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自殺大陸  作者: ししゃもふれでりっく
第三章~パンが食べたくないならダンジョンを貪ればいいじゃない~
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第8話 神無の巫女

8.



「ん……あ。……ここ」


 その声が聞こえたのは明け方だった。

 いやいやと首を振る妖精さんに蛙肉の美味しさを説き、食べさせたのももう結構前の話だ。そんな妖精さんとのやり取りを終えて、寝ずの番。

 天井の開いたこの場を陽が照らしだし、陽光に当てられた湖からは靄が立ち昇っていた。ひんやりとしたそれに乗って森林の良い香りが漂い、鼻腔を擽ってくる。その香りを吸い込むために深呼吸をしていた時だった。


「おはようございます。どこの誰とも分からないエルフさん」


「だ、誰!?……っ」


 火傷の痛みに表情を歪ませながらも体を起こす。だが、首を切り、いくら重傷ではないとはいえ焼けたわけで、それが一晩寝た程度でどうにかなるわけもない。次の瞬間には痛みに耐えかねた体が再び地面へと倒れていた。そこから再び無理に起きようとする彼女を手の仕草で止める。


「誰と言われると、私はカルミナといいます。ある人は運命に流されなさそうな名前と仰っておられました。なぜかは分かりませんが」


 再び横になった彼女の事を確認してから、焚火に木をくべ、火加減を調整する。昨晩はちょっと焼き過ぎた感じだったので朝は少し軽めに。


「安心してください。死のうとしないのなら別に何もしませんし。死のうとするなら、昨日みたいになる事を覚悟しておいてください。目の前で死なれるのは夢見が悪いので止めますよ」


 木に刺さった蛙の足の位置を調整しながら、ふいに思う。鍋も持ち歩いた方が良いのかな、と。鍋があれば水を沸かす事もできるのだし、今後の装備として考えるのも良い。ちなみに黒い包帯の消毒は穴を掘って水をいれてそこに焼けた石を突っ込んで水が温まった所で包帯を入れたわけだが……鍋があればそういった時にも便利そうである。ジェラルドさんに例の金属で鍋を作って貰うしか。鈍気にもなろうだろうから一石二鳥である。


「どうして……私なんかを」


 そんな事を考えていれば、深刻そうな表情で少女が口にしていた。そんな少女を心配そうに栗鼠が見つめ、見つめて寝入る少女の顔の辺りに移動する。


「ラピス……もしかしてあなたがこの人を連れて来たの?」


 栗鼠に問い掛けるも、答えが返るわけもなし。だが、栗鼠の御蔭で警戒心が薄れたのは分かる。


「その通りですよ。栗鼠君の上目遣いにたぶらかされたうちの妖精さんが必死だったものでついつい」


「そう……ですか」


 いや、それで納得するのもどうかと思う。だが、寝起きだと言う事もあるのだろう。まだ思考が追い付かず状況が理解できていないように思う。


「迷惑だとは思いますけど、私に見つかったのが運の尽きです。貴方の望みなんて、貴方の希望なんて叶いません。私は周りを不幸にするらしいので。残念でしたね?」


「……そっか。私はまだ、楽にはなれないのね。……やっぱり、そういう運命なのですね。……いいえ、違うか。これも愚かだった私への罰か」


 悲しげに呟く彼女の瞳からは自然、涙が流れ出していた。


「物騒な発言をしますね」


「ごめんなさい。誰とも知らない人に迷惑をかけてしまいました……」


「謝る必要はありませんし、迷惑だとも思っていません。とりあえず、その物騒な発言の理由を教えてほしくはありますけどね……あぁでも、その前にお腹が空いているでしょう?」


 いくら死にたいと願った所で体はそれを願う事なく、生きたいとばかりにくぅと小さな音を鳴らす。その音に泣いていた少女が赤面する。色々恥ずかしいのだろうと思う。

 痛みを覚えないようにゆっくりと身を起こす彼女を、再度止めようとしたが今度は彼女の方から手で遮られた。


「死のうとしていた人にいうのもあれですが、無理はしないでくださいね。はい、どうぞ」


 柔らかい方が良いだろうと思い、その少女に脳みそ香草焼きを渡せば、はむ、はむと小さな口で啄ばむように、それこそ隣の栗鼠と似たような感じだった。


「……これ、何でしょう?とても柔らかいですね」


 咀嚼し、ごくりと喉を鳴らして嚥下する。飲み込む事に痛みはないようだった。そしてまた、はむはむと咀嚼する彼女がやはり栗鼠のように思えた。


「そこらにいる蛙の体ですね」


 瞬間、少女が噴き出した。


「げほっ…げほっ……な、なんてものをっ!」


 あぁ勿体ない。少女の口から飛び散った蛙の体が辺りに散乱する。何とも猟奇的な光景だった。吐き出した結果、胸元の火傷が痛かったのか悶えているが、倒れこむ程ではなかったようだった。つまり、火傷に触れなければ痛みも特にないという事か。


「ぶにぶにした感じが新感覚でしたねぇ」


「人間はあんなものまで食べるのですね……あんな気持ち悪い生物の体を」


「何事も経験です」


「……凄いですね。私には、そんな勇気がありません」


「でしょうね。貴女はお馬鹿さんみたいですし」


「ば!?」


 そんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。彼女は驚き戸惑っていた。まぁ、正直自分でもどうかと思う。が、死にたがる人間に優しい言葉を掛けるほど私は優しくない。


「貴女にどんな運命があるのかは知りませんが、その栗鼠君みたいに必死になってくれる人、ではないですね。栗鼠君がいるんですから……死のうとするなんてただの馬鹿でしょう?」


「……そうですね。私は馬鹿ですよ。馬鹿なんですよ。村の言い付けを守り、それに流されるだけしか脳のない馬鹿なんです」


「だったら、ほら。もう一つ。妖精さんの分でしたけどどうぞ。足りない脳を補給してくださいな……ってなんです妖精さん。そのよしっ!みたいな顔。大丈夫ですよ。妖精さんにはちゃんと足が残ってますから」


 じとーと妖精さんを見ながらエルフの少女に焼いた脳を渡す。これで少しは頭が良くなって欲しいものだ。


「はは……」


「怒る気力も無い、と。そうでしょね、とあえて言わせてもらいますけど……何も知らない相手だから言える事もあるかもしれませんので、食事時の会話ついでに話してみてください」


 例えそれが不快な事実を知る事になったとしても。私にも泣いた子を虐める趣味はないのだ。できれば泣き止んでほしいと思う。


「……人間というと行商のモノか長が時折呼んでいるギルドと呼ばれる所の人しか知りませんでしたから貴女みたいな不思議な感じの人は初めてですね」


 ギルドといえばカイゼルとかだろう。今回も案内ついでにエルフの村での依頼を受けると聞いていた。守秘義務もあるだろし、どんな内容かは聞いていないが。


「なんといえば良いのでしょうか……私は……生贄なのです」


 そう語った彼女はとても悲しそうだった。

 諦めと共に流されるままに生きて、死んでいく事を嘆くように。だから、世界を恨まずにはいられなかったのだろうか。


「前時代的ですね」


 だから、逃れられない死を彼女は運命などと言ったのだろうか。


「そう、ですね。ですがエルフというのは元来、保守的な生物なのです。その身に備わる機能ゆえに外へ行くことや新しい行いには怯えるのです」


「都市に出て来ているエルフさん達はもしかして改革派とかですか?」


「そうではありません。別に彼らとて村の状況を変えようとは思っておりませんし……そんな変わらない村に今でもあるのが生贄の儀です」


 皮肉気に少女が笑う。偉く老成しているように思えるのもその環境故にだろうか。


「エルフの神様にでもその身を捧げるとかですか」


「良くご存知ですね。確かに表向きはエルフの神様に捧げる事になっていますね」


「表向き?」


「はい。エルフの神様はもうおられませんから。本当に捧げる先は人の神様です」


「人の神様は生贄を求めたりはしないと思いますけど」


 死にたがりの神様がエルフの生贄を望むはずもない。そんな事をしたところで神様は自殺する事は止めないだろう。神様の膝元である自殺洞穴内で人間が腐るほど死んで贄となっていようとも止まらないのだから。

