第7話 妖精哀歌
7.
そういえば、以前にエリザからエルフの話を聞いた事があった。
人より耳が長く、血が燃えるとか。人間よりも長寿であり成長が遅いとか。その発祥は分からず、エリザの予想を信じるならば洞穴で産まれた生命だという。だとするならば、エルフは何故今森に住んでいる理由も分からないのでそれは多分違うのだろうと思う。天使や悪魔や人間のようにエルフの神様が手ずから作ったのだろう。今となってはそう思う。
そんなエルフは自然の多い場所を好んで生息場所とするとエリザは言っていた。私はエリザとアーデルハイトさん以外は知らないが、都市に住む者達もいくらかはいるみたいである。が、基本的には自然の多い場所にいるらしい。
血が燃えるのに木々に囲まれた場所を好むというのは、習性というよりも、今よりもさらに差別意識の高い時代に人目を憚っていたからなのではないかと思う。集団生活を常としているというのも同じ理由だろう。そんな邪推をしたくなる。
ともあれ、小さな集落を作る事もあるみたいだが、実際にエルフが国……という名の大規模な集落を作って住んでいる場所というのは一か所だけ。エリザが産まれた場所というのがそこであり、単に『エルフの森』と呼ぶ場合にはその場所を示す。
けれど、エリザからもアーデルハイトさんからもその森を『怨霊の森』などという物騒な言葉で表された記憶はない。
しかし、怨霊と言うとテレサ様が一杯いるようなものだろうか。それは大変騒がしい気がする。あちらこちらに自由気ままに森の中を駆け巡るテレサ様を思い浮かべ、姦しいだろうなぁと思うに至り、しかし、そんな馬鹿馬鹿しい発想はセリナさんによって否定された。
『エルフの森は死者の惑う場所なの』
小さな、掠れるような声で告げたそれは幾許かの嫌悪を含めた物言いだった。
言われて思ったのは死者が惑う、というのはゲテモノ料理屋キプロスの中と同じような物だということなのだろうか?という事。
キプロスは神に見捨てられた場所であると、そんな風にリオンさんは言っていた。そこと同じような物なのだろうか。エルフの森もまた神様に見放された場所なのだろうか。
人の神様は自殺を目指し、エルフの神様は自ら産み出した存在を見捨てる……相も変わらず世知辛い世界だと思う。
もっとも、エルフの森は別として、キプロスに関しては、自殺しようとしている神様に見放された所で何の意味があるのだろうか?とも思うが。
寧ろ、人間は皆平等に見放されている。それを思えば、見放された場所に幽霊が居たからといって幽霊が成仏できないという道理はない。きっとリオンさんのあの言葉は何かの暗喩。勿体ぶって意味不明な台詞を口にする人なのだからきっとそうだ。だからテレサ様があの場所で幽霊をやっていられる理由はきっと何か別の理由があるのだろうな、なんてそんな事を考えながら頭上に問いかける。
「妖精さん何かご存知ですか?」
頭上にぺたんと座る妖精さんから帰ってくる言葉は当然、ない。小刻みに動く妖精さんの振動が頭上から響いている事を思えば、ふるふると首を横に振る妖精さんの姿が容易に想像できた。
「ですよね。……まぁ、仮に知っていたとしても、私じゃ妖精さんの言いたい事は分からないのですけどね」
今は、先日の会合から数日後。
エルフの森の入口までは彼女らが案内してくれるとのことで、前方に姦しい3人とカイゼルとその御供とばかりにボストンさんがいる。
先日とは違いしっかりと装備を整えた姿はまさに物語に登場する勇者の一行だった。そして、私はと言えば、それに付き従う頭に妖精を乗せた黒い変な奴、という如何にも裏切りでも働きそうな立ち位置である。
最初は一人の方が身動きはとりやすいし、寧ろ彼らの足手纏いになりそうだったし、加えて私の近くにいると……という想いがやはりあったので断ろうと思ったのだが、カイゼルの強い推しによって彼女らだけではなくカイゼルまで付いてくる事になった。必然、ボストンさんも一緒に来る事になり、彼は少し嫌そうな表情をしていた。ちなみに、その理由は私がどうこうとかではなく、エルフの森に行っても金にならんとぼそっと呟いていた事から明白である。さらにちなみに、カイゼルがあまりに強く推すものだから、彼女らにやっぱり御礼言わなきゃよかったよという視線を向けられたのは秘密でもなんでもなくただの事実である。
