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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
121/418

喉元すぎれば

 怒り心頭のブリジットを連れ出すつもりが、逆に引きづられるような格好で但馬は晩餐会の会場を後にした。


 会場を出てからもプンスカ怒るブリジットは但馬の腕を離してはくれず、ギュッとぶら下がるように抱きつき92Gをグイグイ押し付けながら、許せない……とか、なんなのあいつら……とか、波のように襲ってくる怒りを但馬に漏らしながら、カツカツと床を踏み鳴らした。


 但馬の肩に怒りをぶつける度に、彼女の怒鳴り声がワッと耳に飛び込んできて鼓膜が痛い。


 一緒に会場を出てきたタチアナがこわごわと二人の後をつかず離れずついてくる。晩餐会が思った以上に好評で、もう深夜を回っていたから、会場外の廊下には人が殆どおらず、時折すれ違う警備の兵隊がブリジットの姿を見て、ギョッとした顔をしながら敬礼しては通り過ぎていった。


 ブリジットの怒りの矛先は但馬にも及び、どうしてあんなこと言われて怒らないのかと絡まれ、事実だから怒れないのだよなと言うと、事実がどうこうではなく、侮辱されたことに対して怒らなくてどうするのだと言われ、確かにその通りだなと反省してシュンとなっていたら、徐々に冷静になってきたブリジットが、怒りが収まったら今度は弱気になって来たのか、


「……ごめんなさい」


 と急に謝りだした。


「え!? なんで」

「……本当は先生、休暇のはずだったのに、私がついてきたばっかりに、仕事させられて、兄にこき使われて、嫌な思いして、大事なご家族まで侮辱されて……」

「いや、そんなの気にすんなよ。ブリジットは俺ともアーニャちゃんとも友達なんだから、一緒に来て当然だろ。ウルフにこき使われた覚えもないし、家族が侮辱されたのは腹立つけど、それは侮辱した奴が悪いんであって、ブリジットが謝るようなことじゃないだろう」

「ですが……」

「俺の代わりにブリジットが沢山怒ってくれたから、俺は結構助けられたよ。本当にアーニャちゃんのことを大切な友達だって思ってくれてるんだなって、ホッとした。いつも、ありがとうね」

「……だったらいいんですが」


 ブリジットはシュンと俯きながら小さく呟くように言った。そして、今更ずっと腕にしがみついていたことに気づいたらしく、いきなりパッと但馬の腕を解放したかと思ったら、名残惜しそうに何故だか但馬の手を取って、その手の平を両手でモミモミと指圧し始めた。


 何をやってるんだろうかと見ていたら、ようやくブリジットが落ち着いたのを確認したタチアナがパンパンと手を叩いて、


「さあさあ、嫌なことはもう忘れて、宜しかったら(わたくし)の部屋で飲み直しましょう」


 と言い出した。お嬢様なのだが、意外とこういう気配りが出来る人らしい。但馬は当然乗っかる。


「お、いいね。だったらウルフのラウンジに行こう。昼間探索しててビックリしたんだけど、あいつ、生意気にも自分専用のバーを持ってやがるんだよ」

「あら、そんなものまでございますの? まるで物語に出てくる夢のお城みたいですわ」


 いや、日本だと周囲に何もない峠とかによく建ってるんだが。


「なんか美味そうな酒ズラーっと並んでたから、楽しみにしてたんだよね。ようやっとカンディアのワインにありつける。昼間エリオスさんにも止められて、本当に暫く飲んでなかったんだ」

「……先生が、すぐ悪酔いするからですよ」

「……え?」


 但馬が酒に弱いことを知らなかったタチアナがまずったかな? と言った表情をしていたが、それでもブリジットが少しは調子が出てきて良かったと、彼女は二人を先導するように上階へ続く階段を昇った。


 ウルフの宮殿は7階建てで、1階はロビーの他、台所や、近衛や宮殿の使用人の詰め所があり、2階に式典用の大広間と謁見の間など、各種公式行事を執り行うための施設。3~4階が来客用の宿泊施設、その上に公爵家のプライベートなスペースになっていた。


