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玉葱とクラリオン  作者: 水月一人
第四章
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鋼色の日々③

 移動しようと厩舎へ向かうと、その気配を察したのか、はたまたフレッド君が予め言っておいたのか、既にエリオス達が準備万端で待っていた。歩いてもせいぜい十分程度の距離だから、それでも良かったのだが、護衛たちに引き連れられて2頭立ての馬車にフレッド君と二人で乗った。


 馬車の窓を全開にあけて、海から吹き付ける爽やかな風を受けつつ、最近の本社の様子やローデポリスの景気について話していると、フレッド君が但馬の顔をマジマジと見ながら言った。


「そう言えば社長……大分焼けましたよね?」

「え? ……そう?」

「本当に大丈夫なんですか!? 心配になりますよ、その黒さ!」


 何が原因なのかは分からないが、この世界は太陽光から紫外線が検出できない。そのため、日焼けをすることがないのであるが、別に紫外線が存在しないわけではないので、紫外線に長時間照射されれば、やっぱり人間は日焼けした。


 製鉄所の稼働と同時に、電気を使ってアーク溶接を行うようになると、作業者が日焼けをするようになった。笑っちゃう話なのだが、この世界では今までに無かった現象だったので、生まれて初めて日焼けした人たちがパニクった。


 単なるメラニン色素の沈着だと言っても、理解してもらえないので、仕方なく放っておけば治るからと、日焼けした人たちを暫く休ませたのだが、そのお陰と言って良いのかどうかわからないが、紫外線対策に溶接マスクやミラーガラスを作るのを思いつき、急遽クロロフィルを使った色硝子でマスクを作り対策したところ、光に直接当たらなければ黒くも痛くもならないと分かってもらえて、ようやく落ち着いた。


 溶接は必須の技術と言っていいほど有用なものだし、慣れてもらうしかないが、紫外線に当たりすぎると白内障になる危険性もあるし、早めにサングラスのことに気づけてよかった。


 それにしても、日焼けごときでそんなにビビられても困るので、大丈夫だということを示すためにも、よく溶接の現場に行って指導していたからか、但馬が直接溶接していなくても、現場にいるだけで結構焼けてしまったのだろう。


 アーク溶接はアークというくらいだから、アーク放電を利用した溶接法だ。原理は以前作ったヤブロチコフのアーク灯と何ら変わりない。


 二つの導体間に極端な電位差が生じる時、その導体間に電子が放出され、強烈な光と共に熱を発する。アーク灯はその光を利用して照明にしようとしたもので、アーク溶接はその熱を利用して物を溶かそうとした技術である。


 鉄鋼はそれ自体が電気を通す導体であるから、二つの鋼材に電極を当てて電圧をかけると、その間でアーク放電が起き、陽極側の鋼材が溶け始める。あとはその溶けた部分を接着剤代わりにしてくっつければ良い。


 因みに、同じく電気を使うが、アーク溶接のように高電圧ではなく、大電流を流して抵抗によるジュール熱を発生させ、部材を溶かして溶接する方法をフラッシュ溶接と呼ぶそうだ。現在、大体この二つの方法で溶接が行われている。


 なにはともあれ、但馬は日焼けした腕を露出させ、


「ワイルドだろう?」

「え!? 嫌ですよ! 早く治るといいですね」


 元ヤンとか丘サーファーっぽくおどけたつもりが、フレッド君は露骨に嫌そうな顔をして、但馬の体を気遣った。但馬としては日焼けなんて当たり前の感覚なのだが、日焼けをしたことがない彼からしてみれば、きっと皮膚病のようにしか思えないのだろう。


 いずれ貴族のボンボン相手に、日サロでも作ってみようかと思ったのだが……どうやら止めといた方が良さそうだ。


 そんなこんなで話をしてると、やがて目的地に到着した。


 製鉄所の敷地がとにかく広いから離れてるような感じがするが、化学工場は製鉄所に隣接して建てられていた。


 但馬が馬車でやってくるのを目ざとく見つけた従業員たちが駆けつけてきて、


「社長!」「いらっしゃいませ、社長!」「お待ちしておりました。さあ、どうぞこちらへ……」「今日は是非俺達の仕事っぷりを見てってやってください!」


 大歓迎されながら敷地内に入り、彼らに案内されて工場を回る。


 と言っても、工場の建設を決めたのはそもそも自分なので、わざわざ案内されなくても殆ど分かった。ただ、心底嬉しそうに施設の説明をしたり、自分たちの苦労を面白おかしく語ったりする従業員たちを見ていると、なんとも微笑ましい気持ちになった。