とりあえず、森の入口まで!という事でお互いの納得を得たものの……そんな経緯もあり、初対面よりはましだが、割と居心地が悪いのである。
なので、その日、店に帰り、意味不明な上昇落下運動を繰り返していた妖精さんに泣きついて今日、こうして一緒に来てもらったのである。ちなみにテレサ様は一人でお留守番である。きっと今頃店の中を飛び回っているに違いない。
「ついて来てくれて、ありがとうございます」
告げれば、ぽんぽんと頭を撫でる妖精さん。まぁ、妖精さんを連れて来た事で彼らとは更にひと悶着あったのだが、それは良しとしよう。
その内、『黒夜叉姫』という恥ずかしい呼び名から『妖精使い(フェアリーマスター)』とかいうこれまた恥ずかしい呼称に変わるかもしれないという懸念が沸いたぐらいである。えぇ。思い出したくもない。そうならないように彼らと別れるまでは妖精さんに隠れていてもらえばよかったのかもしれないけれど、街中ならいざ知らず、街の外、2,3日はかかる場所までずっと頭陀袋の中に隠れていてもらうのも申し訳なかったのだ。
ともあれ、彼らを先頭に舗装された街道を行く。
洞穴内であれば布陣なりなんなりあるのだろうが今は各々自由気ままに歩いている。周囲への警戒を怠る事はないが、それでも視界が開けているこの場所ではそこまで気を使う必要もない。まぁ、いつ何どき神様が泣きだして地面が割れて私が落下するかは分からないが……。
閑話休題。
見渡す限りの緑。
背の短い草が遠く彼方まで広がるような錯覚を覚える程だった。風にそよぐ草花の音に耳を傾ければ、さらさらと伝わる音が耳に優しい。時折強く吹く風に髪が揺らぎ、それが視界を防いだりして、それを手で押さえるのもまた楽しくすらあった。陽光に香る匂いもまた私の気分を落ち着かせる。この世界の果てもこんな気分になるような場所なのだろうか。緑とは違う青い色。風に揺らぐ水面が作り出す音、陽光に照らされ煌びやかに光る延々と広がる水面。それらが作り出す世界はきっと穏やかなのだろう。たとえそれが神様の涙だとしても。いや……だからこそ、尚の事その光景は優しいのじゃないかと、そんな風にも思える。
そんな事を考えながら照らす陽光を見上げ、手で庇を作る。
空には雲一つなかった。可能ならば今すぐこの場で眠りについてしまいたいと、そう思わせるぐらいに良い天気だった。
目の前を行く彼らの楽しさに充てられて陽光すら輝いているのだろうか。そんな風にさえ思えるほどに。
「……この馬鹿」
呟き、自分を叱咤する。
彼女らが楽しそうだから何だというのだ。
いいや。言い訳しても仕方がない。
私は、今の『私達』には行う事のできない姿を今この瞬間に見せてくる彼らに嫉妬している。話し合いながら、笑い合いながら街道を行く彼らを見ているとどうにも落ち着かない気分に陥ってくる。どうして彼女らだけが、どうして彼らだけが。そんな馬鹿な発想が沸いてきて次第、次第に気分が落ち込んでいきそうになる。
けれど、私は彼らじゃない。そして彼らも私ではない。彼らには彼らの苦しみや悩みがあって、今はそれを見せていないだけだ。むしろいつでもどこでも不平不満を言い合っているよりはよっぽど良い。それを鑑みる事もなくただ目の前で楽しそうだからと否定するのは子供の癇癪のようなものだ。だから、そう。少し前向きに。
いつか私たちも彼らのように皆で再び、そんな風に考えを変える。そんな夢を私は見ているのだ。それを叶えたいと思っているのだ。いつかまた何の憂いも無く皆で笑えたらどれだけ嬉しい事だろう。
「楽しそうですよねぇ?」
感情を誤魔化すように口を開く。僅か、震えた声になっていたかもしれない。けれど、そんな言葉の揺らぎを気にもせず、うんうんと頷いたのであろう妖精さんの動きに髪が揺れる。
