52.逃亡
「賭場で借金の額がいきなり3倍に増えたとなれば……わかるだろう?」
だからそれがわからないから教えて欲しいと言っているだろうが!イライラは募るが、いつものように怒鳴ることはできない。
だってモリソンが怖い……いやいや、自分はおおらかで寛容な人間だからな。他所様に怒声をあげたりはしないのだ。
「…………」
おーおーおーおー、モリソンは心の中でジョーを嘲る。妻であるエリーゼには何もしていなくても罵詈雑言するくせして、気に入らない言動をしている強面の自分には声を荒げることはできないと見える。
なんともみみっちい男である。
「単純な話だよ。この1週間でまた賭けに手を出して膨大な借金をこさえただけだ」
「は!?また借金!?」
ジョーの声が驚きで裏返る。ユリアの父は無言で更におでこを床に擦り付ける。
「な、なんで!?そもそも自分で返せなくて困ってたんだろ!?なんでまた借金までしてギャンブルなんてしてんだよ!」
おーこの男もまともなことを言うんだな。うんうん。
モリソンとてそう思う。ジョーの考えこそ真っ当だと。
だが、
「借金してまでギャンブルに金をつぎ込むやつが、誰かに助けられて苦労なく金を返済。心を入れ替えてもう致しませんなんてなるわけないだろ?」
モリソンの言葉に困惑するジョー。
「借金が帳消しになってラッキー。またギャンブルができる。借金?またどうにかなる。金蔓もいるし……てな。そうやって考えるんだよ、なあ?」
「ち、違う!旦那、あんたを金蔓になんて思ってないですからね、ね……」
ユリアの父が慌ててジョーの足元に縋り付く。そしてばっとモリソンの方を睨みつけて唾を巻き散らかしながら叫ぶ。
「そもそも……そ、そもそもあんたが俺をここに呼んだからいけないんじゃないか!借金もなしになるしやってくか?なんて声を掛けてきたのがいけないんだろ!?」
「金額とか期限とか書面で交わしとかないとなぁ。逃げられたらこっちだって困るんだよ。ああ、確かに言ったが冗談に決まってるだろう?人に借金を返済してもらった人間がそんのすぐにギャンブルをやるなんて思わないだろう?」
なんちゃって。エリーゼに言われてユリアの父に足を運んでもらったのだ。
――もっと借金をさせろというお言葉により。
稀に借金返済後ギャンブルに手を出さない者もいるので賭けではあったのだが、ユリアの父は楽しそうに狂ったようにカードゲーム、ルーレットに興じる人々を見て身体を震わせていた。
融通しようかと声を掛けただけですぐに飛びついたのには驚いたものだ。何かに取り憑かれたかのように自分に言い訳するかの如くブツブツと呟く様は異常であった。
まあ、ここではそのような姿は珍しいものではないのだが。
「ユ、ユリア!お前の為にやったんだよ!勝てばお前が愛人にならなくてもいいと思ったんだ!な、な?許してくれるよな?」
「……………………」
ジョーのもとを離れ今度はユリアにしがみつく父親。
いやいやいやいや、許すも何もないだろう。普通にあり得ない。そもそもユリアが許したとしてどうなるというのだ。
「……私に…………娼婦になれということ?」
「そ、そんなこと言ってないだろう!?大丈夫だ、俺には、いや俺たちにはジョー様がいるんだ!」
は?お、俺?ジョーは目をまん丸くした。
「あ、あなた様はユリアをお気に召したんですよね?すんごいお金持ちなんですよね?」
お、おい、まさか……こいつ……まさかだよな。
「……新たな借金も…………返して……もらえますよね……?」
上目遣いでジョーを見上げてくるユリアの父親と目が合うとぶわあと汗が噴き出てくる。そんな金があるはずがない。もともとの借金だってこいつに渡した金と合わせてなんとかギリギリ払える額だったのだ。
3倍?公爵家からの援助の数ヶ月分にあたる額。
毎月お金は使い切っているから貯金もないし、公爵家に前借りなんてできるはずもない。金を借りられる友人もいない。
いや、借りたとしても返すのに数ヶ月かかるし、その間誰とも遊べない。高価な買い物も美味い食事もできない。そんな生活無理に決まっている。
「そ、そんな金あるわけないだろ!」
「え、えええええ!?だって俺には金が有り余ってるって……こんな金はした金だって仰ってたではありませんか!?」
や、やめろユリアの前で。かわいい女の前で俺を貶すな。俺が貧乏人みたいじゃないか。言ったかもしれないが、そんなの女の前でカッコつけただけに決まっている。
「ちょっと言ってみただけだ!というよりももともとの借金の額だってかなりの額なんだぞ!1週間で3倍にもなるなんてお前はどんな金の使い方をしているんだ!?」
「それは……」
借金がチャラになることが決まったし。まっさらな状態からならやり直せると思ったのだ。今度こそ勝てると思ったのだ。
それに最悪――ユリアもいるし、金蔓のジョーもいるし。
ここまできてもユリアの父親はどこか楽観していた。
どうにかなると。
「お、俺は関係ない!元の借金も知らん!」
「な!ユリアを愛人になさると仰ったではありませんか!ちょこっと金額は上がってしまいましたが、この金額でユリアを買ってくださいよ旦那ぁ」
「こんな高い娘買うわけないだろ!これで娼婦を何人買えると思ってるんだ!俺は公爵家の縁の者なんだ!平民に……その辺のちょっと見た目がいいだけの雑草にそんな金を払うわけないだろうが!」
そう言い捨てドスドスと賭場を後にするジョー。
「お、お待ちを!モリソン様、彼を捕まえてください!このままでは借金が払えません!」
「はあ?お前が払えばいいことだろうが。お前とあいつの契約がどうなろうが俺には関係ない」
「そ、そんな……………ユリア……」
じ、と悲哀に満ちた目でユリアを見る父。
「お前に娼婦になってもらうしか……」
そう言う父を見るユリアの目は冷たく、軽蔑に満ちていた。