 化学工場と言っているが、この世界は化学分野がまだまだ育っていなかったので、ここは世界でも最先端の研究施設も兼ねていた。彼らはそれを誇りに思っているし、やりがいを感じているのだろう。


 なんでかイマイチ分からなかったが、但馬は技術職である鍛冶師たちにはあまり好かれないが、こう言う研究職っぽい人たちには好かれた。そう言えば、日本の会社でもそう言った派閥があるとかないとか、よく聞いたな……と思い出し、要はそれが職人に煙たがられる理由なのだろうかと何だか妙に納得がいった。


 工場の材料は、主に他の工場から出る副産物を利用していた。例えば、石鹸工場で出る塩素や苛性ソーダ、水を電気分解して得られる水素と酸素。真空を用いて空気を分流して窒素や二酸化炭素。そして現状、唯一収集が可能な希ガスであるアルゴン……コークス炉ガスに硫黄やその他鉱石諸々と、国内で集められない素材はもう無いんじゃないかというくらい、ここは充実している。


 この工場では主に硫酸工業とアンモニア工業を行っていて、ローデポリス周辺の穀倉地帯へ出荷する肥料を生産しており、国にとってもかなり重要な施設になっていた。こうして大量生産が出来るようになったのも、鋼材が安く手に入るようになったからである。


 アンモニア合成にはハーバー・ボッシュ法を使うが、窒素と水素を綺麗に反応させるには、触媒のもとで200気圧500℃という、超高温高圧環境が必要になる。


 200気圧と軽く言うが、これは深海2000mの水圧と同じで、人間がまず助からないレベルであり、それを更に500℃まで加熱するのだから、生半可な素材の容器では破裂してしまうのが分かるだろう。


 フリッツ・ハーバーがBASFでデモンストレーションを行った際、BASFの社長ブルンクも、そんな高温高圧を作り出す装置は果たして可能なのか? と疑問を呈したそうである。だが、一緒に実験を見ていたカール・ボッシュが自信満々にやれると断言したので、社長は彼を責任者に据えてゴーサインを出した。


 しかし実際には、生産初期は相当苦労したようである。


 まず問題になったのは触媒だ。ハーバーが行った最初の方法では、触媒にオスミウムという高価な金属を使っていたのだが、量産するにはこれをもっと安価な物に変えなくてはならなかった。


 結果として、彼らは2500種類もの触媒を使って試行錯誤し、ついに二重促進鉄という、酸化鉄を使ったより活性の高い触媒の開発に成功し、触媒の問題は片付いた。


 しかし、これでもまだ問題は尽きなかった。


 高温高圧に耐えうる容器ということで、ボッシュは素材に鋼を選んだのであるが、初期の装置はアンモニア合成を数回行っただけで、すぐに壊れてしまったのだ。


 強度の問題かと思われたが、いくら頑丈に作りなおしても駄目で、原因はどうも他にあるらしい。そして色々と調べた結果、どうやら合成の際に使用する水素に問題があることが判明した。


 水素は知っての通り、周期表の1番目の元素で、実在する分子の中では最も小さいものであるが、なんとそれが200気圧500℃という条件下で、容器の素材である鋼の外壁の中に染み出し、鋼の成分である炭素と結合して炭化水素になっていたのだ。不純物を含んだ鋼は脆く、結果的に脆くなった鋼が割れてしまったと言うわけだ。


 面白いのは、この容器は200気圧500℃という高温高圧に十分に耐えられ、他の元素だったら全く問題がないのである。扱うのが水素であったが故に、事故が起こってしまったと言うわけだ。しかし、アンモニア合成は水素を材料としているのだから、使わないなんてことは出来ない。