 だが、その言葉に彼女は首を振った。


「かもしれません。ですが……エルフ属はそれを信じております。この大陸を神様が割らないようにと願い奉ります。ずっと、ずっと毎年毎年一人づつ生贄を奉げて」


 そして、今年が彼女の番だったという事だ。


「で。逃げ出したというわけですか?逃げ出した結果、死んでたら意味がないじゃないですか。馬鹿ですよねやっぱり貴女」


「……ですが、逃げられません。私は、私達はこの森を出て生きてはいけないのです」


「街にはいるじゃないですか」


「そうですね。そこは僅かでも人の血が混じった者達とは違う、と言っておきます。祖先に一人でも人間がいる方々とは違うのです。私達の血液は彼女らよりもさらに濃いのです」


 アーデルハイトさんや他のエルフがそうだという事は聞いた事はない。エリザに関しては人の血が混じってはいるが、目の前の彼女とエリザに何の違いがあるのだろう。


「私は純血のエルフなのです」


「あぁ、処女自慢は結構です」


「ちょっと!?」


 瞬間、赤面し、けほっ、けほっと咳き込む処女エルフ。文句を言いながらも食べていた脳みそが喉に詰まったらしく苦しんでいた。


「あぁ、すみません。なんか知り合いの駄エルフみたいにうじうじしているのでついつい話の腰を折ってしまいました。で、純血がなんなんですか?駄エルフさん」


「私が駄エルフ……駄エルフ……」


「死にたがりの馬鹿なんですから駄エルフで十分でしょう。これは世界共通の認識だと思いますけど」


「私にはちゃんとレアという名前があります。これでもエルフの村の神職を務める者なんですよっ!」


「神職の人が自殺しようというのですから、世も末ですね。でも、だからエルフの神様がどうのという話を知ってるのですか……といいますか、その年でそんな凄そうな役職に就けるんですね」


「これでも18歳ですっ。童顔なせいであまりそうは見られませんが……」


 いやそれはきっと体型のせいだろう。

 にしても18でも十分に若いと思う。どちらにせよ、私より年上なのかー、とどうでも良いように頷きながら蛙の足を口に運び、味付けを間違えた事に気付く。塩を流石に掛け過ぎていた。塩を指先で払いながらムニムニとした蛙肉を食べる。今度は中々だった。おすそ分けに妖精さんにも一本あげる。何とも嫌そうな表情をしながらももぐもぐと体躯よりもちょっと小さい程度の蛙の足を食べる妖精さんは余り可愛らしくはなかった。


「はふはふ……で、どうするんですかね、これから。もう一回自殺しようとするなら怪我人だろうがなんだろうが蹴り倒しますよ?」


「……村に戻ってもどうせ、生贄に捧げられるだけです。ですから、貴女の見えないところで死ぬとします。自らの意思で死ぬことが、せめてもの償いであり、抗いです」


「償い?……でもそれって結局、別の人が生贄に捧げられるだけでは?」


「っ……」


 そう問いかけた瞬間、彼女の頬が引き攣った。

 やっぱりこのエルフは馬鹿なのではなかろうか。そんなもの関係ないと逃げ出せば良いのに。私とは関係ないのだ!と逃げ出してしまえば楽なのに……でも、彼女はきっとそんな事ができない子なのだろう。全く……。ほんと、真面目な性格程損をする世界だ。

 でも、そういう馬鹿は別に嫌いじゃない。


「どうせなら直接神様の下へ向かうとか言って自殺洞穴に入ればいいんじゃないですかね?あそこの第7層には人の神様がいるらしいですよ。直接文句言ってくるから生贄にするのは待ちなさい!とか」


「自殺洞穴……私達の、エルフの神様が殺された場所」


「なんですかそれ?そういえばさっきも言っていましたけど、エルフの神様がもういないというのは誰かに殺されでもしたんですか?」


「人の神様の味方をしたエルフの神様は天使を作った神様に殺されました。そういう風に伝えられております。ドラゴンも悪魔も天使も未だ人の神様を殺そうと洞穴にいますが、エルフは……人の神様に仇成す気は無いのです。ですから……」


 こんな森の中にエルフ達はいる。

 人の神様の下へ行くことは無いとそう伝えるためにも。

 エルフは自殺洞穴には存在しない。


「面白いですね。神様の話というのはエルフ達にも伝わっているんですね。誰が最初に言い出したんでしょうかね……人間とエルフどちらにも似た話が伝わっているというのは」


「なるほど。人の世にも……同じような話が伝わっているのですね。それは初めて知りました。そのような会話をすることはありませんでしたので……あぁ、ごめんなさい。最初に言い出したのは、ですね?」


 誰かが意図しなければ出来ないのではないだろうか。いや、人との交流はあるのだから伝わってもおかしくはないかな?でも……だったら、自分達の神様が死んでいるという情報を伝え続けているのは矛盾だ。自分達の神様が死んでいる事を信じるなど意味が分からない。彼女自身が神職と言うのだから尚更だった。

 いいや、それ以前に、だ。

 ディアナ様が教えてくれた、ミケネーコ氏の解釈と神話を照らし合わせたものに一致し過ぎているように思う。どこまでが神話なのか、どこまでがミケネーコ氏の創作なのか詳しく分けて聞いておけばよかったと今更ながらに後悔する。


「最初にその神話をエルフ達に伝えたのは、『最初の方』だと聞いております」


「『最初の方』?」


「はい。その御方本人の事はあまり詳しくは伝わっておりません。ですが、『最初の方』なのは間違いありません。その方が……いえ、その方の教えが今もエルフの村には根付いているのです」


「生贄というのもその人の所為なの?」


「……私は、違うと思っています」


 だから、逃げ出した。意味ない死を積み重ねることに何の意味もないのだから。そういう事だろうか?でも、それだけならばついさっき彼女が『償い』と呟いた理由にはならない。


「人の神様がこの大陸を割ろうとするのは、エルフの神様が亡くなったから……唯一の味方がいなくなったから」


 だったらその神様の作り出したエルフ達を生贄として捧げる事を人の神様が是とするわけがない。


「……そんな決定的な矛盾があっても」


「エルフの神様が死んだと言う事を伝えられているのは神職の者のみです。他の皆はエルフの神様が世界を割るのだと信じております」


「その『最初の方』とやらの言葉を伝えるのは……いえ、そうですね。自分達の神様が死んでいるなんて事をいう人を真っ当な目で見る輩はいませんか」


 それこそ排他されるだろう。でも、唯一それを信じているのが神職の者というのが全く世知辛い。宗教的な教えと真実が同じである必要がないように、都合の良いように教え、都合の良いように利用する。そういう事だろう。

 ……人間も変わらない。エルフも人間もその間には何の差もないのだなとそう思った。


「その通りです。そして、生贄を決定するのは国の長。今代の長は元々神職。だから……私にそれを教えてくれたのは今の長なのですけれどね……ははっ」


 殺すために教えたのだろうか。無慈悲で意味のない死であることを伝えるためだけにそんな事をする者がいるのだろうか。そんな無為な事を楽しむ輩がいるというのだろうか?何か別の理由があるように思う。彼女が、償いと言ったのもそれに関係しているのではないだろうか?理由もなくそう思った。けれど、それを彼女が口にする事はないだろう。それもまた理由もなくそう思った。


「エルフの村はそんな風に生きているのです。毎年毎年叫びの声を上げながら死に行く者達を見ながら、何の罪もなく、無意味に殺された者達の犠牲の下に生きているのです」


 罪を共有しながら生きる。それは閉鎖社会をやりくりしていく上では良い手法なのかもしれない。その場から逃げても罪は消えない。その罪を暴いた所で排他され、口を封じられる。そんな前時代的な閉鎖社会。それがエルフの世界。


