40.オーナー
「おい!どけ!」
「お帰りくださいジャマル男爵」
ある屋敷の前で1人の老執事と押し問答をしているジョーは怒声を上げていた。
「ライカネル公爵家の一員である俺をこんなふうに追い払っていいと思っているのか!?」
「……公明正大なるライカネル大公爵様におかれましては、11歳の子供に下心をもって接する方をお許しになることはないと思いますが」
ジョーの怒声に動じることなく執事が冷静に答える。
ライカネル家の一員?なんと烏滸がましい。公爵家の娘であるエリーゼの夫なのだから間違ってはいない。だがエリーゼや公爵家の者たちが彼を認めていないことは周知の事実。公爵に至っては彼に対し殺意を持っているくらいだと公爵自ら豪語している。
公爵家の娘の夫だろうと何も怖くなどない。
というよりも可愛い可愛いお嬢様に手を出そうとする下劣な輩を敬う気など毛頭ない。年齢を考えろ、年齢を。何よりもまず鏡を見ろ。
「な!お前の主人の友人なんだぞ!お前なんてクビだクビ!」
「坊ちゃまはまだ子供と言える年齢のお嬢様に手を出すような方は友人でもなんでもないと怒っておられます。ですのでこれからはもうお屋敷を尋ねることもないと伝えるよう言付かっております」
「子供子供って……あの子だって俺に触られて喜んで……」
それ以上言うこと許すマジとギロリと睨まれ思わず閉口してしまったジョー。オロオロと視線は彷徨い、身を守るように背中が僅かに丸まる。
その隙にでは、と言って屋敷の中に入っていく執事。
お前に触られて喜ぶわけないだろうが、ペッと唾を吐き捨てたいのを我慢するのが大変な執事だった。
「クソッ、クソッ!クソがっ!!!」
道端の石を思いっきり蹴るジョー。
他の友人の家に行っても誰も出てこない。それどころか家族に手を出すやつとは縁を切ると使用人を通じて全員に言われた。
急になんなんだよ!
ついこの間までジョーは凄いジョーが羨ましいジョー最高とまとわりついていたくせに……!
色々と奢ってやったのに……!
金を融通してやったのに、あの恩知らず共が……!
だいたい金を払ってるんだから少しくらいその家族にもてなしてもらって何が悪いというのか。家族だって俺の金で何か買ったり美味しいものを食べていただろうに。
そもそも彼女たちだって口ではやめてくださいと言っていたが、表情を見ればわかるあれはイエスという目だった。体裁のために嫌だ嫌だと言っていただけなのは明白。
なのに、その体を本気に捉えて自分を悪者にして一方的に縁を切ろうとするなんて意味がわからない。空気の読めない奴らだ。
あんな奴らこちらから願い下げだ。
むしゃくしゃした気持ちのまま馬車に乗り込んだ後、腕を組みジョーは目を瞑る。
「…………1人になってしまった……」
静まり返る馬車の中にジョーの呟きが寂しく響く。あんなに自分を慕っていたのに、少し彼らの気に食わないことをしたからといって酷いのでは?
謝れば……いや、もっとたくさんのお金を渡せば戻ってくるだろうか?
いやいやいや、と首を振るジョー。
むしろ金にたかる害虫がいなくなって良かったのだ。それに1人ではない。自分には可愛い愛人たちがまだまだいるではないか。
やはり男はだめだ。
モテない男はモテる男を妬むもの。きっと我慢が限界にきたのだろう。しょうもない男たちだったのだ。
奴らに渡す金が浮いたのだから万々歳。
お気に入りのあの子にアクセサリーでも、いや新しい愛人でも囲おうか。
何に使おうかとわくわくしながら窓の外を見る。
なんの変哲もないいつもの街並み……貧乏な平民が道端を歩き、自分のような金持ちや貴族は堂々と真ん中を馬車で走る。
平民はわあわあと下品に客を呼び込み、へこへこと頭を下げる。みっともない。視界に入れたくないレベルで反吐が出る。
「負け犬が……目障りなんだよ……」
だがまあ彼らを見ていると
自分は働かなくても、何かをしなくてもそこにいるだけで金が入り女が寄ってくる特別な人間であることが誇らしくなってくる。
やつらは顔もぶさいく、頭も悪そう、せこせこと小銭稼ぎのために人に頭を下げることしか能がないやつらは何が楽しくて生きているのだろうか。
「……あははははは!あははははは!やっぱりあんなやつらは要らないな!俺はこんなに恵まれてるんだから!あははははは!ん?」
一人で高笑いしていたジョーは外に何かを発見する。
「おい止めろ!」
御者に向かい怒鳴ると止まる馬車。
そこからドスドスと慌ただしく降りるジョーの顔はニタニタと下卑た笑みが張り付き鼻からは荒い息が出ていた。
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チリンチリン
一際目立つレンガ調の大きな建物の扉が開き、美しい鐘の音色が店内に響き渡り客の来訪を告げる。
店の表には見事な達筆で『リーゼ』と書かれた看板が掛けられている。
「ごめんなさぁい、まだ開店前………って、オーナーじゃなぁい。お久しぶり~」
「お久しぶりね、最近の調子はどう?」
「もちろん絶好調よ~」
「流石ジェラルドね」
この店のオーナー――エリーゼは店内を見回す。洗練されたドレスから少し型破りなドレス、様々な眩しいドレスが置かれている。従業員たちはエリーゼに気がつくと生き生きとした笑顔を浮かべ、頭を下げる。それにつられるようにエリーゼの口元も笑みの形を彩る。
「はあ……本当に美しいわ~エリーゼ様あ。あたしにもそのほんの一欠片でも美しさがあれば良かったのに~ん~」
「あなたも十分イケているわ」
「知っているわ。でもそういうことじゃないのよ~ん」
ジェラルドの即答に相変わらずだと笑うエリーゼ。
ここの店はエリーゼがオーナーを務めるドレスショップだ。従業員たちはその辺で拾った者達ばかり。ここに勤める前は暗く濁った目をした者ばかりだったが、良い変化が見られてエリーゼとしても嬉しい限りだった。
邪険に扱われたり才能があるが故にデザインを取られたり、そもそもデザインをさせてもらえなかった者ばかり。
目の前にいる店長を任せているジェラルドも訳ありの1人だ。じーっと彼を見つめるエリーゼ。
艶のある長い黒い髪を後ろに一つに纏め、人を魅了するような切れ長の色っぽい黒い瞳。鼻筋は通り、薄い唇から出る声は心臓がトゥンクとするような重低音。すらぁと伸びた程よい筋肉を持つ手足。そして類稀なるデザインの才。
才と美貌を兼ね備えた男――ジェラルド。
人生勝ち組みたいに見られるが、心は乙女な彼は勤める先々で女に言い寄られ、大変な目に遭ってきてその才を活かすことができなかった。彼至上最大のピンチの際に彼を拾ったのがエリーゼだった。
エリーゼのお膝元で彼にちょっかいを出せる令嬢はおらず、精神の安定した彼は様々な素晴らしいドレスを生み出すことができるようになった。
リーゼは質の高いドレス、見目の良いデザイナーに恵まれ、帝都で大人気の店となり、エリーゼの懐をガッポガッポと潤わせている。




