先生の神様
そのまた翌日。
カンディア滞在も1週間が経過して、大分ここの暮らしにも慣れてきた。貴族のお歴々とは違って、バカンスで遊びに来ている但馬たちは街によく出没したから、今ではすっかり街の人達とも顔見知りになっていた。
その日は非番のエリックとマイケルを誘って、但馬たちは海水浴へと出掛けた。近場の海はもはや常連客というくらいに通って飽きていたので、今日は磯ではなく、少し足を伸ばして砂浜へと向かった。
馬車でゴトゴト揺られておよそ1時間。何もない岬の防風林に阻まれ、これ以上進めないというところまで進むと、一行は馬車から下りてゆるやかなスロープ状の崖を降りていった。
「あ! タチアナさん、足元にお気をつけ下さい。ささっ、お荷物は私が……私ことエリックがお持ちします!」
「おい、気安く触るんじゃない。タチアナさんのお召し物が汚れるだろう。タチアナさん。荷物の事なら、私、マイケルにどうかお任せを……」
「まあ、お二人共ありがとうございます。うふふふふ」
なんとなく、そうなるんじゃないかなと言う気はしたのであるが、エリックとマイケルはタチアナに首ったけだった。タチアナもまんざらでもない様子で、まるでコントみたいなやり取りが続いている。
思えば、彼らと始めて出会った時は、確か二人とも分隊長ラブだった気がするが……おっぱいならなんでもいいのだろうか? 久々に再会した彼らは懐かしい話を二三交わした後はガン無視で、お互いに別々のものに気を取られている感じだった。
ブリジットは意外なのだが、リオンと仲良くなっていた。
特に意識したつもりは無かったのだが、どこへ行くにしてもリオンとブリジットはおミソ扱いで、事あるごとにセットにしていたせいか、いつの間にか友情が芽生えたのかも知れない。
今回も、二人が泳げないと言うのでエリオスが泳ぎを教えていたのだが、段々水に慣れてきたリオンがエリオスの肩から飛び降りて遊びだし、それを指をくわえて見ていたブリジットが自分もやりたいとか言い出して、三人で組み体操したり、リオンを抱えたブリジットを抱えたエリオスが、二人ごと上空にぶん投げると、更に上空でブリジットがリオンをぶん投げるという、三段ロケットみたいなことをして遊んでいた。
体育会系のやることは過激だ……
かつて母親を亜人に殺されたブリジットは亜人を毛嫌いしていたはずだった。相手が但馬の養子というのもあるが、彼女もこの二年で大分わだかまりが解けていたのかも知れない。
そんなこんなで、どちらの集団からもあぶれた但馬は、同じく独り身であろうアナスタシアと遊ぼうと思い、彼女の姿を探した。
すると、浜辺にデッキチェアを持ち込んで、気だるそうに寝転がっているランと目が合った。
独り身と言えば、彼女もそうである。これを無視してアナスタシアだけを探しに行くのはどうなんだろう……
ここは彼女も誘ったほうが良いのかな? と逡巡してると、彼女はミラーグラスをクイッと持ち上げ、
「アナスタシアだったらあっちに行ったぞ」
と磯の方を指差した。
「あ、どうもありがとう……ランさんも来る?」
「私はそんな野暮じゃないさ」
「……そのミラーグラス、大分気に入ってるよね」
「とても良い。いいものを貰った」
ランはミラーグラスをかけ直すと、デッキチェアにゴロンと横になって、もう起こすなよといった感じに、手をシッシッと振った。
タチアナを招待した手前、一人だけ無視するのも角が立つと思って呼んだのだが、まさか当然のように応じるとは思っていなかった。変わったと言えばこの人も大分変わったのだろう。
そんなことを考えながら彼女に教えてもらった方へと足を進めると、やがて磯の小さな岩場の影で、うずくまるようにして下を見つめているアナスタシアを見つけた。
初めは水の中の生き物でも見てるのかな? と思っていたのだが、近づくに連れて何をしてるかよく見えるようになると、彼女は岩場に座り込んで海の中を見つめているのではなく、手を組んで目を瞑り、海の方へ向かって祈りを捧げているようだった。
但馬が近づいていくと、その足音に気がついた彼女が顔を上げた。
「何してるの? お祈り?」
「うん……リリィ様に感謝を」
彼女はそう言って海の方を指差した。最初は何のつもりかわからなかったが、よく考えてみると、彼女が指差す方角はアクロポリスの方角だ。つまり、彼女はメッカの方角に向かって祈りを捧げるような行為をしていたわけである。宗教が違うから、違和感はあったが、気持ちはなんとなく察した。