「妖精さん。お気に入りですかね。私の頭。また手入れするのを忘れていたのであんまり良い場所ではないと思うのですけど」
ぽむぽむと小さな手で髪を撫でてくる。肩にでも乗ってくれれば良いのに。……でもどうやら妖精さんは私の頭の上が大層気に入ったらしく、私の頭にしか乗ってくれないのである。……まったく、妖精さんは意外と我儘なのかもしれない。
「そういえば、妖精さんって洞穴出身なのですよね?どんな場所だったんですか?今度案内してくださいよ。でも、第2階層って話でしたっけ?私には行けそうにありませんよね。ドラゴン師匠に頼めば連れて行ってくれますかね?でも、嫌よ!か殺すわよ!のどっちか言われて断られそうですよね。ほんと大人気ない生物ですねドラゴンって」
そんな聞いても答えのない質問を、まるで独り言を呟くようにしながら彼らの後をついていく。返ってくる言葉はなく、けれどぽんぽんと時折頭を撫でる仕草をするだけでも、そんな風に聞いてくれているだけでも良いのだ。ただ、私は少し……
「泣いているわけじゃないですよ?」
ぽむぽむ。
その言葉に返って来たのはそんな反応だった。
―――
「ここが怨霊の森と呼ばれる場所ね」
日が二度ほど沈んだ頃、漸く目的地にたどり着いた。
小高い丘の上から眼下に広がるのは見渡す限りの樹木。茂る木々の作る色彩と音。それらが私の視界を、耳を埋め尽くす。圧倒されたといえば良いのだろうか。つい先日歩いてきた平原よりも、この森はさらに私を圧倒してくる。
「これは死者が惑うというのも分からないでもないですね」
木々が歪んで伸びていた。
枝が軒並み曲がって伸びていた。
茂る葉は枯れているかのように茶色で、所々が黒く染まっていた。だが、枯れ果てたという印象とは逆だった。地に陽光を与えぬようにと生い茂り、宛ら枯れ葉で出来た天井のようにさえ思えるほどだった。
まるで陽光に背を向けるように。一切の光を拒んだ者たちが集まる場所のように。
その森は窪地に出来ていた。巨大な森全体が地震により沈みこんで出来たかのような、周囲を、広大な領域を剥き出しの岩盤に囲まれた森だった。ドラゴンゾンビと遭遇したあの場所と同じような感じだが、それよりもさらに広く、徒歩で対岸まで行こうとすれば相当の時間がかかるのではないだろうか。それは確かにこの森の中に国も作れるというものだ。
「地震が起きて出来たんですかね?」
「私は知らないわねー。誰か知ってる?」
いつの間にか隣に立っていたミリアさんに問いかけてみても芳しい返答は無かった。が、代わりにとばかりにカイゼルが近づいてきて口を開く。
「元々山だったらしいぞ」
「これが全部山ですか……どれだけ大きかったんですかね」
想像するだけ無駄だった。
「炎の山と呼ばれる場所だったらしいんだが、何があったのかドラゴンの怒りに触れて、山が破壊されたとか聞いたな。山を破壊するドラゴンってどれだけでかいんだよって話だよな!一度で良いから見てみたいぜ。見るだけでいいけどな!で。壊された跡地がこの場所だとか。ま、噂話程度だから信憑性は低いんで話半分で宜しく」
「いえ。ありがとうございます。そこにエルフ達が住みついたという感じですか。なんでこんな場所に住み着いたんですかね。せめて光が当たる森にでも住めばよかったでしょうに……こんな薄暗い監獄みたいな場所に住まなくても」
素朴に疑問だった。
「逆ね。ここ以外が彼らにとっての監獄なのよ」
そう教えてくれたのはカイゼルではなく、クローゼさんだった。
移動時は肩に背負っていた弓はいつしか手の中に。いつでも矢を放てるようにとその指先に矢をつがえていた。なるほど、そうやって待機するのかと視線を向ながら疑問を口にする。
「そうなんですか?」
「この森は燃えないからね。……他の森に住むエルフはきっと大変でしょうね。ちょっとでも傷付いたら山火事発生よ。そんな事になったら当然、縛り首よね。ま、だからこそ殆どのエルフはここに住んでいるといっても過言ではない……かな?他の場所にいるエルフはまぁ、よっぽどって事よ」