「怨霊の……森」


「そう、言われているらしいですね。未練を残した者達が延々に産まれ続ける場所ですからそう言われるのは分かります……でも、怨霊なんていませんよ」


「獣一匹すらいるように見えませんね」


「獣は結構いますよ。ラピスみたいな小さいのから大きいのまで。この付近にはあまりいませんけどね……ラピス、くすぐったいですよさっきから」


 ずっと、彼女に頬ずりしている栗鼠。嬉しいのだろう。生きていてくれて嬉しいのだろう。例え、痛みと共に苦しみながらでも、


「血を流せば燃え尽きる運命。天使に作り変えられたというこの身体。それを持ったまま私達はこの世界で怯えながら生きているのです……この世界に産まれたことを恨みながら。この世界で生きていかなければならない事に嘆きながら」


 それでも生きていてくれるのが嬉しいのだろう。


「天使に作りかえられた、ですか?」


「えぇ。燃える血。普通の生命としてはまず考えられない性質を天使によって与えられたと言われています。もっとも、本当にそうかは分かりませんけれどね」


 彼女は、栗鼠の頭を撫でながらそう口にした。

 皮肉だった。つい歯を食いしばってしまうほどに。それが真実だというのなら、エリザは、そもそもが天使によって作り変えられた者であり、天使の力を借りながら、天使に怯えながら生きているのだから。彼女は本当に天使に振り回されてばっかりだ。


「……それらの神話、人の神様は悲しみに泣き世界を割る。そういうのはこっちにも伝わっていますが、エルフの神様の話はあまり聞いた事がありませんね」


「なるほど。エルフの神職に伝わるような話はまた別なのかもしれませんね……それとも態とそういう風に伝えた人が……それもまた『最初の方』なのかもしれませんね」


 その『最初の方』というのはもしかして、ミケネーコ氏の事なのだろうか。話を聞いているとそんな風に思えてくる。きっとレアさんもミケネーコ氏の話を聞けば同意してくれるように思う。ただ、しかしそうすると相当昔の人なのだろうかミケネーコ氏は。


「他にも、何かあるんですかね?そういった特別に伝わっている話」


 それを確かめるためにもこの人にはやっぱり生きていてもらわないとなんて打算的な事を思いながら、そう問いかけた。


「……そう、ですね。天使に作り変えられたエルフ達のためにエルフの神様は戦いました。けれど、負けてしまいました。エルフの神様は壊されてしまいました。だからエルフ達はエルフの神様と仲の良い人の神様を頼りました。人の神様は人間も、エルフも一緒に守って戦ってくれました。でも、それでも一人では無理だったのです。弄ばれたエルフが、人間が天使に連れて行かれました。幾度となく見初められ、弄ぶように連れていかれました。……天使に見初められた者達はいつか天使に連れ去られるのです」


 瞬間、ぞっと背筋を走る悪寒を覚えた。

 つい先ほどまで考えていた事が一瞬で飛んで行った。


「え、ちょっと……それって」


「エルフに伝わる神話です」


「いや、その……そうじゃなくて。その天使に見初められた者云々というのは……」


「我が家に……神職の家に伝わる言葉です」


「そんな……でも、それだったらなんでエリザがその事を知っていたの?いえ、でもそれだったら皇族にだけ伝わるというのは?」


 だったら……あれ?

 何か、酷く違和感を覚える。その言葉がエルフにも伝わっているというのならば、エルフもまた天使に見初められた者達がいるのでは?だとするならば……

 思考に沈んでいれば、私の言葉に呆然とし、瞬間、焚火など、痛みなど気にすることもなく彼女は私に向かって飛びついて来た。

 飛びついて、服を掴まれ、首元を持たれて前後に揺らされた。


「エリザというのはもしかして、エリザベート姉様の事ですかっ!?姉様はまだ、まだ生きておられるのですか!?」


 揺らされる頭が気持ち悪い。寝ていないので尚更気持ち悪い。

 けれど、そうか。

 だから、なのか。

 だから、馬鹿なんですか貴女は。

 ……この駄エルフ姉妹め。

 姉妹二人揃って私の目の前で死のうとするなんて……ほんと殴りたい。



―――



「本当の所を言えばエルフの国、私達は村と呼んでいたりもしますが。いえ、どちらでも良いですね。そんな些細な事。……今代の長は私の父なのです。私に全てを教えたのも父であれば、私を生贄に捧げようとしたのもまた父です。……あの方はもはや復讐に捕らわれております」


「復讐?」


 落ち着きを取り戻したのはそれからどれだけか経っての事だった。

 少し動けるようになった彼女と共に湖を周り、食べた分の補給と称して蛙を水攻めしながら回収し、回収しながら話を聞く。そんな風に馬鹿馬鹿しい行動をしながらであれば少しは気も楽だろう。


「はい。父を裏切った母への復讐です。妄執と言っても良いかもしれません。父も母も純血種であったから尚更なのかもしれません」


 そんな物に何の意味もないのにと、吐き捨てるように彼女は言った。


「そして、母の子だからという理由で兄弟は皆憎まれました。自身の子でもあるはずの私達を父は怨んでいるのです。兄弟達はもはやおりません。母の大事にしていた子供達を母より先に生贄に捧げる事で復讐をしているのです。そして最後に残ったのが私です。もっとも母の心は既にすでに壊れていますので……私が死んだところで母はどうも思いませんけれど。だから……ただの妄執なのです」


 選択権は長にあるというのならば、独善と独断でそれを成すことはできるのだろう。加えて家族を神に差し出す事をするならば皆の同情も得られよう。まして母が廃人になっているのならば尚更に。それでもなお国の為に命を燃やすのだというのは傍からすれば美談なのだろうか。……馬鹿馬鹿しい事限りない。

 そういえば先輩からエリザの昔話を聞いたとき、兄妹がいるような事を聞いていたがすっかり忘れていた。ただ、でも確か疎まれていたとか言っていたような。彼女を見る限りはそうは見えないが……

 でも、そうか。もう、この目の前の彼女以外にはエリザの兄弟はいないのか。いいや、でも、一人だけでも生きていてくれたのは良かったと思う。


「もしかして毎年、ですか」


「えぇ、毎年一人ずつです」


「……それはまたぞっとしますね」


「そうですね……でも、それもまた私達に課せられた罰なのでしょう」


「貴女は別に悪くないでしょうに」


「いえ、同罪です。ただ……私は、父の言うがままに生贄に捧げられるつもりはないのです。だからこうしてこの場にいたというわけです。それも叶わなかったけれど。……でも、エリザベート姉様が生きていた事を知れたのは嬉しかったです」


「やっぱり、お馬鹿さんでしょう貴女」


 復讐の為に使われたくないから、先に自分で死ぬなんてそんなの頭の悪い事、馬鹿じゃないと思いつかない発想だ。


「ですね……結局、言う必要もなかった事も言ってしまったし、墓まで持っていくことすらできずに零しているのですから、仰る通り、馬鹿なのでしょうね」


 苦笑しながら、彼女が告げる。告げながら、湖から水を持って来てくれて、穴へと流し込んでくれる。


「こんなに集めてどうするんですか?」


「何やら武器を作るのに使うらしいです」


「武器を作るのに……なぜ……」


「えーと、詳細は私も知らないのであまり聞かないで頂けると嬉しいです」


 不思議そうな顔をされた。私も同じ気分なのでそれは良く分かる。もっとも集めるだけ集めさせておいて、実は何の意味もないですーとか、真面目に集めるなんて馬鹿じゃない?とか言い出されるかもだが。

 暫くの沈黙。

 その沈黙の中、彼女は幾度か口を開いては閉じることを繰り返す。

 言いたいけれど言ってよいものかどうか。それとも言ったら自分が許せなくなるとでも思っているのだろうか。私には分からない。私に出来る事はただ彼女が自ら動き出すのを待つだけ。それしか、出来ない。馬鹿みたいに蛙を捕まえ、苦笑しながら、ただ待つだけ。


「ただ……私達もまた母を許してはおりません。あんなに優しかった姉を呪い付きだと嘘をついて隔離した母を私は、私達は絶対に許しません。あまつさえ人間との不義の証を隠すために姉を売り払った母を許しはしません」


