57.普通
下を向き何やら自分に言い聞かせているように見えるサイラスをじっと見つめる影は思う。とりあえず顔面偏差値は十分だろう。
これだけの顔を持っていて何も無いとかちょこっとイラッとする。いらないなら欲しいくらいだ。いや、でも自分はこの平凡顔だからこの仕事が天職な部分もあるし、この顔で良かったと言えば良かったのだが。
それはさておき――
「自分にはエリーゼ様の隣に立つパートナーがあなただという光景なんていくらでも浮かびますけどね。ていうか他の男が逆に浮かばないんですけど」
「それは…………義兄と義妹として、一緒に暮らす者として隣にいることが多いからそう見えるのかもしれない。彼女はもうジョーの妻だから他の男の隣に立つことはあまりないから……」
う~ん……なんとも弱腰なこの男。
我が強ければさっさとジョーをブスリとしてでもエリーゼを奪っていただろう。彼女はそれだけの価値がある。忍耐強いというのか、自分の心に向き合っていないというのか、なんとも厄介な性格だと思うのは自分だけだろうか。
「まあ……既視感というのは否定しませんよ。皆あなたが婚約者として彼女の隣で過ごしてきた姿を見ているんですから。ケンカ別れでもなければあなたに非があったわけでもなし。なんとも特殊なご縁の切れ方でしたからね」
なんの心構えもなく予兆もなく切られた縁。
あんなことが起きるとは誰にも想像ができなかった。
誰もがエリーゼの隣にはサイラスが立つものと思っていたから。
「ですがそれだけではありませんよ。なんやかんやいってエリーゼ様自身があなた様を大層気に入られておりましたから」
サイラスの動きがピタリと止まる。
気に入る?
誰を?
…………俺を?
「まさか――え?俺なんかのどこを?」
「まあエリーゼ様だって規格外だろうが人間ですからね。そのお顔で第一印象はクリアでしたよ」
「……………顔」
サイラスの複雑そうな顔を見て軽く笑う影。
「あとはその普通さですね」
「…………それは……なんとも微妙な……」
「何をおっしゃいますか!大事なところなのですよ!?もともとエリーゼ様の理想は普通な人ですから!まさにサイラス様はド・ン・ピ・シャでございます!」
とっても力説してくれるが素直に喜べないのはなぜだろうか。
それにしてもエリーゼの理想が普通とはなんとも意外である。ああ影の気遣いというものか。
「そんな気遣いは無用だよ。気持ちだけいただくよ。ありがとう」
「ははははは、金にもならない気遣いなどしませんよ。本当にそのようにおっしゃっていたのです」
「それは……」
本当なのだろうか。
「生まれた時からエリーゼ様の周りには最高級の物、人が溢れておりました」
でしょうね。
「最高のものを知っているからといって最高のものを好くわけではないというのがエリーゼ様のお考えなのです」
父親も兄姉たちも友人たちも一流揃い。それらに囲まれてきた彼女にとっては一流こそが当然のもののごとく感じられるものだと思うのだが違うのだろうか。
「サイラス殿もご存知の通り公爵家の皆様は非の打ち所のない本当に素晴らしい方々です。特に公爵やご子息は帝国になくてはならないと言われるほどです」
身近にいるとよくわかるが、頭の回転が桁違いに速い。そしてそれを処理する能力もこれまた凄い。更に仕事中毒で仕事人間だからとてつもない量の仕事をこなす化け物たちだ。
「あの方たちは人の上に立ち人を率いることが当たり前の方々です。とても性格も優れ、物や物事を見極める目も確かにございます」
うーむ、羨ましい目をお持ちである。
「ですがそれは良い面でもあり悪い面にもなり得るのです。大切だから幸せになってほしい、良いものを持ってほしい……その思いはご家族が良いと思うものをエリーゼ様に与えるという行為になってしまったのです」
誕生日プレゼントも食べるものも、着るものも。
あの唯我独尊のエリーゼが人の勧めるものなどと思われるかもしれないが、勧められるものは最高級。そして素晴らしい一品。エリーゼとしても断る理由がなかった。
「ご結婚前にサイラス殿に初めて会った時の話をエリーゼ様はよくなさっておられました。あなたが自分の好きなものをたくさん聞いてくれたと喜んでおりました」
『好きなお茶は?
好きな花は?
好きな食べ物は?
好きな宝石は?
好きな本は?
好きなドレスショップは?
なあんてうざいぐらい聞いてくれたわ』
うざいぐらいなんて憎まれ口を叩いていたがその顔は綻び、嬉しさが隠しきれていなかった。
「2回目に会った時はサイラス殿がエリーゼ様の好きな本を読んで感想を伝えてくれた、好きな花の花束をくれた。そして誕生日近くには欲しいものを聞いてくれたと大層はしゃいでおられました」
「いや、でもそんなのは普通のことで……」
「誰かにとっては普通のことでも、誰かにとってはとても心に残る思い出となったのです」
あの時は誕生日プレゼントでエリーゼが欲しいと言ったものは高くて買えず、謝罪した覚えがある。後日違うものが欲しいと言われたのだが、それがサイラスでも買えるくらいのお値段のものだったのでなんとも情けない感じだったはず。
「何もかも持っているエリーゼ様にとってはそんなこと良かったのですよ。サイラス殿の心遣いが嬉しかったのです」
「…………………………」
サイラスの心を読み取ったかのごとく言葉を紡ぐ影。
「それに……あなたは変わらなかった」
「それはどういう……」
「エリーゼ様の婚約者になっても無理して背伸びすることもなければ、強請ることもなかったでしょう?エリーゼ様が用意したものを素直に受け取り、あなたはあなたで返せる範囲のもので、心で、エリーゼ様に答えておりました。あなたのその心意気がとても眩しかったそうですよ」
背伸びも何も、出ないものは出ない。無いものは無いではないか。強請る?あの公爵家に?いやいやいやいや無理無理無理無理。貰うだけで何も返さないのは失礼だし……。
「普通のことをしたまでだと思うのですが」
その言葉にははっと笑う影。
「申し上げたではありませんか。誰かにとっては普通のことでも誰かにとってはとても心に残る思い出となる、と」
そんなものだろうか。
そこでふとサイラスの頭に疑問が浮かぶ。
「なぜエリーゼは俺ではなくジョーを選んだんだ?」
エリーゼがサイラスと結婚すると言えば周囲の者はどんな手を使ってもジョーとの婚姻をどうにかしたはず。今にして思えばジョーの命を救おうなどとエリーゼが思うだろうか。
「ああ、それは…………と着いたようですね」
影が答える前に馬車は公爵邸の前に到着した。