 宮殿と言っても要塞ではなく、天守閣と迎賓館を兼ねた政庁舎のような施設であり、防備は周囲に張り巡らされた堀と壁、そして恐らく海に任せていた。外観はともあれ中身の方は至極まっとうであり、昼間軽く回った感じでは内装も落ち着いていて、城と言うよりなんだか高級ホテルのような感じである。


 タチアナは階段を上ると、自分の部屋のある4階で廊下に出ようとしたが、


「タチアナさん、こっちこっち」


 目的地や但馬たちが泊まっている部屋は更に上の階にある。但馬たちは彼女を引き連れて更に上階へと上っていった。


 5階は実はウルフ個人の賓客用の客室があり、簡単にいえばスイートルームのような構造をしていた。現在はその部屋を但馬一行が、他の客にバレないようにコソコソ使っていた。序列を気にする貴族相手なので、気を使った格好だ。


 賓客用のスペースであるから、他とは違って部屋も段違いに広かった。その賓客用の部屋の他にも、5階にはラウンジが設けられており、ウルフがプライベートな付き合いのある者だけを呼んで密談をしたり、夫婦で使ったりしているらしい。やっぱりなんやかや新婚さんなのである。


「まあ、素敵」


 5階に上がるとそれまでの階とは明らかに違って、白を基調とした高級そうな装飾がふんだんにあしらわれた広い空間が開けていた。階下なら数十部屋がひしめくスペースに、数部屋のスイートルームとラウンジくらいしかないのだから当然だ。


 深夜であるため、晩餐会場と違って照明が落とされて薄暗かったが、それでも階下と比べて明らかに違う雰囲気に、タチアナはビックリすると同時に不平を漏らした。


「ずるいですわ、但馬様たちばかりこんな素敵なところへ泊って」

「来客が多いからねえ。贔屓する相手もまだ見定まってないし、部屋が足りなくなるから、内緒にしてるんだって。ジルさんのお父さんも下に泊まってるんだ」

「んまあ、そうでしたの? 色々気を使われてますのね」

「そうだな、ウルフらしからぬ気配りだな。俺みたいに胃に穴開かなきゃいいけど」

「……先生は、兄さんに対してだけは割りと辛辣ですよね」

「だってあの人、怒るんだもん。めっちゃ怒るよ」


 なんというか職場に居たら絶対イヤなタイプの上司なので、出来るだけ近づきたくないのである。但馬がそう言うとブリジットも思うところがあったらしく、うーんと唸って黙りこくった。ようやく調子が戻ってきたようである。さっきまで怒ってたせいか目が潤んでいて、ちょっと可愛い。


 それにしても、考えてみればウルフもそうだが、ブリジットも怒りっぽいかも知れない。結構いろんなことで腹を立てては愛刀の鞘をチンチンチンチン弾いている。思えば皇帝だって、普段はとても穏やかなのに、最後にはブチ切れてこのカンディアに大軍を派遣したのだ。


 もしかして血筋なのかもな……などと、口に出したら不敬を問われそうなことを考えながらラウンジに入ると、クロークのように近衛兵が立っていて、来客を恭しく出迎えてくれた。


 そして駆け寄ってきた近衛兵に手荷物を渡し、奥のカウンターの方へ目をやったら、意外にも先客が居ることに気がついた。


「……ん。あれ? エリオスさん……と、ランさん!?」


 その組み合わせも意外であったが、エリオスがプライベートで女を誘って酒を飲んでいるのも珍しかった。尤も、相手が相手なのでエリオスがナンパしたとか、そういう艶っぽい感じは全くしなかったが……どちらかと言うと、殴り合いの喧嘩をしていたら思いがけず友情が芽生えた二人と言った感じである。


「まあ! ランさん。会場からいつの間にか居なくなったと思ったら……一人だけ逃げてズルいですわ」


 そんなタチアナの非難はともかく、なんで二人がここに居るのかと問うと、ランはニヒルな笑みを返しながら、


「私も晩餐会に招待されてたんだけどね。パーティーが始まっても誰も近づいてこようとしないから、空気が悪くなる前にさっさと退散したのさ」


 ランも招待を受けた来賓だったが、顔が怖いから会場で露骨に避けられてたらしい。それでも暫くは公務だからと我慢していたが、最終的には諦めてタチアナに後を任せ会場を出たそうな……その様子が容易に想像出来て、但馬は目頭が熱くなった。