 エルフの村では呪いという名の流行り病に侵されれば隔離され、排他される。だが、隔離されて売られる者は早々いないだろう。隔離されたエリザが人に売られた理由はそういう事か。


「不義の証……」


「そうです。かつて母が人の街に出た際に情を交わしたらしいとか。……しかし、良く人間が情を交わす気になりましたよね、エルフ相手に。それよりももっと前ならいざしらず、エリザベート姉様が産まれた当時のエルフは人間にとっては家畜扱いですし、人間に虐げられていた時代でしたから」


「というと?」


「家畜を相手に情を交わすなんて、ましてちょっとでも傷を付ければ燃え上がるものと情を交わすなんて……『人として』おかしいと思いません?」


 くすり、と微笑んでエルフが人を語る。


「洞穴内で化物を相手に子作りに励むようなものってことでいいのかな」


「はい。その通りです。鳥を相手に、獣を相手に、化物を相手に事に励むなど『人として間違っている』のではないでしょうか?ましてやそれで出来た子など畜生にも満たない扱いでしょう。いいえ、家畜として、生命として扱ってくれるだけまだましかもしれません。……そんな時代だったのです。価値観は時代と共に移り変わりますが、最低の時代だったと思います」


 苦笑しながら、エルフが人を語る。


「それゆえに、あの当時の人間はそれはそれは恐ろしい者達だと聞いております。エルフを攫っては家畜として扱い、虐げては興味本位で焼き尽したと聞いております。だから、怨霊の森と言われる本当の理由はそちらなのではないでしょうか?」


 くすりと笑い、エルフが人を語る。


「この森で殺されたエルフが一杯いると?」


「エルフ狩りと称して毎日、どこかしこで火の手が上がっていたらしいですね。それから逃げ隠れるために必死だったようですよ……闇に紛れ、木々に紛れ。集落から出る事は死を意味し、集落から出ない事は緩やかな死を意味しました。……そんな時代に良く人間の街に母は行こうとしたと思います」


「そこまでして行くような所でもないようにも思いますが、理由があったんですかね?」


「飼われようとしたのだと思います」


「……身売りですか」


 それは、たとえば私のように。


「はい。父も子供達も置いて一人だけ金持ちの人間に飼われようとしたのかと。見目だけは良いですしね、エルフというのは。それこそ情を交わしてくれる相手を探しに行ったのだと思います」


「家畜でも何でもいいら見た目が良くて穴があって、艶めかしく喘いでいればなんでも良いって人間ですか……」


「……先程からわりと卑猥な発言をしますね、貴女」


 心外だった。加えて渡しっぱなしのマントで体を隠されたのが尚更に心外だった。


「……結果として母はすぐに戻ってきました。その際、結構な金を持ち帰って来たと聞いています。だから、傍から見れば出稼ぎにいっていたという所ですね。……実際は春を売って来たようなものですけど」


「それで帰ってきて産まれたのがエリザって事ね」


「はい。優しい姉でした。天使に見初められるまでは本当に純血の、父と母の子だと思われておりました」


「やっぱり純血の子は呪いを受けない保証があるってこと?それも……」


 それもまた天使の気紛れなのだろうか。


「神話ではエルフや人間が連れ去られたとありますので保証はありません。ですが……エルフの神はもはや殺されているのです。それを思えば天使を作った神様の興味対象は人間なのではないでしょうか?もはや私達は崇める神すらいない朽ち果てた生物なのです。……私は、そんな風に理解をしています。現に、エルフ属で見初められた者というのはエリザベート姉様以外には……明確に記録が残っているのは『最初の方』だけです。まして、純血種で天使に見初められた者というのは聞いた事もありません」


「また、『最初の方』ですか……」


「はい。人とエルフの間に産まれた『最初の方』です。天使の神様も面白がったのではないでしょうかね、そんな存在に」


 あぁ、それで『最初の方』か。だとするとやはり相当に古い人なのだろう。


「表向きは人と交わりを持った原初の罪。罪の証であると言われています。ですが、その罪から得た知識や教養があって今に繋がっているのですから、事実を知っている私からすれば笑い話ですけどね。欺瞞だらけの世界です。私達の世界は……この森の中だけで生きる小さな世界は……だから、大嫌いです」


「嫌いですか」


「はい。大嫌いです」


「私は、結構好きですけどね、この世界」


 不満はある。辛くもある。苦しくもある。時折嫌になる事もある。けれど、それでも、


「皆に会えました。それに、今……やっぱり私は運が良いのでしょうね。エリザの妹さんにも会えた……そんな巡りあわせを演出してくれた世界には感謝したいです」


「……能天気ですね、貴女。馬鹿なんじゃないですか?この世界はそんなに優しい世界じゃありませんよ……」


 言う通りだ。世界は優しくはない。

 けれど、それでも今みたいに粋な事をしてくれる時もあるのだ。神様が泣いてしまうほど、この世界は悪いものじゃないと思う。何も知らない者の想いかもしれない。けれど、でも。私はちゃんと笑っていられるから。だから、この世界も存外、悪いものでは無いと思うのだ。

 でも、彼女はそう思えないのだろう。笑っている私に、彼女が剥き出しの感情をぶつけてくる。肩を怒らせて、貴女に何が分かるのだ、とそう言わんばかりに。

 それで良いと思う。感情に振り回されることができるのなら、まだ、絶望には至っていないと言う事だろうから。


「一つ、疑問なのですが。エリザは、天使の痣が呪いでは無い事を知っていてもおかしくないと思うんですけど?」


 これ見よがしに、肩を竦め、話を逸らす。さっきからそれが疑問だったからというのもある。エリザが神職の家系であるのならばその事を知っていてもおかしくないのだから。

 そんな私の台詞に、気勢を殺がれたのか一瞬呆として次いで、嘆息してから彼女は答えてくれた。


「エリザベート姉様は長姉ですが、その上に兄が2人おりました。次代の神職と目されたのは長兄です。……とはいえ、全く何も知らないと言う事は無いと思います」


「それで天使がどうこういう下りとかだけは聞いていた、と」


 皇族直系と同じ。

 本来、それ以外に伝えられる事はない。ない、が母親はもしかするとエリザが人と間に出来た子であることを理解していたのかもしれない。だから、そんな事を教えていたのだろうか。皇族直系以外知らない言葉を、前皇帝が行きずりの女相手に教えるとは全く思えなかったが、元々知っていたというのならば、それも理解できる。できるが……


「父の伴侶である母もまた天使の痣の持つ意味を知っております。それが不義の証であることも。故に見つからないように母はエリザベート姉様を人に売りました。誰に売ったかまでは分かりません。その手の伝手が母にあったのが不思議でしたが……それも不義故にといった所でしょう。そして売った事によって、父にばれたというわけですね」


 エリザの本当の父親……混血以外に天使の痣が現れないというのが真実ならば、前皇帝であるのは確かであり……いや、本当にそうなのだろうか。

 嫌な汗が背筋を伝う。

 皇族だけにその言葉が伝えられていたから。皇族の直系以外には天使に見初められた者がいないから。そう言われているし、事実そうなのだろう。

 けれど、エルフの神職にもまたその言葉が伝えられている。そして、人と違い、エルフはその直系だからといって天使に見初められるわけではない。

 だったら、人との間に産まれた子という理由だけで天使に見初められた者がいるということは……その事実は何を意味するのだろう?