後ろ暗い理由があるからとかだろうか。エリザは売られたからだけど、アーデルハイトさんは……なんだろうなぁ。あの人の場合、興味本位な気がしてならない。それともあれか寡黙なジェラルドさんとの大恋愛の末なのだろうか……。
「クローゼの言う通りだぜ、黒夜叉姫。ここは炎の山と呼ばれていたぐらいだから火に強いんだよ。地面を触るとほんのり暖かいのもその名残なんじゃないかとは言われている」
「でも、その割には見た目枯れてそうで凄く燃えやすそうですけど?」
「いえ、あれはそういう風に見えるけれど、そうじゃないのよ……詳しくは知らないけれど、あれで葉が潤っている状態なの。試しに火つけてみると良いんじゃない?生木に火を付けるよりはましってぐらいよ」
へぇ、と頷きながら眼下を眺める。眺めれば遠く煙の上がっている場所があった。言った傍から火事でも発生し、炎があがったのかと思えば、クローゼさんがその場所を指差し、
「彼らの国はあそこらへんね」
と。エルフの巨大集落がそこにあるという。だが、
「ま。貴女が行くべきは……えっと、セリナ」
「あ……うん。あの辺りだったかな」
直前に指示した集落の方からかなり離れた僻地を指差しながら告げる。そこに例の脳みそ蛙がいるかもしれないという話だ。
「えっと、そこに湖があるんでしたっけ」
「そうです。その辺にいる奴がたぶん……その蛙だと思います。正式な名称は知りませんけど……でも、たぶんあれであっていると思います」
「言葉濁しますね」
「いえ……その。見れば分かると思います。私の口からはちょっと……」
良く分からない。が、言いたくないのならば無理に聞く必要もないと思う。それで生死の境をさ迷うというのならば別だが、そうでもないのならば無理に知る必要もない。
「じゃ、俺らは国ってか村の方に行くけど……本当に良いのか?」
「はい。ここまで案内してくれてありがとうございました。ここからは妖精さんと二人で行きますよ。これ以上、ギルドのお邪魔をするわけにもいきませんしね」
「迷惑じゃねぇよ。俺がマスターしてんだぞ?マスターが白と言えば白なんだよ。……全くお前、頑固な奴だよなぁ」
「私は黒いですからね」
肩を竦め苦笑された。まぁいいけどな、そんな風に呟き、カイゼルが背を向ける。
「じゃあ、またな」
「はい。いずれまた」
手を挙げ、軽く言葉を交わし、別れの挨拶を。カイゼルに続き、女性達が、ボストンさんがついていく。
時折、セリナさんがこちらを振り返り、私を気にしている様子だった。元々彼女が案内すると言いだした手前、入口で別れる事に申し訳なさを抱いているのかもしれない。そんな事を気にする必要はないのだけれど、意外と律儀だった。だから、遠くに見える彼女が見えなくなるまで頭を下げる。
私にとっては情報を頂けただけで十分だった。加えて、ここに来るまでの間安心して来られたのだからもう十分を超えている。これでさらに湖まで案内された日には申し訳がない。私には大手?と呼ばれるギルドへの対価を払えるわけもないのだから。彼らの善意に甘えていては、堕落してしまう。夢を叶えるためには堕落していては駄目なのだ。頼るのは構わないと思う。けれど、頼り過ぎるのは違う。一緒に来てもらった妖精さんにも頼り切るつもりはない。
「でも……ごめんなさい」
彼らの、特にカイゼルのものは純粋な善意のようだったから。それを分かっていて拒否したのだから……。
「良い人達ですね。彼らはとっても良い人達ですね。いつか彼らを題材にした物語ができるかもしれませんね。英雄カイゼル物語みたいな」
そんな彼らが丘を下り、煙の上がる方を目指して森に入るのを見送り、私は湖があるという方向を目指し、丘を下りていく。
「では、妖精さん。気を付けて行くとしましょう。今日の夕食探しも兼ねて」
妖精さんが全力で首を横にふるふるしているようなそんな振動が頭に伝わって来た。
―――
寒い、というのが森に入った最初の感想だった。
背の高い樹木に茂る葉が陽光を遮ると共にその熱を奪い去り、地面に届くのは僅かの光と、落葉のみ。今もはらはらと揺れながら落ちる葉がそこら中に見られる。まるで降る雪の如く。延々と葉が散っていく。
