだ。


「腹を空かして魚の1尾でも頂けぬかと港に行ったところ、投げつけられました故。これを貰ってもよろしいのかと尋ねましたところ、要らぬとおっしゃるしこれ幸いと。出汁にすれば良いのにもったいないことです」

「そうか……他に使いみちがないから基本捨ててるもんな……」


 魚の骨や頭は食べられず、工場では毎日大量に廃棄物として出るが、じっくり煮込めばこれ以上ない美味い出汁が取れる。


 多分、港の人は嫌がらせで投げつけたのだろうが……ザビエルは出汁を取るのに調度良いからと持ち帰ったわけだ。なんと言う逞しさ。


 何かつぶつぶしたものが浮いてるなと思っていたが、これはおそらくカツオの臓物やアラに残った身であろう。彼はそれをクタクタになるまで煮込んだのだ。そのスープは、カツオのアラから出た出汁と、臓物と野草から溶け出すうま味が複雑な、それでいて芳醇な香りと美味さを引き出していたのだ。


 調味料はせいぜい塩くらいしかないはずなのだが、ここまで美味いとは……但馬はうーんと唸った。


「ザビエルさん、あんた見た目と違って相当逞しいよね……」

「否定はしませんよ。そういう環境に生まれ育ってきましたので」


 普通に考えて、偉い聖職者がやるようなこととは到底思えない。


「それに、あんたの舌は凄い。ただで手に入る残飯や野草でこんな美味いもの作っちゃうし、納豆の味もすぐに理解しちゃったし」

「ふむ。なにやらこそばゆいですが、気に入られたのならなによりですな」

「決してリディアの飯が不味いとは言わないが、こういったうま味を凝縮した味は、みんな出せないからねえ……漁師さんなら知ってるのかも知れないけど、基本的に魚の骨なんかで出汁を取ろうなんて発想はないから」

「魚は鮮度が命ですからな、港から離れれば離れるほど分かりますまい。お陰でこうして美味い物にありつけます故……しかし、これだけでも十分美味でありますが、こうなったら味噌が欲しいところです。この街まで歩いてくる最中、塩分が欲しくてつい味噌玉を噛り切ってしまったのが悔やまれます」

「味噌……?」


 なんだかまた懐かしい言葉が出てきて、但馬は脳みその後ろのほうがクラクラとしてきた。味噌ってあの味噌ペーストのことだろうか? 茶色くて、粘り気があって、見た目うんこっぽい。


「味噌ですか? 我が故郷の保存食ですな。穀物を発酵させた調味料で、主に汁物の味付けに使いますが……確かに、見た目うんこっぽいですな」

「……もしかして、カビの生えた大豆なり米なりに塩を混ぜて作るんでは?」

「ほう……よく知っておいでですな。製法は秘伝、門外不出です故、我が故郷の特定酒蔵でしか作られてないはずですが……私は若いころ奉公でそこにおりまして、その縁で今でもこうして味噌を分けてもらえるのです。あなたはその味噌をどこでお知りになったので?」

「いや、俺が考えてるものとあんたが言ってるそれが同じものかどうか分からないから……でも」


 但馬はゴクリと唾を飲み込んだ。


 話を聞いてる分にはどうやら製法は同じようだ。このあら汁を創りだすところからみても、ザビエルは相当舌が肥えているし、味に確かなようである。納豆作りは但馬しか味見をする人間が居らず、少々行き詰まってるし、最近は鰹節づくりを初め、そして味噌作りにもチャレンジしているところだった。


 もしかして、この男は即戦力なのでは……?


 納豆の味見だけでも手伝ってもらえないものだろうか……


 本職は神父だし、ウルフから寄付金を引き出すなんて精力的な政治活動を行っているようだし、意外すぎて思いもよらなかったが、この男、味に関しては相当のものである。放っておくには惜しい。しかし、アナスタシアのことを考えると、なんとも歯がゆいところである。


 それでもどうしても聞きたいことはあり、


「ザビエルさん。あんたの言う味噌ってのがどんなものか知りたいんで、ロンバルディアに伝があるなら教えてくれませんか?」


 するとザビエルは言った。


「はあ、そうしてさしあげたいところですが。味噌はロンバルディアの何と言いますか……言うなれば戦略物資ですので、正直なところ、私が言ったところで色好い返事はいただけないかと思いますが」

「そこを何とか……!」

「はあ……あなたにとっては、どうやらよほど大事なことのようですな。まあ、言うだけならばいいでしょう。エトルリアに戻ったら、手紙を出します」

「よかった」

「ですが……そういうことならば、こちらの要求にも応えてもらいたいです。我々の落ち度ではございますが、アナスタシア様の心は硬く閉ざされて、とても近づける気配がありません」


 ただでとはいかないかも知れない……そりゃ、多少はそう思ってはいたが、


「ここは一つ、あなたからも説得してはいただけないでしょうか? 彼女が表彰を受けとってくだされば、それだけ私も早く帰れます故」

「う、うーん……」


 なかなかどうして侮れないものである。やはりこの男、こういう交渉事に長けている。ザビエルは但馬が今一番やりたくないことをねじ込んできた。


 どこまで計算ずくかは分からない。ただ目的に到達するための、一番近道な方法を選んでるだけなのかも知れない。しかし、但馬はそう思い、なおかつ絶対それだけは嫌だなと思っていながらも、即座にそれを拒否することが出来ないのである。


 だって、味噌だぞ? 味噌! 一体、もう何年味わっていないと言うのだろうか……


 但馬はガリガリと頭を掻いては長い長いため息をついた。どうしてもやりたくないことは確かである。だが、それと同時にどうしても欲しいものでもある。


 そんな懊悩する但馬を、ザビエルはじっと表情一つ変えずに見ているのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
玉葱とクラリオン・第二巻
玉葱とクラリオン第二巻、発売中。
itl6byczajqx8t5qdcsm2gli27vh_1cx0_xc_ir_62cr.png
漫画版もよろしく!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