 エリザは一体、どちらの理由で天使に見初められたのだろう?人間の側の理由か、それともエルフ側の理由か……。

 いや……これ以上は考えない方が良さそうだった。今更、そんな事をほじくり返しても意味がない。

 たまたま、両者が重なっただけだ。

 たまたま天使について知っていた神職の家に嫁いだエルフの女性が、たまたま天使について知っていた前皇帝と出会い、たまたま家畜のように思われていた存在と情を交わす程の種馬であり、たまたま子が授けられた。そしてたまたまその子が天使に見初められた。


「…………ただ、それだけだよ」


 真実を知る者はもはやいない。であれば、それを追求する事は無駄以外の何物でもない。だから、そんな事は忘れてしまった方が良い。だから……そう。

 例えどれだけ可能性が低かろうと事実は事実なのだ。


「何か?」


「いえ……」


 首を振り、立ち上がって湖の周りを行く。ずしりとした頭陀袋を背負い歩く。背に伝わる妙に柔らかい感触が気持ち悪かった。


「持ちましょうか?」


「これぐらい大丈夫ですよ。いざとなれば妖精さんに持ってもらいますから」


 びくり、と私達の前を走っていた妖精さんが跳ねる。空気を呼んでいるのか何なのか、先程から会話の邪魔をしないように少し離れて栗鼠と一緒に穴を探してくれていた。


「はい、お疲れ様」


 消えた焚火の所まで戻り、頭陀袋を置き、腰を下ろす。

 焚火を挟んで互いに座り込み、呆と空を見上げる。


「ここを最後の場所に選んだ理由って何かあるんですかね?」


「昔、兄弟で一緒に遊んだからでしょうね」


 だったらエリザに聞けば脳みそ蛙の事が分かったのか。城にいるから気軽に聞けないのが仇になったわけか。


「ちなみにエリザベート姉様はその蛙が大嫌いだったかと」


「それはもうお祝いついでに今度あげてくるとします」


「酷い人ですね……でも、お祝いですか?」


「はい。お祝いです。しばらくしたらこちらにも伝わるのではないでしょうか。私の口からは言えません」


「そんな気になるような言い方……未練を残させるような言い方をされるんですね」


「私は貴女に死んでほしいとは思いませんしね」


 どこかの馬鹿な幽霊のようになって欲しくなんてないのだ。ましてエリザの妹ならば尚更に。私は、だから彼女の願いを叶えてやる気は無い。


「エリザベート姉様が売られてから3年と少し。……3人の兄が生贄に捧げられました。3人目、エリザベート姉様と私の間の兄が生贄に捧げられたのが昨年。次代の神職にはお前がなるのだという薄ら笑いを浮かべた父が全部、教えてくれました……」


 膝を抱え、顔を埋め、彼女は泣いていた。

 悲しいからじゃない。悔しかったからだとそう思う。

 それにしても……つい最近の事か。


「教えられ、母の裏切りを知り、世界を恨みながら、自分達の行動を悔みながら兄達は死んでいったそうです。そう聞かされました。自らの過ちを知り、後悔に塗れたのが私達兄弟です……エリザベート姉様を裏切ったのは私達でもあるのです」


 呪いに侵された者は隔離される。そして、排他される。

 周囲に流された彼女が、その兄達が悪いわけじゃない。そういう風土自体が問題なのだ。ちょっとした髪の色でさえそうなのだから、それが呪いだとすれば更に酷い扱いだろう。特にエルフの村のような逃げる先のない閉鎖社会であれば尚更だ。

 けれど、そんな行為を働いた自分達が実は単に騙されていただけだと知ったら、どう思うだろうか。

 それを罪と思うだろうか。償える事のない罪だと思うだろうか。

 それが今の彼女だった。


「だから、同罪だと言うのですか。……だから、なおさらにこの世界が嫌いだというのですね」


「はい。嫌いです。でもそれは責任転換なのでしょう。一番嫌いなのは自分です。知らぬとはいえ姉を呪い付きだとして切り捨てた自分が大嫌いなのです」


 顔を隠し、さながら懺悔の如く呟いていた。

 そんな彼女が見ていられない。


「貴女には何の罪も無いでしょう?そんな事に悲しみや苦しみを覚えても仕方ないですよ」


 無知は罪だ。

 彼女が一番長い間無知だった。それゆえに一番罪は重いと感じているのかもしれない。

 けれど、閉鎖された世界でそれを求めるのは流石に酷というものだろう。何も知る事のできない立場にあった人に対して、何もかも知っていろというのは横暴が過ぎる。

 知る事の出来る立場にあって、それでも知ろうとしない事にこそ罪があるのだ。

 故に、彼女には罪は無い。

 それにその事があって以降は貪欲に知ろうとしたのではないかと思う。でなければ、こんなにも短期間で色々知り得ないだろう。

 天使に見初められた姉を救う手立てを調べていたのかもしれない。

 そんな風に私には思えた。


「仕方あるのです。……私達が傷付けた心は元には戻りません。過去は決して消えません」


「いいえ。貴女がつけた傷など大したことありません。そんな物はとっくに治っています。過去は塗り替えられるのです。彼女にはもっと深い傷がつきましたから。私が、エリザの心を殺しましたから」


 大したことがないなんて嘘だ。売られてきた時のエリザは、あの時のような状況だったと先輩が言っていたはずだ。


「っ!」


 瞬間、顔を上げ、私を睨み、今にも飛びかかってきそうな表情が愛しさすら覚えるほどに奇麗だと感じた。


「それも、もう治っていますけどね。妖精さんの仕業ですよ。きっと」


 妖精さんに視線を向ければぷいっと顔を逸らされた。


「私は貴女じゃありませんし、貴女の気持ちを全部理解できるとは言いません。けれど、少なくとも、エリザは壊されても立ちあがりましたよ。……辛い辛い世界で家族に裏切られ、一人奴隷としてあの都市でがんばってきた。それでも優しかったですよ。こんな私にも」


 どのゆな理由があれど、彼女がいなければ今の私はいないのだから。


「私に心を壊されて、一時期は体もぼろぼろになりました。それでも、エリザは言いました。もう死んでも良いなんて思わないって……」


「姉様が……」


 剥き出しの心を傷つけられて心を壊した彼女は、酷く心の弱かった彼女はそれでもそう言ったのだ。いつか天使に攫われると諦めていた彼女が、それでも諦めないと立ち上がったのだ。運命になんて流されないと。


「そんな姉を残して一人死のうとしている貴女は、馬鹿以外の何ものでもありませんよ。悲劇のヒロインぶって、何が『罰なのか』ですか。何が『同罪です』ですか。恥ずかしい」


 ほんと、馬鹿ばかりだ。

 エルフはこんなのばっかりなのだろうか?信心深い種族だと聞くが、馬鹿な宗教に嵌り過ぎだ。

 自分の罪を償うために死ぬなんてそんな馬鹿な信仰に何の意味があるというのだ。ましてそんな馬鹿な事を実行しようとする輩は……ほんと、殴りたい。

 死にたがる馬鹿なんて、不幸になってしまえば良いのだ。


「あるはずもない罪に苛まれ続け苦しみ続けるなんて自慰行為が楽しくて、私不幸なの!って感じが楽しくてとっても幸せなのかもしれません。けど、貴女はそろそろ自分の罪から解放され、不幸になって世知辛い世の中をおっかなびっくり生きて下さい」


 私が貴女を不幸にしてあげる。

 今よりももっと辛い世界を生きる事を強要してあげる。


「私が貴女を不幸にしてあげますから。どうぞがんばってください。貴女が決して望まないであろう裏切った相手であり、罪の証であるエリザに会わせるっていう、最高の不幸を味合わせてあげますよ?」


 そうすれば私は幸せになれて、彼女は不幸になるのだから。

 なんて、そんな事を笑って告げる。


「っ!でも、私はっ!私達は生きられないものっ。父は私を見逃さない。逃げた私を捕まえるためにギルドに依頼をすると思います。エルフ狩りは人間の得意とする所です。だから……見つかる前に死なないといけない。そうじゃないとそれこそ私はただの馬鹿じゃないっ!……それに……それにっ!純血のエルフの血を人の血の混じった姉様と同じだと思わないでください。私達は、私はこの森を出て生きてはいけないのです」


 でも、姉に会いたくないとは彼女は言わなかった。この言葉はただ、この閉鎖された社会から抜け出せないとそう嘆いているだけだ。


「そんな事言われても、所詮、燃えるだけでしょう。他の森に住んでいるエルフもいるじゃないですか。街にもいるわけですし。寧ろそんなに燃えるなら瓶詰めして火種として持ち歩きたいぐらいですよ?」