あの日、あの時、偶然に知り合った相手が、まさか自分の信仰する宗教のお偉いさんで、しかも一般庶民の自分のことを覚えていてくれたなんて、彼女にとってはこれ以上ない名誉だったに違いない。
そして自分の過去の全てを台無しにしてしまう、あの修道院を潰してくれたことに、感謝の念を捧げずにはいられなかったのだろう。
思えばアナスタシアは聖書の全てを丸暗記してしまうほどの信者だ。それはそれは嬉しかったことだろう。
但馬は彼女の横に腰を下ろすと、自分も手のひらを合わせてからギュッと握って腕を組んでみた。そして、
「……どうすりゃいいの?」
「天にまします我らの父よ……」
海に向かって目を瞑り、彼女の言葉を復唱した。
隣でアナスタシアの声を聞いていたら、なんだか厳かな気分になってきて、祈りが終わっても目を開けずに余韻に浸っていたのだが……
ところが突然彼女がプーっと吹き出して、
「先生、神様のこと、全然信じていないでしょ」
と、痛いところを突いてきた。
「え、それ? それ言っちゃうの? 確かに、そうかも知れないけどさ。ちょっとくらいいいじゃん」
但馬はなんだか恥ずかしくなって、顔を赤くしながら唇を尖らせた。
その様子がおかしかったのか、アナスタシアは再度クスクスと声を殺して笑うと、小首を傾げて但馬の顔を覗き込むように、涙混じりの瞳で見上げてきた。
「そんなにおかしい?」
「ううん」
彼女が首を振ると、二つ結びのサラサラの黒髪が、まるで生き物みたいに彼女の肌を滑り流れ落ちていった。海で絡まないように、先を結んだツインテールが地面に着くと、水を含んでペタリとしていた。彼女は祈りをやめて、あぐらをかくように足を崩すと、自分の足首を持って体を前後に揺らし、嬉しそうに笑った。
出会った頃の痩せぎすの骨ばった姿はもうどこにも見当たらず、血色と肉付きのいい体は暫く見ない内にガッシリと引き締まっていて、かといって女性らしさは失わず、出るとこは出て引っ込むところは引っ込み、特にたわわに実った胸の果実はマシュマロのような柔らかさを感じさせ、彼女が足首をつかむ腕の間で強調されていた。
いわゆるダッチューノのポーズであるが、ふと以前、ブリジットをだまくらかして写真撮影したことを思い出し、あの時のブリジットと目の前のアナスタシアが重なって、但馬はなんだか妙な気分になると言うか、立ちくらみのようなものを感じて、頭を振るった。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
はて、なんだろうこの違和感は。92Gがやると暴力的に見えるそれも、アナスタシアがやると慎ましく、但馬も安心して見ていられるのだが……いや待てよ?
強調された胸の谷間はプルンとしていて、並の男なら思わず視線が吸い込まれそうになるだろうが、但馬は並の男ではない。但馬はBカップが好きだ。トップとアンダーの差12.5cm、重さにして約280g。生まれたての子猫のような軽やかさと柔らかさを併せ持ち、決して小さすぎず、絶対に大きいとは呼べない。まだ若い女性であるならば将来性を感じさせ、成長期を過ぎた女性であるならば将来垂れることのないであろう安心感があり、小さい小さいと言われながらも、そこには男の胸板とは違う大切な何かがあるのだ。
そのBカップが今目の前で背伸びしたガールのごとくダッチューノされていると言うのに、どうして但馬はこんなに落ち着いていられるのだ? 普段ならとっくにギンギンになっているはずだ。
「……はわわ……はわわわわわ」
「?? 先生、どうしたの?」
但馬はブルブルとする指先で左のこめかみを叩こうとした。しかし、意思に反してブレる指先が上手く目標を捉えられない。ダラダラと額から流れ落ちる汗が目に入って視界が霞んだ。
落ち着け……落ち着くんだ……まだそうと決まったわけじゃない。
アナスタシアの不審者を見るような目つきを掻い潜り、但馬は一旦目をつぶって深呼吸し、落ち着きを取り戻すと、彼女の顔をじっと見つめながら、左のこめかみを叩いた。
『Anastasiya_Shikhova.Female.Human, 158, 46, Age.17, 83C, 58, 84, Alv.1, HP.117, MP.23, None.Status_Normal,,,,, Citizen, Lydian,,,,, Prayer.lv8, Cast.lv5, Rote.lv9, Swords.lv6, Rapier.lv11, Comunication.lv1,,,,,』
ビダーン!!