 それじゃどうしたのか? 彼らは容器を鋼で作るのを諦めてしまったのかと言えば、そんなことは無い。


 ある日、ボッシュに天啓が閃いた。鋼に水素が染みだしてしまうのが原因なら、内壁を鋼以外で作ればいいとして、鋼の容器の内側に軟鉄の壁を張る方法を思いついたのだ。あの、炭素を含まないことで柔らかくて使い物にならなかった軟鉄が、ここで役にたったわけである。


 更にボッシュは、それでも染み出してくる水素が鋼に影響を与えないように、あらかじめ外壁の鋼に小さな穴を開け、水素の逃げ道を用意しておく方法を思いついた。思いついた当初は自分の考えが馬鹿らしくて、期待していなかったそうだが、これが驚くほど上手く行き、こうして容器の少々の硬さを犠牲にして、アンモニア合成装置は完成された。


 二重促進鉄触媒と言い、装置を作る二種類の鉄と言い、アンモニア合成には鉄を使った工夫がふんだんに盛り込まれている。こうして作られた安価で完成された装置は、100年を経た現在でもそのまま使われているのだ。


 さて、これらの功績が認められて、ボッシュは1931年に、ハーバーに続きノーベル賞を受賞した。企業の工業的な業績にノーベル賞が与えられたのはこれが初めてのことであり、歴史的に意義のあるものだった。ハーバー・ボッシュ法と呼ばれるこの手法は、そもそもハーバーが見つけたのに、どうしてボッシュの名前も連名するのかと言えば、彼が居なければこの方法がここまで成功することはなかったからなのである。




 職員に案内されてアンモニア合成装置を見学し、続いては硫酸製造の蒸留塔を見に行ったり、それによって作られた製品の説明を受けたり、その日は一日中、工場の視察で終わった。


 この工場で作られている最終製品は、塩化アンモニウム、硫酸アンモニウムにリン酸アンモニウム、硫酸カリウム、塩化カリウムなどの肥料が殆どで、そのついでに硝酸や硝石、綿火薬(ニトロセルロース)、ニトログリセリンなどの火薬を作っていた。


 ここで作られる肥料はローデポリス周辺に存在する農園に卸されており、それによって国内の収穫量が以前に比べて雲泥の差と言えるほどに伸びている。


 アナトリアはどこもかしこも畑にするには適さない土地ばかりで、作付面積に限界があるのだが、それでもこれらの化学肥料を使うことによって、現在の国土でも200万人くらいまでは、余裕で養うことが出来るだろうと言う概算が出ていた……まあ、エトルリア南部のガラデア平原なら1億だって余裕であろうが……比べてしまうと悲しくなってくるので考えないことにしよう。


 尤も、現在の国内の人口自体15万人にも満たないし、世界人口だってそもそも1億人もいないはずなので、考えたところで仕方ない。大体、ブリタニアが発見された今、世界はこのロディーナ大陸だけではないのだ。


 大事なのはこれによって食料が安定的に収穫されることにあり、どれだけ移民を受け入れても、他国に戦争をふっかけられても、ビクともしない国を作ることにある。自分は何故か、現代知識を得たまま生まれてきたのだ。帝国を大きくすることは、もはや自分の使命なのだ。


「あんれ~! ひっさしぶりゃねえ! 社長さんでねっがっ!」


 但馬が決意を新たにし、工場の視察を終えて帰路に着こうとすると、入り口の方から見知った顔が近づいてきた。


「あ! おじいちゃんだっ!!」


 フレッド君がその姿に気づくと手を振ってぴょんぴょん飛び跳ねた。


 見れば、彼の祖父であり、S&H社の副社長でもある農園のオジサンがお供を連れて、てくてくとこちらへ歩いてきているとこだった。


 土地持ち貴族として、地味に但馬と同じく准男爵の爵位を持っているオジサンであったが、S&H社の役員であるという関係で、化学肥料の開発段階から優先的に彼の農場に商品を卸していた。


 その結果、彼の農場では収穫量が著しい伸びを見せ、丁度移民ラッシュで食料需要が増していたことから、儲かったお金で更に農地を広げられるという好循環が続き、今で国内最大の豪農にまで成長していた。