「これで本当に燃えないんですかね」
落ちた葉を拾ってみれば、確かに水気を含みしっとりとしていた。試してみるまでも無く、こんな葉を燃やそうとするのは時間の無駄だった。かなりの長時間火に炙っていれば良いのかもしれないが、それはいわゆる、燃えにくいと言う事だ。そんな落ち葉に埋め尽くされたこの森では確かに火は広まらないように思う。
「燃えないだけだけど」
けれど、怪我をするしないはまた別の話だ。一度燃えてしまえば森を焼くことは無く、けれど自分を焼き尽すのは間違いない。都市部に住む事と何が違うかといえば、結局、他を巻きこまない、ただその一点だけ。けれど、カイゼルらが向かったようなエルフの集落では都市部と変わらないように思う。……実際の所どうなのだろう。
考えながら、次いで、地面に手を触れる。
葉を通して伝わるのは僅かな暖かさ。周囲が冷えているから尚更顕著に感じるが、微熱と言った所。言われなければ気付かない程度の暖かさだった。炎の山という名称は大げさではあるが、けれど確かに他とは違う感じで少し面白さすら覚える。
立ちあがり、周囲を見渡す。
落ちた葉が積み上がった自然の絨毯。ここに横になって寝そべれば涼しくも暖かい時が過ごせるだろう。暑い時期には避暑地として最適なのではなかろうか。そういった目的でここを訪れる人はいないのだろうか?そんな風に考えながら落葉の上を行く。
かさ、かさと鳴る足音に、興味を持ったのか妖精さんが地面へと降り立つ。
一緒に歩けば歩幅の所為で当然私の方が先に行ってしまう。それに合わせるように妖精さんはトトトと軽快に走ってついて来ていた。
「無理しなくても」
その呟きに走りながらも、ん?と小首を傾げる姿は可愛らしい。
愛玩動物ではないのだろうが、可愛らしいものはやはり可愛らしい。走り、走って私の前に出て、くるりと振り返る様などは更に可愛らしく。そんな姿を見られなくて残念でしたね、先輩。などとここにはいない人に自慢をする。
先輩といえば、忙しいようだった。
お城へ行ったり、屋敷の方にいったり。時折思い出したように店の方に来てくれていたが見る度に疲れが増しているようだった。一番最近会ったのがカイゼルに会った前日だったろうか。寝ていないのか目の下に出来た隈のせいで先輩の白さが減っていたのはある意味笑い所だったが、流石に笑うに笑えなかった。ともあれ、ゲルトルード様が治ってすぐで色々慌ただしいのだろうと思う。最も何故先輩がそんな忙しそうにする必要があるかは皆目だけれども。あぁでももしかしたら、と顎に手を宛てる。
前に話していた馬鹿話を実現するために先輩は走り回っているのだろうか。だったらついでにリオンさんとの面会をさせて貰えるようにお願いしたい所である。
真っ当な犯罪者、と呼ぶと変だが、あの人は真っ当な犯罪者ではなく面会の余地など無い。故に、伝手がなければ会うことすらままならない。いや、会えたら死体だったという笑えない現実もなくはないのだ。いいや……死体になってすら会う事ができないかもしれない。皇帝自らが捕えると言う事はきっとそういう事だ。表に出る事なく、裏に回る事なく彼は処断されるのだろう。
滅入りそうな気分になるのを抑え、無理やり笑う。
「こっちでしたっけ?妖精さん」
とてとてと目の前を走ったり、くるくる回ったり、時折跳ねたり元気そうな妖精さんに問いかければんー?と首を傾げ、しばらくして反対方向を指差した。
「あれ、そっちでしたっけ?」
うんうんと頷き、動き廻るのも飽きたのか飛び、飛んで、頭の上へと。
「ちょっと妖精さん。せめて足は拭いてくださいよ……」
言い様、ぺちぺちと足を手で払うような小さな音が響く。いや、そこでそうやられると……なんだろうこのガサツさ。妖精さんが自分の着ている服を洗えない理由が少し垣間見えた。
そういえば、その妖精さんの着る単衣は誰が作った物なのだろうか。先日の服飾屋とかだろうか。妖精用の服というのはないだろうから特注か……それを注文しているリオンさんの姿を思い浮かべ、苦笑する。きっと店員さんにこの男の人は人形にお洋服を着せて楽しむ奴だと思われているに違いない。
