53.神のみぞ知る
「ユリアは私が頂くわ」
コツ、とヒールの音を立て姿を現したのは隠し部屋で全て見ていたエリーゼだった。彼女の背後に控えていたじいやがモリソンの机に大量の金貨を置く。
ジャラ……と音を立て置かれた金貨にユリアの父はゴクリと喉を鳴らす。
「え……?どちら様か存じ上げませんが宜しいので?」
「ええ、構わないわ」
「あ、ありがとうございます!」
ユリアは父親の言葉に目を剥く。
父はエリーゼのことを知らない。知らない相手から金を貰うなんて正気とは思えない。もしかしたら危ないやつかもしれないのに。
頼みの綱だったジョーを失った今、垂らされた糸がどんなものであろうと掴むしかないのかもしれないが。
もう父はギャンブルができるのであればなんでも良いのかもしれない。父の頭にあるのはギャンブルのみ。彼の目は淀み、それなのにどこか異常なギラギラとした輝きが見える。
虚しくなってくる。
「ああ、一つだけ条件があるの。ユリアはもう私のものなんだからここで縁を切ってちょうだい。この後もし借金したとしても自分で返すのよ。ユリアに助けを求めるのは無しよ?私もこれ以上出す気はないことをよおく覚えておくのよ?」
「え?ああそんなことですか!ユリアのお陰で借金もなくなったし、もうその娘は用無しですから!」
当然と言わんばかりに頷くユリアの父にエリーゼは目を細める。
「ユリア良かったな!あんな醜い豚野郎の愛人なんて嫌だっただろう?こんなに綺麗な女性なら無体な真似はしないだろうさ。これで永遠の別れみたいだけど、元気でな!」
「……父さん」
「じゃ、俺は帰りますね?借金もなくなったし、ここにいたらまたギャンブルに手を出しちまう。いやぁ、あの豚野郎のせいでどうなるかと思ったが良かった良かった」
そう言って扉に向かうユリアの父は冷たい視線が自分に突き刺さっていることに気づいているのだろうか。彼は後ろを振り返ることもなく去っていった。
「エリーゼ様、うまくいきましたね」
全て上手くいった。
ユリアの父親を借金の返済日前に呼び出し、ギャンブルをさせ、イカサマしまくり更なる借金を抱えさせた。ジョーが払えぬほどの莫大な借金を。
「うちは多額の利息を得られましたし、エリーゼ様もあのクソ旦那を出し抜くことができた。いやあ良い顔してましたね。俺にビビる顔といい、そのお嬢ちゃんの前で恥をかいた時の顔といい、面白いもんを見せてもらいましたよ。ま、あんなものの為にこんなに金を使うエリーゼ様の気持ちはわかりませんが」
「ふふ……理解できなくて良いのよ。あなたにとってはしょうもなくても私にとっては意味があるのだから。それに……」
一旦言葉を区切りじいやが置いた金貨の入った袋に視線を移す。
「あなたやジョーにとっては莫大なお金かもしれないけれど、あの程度のお金私にとっては端金なのよ。ちょっと旦那を懲らしめるのにちょうどいい金額といったところかしら」
ヒューとモリソンは口を鳴らす。
この場にいる者全ての人間を敵に回すようなことを平気で言ってくれる。
「ま、これで恩返しは終わりということで。では二度とお会いしないことを祈ります」
「あら、お金に困ったら来ちゃうかもしれないわ」
「はは!まさかあんた……んんっ!あなたがお金に困る日が来るとでも?神々に愛されしあなたにはそんな日は来ないですから!安心して家に帰ってください!」
帰れ帰れオーラ全開のモリソンに苦い笑みを浮かべながらエリーゼとユリアは賭場を出て、馬車に乗り込んだ。
暫く走ったがエリーゼもユリアも言葉を発さず馬車の中は静寂に満ちていた。エリーゼは窓の外をぼんやりと眺め、ユリアは膝の上の自らの握り拳をじーっと見ていた。
「……私には物の分別がつかなくなった最低な父親に見えるけれど、縁を切る切らないはあなたが決めることよ」
「……借金を肩代わりしてくれる条件はあの父親と縁を切ることだったはずです…………」
エリーゼがモリソンに今回の作戦を伝えた時ユリアはそんないくらになるかもわからない莫大な金は受け取れないと申し出た。
エリーゼは少し思案した後、ユリアが侍女になること、そして今後煩わされるのは嫌だから彼女が父親と縁を切ることを条件としていた。
「破っちゃえばいいじゃない。ただの口約束なんだもの。私はジョーの情けない姿が見られただけで満足よ」
「…………」
「ああ、でもこれ以上お金の融通はしないわよ。あなたがどれだけ困ろうとね」
「………………やっぱり父はギャンブルをやめることができないと思いますか?」
「愚問ね。やめられないわ」
バッサリと微かな希望を切られて、ユリアの心にグサッと痛みが走る。
「目が正気じゃなかったわ。あなたと縁を切ることに簡単に同意していたけれど、そもそもちゃんと理解していたのかしらね」
きっとまたユリアを訪ねてくるはずだ。
その時にユリアがどうするかは彼女が決めることだ。
彼女の人生は彼女自身に決めてもらわねば。
「…………また借金取りが押しかけてきたりとか」
「この私が動いたのよ。モリソンが噂を広めているわよ。あなたから取り立てようとする借金取りなんていないわ」
「そうです……よね……」
「ギャンブルがやめられずに借金を繰り返すのであればあなたの父親自身が臓器を売るなり、労働するなりして返していくのよ」
臓器売買、強制労働――父親がそんな目に遭うのは嫌だ。あんなクソでも……昔は……母が亡くなるまでは自慢の父親だったのだ。
いや、違うか。そんなの綺麗事だ。
「…………父親を見捨てた娘ってなんか冷たいっていうか、人間としてしちゃいけないことをしてるっていうか、なんか自分がすごい悪い人間みたいに感じるんです。そんな人間になりたくないっていうか……なんか自分のことばっかり考えちゃって最低だなと思うんですけど……」
「当たり前じゃない人間なんて自分がかわいいものよ。あなたが普通よ。だからあなたの父親だって自分のギャンブル欲を優先してあなたを顧みないじゃない。……まああなたが哀れで一生懸命な自分を選んで不幸な道を選ぶのであれば止めはしないけれど」
不幸な道――若い女の行く末なんて決まっている。
父親が自分でやらかしたことの責任をとって辛い目に遭うのか
自分が父親のやらかしたことの責任をとって辛い目に遭うのか
どちらが良いかなんて決まっている。
普通家族の責任を取らなくてはいけないのに自分は逃れられたのだ。それをみすみす逃す?
そんなの
――――――――――あり得ない。
「まあまあユリア、悪い方ばかりに考えるものではなくてよ。ちゃあんとギャンブルから足を洗うかもしれないんだから」
微笑みながらそう言うエリーゼの顔をじっと見るユリア。
「絶対にあり得ないと思っていますよね?」
じろりと軽く睨みつけるユリアにエリーゼは口角を上げる。少し元気が出てきたようだ。そして、父親への思いも決まったよう。
「さあ?それは神のみぞ知る……よ」
そう神が父親の行く末を知っていれば良い。
だって、もう自分にもそしてユリアにも関係のない人間なのだから。