 彼の農地は競争の激しいローデポリス周辺だけでなく、この近辺の荒れ地にまで伸びているらしく、どうやら今日は直接工場に肥料を買い付けに来たようだった。


「いつ、こっちさ、けえって来たんべや? 毎度ようさんお供連れて、景気いいこっちゃねえ」

「こんなに護衛必要ないんですけどね。言っても聞いてもらえなくって……オジサンだってお供連れてるじゃないですか、そちらは?」

「こいつぁ護衛じゃないべ、オラの孫だで」


 どうやらオジサンの連れているのは彼の20人以上いる孫の一人で、フレッド君の従兄弟だったようだ。名はマンフレッドと言って、オジサンの四男坊の長男で、最近の儲けで農地を増やした結果、彼にもあげられる畑が出来たから、最近面倒を見てあげてるらしかった。


「ホントだったら、家さ出てかねばならんかったけんど、社長さんのお陰だべや。ほれ、おめえも社長さんに礼言っとけ」

「……どうも」

「こんれー! なにさ、その態度は!」


 少し人見知りなのだろうか、軽くチョコンと頭を下げるだけの挨拶に、オジサンが怒って、ごチンと思いっきりゲンコツを食らわせていた。彼は涙目で頭を擦りさすり、恨むぞと言いたげに但馬の方に向き直ってから、今度は地面に頭がくっつくんじゃないかと言わんばかりに頭を下げた。


 但馬は苦笑しながら尋ねた。


「それじゃ、今日は買い付けの仕方を教えに?」

「それもあるけんど、これがまた馬鹿なやつでよ~」


 聞けば、最近この近所に農地を貰った彼が小麦を育て始めたそうなのだが、肥料の撒き方を間違えて、大量に無駄にしてしまったらしい。無駄にしたのは、


「ああ、リン酸ですか」


 これまで何度か述べてきた通り、肥料には窒素、カリウム、リンの元素が必要であり、リンはリン酸の形で与える必要がある。


 肥料はそれぞれ塩安や硫安の窒素系肥料や、木灰などのカリウム系肥料、リン酸アンモニウム等のリン酸系肥料が存在するが、このうち窒素やカリウム系肥料は、極端な話、適当に撒いたところでも問題ないのであるが、リン酸はそうではない。


 と言うのもリン酸系肥料は基本的に水溶性ではないため、例えば種を埋めたあとの土の上に撒いたところで、土中にある根っこには到達できないから、肥料の意味が無くなってしまう。そのため、リン酸系肥料を与える場合は、必ず根っこが伸びる種子の下に撒いておくか、植林する場合根っこと一緒に埋めなければならない。


 彼は面倒臭がってそれをせずに、他の肥料と同じようにパッパッと畑に撒いてしまい、作物の成長が遅いのでおかしいなと思ってオジサンに相談したところ、それが発覚してしこたま怒られたそうである。まあ、確かに、


「普通に暮らしてたら、そんなの分かんないもんね」

「ですよね!」


 よせばいいのに但馬のフォローに力いっぱい返事をしたせいで、彼はまたオジサンに怒られていた。


 リン酸と言えば面白い話があって、その昔、コカ・コーラが販売されると暫くして、コーラを飲むと骨が溶けるという都市伝説がまことしやかに囁かれるようになった。


 他社の妨害工作だったのか、それとも昔の人達が大真面目だったのか今となっては分からないが、コーラに含まれるあのシュワシュワする炭酸が、骨を溶かすのだと思われていたそうなのだ。


 ところでこの話、単なる迷信では終わらない。


 もちろん、炭酸飲料をいくら飲んだところで骨が溶けるようなことはない。だから安心してガバガバ飲んで欲しい……と言いたいところだが、実は問題なのは炭酸ではなく、その手の炭酸飲料に添加されるリン酸の方であったのだ。


 リンは植物に限らず人体にも必須なミネラルであり、体内に取り込まれると血中を循環して体全体に行き渡る。だがその際、食品添加物としてリン酸を過剰に摂取してしまうと、リン酸が骨の成分であるカルシウムと結合してしまい、カルシウム不足に陥り骨粗鬆症になるという研究結果があるのだ。


 尤も、リンが体内で何を作ってるかと言えば、エネルギーやDNAやRNAを作る他に、これまた骨の形成を助ける働きをしているため、取らなすぎても同じく骨密度が下がるそうなので、結局は気にしすぎても仕方がない。何事も程々にという事である。