「あはは」
自然、笑みがこぼれ、そんな私を妖精さんが不思議そうに見る。
その妖精さんの服は、いやドラゴン師匠の服もそうだが、かなり精緻な作りであり、洗いづらい服である事は確かである。加えてそれが多数あるとなると中々に重労働である。
キプロスの洗濯担当に任命された結果、妖精さんの服が実は何十着もある事を知った。店の奥の妖精さん専用箪笥の中に大量の単衣があり、実は私よりも相当に服持ちだった事に何とも言えぬ敗北感を覚えたのも記憶に新しい。日に焼けた古い物から最近作られたようなもの、柄はそれぞれに異なり、色もまた数多く。その中でも特に古い物を妖精さんは大事にしているようだった。公園で舞う時以外はそれを用いることは無く、普段は、たとえば今は割と新しいものを着ていた。そしてその傾向はドラゴン師匠も同じように思う。同じくドラゴン師匠用の箪笥もあったのだが、そこにはドラゴン師匠がいつも着ているものと似たような形の服がいくつも並んでいた。拘りなのだろうか。それとも逆なのだろうか。分からないが少なくとも、その中で一番古い物を大事に、大切にしているように思えた。ドラゴン師匠にそんな感傷的な感情があるのかと問われれば無いと答えたくはあるが、事実として古めかしい陽にも焼けたものを後生大事に仕舞いこんでいるのだ。大事にしていないわけがない。
それは彼女らにとっての想い出の品なのだろう。それがいつの物かは分からない。けれど、確かに彼女たちにとっては過ぎ去った日々の想い出なのだろう。
その二人の一番古い服は素人目から見ても見事なものだと思う。二つとも似た意匠故に、作った人は同じ人に思う。所々の解れは丁寧に直されており、色はもはや薄い。在りし日の影は薄れているのだろう。けれど、その年月を得たからこそ味があって良いと思えるぐらいだった。私だとて同じ人が作った服ならば着てみたいと思えるぐらいに……。やはり、どこか高級なお店で買った物なのだろうか。
「妖精さん。あの古い服ってどこで買ったんですか?」
らしくない。
葉の降る森の中で立ち止り、返る事のない問い掛けをする私はやっぱり馬鹿なのだろう。そんな自分に苦笑しながら薄暗い森の中を行く。
時折、妖精さんへ問いかけたり、妖精さんが眠くなって頭陀袋の中に入って行ったり目を覚まして出て来てまた頭の上に乗ったりと色々あった。
そうこうしていれば日も陰り、今日はこの辺りで野宿か、と思いしばらく歩いていればカサカサとなる音がする。
音の方に視線を向ければ獣の姿があった。
小さな獣だった。その名は栗鼠と言っただろうか。毛で覆われた体、幾分前傾姿勢で、体に比して大きな尻尾を持ったそれが木々の隙間から、此方を伺うように、私を見ていた。そんな栗鼠の視線を気にする事なく、先へ進もうとすれば栗鼠が私の方へと近寄ってくる。
普通、こういった小動物は音に驚いて逃げていくものではないのだろうか。
「ちょうどお腹も空いてきた所なので食べますよ?」
その言葉が伝わったのかは分からないが、栗鼠が声に反応して足を止め、戸惑っていた。その私を見上げ、きぃと小さく鳴いている姿は何かを伝えたいのかもしれない。が、私は人間で、だから彼あるいは彼女の言葉など分かるわけもなく。
「……ちょうどお腹が空き始めた所なんですよね」
今日の夕食として頂くしかないと腰元に備えた包丁を取り出そうとしたら、頭を叩かれた。
「ぃたっ!?……ちょっと、妖精さん?」
当然それに返答などない。返答の代わりに妖精さんが頭から降りて来て、栗鼠の前へと向かう。近づいてくる妖精さんに栗鼠は大人しく、恭しくとさえ思える程に。さながら傅いたかのようにしていた。
きぃ、きぃと鳴く声と妖精さんの頷きが奇妙な光景を作り出していた。ある意味牧歌的なそんな印象を受けるその光景もそこまで長くは続かなかった。
栗鼠が顔をあげたかと思えば、その場を離れていき、妖精さんがこちらに目配せをした後、それに付いていく。