但馬は地面に突っ伏した。
「うわっ……先生? どうしたの??」
突然の出来事にアナスタシアが仰天し、ぶっ倒れた但馬を抱え起こすと膝枕のように上から覗き込んだ。
胸の谷間から彼女の形の良い顎が見える……ああ、だけどどうしてだろう。何か大事なものを失っちまったようなこの感覚は……迂闊だった。成長期なのだ。そういうことだって十分あり得ただろう。なのに但馬はこの2年間、自分のことにかまけて彼女の健康管理を怠った。
彼女は但馬の知らない間に、健康的に育ってしまっていたのだ!
但馬はアナスタシアに抱かれながら、ガクガクと震える手を懸命に伸ばして、彼女の肩をガッチリと掴んだ。
「だ、大丈夫だ……」
「……なにが?」
「それでも俺はアーニャちゃんのことが大好きだから」
「え? ……ありがとう」
(そうさ。仮にAとBとCがあってどれかを取れと言われたらそりゃBを取るかも知れないが、AとCなら俺はCを取るよ。いや、それどころかアーニャちゃんがCだっていうなら、俺はBをやめてCを取ったって構わないじゃないか。大体、今の今まで成長してるのに気づかなかったんだぞ。でも一向に気にならなかったじゃないか。どうして気づかなかったんだ。俺は確かにBが好きだけど、それがアーニャちゃんについてなければ、それほど嬉しいかどうかは甚だ疑問である。つまり俺はBが好きだと言っておきながら本当はアーニャちゃんが、言うなればアーニャカップを愛でていたのだ。そう考えればこのたわわに実ったアーニャカップもそれはそれで乙なものじゃないか)
などと但馬がブツブツ言っていると、アナスタシアは少し顔を赤らめながら、彼に尋ねた。
「一体何の話?」
「いやなに、俺の国の宗教の話さ。気にしないでくれたまえ」
「……先生にも信じる神様がいるの?」
「ん? ああ、もちろん。先端の尖った部分が特に敏感な神様だよ」
そう、但馬が力強く断言すると、彼女は冗談を真に受けたらしく、
「ふーん……先生が信じる神様なら。私も信じるよ。なんて言う神様なの?」
と言って小首をかしげた。もちろん、オッパイだなどとは言えるはずもなく、
「いやいや、神の名を口にするなどとんでもない。とても俺の口からは……」
と言いかけてから、ふと気づいた。
「つーか、アーニャちゃん一神教でしょ? 他の神様のこと信じるなんて、言っちゃ駄目じゃん」
すると、彼女は暫くじっと但馬の目を奥を覗きこむように見つめてから、すごく意外なことを言い出した。
「本当は、神様のことなんて信じてないの」
「……へ?」
何を言っているんだろうか、この子は……但馬は最初、彼女が言ってることが分からず、たっぷり10秒位固まった。
少なくとも、このリディアへ来てから今まで、彼女以上に熱心な信者を見たことなど無いと彼は思っていた。朝晩はもちろん、三食の食事前もお祈りは欠かしたことがない。ジュリアの水車小屋に居た時は、キリスト教系の詠唱でもって、彼女らの病気予防をしていたり、何よりもソラで覚えた聖書を写本し、今リディアで出回っている聖書は、殆どが彼女の書いたものを元に作られているのだ。
でも、彼女は違うという。
但馬たちは岩場の影から立ち上がると、みんなの方へ歩いて戻っていった。彼女の歩幅に合わせて歩いていると、遠くからリオンのはしゃぐ声が聞こえた。アナスタシアはそんな声を聞きながら、声を潜めるように、訥々と語った。
「……お祈りが癖なのは、お母さんがそうだったから。とても信仰を大事にしていた人だったから……私が熱を出して倒れたら、私が寝付くまで一生懸命お祈りしてくれたし、いつも寝物語に聖書を聞かされて、だから全部暗記してたの」
この世界の人間に限らず、亜人も殆どがキリスト教を信仰していた。それは以前、憶測した通り、ヒーリング魔法の詠唱がキリスト教の祈りになっているからだろう。
アナスタシアの母親も、亜人であったがキリスト教を信仰していて、北方セレスティアに居た時は、そのヒーリング能力で近所の医者的な立場だったらしい。
しかし北方で戦争が始まりリディアへやってくると、亜人である彼女は信頼を無くして、能力があっても殆ど使う機会が無くなったそうだ。せいぜい、同じ移民の娼婦などに闇医者的な感じで奇跡を行使していたくらいで、それは但馬と出会う前のアナスタシアも同じだった。