「っ!このっ!だったら見せてあげますよっ!」


「死なない程度でお願いしますね」


 売り言葉に買い言葉なのはお互いに重々承知している。

 だが、彼女は感情を抑えられないのだ。姉が生きている事を知って安堵するとともに、ありもしない自分の罪に苛まれ怯え、そして自分に訪れる強制的な死にも怯え、こうして訳の分からない事を言う輩まで現れて、まともでいられるわけがない。

 ただでさえ、罪の重さに耐えられずに、罪を償うために昨晩、自分を殺そうとしていたのだから尚更だろう。


「包丁、貸して下さい」


 言われ、手渡した。

 それで指先でも切るのかと思いきや、おもいっきり手首を切った。


「ちょっと!」


「大丈夫です。こ、これぐらい耐えられないようだったらエルフの女は生きていられません」


 けれど、言うほど大丈夫には見えない。寧ろナイフが見当たらないから言葉巧みに私から包丁を奪って死ぬつもりだったと言われた方がまだ分かる。

 手首から流れる血は燃え、地面へと燃えながら落下していく。包丁を投げ捨て、手首から流れだし手の平に溜まった燃える血を彼女が地面へと投げつけた。

 瞬間、巨大な爆発音に世界が揺れた。

 その音に驚いた栗鼠や妖精さん、蛙や鳥達が一斉に動き出し、木々が揺れた。世界がしばし騒然としていた。

 私の耳もおかしくなりそうだった。


「どう……です。こんな危険な生物、都市になんかいられませんよね?姉様に会う事なんてできませんよね?私は、私達純血のエルフは……天使に作り変えられた私達は……生きているだけで他人に迷惑をかける危険な存在なのです」


 ぽた、ぽたと流れ続ける血は、宛ら彼女の涙のようで。

 彼女の着る白装束を、袖を焼いていた。

 軽い笑みを浮かべたまま焼かれる彼女を連れて再び湖に入り、血を流し、発火しないような温度まで下げた後、包帯という名の私の残った方の袖も切り落として、巻いた。アルピナ様、ごめんなさい。私じゃなくてこの駄エルフが悪いんです。などと私が戯れた感じで思考するのには訳がある。


「悲壮感たっぷりに決死の覚悟での説明はありがたいんですが、格好付け過ぎです。アーデルハイトさんとかいうのが純血っぽいですが、都市で生活しています」


 どっかん何号の原材料とかまさに彼女の血液な気がしてならない。


「人間の街に純血のエルフが?……いいえ、今、誰と仰いましたか?」


 再び、青褪めた少女はきっと、貧血なのだと思う。ほんと、馬鹿なんだからこの姉妹。やることなす事裏目に出るのは血筋なのだろうと思う。


「アーデルハイトさんです。錬金術師とかやっていますよ。結婚もしていますし。何と言いますか超元気な人といいますか」


「『最初の方』の再来と謂われる天才アーデルハイト様が?……そんな、流石に嘘でしょう?」


 謳われているのは神職の家だけだろうに大げさである。にしても『最初の方』とやらが天才だというのならば、万能の天才ミケネーコさんとやっぱり同一人物に思えてくる。やはり、打算的な意味でも彼女には不幸になっても生きていて欲しいと思う。


「私が嘘を付く理由はありませんし、アーデルハイトさんの名前出したのは私じゃないですか。何ですか貴女、エリザと同じで実は脳みそまで筋肉なんじゃないでしょうね?」


「私は姉様ほど馬鹿じゃありませんっ」


 ……いや、いいけどね。


「アーデルハイト様が街に?三十年以上前に行方不明となった方が人間と一緒に?……まさか、母は彼女に会いに人間の都に行ったとでもいうの?」


「そこは流石に知りません」


「それは……そうよね」


「まぁ、つまり、ですね。貴女が街に逃げる事には何の憂いもないという事で。つまりあれですよ。姉と会い、不幸になりたいと望むのでしたら、生きたいと言うのでしたら……いいえ。これはちょっと違いますね。……私が貴女を不幸にして差し上げます。覚悟して下さいね?」


 もし逃げられないというのならば、怖い夜叉姫様が攫って行こう。

 そう思った時だった。


「おいおい、これまた何とも巡り合わせだなぁ黒夜叉姫。なんだかえらく服が格好良い事になってるじゃねぇかよ」


 木々を分けて男が一人。供を連れて現れた。


「……カイゼルさん?」


「焼けた血の臭いを放つ包丁、首と手首に巻かれた包帯……?エルフの血抜きでもするつもりだったのかい?セリナ、やっぱ彼女は夜叉みたいだぞ?」


 ケタケタと笑うカイゼルは、だがその瞳だけは真剣だった。なお、セリナさんは怯えて引き攣っていた。


「村に行ったと思ってたんですが」


「長からの依頼でな。娘を探してほしいという事だ。数日前から行方不明だそうでねぇ。時期が時期だから急いで欲しいってな。それが……黒夜叉姫と一緒にいて怪我をしていて、辺りには爆発したような跡もある。ま、その音が決め手だったんだけどな。で、だ。……どう判断して良いものかと今考えている最中なんだよ」


「……どう考えて頂いても結構ですよ」


 直前、彼女に言われた事を思い返す。ギルドに依頼をするであろう、と。

 だったら、カイゼルをどうにかしないと私は彼女を攫う事が出来ないと言う事。私がカイゼル達をどうにかしない限り、彼女は殺されてしまうのだろう。

 投げ捨てられた包丁を手に取り、逆手に持つ。次いで彼女を後ろに隠す。

 全く、流石は英雄。

 今まさに悪い夜叉が人を連れ去ろうとしていた所で現れるなんて。捕らわれの姫君を助けようと現れるなんて……ほんと、タイミングが良い。


「おいおい、警戒心一杯だな!かっ!俺をその辺の馬鹿と一緒にするんじゃねぇよ。お前がどうこうしたなんて思ってないっての。それよりも……」


 例え私に血まみれの包丁を向けられようとも、ギルドのマスターを担う者故にどんな状況でも冷静のようだった。だが、後ろに付き従う女の子達は若干引いて私を警戒していた。ま、そうだろう。彼女達の大事なギルドマスターに牙を剥く事を私は是としているのだから。


「どちらかといえば判断がしたい。そんなこれ見よがしな傷、自分でつけない限りはつけられないと思うんだが……どうだい?話して見ちゃくれねぇかな?悪い様にはしねぇよ。戦友だろ、俺達?」


 けれど、どうやら私が思うよりも彼はもっと凄い英雄のようだった。

 たとえばそう、悪い国を相手に一歩も引かない救国の英雄のように。



―――



「かっ!胸糞悪い話だなぁおい」


 その声にレアさんがぎょっと引き攣るような驚きを見せる。

 ギルドと言えば長の命令に従う者達という認識があったようで、私から彼らに事情を説明している最中も私の背に隠れてびくびくしてはいたのだが、話し終えて押し黙った彼を見て、どうなるのだろうと更にびくついていた所に天を仰ぎ大きな声でそんな台詞を言うから尚更に驚いたようだった。


「小さな女の子を驚かさないでください」


「あぁ、悪い。悪い」


 すまんね、とばかりに手を合わせ私の後ろに隠れる少女へと。

 そんなカイゼルの仕草に胸元を抑え吐息を一つ。ようやくレアさんは落ち着いたみたいだった。次いで、ぼそっと私は小さくないと言っている所がちょっと可愛らしいと思った。


「こりゃあ、ギルドバルドゥール、久しぶりの失敗だぜ?」


 焚火を囲んで対面に座るカイゼルがその周囲を埋める皆にケタケタと笑いながらそう告げた。告げられたクローゼさんも、ミリアさんも、セリナさんもそしてボストンさんも、それに無言で頷いた。神妙そうな表情は彼女の事を思ってなのだろう。度し難い程お人よしな人達だと思う。依頼主の言よりも、私やレアさんの話を信じてくれる辺り尚更に。少しは疑いの目を持って欲しいと私が心配になるぐらいだった。