「妖精さん、どちらに」
突然、翅を動かして飛び立つ妖精さんを慌てて追いかける。小柄な二匹が木々の合間をすり抜けるように駆けて行く。気を抜けば、視線を逸らせば見失いそうになる。何をそんなに急いでいるのだろうか。早くしなければ間に合わないことでもあるのだろうか。
次第、次第に乱立する木々の合間を埋めるような背丈の低い木々や草花が現れてくる。所々には石が転がり、平地だと思っていた森が歪み始めている。もはや森林というよりも小高い山といった感じだった。行く手を阻む草木を包丁で刈り取りながら進んでいく。道を忘れないようにと巨木には刃で跡を付けながら、先へ先へと進む。
薄暗がりが更に暗くなっていく。
「そろそろ……」
日が沈む。松明があれば良かったが、生憎と持って来ていない。野宿の用意はあるし、松脂も持って来ているため即席の松明でも作ればよいが、今そんなことをしていれば二匹を見失う。妖精さんの事だからほっておいても大丈夫だろうけれど、この場で離れるのは得策ではない。それが分からない妖精さんでもないだろうに、何をそんなに急ぐのだろうか。
日の陰りと共にただでさえ寒かった森が更に温度を低下させる。避暑とはとても言えない。木々をかき分け、歩きながらも頭陀袋の中に詰め込んでいた寝袋代わりのマントを羽織る。
足元から伝わる熱がより顕著になっていき、次第に吐息が白くなっていく。この変な温度差が気持ち悪い。だが、そんな事に文句を言った所で意味もない。
マントの所為で、動きが鈍り、結果、妖精さん達に引き離されていく。
「妖精さん!ちょっと待って下さい」
声に、妖精さんが振り返り、一つ頷いたかと思えば、先を進む栗鼠をひっ捕まえて私の方まで飛んできて、肩に乗る。
「……いやいや呼んだのは私ですけど、それでいいなら最初からそうして下さいよ」
栗鼠を抱きかかえて肩に乗る妖精さんはハニカミながら、けれどどこか焦っている様子だった。行き先を指差し、急いで欲しそうに私を見る。
「大丈夫です。暗いので松明が欲しかっただけです」
その辺りの丈夫そうな木を包丁で断ち切り、その木の先端に松脂を塗った蜘蛛女の糸を巻き付けていく。巻きつけ、火打ち石を叩く。幾度か試みて火が付く。
揺らめく炎が立ち上る。
その炎に栗鼠が一瞬怯えるが、妖精さんに抱きかかえられていた御蔭で逃げてしまう事もなく。
「じゃあ、急ぎます」
それを片手に、包丁を片手に先へと向かう。傍から見たら大層変な格好だろう。が、今は気にする必要もない。
周囲の音に警戒しながら、急ぐ。だが、足元がおぼつかず巧く歩く事ができないため、急いだところで徒歩と大差がない。そんな風にしか進めない自分に僅か申し訳なさを覚える。だが、洞穴に入る前に比べれば、村娘だった時に比べれば雲泥だ。
出来うる限りの速度で、先を行く。
掻き分けた木々がマントを擦り、時折頬を擦り、痛みを覚える。だが、それぐらいどうという事もない。自分へ言い聞かせながら先へ、先へと。
「妖精さん、この先に何があるんでしょうか?」
返る事のない問いをするのもまた時間の無駄。
口を閉じ押し黙り、更に進む。
がさ、がさと大きな音が出るのも気にせず小走りに森の中を行く。
正直、今自分がどこにいるかが分からない。目印は残してきており、元の位置に戻る事はできるだろうけれど、今は一体どこなのだろうか。目的地の方向と同じような方向ではあると思うが……
「あ……抜けますね」
揺れる炎の先に木々がなくなっていた。背の高いものも、背の低いものも軒並み視界から消えている。
木々の合間を抜ければ、天が覗いていた。
空に星が煌めいていた。一瞬、見惚れてしまう。吸い込まれるようなそこから視線を外し、煌めきの照らす先に目を向ける。
照らされたそこはゆらり、ゆらりと揺れながら星を映し出していた。星の光を反射していた。
「湖?」
キプロスのある場所のような広い湖。
静かだった。一切の音という音が失われたかのようなそんな風にさえ思えるほどに静かだった。
だから、その声が一際、響いたのは必然だった。
