64.再婚
ポツリと呟くジョーの言葉には今までのような傲慢さはなかった。それはエリーゼの心を動かす――
「無理」
――ことなどなかった。
「ど、どうしても無理なのか!?痩せるから!謝るから!これからは暴言も吐かないから!愛人も作らないから!なんとかならないか!?」
「無理」
ジョーの必死の懇願もエリーゼの心には響かない。
「というか私再婚したから」
「へ?」
「離婚の申請に行った時に次の旦那様との婚姻届出しちゃって受理されたから」
本来であればそんなふうに離婚と再婚を同日なんて手続き上不可能なのだが。皇帝の叔父様の権力をフルに使い特別待遇にしてもらった。
「…………出しちゃった?受理された?な、何が……?」
「だーかーらー婚姻届!私はもう既に人妻でーす」
急展開にジョーの思考は追いつかない。
再婚、次の旦那様、婚姻届、出しちゃった、受理された……頭の中でそれらの単語がぐるぐると駆け回っている。
目の前では
『キャー!エリーゼ姉様おめでとう!今度こそ幸せにね!』
『ありがとうございます。今度の男はいい男なので絶対に手放さないですから!ぎゅぎゅっと!がっちりと!鷲掴みです!』
『キャー!エリーゼ姉様かっこいい!うちとは大違いー!』
と皇女とエリーゼが盛り上がっている。
ちなみに皇女と夫は夫婦としては完全に終わっている。しかし人と人の付き合いとしてはそれなりに上手くやっており、お互いたくさんの愛人を抱えて各々楽しんでいる。
「え、と……だ、誰と…………?」
なんとか出たのはお相手を問うもの。その言葉にエリーゼは何を言っているのかとキョトン顔だ。
「やだあ、決まっているじゃない。あなたー入ってちょうだーい!」
ジョーの目が大きく見開かれた。彼の瞳に映るのは少し困ったような笑みを浮かべながら近づいてくるのは――
「サイラス……」
――兄のサイラスだった。
「あら呼び捨ては駄目よ。夫は私のお父様が持っている爵位の一つである伯爵位をもらったから伯爵になったの」
隣に並び立ったサイラスにね、と微笑むエリーゼ。目の前で微笑み合う美男美女を見てジョーは口まであんぐりと開いた。
「今日からあなたは皇女様の愛人として皇女様所有のお城暮らし。だから私たちがここに住むわね。まあ元からここで一緒に暮らしていたから特に何かやることはないのだけれど……ああ、サイラスの部屋を移す必要はあるわね」
「また時間がある時にでも大丈夫だよ、ゆっくりやっていこう。時間はたくさんあるのだから」
「あらあらお父様の執事であるあなたにゆっくりする時間なんてあるかしら」
「それは……君から頼んでくれないかい?」
「ほほほほほ!あの親父殿は私の願いなど聞いてくれないわ。なにせ口癖がこの馬鹿娘が!だもの」
元妻と兄の仲睦まじい様子に心は冷えていくが、それはなんの違和感もない光景で。
エリーゼの笑顔もサイラスの笑顔もかつては自分にも向けられていた。それが向けられなくなったのはいつからだったか。
暗くても、ろくに外に出られなくても、こんな醜い顔な上に太ってしまった自分を蔑むことなく、黙って見守ってくれた兄。
母のせいでこんな自分と結婚させられた上、人前に出られず結婚式さえあげさせてやれなかった。それなのに花を渡しただけで優しい微笑みを浮かべてくれたエリーゼ。
「さあ新婚夫婦の邪魔だから行くわよ!ではエリーゼ姉様、サイラス殿、お幸せにー!」
ニヤニヤと笑う皇女にグイグイと引っ張られるまま足を動かすジョーは一度も振り返ることなく、屋敷を去って行った。
「エリーゼ、気になることがあるんだが聞いてもいいかい?」
「あら何かしら?私のスリーサイズ?」
「いや、それは結構だ」
「そう?」
コクコクと頷くサイラスにエリーゼは頬を膨らませる。
「スリーサイズはさておきジョーを皇女様に押し付けて大丈夫なのかい?皇女様にご迷惑をおかけすることになるのでは?お金もかかるだろうし……」
男爵として手当はあっても些細なもの。皇女の愛人となってあまりにも見窄らしくてはいけない。皇女の格を落としてしまう。となると皇女が身銭を切るしかない。
「全然大丈夫よ、オールオッケー」
どの辺が大丈夫なのかとサイラスは呆れ顔だ。
「おや、サイラス様はご存知ありませんでしたか?」
「???何を?」
皇女とジョーが去ってからじいやが淹れ直してくれたお茶を口にするだけで詳細を話す気がなさそうなエリーゼ。その代わりと言わんばかりにじいやが口を挟む。
「皇女様はエリーゼ様の大ファンなのです」
「へーそうなんだ」
「はい、それはそれはもう熱烈なファンでございまして……幼き頃からエリーゼ様のモノを欲しがる姿が度々見受けられておりました」
ふむ。だからエリーゼは口を閉じたのか。
自分の大ファンとか言うのは恥ずかしいよな。うん。
「それでエリーゼは色々なものを譲ってきたと。でもなんか君が自分の物を譲る姿が浮かばないんだけど」
強請られたら何かやらかしそうというのか……。
「皇女様は浅ましくも人のモノを欲しがるようなお方ではないわ」
エリーゼの言葉にサイラスは頭の中が?でいっぱいだった。
「皇女様は……私がいらなくなったモノや捨てるものをお持ちになられただけよ」
「ぇ゙」
なんかそれはそれでドン引……いや、まあ好みはそれぞれというものか。
「お古を使うわけじゃないのよ?ただ部屋に飾っているだけで。私も皇女様相手だしなるべく汚くなる前に早くお渡ししようとしたのだけれど、まだそれは使ってるでしょとかいらないと思ってないと言われて受け取ってくれなくてね」
なんだそのエリーゼセンサーは。ちょっと怖い。
「そんな感じの皇女様だからジャマル男爵のことを話したら――
『エリーゼ姉様のご主人!?欲しい!すっっっごい欲しい!』
と仰るものだから、じゃあお願いしますってね」
ふーん…………それで良いのか皇女様。
高貴な方の思考は自分には理解しかねるとサイラスは思った。