 肥料として使われるリン酸が水溶性でないのは、これと同じように、土中にあるミネラルと結合してすぐに別の化合物になってしまうからである。大抵の土には鉄、アルミニウム、マグネシウム、カルシウムなどのミネラルが含まれているが、リン酸はこれらとすぐに結合して塩を作ってしまう。


 このうち、植物が肥料として使えるのはマグネシウムとカルシウムの塩であり、鉄やアルミニウムはまったく肥料として役に立たない。そのため、土中に撒かれたリン酸肥料は次第に土壌からカルシウムやマグネシウムをどんどん奪っていき、やがてリン酸鉄とリン酸アルミニウムだけが残り、土壌は急激に酸性に傾く。


 更に困ったことに、リン酸は酸性雰囲気下では鉄やアルミニウムと結合したがる性質があり、そうなってしまうと、もうその土壌にリン酸肥料をいくら撒いても意味がなくなってしまうのだ。


 こうなったらもう、あとは石灰を撒いたりして酸性の土壌を改質しなければならない。石灰を撒いて土壌をアルカリ性に近づければ、またリン酸は肥料として役に立つようになり、更に土壌のカルシウムも補充されるので一石二鳥だ。


「はあ~……社長さんは何でもようけ知っとるだあなあ」

「いえ、たまたま知ってただけですけど……」


 オジサンは普通にpHを調べたりしていたので、ある程度はその現象を把握しているようである。農業は案外科学的で、特に土は鉱石と関係があるから地質学や無機化学とは兄弟みたいなものなのだろう。


 特にこのリン酸結合に関しては……


「ああ、そっか」


 但馬は手をポンと叩いた。


 農業に関してはそんなに詳しいわけでもないのに、なんで唐突にこんなことを思い出したのかと言えば、この現象が製鉄所に関係あるからだ。昨日、一晩中、転炉のことばかり考えていたから、但馬の中に眠っていた記憶が呼び起こされたのだろう。


 転炉の溶銑が特定の鉱石のせいで低品質になったのは、それがリン鉱石だったからだ。溶銑に残ったリンが酸素と結合してリン酸になり、鉄と結合することによって、鋼に不純物が混じっていたのだ。だから、石灰石を投入することで嘘みたいに改善された。


 但馬はオジサンの隣で、まだヒリヒリする頭をさすっているマンフレッドの手を取ると、しっかと握りしめて、


「ありがとう! 君のおかげで大事なことを思い出せた」

「へ?」


 困惑する彼の手をブンブンと振ってにこやかに笑った。そして、こうしちゃ居られないと独りごちるとフレッド君に向きなおり、


「フレッド君、そういうわけで俺は急用を思い出したから製鉄所に戻るよ。本社に戻ったら、親父さんにもう暫く待ってって伝えてくれる?」

「えーっと?」

「そう言えば分かるから。それじゃね」


 と言うと、彼は手を振って、返事も待たずに一目散に工場から出て行って……途中でエリオスにひょいとつまみ上げられ、馬車に乗せられ去って行った。もはや荷物扱いである。


 ポツンと取り残されたフレデリックは、市街へ帰る足を無くした格好になり、途方に暮れて祖父と従兄弟に、帰る時は一緒に連れてってとお願いした。


 オジサンはそれに応じると、何が何だか分からないが但馬の役に立ったのならそれは良かったと、慌ただしい彼を見送りながら呟くように言った。


「……相変わらず、あわっただしい兄ちゃんだべな。にしても、ちゃあんと飯食ってるだか」

「そうだな」


 オジサンのひとりごとに、マンフレッドが頷いた。


 昨日一晩徹夜だと言っていたが、それにしても頬がこけて痩せた印象があった。忙しい人だし、あまり健康には気をつけていないのかも知れない。なら明日にでも、改めて礼とともに、自分の畑で採れた野菜でも持っててやろうかなと彼は思った。


 彼の年代では、但馬はなんやかやヒーローであり、偶然に知り合えたのだから、このチャンスを逃すのはもったいないという打算的な考えもちょっとだけあった。


 従兄弟のフレデリックは、今や市街では知らないものが居ないS&H社の大番頭であり、大分差をつけられたが、これを機に自分も上手くお近づきになれればと思いながら、彼は当初の目的通り、肥料の買い付けに向かった。

 

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