 その後、部屋に閉じこもっていても退屈だから、トレーニングでもしようと宮殿の裏庭に出たところ、同じくトレーニングに来ていたエリオスとアナスタシアに出会った。


 知らない仲でもないので、そのまま三人は一緒にトレーニングを行い、思いがけずアナスタシアの実力を目の当たりにしたランが面白がって、エリオスと二人でベテランの技を色々と教え込んでいたら、気がつけば辺りはすっかり真っ暗になっていたそうだ。


 そしてトレーニング後、汗を流した三人はこのラウンジで再会し、またもやアナスタシア相手に座学のようなものを始め、そのうちウトウトしてきた彼女が、リオンが心配だからと言って部屋に戻ってしまったので、後は二人でとことん飲んでいたそうな。


「……アーニャちゃんも気の毒だ」

「そうか? 楽しかったぞ……?」

「そりゃエリオスさんは、さぞかし楽しかったでしょうよ。まったく。じゃあ、彼女はもう寝ちゃったんだね。なら良かった」

「そっちは何かあったのか?」


 クイッと杯を傾けて、ランが問いかけてきた。するとタチアナは困った顔を但馬に見せて、言って良いのかどうか迷っていたようなので、但馬が引き取るように続けた。


「ちょっと会場でゴタゴタがあってさ。彼女が知ったら気にするかも知れないから」


 会場で起きた出来事を話すと、話しが進むに連れ次第に二人の顔が曇っていった。


「……うーむ。下らないことをするな、貴族と言うものは」

「物語に出てくる社交界そのものなんで、逆に笑えてくるよ。序列と派閥、パーティーで誰が主役を張るのかを競い合ってる、そんな感じだったね」


 男の方はウルフとその義父が仕切ってるようだったから、みんな大人しくて全く気づかなかった。そもそも、カンディア公爵であるウルフに楯突こうなんて相手は、初めからこの晩餐には参加していない。


「なんで、あんな意地悪いことするんでしょうか。彼女はフリジア子爵の名代なのでしょう? やっぱり、アナトリアとは付き合わないって意思表示なんでしょうか」

「そんなこと無いんじゃない。ウルフにはすげえ媚び売ってたじゃん、あの人。あんだけ女をさらけ出せる人材も、中々居ないよ」


 尤も、人を選ばないと逆効果だが。


 喉元すぎればなんとやらというが、一度冷静になってみればフリジア子爵は、中々の人選をしている。


 今回の晩餐会で、エトルリア南部諸侯の多くがアスタクス方伯から離反するのは、ほぼ決定事項だ。だから寧ろ、その後の南部諸侯の取りまとめ役として、誰がリーダーになるかが重要だ。


 それは恐らくウルフの義父が最有力で、今回の晩餐会では彼の呼びかけに応じ、彼の下へ馳せ参じた使者も数多く居たはずだ。だが、それは男性……つまり当主間の話であり、一方の女性、その連れ合いの方はリーダーが存在しなかった。本来ならジルがそうなるはずだが、彼女はエトルリア人ではなく、アナトリア人、国が違うのだ。子爵はそこに目をつけたのだろう。


 エトルリアの社交界のことが殆どわからないから憶測になるが、あのヒュライア男爵令嬢と言うのはかなり影響力のある人物なのだろう。少なくとも、今回の晩餐会出席者の中ではトップクラスで、パーティーが始まるとすぐに彼女の周りに人垣が出来た。あの我の強そうな顔と、女王然とした態度。今回参加した女性は、今後何かあったら彼女を頼ろうとするだろうし、少なくとも逆らおうとは考えていないはずだ。


 ブリジットを避けていたのは、彼女の覚えを良くするよりも、まず会場の女性を味方につけることを優先した結果だろう。ブリジットと並んでは、彼女だって主役にはなれない。名代にするくらいだから、フリジア子爵とヒュライア男爵はそれなりの関係なのだろうが、子爵は彼女のそう言う性質を理解していて送り込んできたのではないか。おまけに、失敗したところで男爵がひっかぶるだけだから、子爵は痛くも痒くもない。