 彼らとて慈善事業をやっているわけではないのだ。にも関わらず、あっさりと利を切り捨てた。いわばエルフの国の王からの依頼だ。この失敗で彼らの評価も下がるだろうに。まして、ギルドマスター御自ら動いての失敗だ。


「気にするこたぁねぇよ。俺らは俺らのやり方があるからな……それに、あの嬢ちゃんの妹とあっては尚更な」


 揺らめく炎を神妙そうな目で見つめながらもカイゼルは更に笑う。


「あれ、エリザの事ご存知なんですか?」


 真面目な話はもう終わりとばかりに生木で焚火の火を調整しながら告げる。


「いや。白夜姫と同じ程度に知ってるってぐらいだな。巨剣隷嬢エリザベートってなぁ。同じ自殺志願者だ。義理はなくても人情ぐらいは沸くってもんよ」


 あぁ本当にそんな風に呼ばれていたんだ。誰がそんな名前つけたんだろうとじと~っとカイゼルを見ていれば、そっちは俺じゃねぇよとばかりに手を振られた。


「な、なんですかその呼び名!」


 私の後ろから横に出て来て、私を掴んでレアさんが恥ずかしそうな表情で慌てだした。いや、そりゃ確かに身内がそんな風に呼ばれていたら恥ずかしいだろうけど。肩を掴んで揺らすんじゃない。頭が揺れる。


「そりゃあんなバカでかい剣持っている奴隷がいりゃそんな名前にもなろうよ。ほんと、たまに変なのを産み出すよな。リヒテンシュタインは」


「私を見て言わないでください」


「いや、言いたくもなるだろうよ……今回の事にしてもお前が幸運にもこの子を見つけてくれなきゃ俺らは死体運び屋になっただけだって話だぜ?だが、そうはならなかった。そして、お前の御蔭で俺らは動けるって話だ。目には見えないがその功績は値千金だ」


「いえ、私はこの子の首を絞めて水没させた挙句、起きぬけに言葉責めを楽しんでいたら、手首を切られてしまったのでそんな風に評価されるのはちょっと」


 揺れる脳髄を抑えながらそんな事を言ってみれば案の定セリナさんがびくり、と引いていた。


「かっ!謙遜。謙遜。未来に掛け橋を渡せる人材ってのは喉から手が出るほど欲しいっつー話だぜ?やっぱうちにこねぇかよ?」


「行きません。……しかし、何をなさる気で?」


「全てを変える事はできないが、それでも出来る事はあるって話だ。昔、エルフの権利を認めさせるためにトラヴァントの方で結構動いていた御蔭でエルフにもファンが多いんだよ、うちのギルドは。だから……いや。悔しいから教えてやらねぇ」


 子供っぽくぷいっと顔を背けられた。可愛くない。全く可愛くない。

 だが、まぁ、言わなくても想像はつく。生贄を止める事ができるかは分からない。だが、それでもその状況を多少なりと前進させることはできると、この男は語ったのだ。人間の小さな、ちっぽけな力でもそれを合わせれば何かを変える事ができるとそう信じている強い目だ。絶対に曲げず、折れない強い力を感じた。


「お任せします。悪いようにはしないと仰ってましたので。悪いようにしたら、それこそ呪いますよ?」


「かかっ。かわい子ちゃんの呪いなら幾らでも受けるって話だぜ?」


 次の瞬間、周囲の女性陣の視線が突き刺さった。痛い。

 やっぱりこの人は苦手だ。暗がりを生きる私達には、明るすぎる。


「はぁ……それはそうと胸糞が悪いと思いますので、お腹治しにどうぞ」


一人、二人、三人、四人、五人、六人、そして一匹。

 折角補充したのに、と思いながら焼いていた香草焼きモドキを手渡していく。お任せするのだからとおまけでカイゼルには一番大きい奴を渡した。


「いや、いらねぇよ!?」「いらないわよっ!?」


 淡々とその場にいる皆に渡していけば、騒がし所が叫びをあげた。なお、騒がしくない所は苦い顔をしていた。レアさんや妖精さんはもはや慣れたものだと泰然としているのだから見習えというものである。


「新感覚で美味しいですよ?」


「だから、どうして食事が現地調達なんだよ……ぐっ、無意味にでけぇ」


「一応、イロモノ料理屋の代理店長ですからね。これぐらいやらないといけないと思いまして」


「へぇ、奴隷なのに店やってんのか。リヒテンシュタインは確かその手の稼ぎは認めてなかったんじゃなかったっけか?」


 頷く。


「ま、閉店休業中ですけどね」


「おいこら。折角売り上げに貢献しにいってやろうと思ったのにそれはどうなんだよっ」


「店の料理担当が長旅に出ていましてね。……来ていただけたら店は開けますけど、水と酒と内臓くらいしかありませんよ?」


「どんな品ぞろえだよ。ま、つまみと酒がありゃ十分だぜ?樽で用意しとけよ?」


「では、皆さまお揃いでいらっしゃってください。お待ちしておりますね。……きっと皆さん一人欠ける事もなく一緒に来てくれる事を期待します」


 レアさん以外の女性に目配せすれば、良くやったとばかりに小さく、ぐっと親指を掲げてくれる。睨んだり褒めたりと忙しい人達だ。


「ささ、熱い内にどうぞ」


 そこまでされたら食べないわけにはいかないと、クローゼさん、ミリアさん、セリナさんの3人がはむっと食べる、のを見てカイゼルがうへ、という表情と共に皆がやって俺がやらないわけにゃいかねぇ!とばかりに香草焼きにかぶりつき、ボストンさんが無言でそれに引き続いた。

 口腔を埋める何とも言えぬ感触に戸惑いを感じているのだろうか。複雑そうな表情をしながらも思い思いに感想を告げていた。曰く、ぶにっとする、とか。ただ、味に関する意見はなかった。……美味しいのに。


「いただきます」


 はふはふと自分の分を食べながら、レアさんに目を向ければ下を向いて、けれど啄ばむように食べていた。生きる為の行為をしてくれていた。それが少し嬉しかった。

 だから、彼女はこの場から逃げる事を認めてくれたのだろうと、そう思う。

 誰かに迷惑をかけても生きたいとそう願ってくれたのだと思う。後の事も英雄がなんとかしてくれるという話ならば憂いは無いはずだ。彼らの実力は良く知らないけれど、でも先輩でも名前を覚えているぐらいなのだから、きっと大丈夫なんてそんな無責任な事をしている自分が少し可笑しくなってくる。私はこんなにも簡単に他人を信じる方だったかなぁと。


「うま……くはないが、食えない事は無いな。で。店ってのはどこにあるんだ?」


 最後の切れ端を口に入れ、次いでとばかりに焚火の中から木に刺さった足を取り出してそれに齧りつく。そっちは普通に美味しそうに食べていた。……なんだろうこの格差。


「オケアーノス公園にある湖の近くです。朽ち果てた感じの古臭い木造の建物がありますので、その中に入って貰えると地下に店があります」


「なんでそんな所にあるんだよ……」


「なんで、と言われましても……代理なので」


 リオンさんも勝手に住みついているとか言っていたような。元々誰かの住まいだったのだろうか。祭壇もあったし、人間の神様を崇める宗教でもあったのかもしれない。


「そんな所に店があっても人なんかこねぇだろうに」


「そうですねぇ。常連さんで持っているような店なんじゃないでしょうか。エリザとか先輩とか、アルピナ様もたまに訪れますねぇ、あとは……」


「なんで姫様が……いや、良い。あの演説はそういうことなんだな。合点がいったぜ」


「はい、そういう事です。で、あとは……学園長さんが結構いらしてます。通っているといっても過言ではありませんよ、あれは。まぁ、今は店長がいませんので来られませんけれど」