アナスタシアはそれを見ていて、信仰心が同じでも、種族が違えばその価値が変わってしまうということに矛盾を感じていた。だから母親ほど熱心にキリスト教を信仰できなかったし、彼女ほど完璧なヒーリング能力も芽生えなかった。母親の祈りを真似ることによって、中途半端な力は芽生えたが、それだけだったそうである。
だからその母親が死んで、修道院に入れられてからはますますその思いが強くなった。だが、周りには熱心な信者しかいないから、彼女はそのことを言い出せずに居り、そうこうしている内に、彼女は父親の借金のせいで修道院内での立場を無くし、そして悲劇に見舞われた。
「修道院に居た人たちは、みんなキリスト教の偉い人たちばかりだった。なのに、みんな私に戒律を破れって言うの。修道院のために戒律を破れって」
でも、そんな人達がヒーリングという神の奇跡を行使できて、自分には出来ない。どう考えても不公平だと思った彼女の信仰心は、そこで潰えた。
モーセの十戒には特に犯罪についてこう書いてある。
殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。
姦淫は殺人や窃盗と同列に語られており、これが後にユダヤ教、キリスト教、イスラム教という世界でももっとも影響力のある宗教群のルーツであるのだから、姦淫が如何に罪深いことであるかは、言うまでもないだろう。
罪深く汚れた自分。でもそれを強要する相手は、日の当たる場所にいて、神にも愛されている。不公平じゃないか。生きるために必要なことをすることが罪だというのなら、それを罪だと裁く世界のほうが間違っている。信仰は彼女にとって必要のない物になっていった。
でもレベッカは違った。
彼女もアナスタシアと同じように、汚い大人たちに犠牲にされた子供だったが、信仰心を殆ど失わなかった。初めは自分の身に起きたことがショックで、食事も喉を通らないほどに疲弊したが、そんな彼女が逃げ込んだ先が宗教だったのだろう。
彼女は辛い現実から目を逸らすために、聖書の世界へと逃げこんだ。そんな彼女のことを修道院の人たちも気の毒に思い(そりゃまともな人だって居たのだ)、彼女に求められるままに写本を貸した。
そして彼女は見つけたのだ。
『すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」』
有名な話なので、誰しも一度は聞いたことがあるだろう。マグダラのマリアについて書かれた一節だ。ヨハネの福音書8章で、イエス・キリストは姦通の罪で石打ち刑にされそうになった女を助けている。
彼はあなた方の中で罪のない者がまずこの女に石を投げろと言った。するとその場にいる人々は誰も彼女に石を投げることが出来ず、一人、また一人と広場から去っていった。最後に残されたのは、キリストとその女だけだった。
「『わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように』そういってイエス様は姦通の罪を許したんだって……イエス様は自分たちのような気の毒な女も、ちゃんとお許しになられたのだって、彼女はその言葉によって救われたのね。そして、それは私達もそうだった」
自分たちが酷いことをやらされている。やりたくないのに、罪を着せられている。そんな絶望の中に差した一条の光のようだったから、修道院で犠牲になった子どもたちにとって、その言葉はまさに神の言葉だった。
「だから、もし私が信じる宗教があったとするなら、それはベッキーだったの。あの時、私たちはあの子の信仰心に救われた」
だから、アナスタシアにとってレベッカは特別な友達だったそうである。その後、アナスタシアは父親の死の知らせと共にリディアへ戻され、水車小屋のジュリアに助けられた。
首の皮一枚程度でしか繋がっていなかったが、彼女が曲がりなりにも信仰を失わずに、水車小屋で反古紙に聖書の一節を書き続けていたのはレベッカの影響だったのだ。思い返せあの時、彼女が書いていたその内容も、例の一節だった。
彼女は修道院から逃れてもなお、姦通の罪からは逃れられなかったのだから。