「でも、それでブリジット様の心象を悪くしては元も子もないのではありませんか? 今回の件でご立腹されたブリジット様が、お兄様に告げ口するとは考えられないのでしょうか」

「悪評も評判だからね。少なくとも、ヒュライア男爵令嬢という名前は嫌でも覚えたろ?」


 炎上マーケティングという奴である。


「……ええ、それはまあ」

「それに、アーニャちゃんがブリジットと友達だなんて誰も知らないよ。多分、カフェの常連客と近衛くらいのもんじゃないかな」

「でも、それで先生を怒らせるなんて、身の程知らずにも程があるでしょう?」

「なんで? 俺のほうが序列低いんだし」


 と、但馬が言うと、その場にいる全員が「え!?」っとハモった。そんな驚くことなのか?


「だって、俺は准男爵だろ。対して彼女は男爵令嬢。彼女のお父様は俺より偉いんだよ。だから悪口言っても問題ないし、そもそも俺は貴族というより成り上がりの商人だからねえ。ああいう血筋とかにうるさい人には嫌われやすいんだろう。だからアーニャちゃんの話題が出た時、口撃の糸口が見つかったと思って嬉しかったんじゃないか」


 あの会場で目立っていたのは、ウルフ、ブリジット、ジルの父の王族関係以外だと但馬だけだ。だとしたら、アナスタシアを侮辱するようなことを言わせたのは自分だ。それは悔しくてならないが……


 対してブリジットはなんだか毒気を抜かれたと言わんばかりの苦笑いをして、


「礼儀作法の先生に話くらいは聞いていましたが……そんなことで簡単に先生を敵に回せちゃうんですか、あの人達……身の程を知れと言いますか、なんだかバカバカしくて、逆に可愛く思えて来ました」

「そう? もう大人だし、全然可愛くないけどね」

「そう言えば、コルフも以前は但馬様を敵視する商人が数多く居りました。それは嫉妬の気持ちが大きかったのでしょうが、あの時はまだ、但馬様の影響力を正確に把握しきれてなかったのだと思います」

「俺の影響力って言っても、たかが知れてるじゃん……だって、俺怖くないでしょう。喧嘩も弱いし。酒にも弱いし。目くじら立てられても困っちゃうんだよな……」


 但馬が肩をすくめてヤレヤレとお手上げのポーズをしてみせると、女の子二人はキョトンとしてからお互いに顔を見合わせて、二人だけで通じ合うかのようにクスクスと笑い始めた。そんなにおかしな事を言っただろうか。


「そうですね、先生は怖くないですよ」

「さあ、この話はこのくらいにして、今日は朝までとことん飲み明かしましょう」

「なんだよ、感じ悪いな……てかタチアナさん、意外とノリが体育会系だよね」


 なにはともあれ、ブリジットの機嫌が治ってくれたのは良かった。


 ぶっちゃけ、5メートルの距離からでも難なく首を落とせる彼女の方が、但馬なんかよりずっと怖いと思うのだけれども……言わぬが花だなと思いながら、但馬はワイングラスを傾けた。


 その後、5人はヒュライア男爵令嬢の悪口を言いつつ、美味しいワインを飲みながら、明け方まで会話の花を咲かせた。


 今日の感じだと明日から男爵令嬢の取り巻きが意地悪をしてくるかも知れないから、もしそうなったらみんなで協力して撃退しましょうと、ブリジットとタチアナがまるで女子高生みたいなノリで愚痴りあっていた。普段はカラッとした人格のブリジットも、やはり女の子なのか、意外とこういうノリが好きみたいだ。


 そのうち、酒が回り始めたタチアナが、やっぱり来るんじゃ無かったとオイオイ泣き出したので、泣き上戸かよとブリジットと二人で宥めたり、但馬達に頼ったばっかりにあんな恐ろしい感じの人に目をつけられたんだとかほざき始めたので、あっ、なんだこの野郎、ドサクサに紛れて裏切るつもりかと、三人でドタバタやっていたら、いい加減にしろと年長者に怒られて、あとはクドクド説教を食らっていた。


 まあ、確かに、あの女王然とした厭味ったらしい顔を思い出すたび、すごい嫌がらせをしてきそうで、早くも気が滅入りそうだったが、結論から言えばそれは杞憂であった。


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