「あ……」


 その『あ』は誰の声だっただろうか。少なくともギルド女性3名の内の一人なのは間違いない。もしかすると3人ともだったのかもしれない。


「ソードダンサー……ヴィクトリア=マリア=メルセデス」


「はい。そのヴィクトリア学園長です。って……何ですかそのソードダンサーって」


「あー……その、なんだ。騎士団長になる前に呼ばれていた二つ名だ」


 歯切れが悪い。大層歯切れが悪かった。歯ぎしりするぐらいに悪かった。


「苦手ですかもしかして?」


「い、いや。苦手ってわけじゃなくてだな」


 ついさっきまでカラカラと笑っていたカイゼルが、慌てていた。そんな彼をボストンさんが声を押し殺して笑っていた。


「おい、ボストン笑うなよ」


「……嬢ちゃん。彼女の話はこのギルドじゃ御法度でな……見てみなよこの女どもの顔」


 渋めの低い声だった。その渋めの声に釣られて彼女らを見てみれば仏頂面である。引いているとか怒っているならまだ分かるが、これはなんともはやである。


「……えーと、触らぬ神に祟りなしということでしょうか?」


「いや、たまには触れてやらないとな。くくっ。皇族の傍系たるメルセデス家の産み出した神童。踊るように両手に持った剣を使い、踊るように化物を切り殺す。見る者全てを魅入らせる剣の舞。げに恐ろしきは剣の踊り手。彼の時はゲルトルード様と共に先陣を切って戦ったとも聞く。……歳甲斐もなくこの男は彼女の剣戟に憧れているのさ。惚れこんでいると言っても良い」


 くく、と喉を鳴らす。


「ボストンてめぇ!?」


 やいのやいのと男どもが煩かった。一方で女共の静けさといったらもう、ない。極寒である。


「男っ気のない御局との噂だったが……なるほど、な。あくせくと通う場があるってことはそういう事だろうよ。残念だったな、ファルコ」


「ぐっ……い、いや。良い。良いんだ。俺はあの方が幸せならそんでいいんだよ」


「あの方って……その言い方がなんかこう」


「気持ち悪いだろ、こいつ?」


 再びくくくっとボストンさんが喉を鳴らし、蛙の足を喰らう。こんなに楽しい事は久しぶりだとばかりに。

 しかし、この巨体にそれは酷く小さくこれでは足りないのではないだろうか。……とはいえ、蛙以外はないのだ。致し方なく彼の前に足を並べようとすれば手で遮られる。大丈夫だ、と。


「まぁ。つまりあれですよカイゼルさん。私は売り上げ一杯で幸せになって、貴方は金を巻き上げられた挙句、店長に懸想する学園長の姿を見て不幸になるという話ですね。ほら、黒夜叉姫なんかにかかわるからこういう事になるんですよ」


「ちくしょう!今に見てろよっ!?黒夜叉姫の呪いなんざ打ち消してやらぁ!」


「あれ?かわい子ちゃんの呪いは受けてくれるんじゃなかったんですか?前言撤回ですか?小さな国の皇帝様?」


「くっ!?」


 どっと笑いが飛び交った。

 そんな馬鹿話をしながら時を過ごす。

 食事を終えた後、彼らは湖の中に入ったり周囲を散策したりして楽しんでいた。それを眺めながら私は妖精さんを頭に載せて呆と空を見上げていた。

 また蛙集めに勤しもうと思ったが、流石にちょっと、疲れたみたいだった。


「カルミナ……と呼んでいいですか?」


「えぇどうぞ。ご自由に」


 声を掛け、隣に座ったのはレアさんだった。


「……ありがとうございます」


「礼を言われる理由はありません。……私は今から貴女を攫って行くんですから」


「そうでしたね。では、心より怨ませていただきます。私は貴女を一生、怨みます。許されるとは思わないでくださいね」


「それはとっても、怖いですね」


 互いに苦笑する。

 苦笑し、顔を見合わせて再び笑う。

 何が面白いわけでもない。苦しい事や辛い事、これから先も一杯あるのだ。けれど、それでもこの瞬間、何故だか私達二人は笑っていた。何の憂いもなく、何の苦しみもなく、ただただ今この瞬間を笑って過ごしていた。

 だから、一瞬、その声が、誰の声か分からなかった。


「良かったですわね、カルミナ。馬鹿みたいな亡霊なんて一人でいいものね」


 声と共に轟、と風が吹く。

 闇が降りた。そんな印象さえ覚える程に世界が陰りを見せた。


「……なぜ?」


「何故、と言われると……そうですわね。一人が寂しかったので最初の時みたいに包丁に取り付いたという話ですわ。と、今は言っておきましょうか」


 持って回った言い廻しをしながら空中に表れたのはキプロスで留守番をしているはずのテレサ様だった。


「いや、だって……外に出たらまずいんでしょう?」


「あら、店長のあんな言葉を本気で信じていたの?馬鹿なのかしら貴女」


「ぐっ……でも、でも」


「大丈夫よ。未練たっぷりなのもそうだけれど、今は寧ろ店に居る方が危ないのよ」


「えっと……どういう意味です?」


「それを説明するよりも、まずね」


 まず、ね。と可愛らしく告げるテレサ様の言葉の意味はすぐに理解できた。

 気付けば一瞬のうちに湖からあがり、戦闘準備に移行しているギルドバルドゥールのマスター。他の面々はギルドマスターの動きに呆気に取られていたものの、即座に彼に付き従い戦闘準備。

 流石に、彼は見えるのか。


「おいおい、黒夜叉姫。まさか幽霊まで飼っているとはなぁ。フェアリーマスターにゴーストマスター。魔物使いとでも呼ばれたいってのか?」


 じり、と距離を保つカイゼルが剣を構えていた。彼は無形の者を相手取る事すらできるのだろうか?否。それは流石に出来ないようでセリナさんが慌てて近寄り何かを手渡していた。即座に倒す事は出来ないが、いつでも対応できる方法は持っているのか……。流石だった。

 が、テレサ様を退治されるわけにもいかず。慌てて彼とテレサ様の間に入る。


「勘弁して下さい。大丈夫です。ちょっと馬鹿な幽霊ですが害はありませんので」


「マスターしてんじゃねぇかよ。……かかっ。いやはや、ほんと興味深いなぁお前は」


 元よりカイゼルも倒そうという気はなかったようで、そんな事を言いながら剣を下ろす。彼の行動はきっと反射なのだろう。いついかなる時でも気を抜かないその姿勢は見習いたいと思えるぐらいだった。


「ほんと、勘弁して下さい。ほらそこの馬鹿な幽霊さんも謝って下さい」


「馬鹿って酷いわね、カルミナ。というか、謝るって何に対してよ?死んでごめんなさいって?それとも産まれて来てごめんなさいかしら?」


「違います。……ほんとテレサ様は馬鹿なんですから」


「くっ……まぁ否定はしないけれど。そこの子よりも馬鹿なわけですしね。私って。……もっとも、その子の気持ちも分かりますけどね?」


 くすり、とレアさんを見てテレサ様が笑う。


「あ……あの」


「はい?」


「えっと、本当に亡霊がいるんですか?そこに」


「あぁ……エリザと同じで見えないのかな?テレサ様という幽霊さんがいます。うちの店の店員さんをしているんですよ。元貴族のメイド幽霊さんです」


 ちなみに今もメイド姿である。


「……嘘を言ってるわけじゃないんですよね?……でも、そんな馬鹿な事が。まして亡霊が店員?……そんな長い間、亡霊がこの大陸に居続けられるわけない」


 神妙そうな表情でレアさんが唸りだした。


「あ、はい。そうですけれど。何やら神に見捨てられた場所だとかなんとかで生きながらえてますね。今は私の包丁に取り付いていたとか……全く料理道具を何だと思ってるんでしょうかね」


 お前が言うなという周囲の視線を受けながら、ここ!ここ!と指でテレサ様の輪郭をなぞろうとすれば私の希望を全く叶える気もないテレサ様がちょこまかと動く始末。この馬鹿幽霊め大人しくしていろ。

 そんな馬鹿な行為をしていた私達を……いや、私をレアさんの言葉が、止めた。


「神が死んだエルフの森ですら亡霊はいないのですよ?見放されたからって、他の神様達が……悪魔を作った神様なんか特に幽霊が、亡霊が生きている事を見逃すはずないじゃないですか……なのにどうして?」


 どうやら、まだ世界には私の知らない事が一杯のようだった……。



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