但馬は、アナスタシアの書く言葉にそんな意味があったのかと知ると、静粛な気持ちになると共に、とても悲しくなった。
「先生の神様ってどんな神様なの?」
だから、彼女にそう無邪気に聞かれたら言葉に詰まった。はっきり言ってそんなもん信じちゃいないのだし、冗談でも言うべきじゃなかったのだろう。
「実はその……俺は世界でも珍しい無神論者の国の生まれでね、本当は神様なんてろくに信じちゃいないんだよ」
「そうなんだ。なら私と一緒だね」
「そう……だね」
「先生の国って、本当はどこにあるの? もう見つかったの?」
話の流れからして、それは当然の質問だったが、但馬の心臓はドキリと鳴った。いつか、彼女に言わねばならないと思っていたが、今がその時なのかも知れない。
「それなんだけど、実は……無かったんだよ」
「……え?」
「俺の住んでた国はもうとっくの昔に滅んでて、今からそこへ行っても何もないってことが分かっちゃったんだよ」
「どうして分かったの?」
「見つけちゃったんだよ、メディアの遺跡で。俺の国がもうないってことを、死んだ勇者が教えてくれた。他にも突拍子もない出来事があって、それが言い出しにくくて……」
いつの間にか地面を見つめながら歩いていた但馬は、チラリと目線だけ上げてアナスタシアの顔を見た。その瞳は、じっと但馬のことを見つめていた彼女に、すぐ絡めとられた。
彼女は真剣に聞いてくれている。やはり、言うなら今しかない……
「あのさ。もし……もしもだよ? 俺が、人間じゃなかったとしたら、どうする?」
但馬がそう言うと、彼女は一瞬戸惑った顔を見せたが、すぐに普段通りに戻ると、
「先生は先生だから、どうもしないよ」
と言って、まっすぐ彼の顔を見た。
但馬は内心ドキドキするやらホッとするやら、よく分からない心境で背筋を伸ばすと、彼女の顔をまっすぐ見返して、
「そっかあ……」
と、気の抜けた返事を返した。
「先生、どうしたの? よくわからないんだけど。もしも何かあったんなら、私にも教えてほしい……」
なんとなく、彼女ならそう言ってくれるんじゃないかと、希望的観測でに過ぎないが、そう思っていたのだろう。だからここまではある程度予想出来た。大事なのはここから先だ。
「聞いておきたかったんだけどさ……アーニャちゃんは、借金返し終わったら、その後どうするつもりなの?」
「それは、まだ決めてないけど……」
「もし良かったら、ずっとうちに居て欲しいんだけど……」
「いいの?」
いや、だからそれはこっちのセリフなのだが。但馬は深呼吸をすると続けた。
「あのさ。そういうことも含めて、一度、君と二人で話し合いたいと思ってたんだ……それで、もしよかったらなんだけど、近いうちに二人だけで会えないかな?」
「うん、いいよ」
「二人だけでだよ? ……みんなに内緒で。こっそりと」
「うん」
「ここは、ほら、ロクな店もないし、シドニアまで出ることになるけど」
「大変だね」
「……一泊するかも知れないよ?」
「分かった」
自分の言い回しが悪いのか、どうしてもストレートに気持ちをぶつけられない。但馬は本当に分かってるのかものすごく不安になった。
「その……デートしようってことなんだけど?」
そして散々悩んだ挙句、言わなくていいことを言ってしまった。小学生じゃあるまいし、思わず赤面する。深刻な相談をしてるような雰囲気で、それっぽくないのが悪いのだ。普段はベラベラとどうでもいい薀蓄が流れ出してくるというのに、どうしてこういう時だけ口下手になってしまうのだろうか……
但馬は呆れるやら情けないやら恥ずかしいやらで、まともに彼女の顔を見ることが出来なかった。それでも確かめねばならないから、こわごわとアナスタシアの顔を覗き込んだら……
彼女は一瞬キョトンとした顔をした後、クスリと小さくはにかんで見せて、スキップするような仕草で但馬の前に回り込むと、戸惑っている但馬の手を握った。
「うん、いいよ」
そして但馬の横に並ぶと、ブンブンと元気よく手を振って歩き出した。
まるでそうしてるのが当たり前のように繋いだ手のひらから、彼女の体温が伝わってくる。隣りに並んだ彼女が但馬の肩越しに、何度も何度も見上げてくる。その瞳が本当に嬉しそうに見えて、但馬はこんな幸せがこの世にあって良いのかと思った。






