44.見返してやりたい
「ちょっと待った」
「ぐえっ!」
後ろから襟をつかまれ首元が締まる。
ゲホゲホと咳き込むジェラルドの身体がくるりとエリーゼと向き合うように回転させられる。
「……!?」
「ありがとうじいや」
いやいやいやいや、一瞬あの世行きになるかと思ったではないか。涼しげに謝意を述べるエリーゼを信じられない思いで見つめるジェラルド。
「あらあらどこに行くつもりなの?あなたは私のものでしょう?」
あれは助けるための方便ではなかったのか。
さあぁぁぁと青褪めるジェラルドは乾いた唇をゆっくりと開く。
「……一体……何を……」
「店を任せたいの」
「…………………………………は?店ですか?」
想定外の答えに暫く思考が働かなかった。
「そうなの。お父様がもうそろそろ何か事業を始めなさいっていうからドレスショップを経営することにしたの。だけれど優秀なデザイナーは良いところにお勤めしているし、引き抜くのはちょっとね……恨みを買っても嫌だしね」
確かに公爵家からの声かけとあらば嫌だろうとなんだろうと頷かざるを得ないかもしれない。雇い主も涙に暮れることだろう。
「だからその辺にいないかなーと思ってたら何やら揉めてるあなたを見つけたのよ。手を気にしていたようだし、お兄さんはデザイナーでしょ?あのお姉さんたちも穏便に手を引いてくれたし、なんの問題もないでしょう?」
ほうほう。
人の秘密をさらけ出させといて穏便とはなんとも酷い言いようである。
「あの……質問しても宜しいでしょうか」
おずおずと手を挙げるジェラルドにエリーゼはニコリと笑う。
「もちろんよ。雇用契約するのに納得いかないものでは駄目でしょう?」
では、と緊張を和らげるためにコホンと軽く咳払いする。
「私にデザイン能力がなかったら解雇でしょうか?店を任せたいということは売上管理、人材管理、仕入れ、諸々全てをするということでしょうか?」
「いやだ、解雇なんてしないわよ!降格はするかもしれないけれど、ふふ。ええ、諸々全て任せたいわ。私はお金だけゲットよ!」
ゲットだと胸の前でグッと拳を握る姿が勇ましい。なかなかの女傑……とか思ってる場合ではない。
「売り上げに貢献しないデザイナーは解雇されると思いますが、なぜ私は解雇されないのでしょうか?それに、私は売上管理もそれに……人材管理もやったことありませんし上手くできないと思うのですが」
「何よぉやりたくないの?」
ぷぅと可愛らしく頬をふくらませるエリーゼを見てじいやがありがたやと感涙しているのは気のせいだろうか。
「そういうわけではありませんが…………そのご令嬢がやられた方が宜しいのでは?」
その言葉にまあと目を見開くエリーゼ。
「あなた……私はまだ子供よ?できるわけないでしょ?私にできるのは金を出すことと、父の権力を利用することだけよ」
お、おお……それはそれでその辺の子供ができることでもないような。
「もう一度聞くわ。やりたくないの?」
「やりたくないわけではありません!」
公爵家がバックにつくなどこの上ない幸運。デザイナーとしてやっていくからには独立も見据え、色々と勉強もしてきた。環境が環境だったから実績は全くと言っていい程ないがその分勉強はしてきたつもりだ。
だが……それ以外でも色々と迷惑をかけることもあるかもしれない。
今回のように――。
いや、今までのように――。
下を向き唇をかみしめるジェラルドにエリーゼはこっそりと息を吐く。この見た目でこの自信の無さとは呆れるばかりである。化粧でどうにかできるものとはいえ素顔の見た目とはどうしようもない問題であり、貴重な財であるとエリーゼは考えている。まあ、性格が悪いとか色々問題があるやつはいるが、やはり美というものには価値がある。
「最悪デザイナーとしてうまくいかなくてもあなたは顔がいいからそれだけで客は寄ってくるわ。あそこまで貴族に狙われながら誰の奴隷にもなってないんだから運もかなりいいでしょ。
従業員は他にも雇うし、その中の誰かがデザイナーとして開花するかもしれない。運営に関してもじいやがいるし公爵家から人を寄越しても構わないから大丈夫よ。
それに店が失敗しても私のことは心配無用よ?お金はあるから大丈夫。あなたの職場がなくなるだけだから」
全然大丈夫じゃない。でもじいやさんと会えるのはちょっと……いや非常に嬉しい。わからないことが……とか言って何度も呼び出すのも有りだわ。
しかしこの小娘……ジェラルドの目の奥で炎が揺らめく。
顔、運などデザイナーとして関係のないところにばかり目をつけやがって。まあ先程会ったばかりなので顔くらいでしか判断できないだろうが。むしろそれで人を雇って店を任せちゃうなんて何たる楽観的思考と思わなくもない。ま、まあそれで自分にチャンスを与えられたのだが。
だが……
だが……!
だが…………!!!
デザイナーとして何たる屈辱!
「無理にとは言わないけれど「やらせて頂戴!」」
急にオネエ言葉になったジェラルドにエリーゼの瞳が興味深げに細まる。
「ただし何人か連れて来たい人間がいるわ!今まで働いた店で才能はあるのに蔑ろにされてきた娘が数人いるのよ!」
「ええ、もちろん歓迎よ」
「繁盛したらお給料もたくさん貰うわよ!?」
「ええ、売り上げ内であればいくらでもどうぞ。私はもう持っているもの」
…………腹が立つ。なんとも尊大で贅沢な小娘である。
だがそれがとてつもなく似合うと思うのはジェラルドだけだろうか。
「それにじいやさんをたくさん呼び出しちゃうんだからね!?」
「ええ、構わないわ。ね、じいや?」
「エリーゼ様のご命令とあらば」
胸に片手を当て粛々と頭を下げるじいや。嫌がる素振りも動揺する素振りも見せずただ単にエリーゼの意を汲むじいやにジェラルドはこれが本物の執事というものかと感心する。
じゃあ遠慮なくたくさん呼び出しちゃいましょ、きゃっ。
心の中で喜びを噛み締める。
だが、すっと真剣な表情になるジェラルドと対照的に余裕のあるゆったりとした笑みを浮かべるエリーゼ。その表情にジェラルドは胸が熱くなる。
こんな小娘に侮られたままでいられるものか。
「私のデザイン力で帝都一の店にしてみせるわ!」
「!ふふっ楽しみだわ。じゃあ私の懐はガッポガッポになっちゃうわね?」
真剣な眼差しと余裕のある眼差しが交わった時見えざる火花が散ったのだった。
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「――――ジェラルド?」
「…………あっと……何かしら?」
「大丈夫?」
「……少し昔のことを思い出していただけよ。あなたも私もおばさんになったわ」
「私はまだおばさんではないわ」
「細かいことはいいじゃなあい」
「んんっ!それで本題だけれど、あなたたちの給料をもっと上げていいのよ」
「んまっ!これ以上もらってら罰が当たりそうだから結構よ!ちなみにこれは皆の総意だから」
「売り上げに対して少ないわ」
いやいやいやいや、平民の月収の数倍をもらっているのに少ないわけがない。それに皆エリーゼには感謝しているのだ。
これ以上はいらない。もう十分だ。
「いいの!」
「でも!」
「お金が有り余って困るならどこかに寄付でも「離して!離して!」」
押し問答を続ける2人の耳にそんな声が聞こえてきた。