「……大嫌い。こんな世界、こんな大陸なんてっ……大っきらい!」
甲高い少女の切実な、怨嗟の声が、呪いの言葉が耳朶を打つ。
瞬間、湖の中から炸裂音と共に火の手があがった。
少女の体から飛び散った血液が産み出す炎。ぱちん、ぱちんと割れて水面に咲くは炎の華。世界が赤に彩られていく。少女の髪に火が灯り、首元に血液が落ち小さな炎の華がその身を焼いていく。闇夜の中、痛みに少女が悶え、飛び散るそれが更に世界を彩った。
否。彩る手前だった。だから、
「っ!」
いつの間にか、駆け出していた。
松明やマントを投げ捨て、頭陀袋も、包丁も投げ捨てて、妖精さんや栗鼠の事など気にする余裕もなく、駆け出していた。
周囲よりもさらに冷たい水の中。湖の中を駆けていく。痛みすら覚えるほどの冷たさに眉をひそめる。が、きっともっと痛いのは苦しみに悶える馬鹿な子の方だろう。
刺すような水の抵抗を受けながら、近づいていけば少女が私に気付いたのかその眼を見開いたのが見える。見えるが、だからどうした。何かをさせる暇を与える気はない。
私は優しい人間なんかじゃあない。どんな深刻な悩みや理由があるかも分からず、手前勝手に目の前で死なれるのが迷惑だからなんてそんな理由で、炎に包まれる彼女が息を引き取る前に、彼女が自ら傷付けた首の、血が流れ、今も燃えている首を手ずから掴み、湖へと引き摺り倒す。
呆気にとられる暇すら与えず、ばしゃん、という大きな音と共に彼女が湖の中に倒れていく。
「妖精さん!袋持って来て!」
水の中ならば燃え続ける事は無い。水の中ならば血は燃えようと高熱を放つだけだ。だから、私がこの手を離さない限り彼女は燃える事はない。燃える事がなければ、手当は出来るから。
「っ……」
手の平に伝わる熱と、もがく少女の爪が手の甲に食い込んでくる。爪の喰い込んだ先からは血が流れ水の中、彼女の血と混ざっているのだろう。けれど暗がりの中でそれが見えるわけもなく私はただその痛みに顔を顰める。だが、手を離す事はない。例え水の中で呼吸が出来ず苦しみに悶えようと、私がこれを手放す事はない。突然見知らぬ人間に首を締め付けられ、水の中に引き摺りこまれ、呼吸が出来なくなって暴れたとしても。逃れようと、暴れたとしても……離したりはしない。
「……死にたいなら、大人しくしていて下さい。でも、できればそのまま暴れていて下さい」
死にたくないと、暴れていてください。
生きたいと、暴れていて下さい。
誰かは知らないけれど、でも、そんな怨嗟の言葉を吐いて、死ぬなんて、そんな悲しい事、止めて欲しい……
―――
「妖精さん、ありがとうございました」
妖精さんの持って来てくれた頭陀袋の中にあった包帯を水中で彼女の首に巻き、傷口を塞ぐ。水の中とて塞いでしまえばいつしか流れは止まり、首周りにあった熱もいつしか失われていった。それを確認し、意識を失っていた少女を湖の中から引き摺りだし、落ち葉の上へと横たえる。
その少女は小柄な少女だった。年の頃でいえば十歳程だろう。だが、エルフの年齢を思えばきっと私と同じか更に上なのだろうと思う。
紅色に染まり黒く焼けた白い装束に身を包むその小さな体は、発火点であった首の下、飛び散った血液が触れた鎖骨付近だけは痣が出来たように酷い火傷があるものの、それでも他は多少といったところで深刻な状況には至っていなかった。
「エルフ自体が燃えにくいんだろうなぁ」
エリザの時も深刻な火傷と言うのは無かったように思う。
「後から自分で整えてくださいね」
湖の底から回収した彼女が自分の首を傷つけたであろうナイフで燃えた部分の髪を切り落とす。元々長かったであろう髪が、肩口ぐらいまでは焼かれたみたいだった。それを整えながら、もう少し遅ければ……というのはあまり想像したくない。いくら燃えづらいと言っても髪で収まるわけもなし、だ。
切った髪を地面に埋め、ついでナイフを頭陀袋の奥に仕舞いこむ。これで彼女が目覚めたとしてもすぐに死のうとはしないだろう。もっとも自分を傷つける手法は幾らでもあるのだろうけれど……。
そんなことをしている間に、彼女の顔の辺りには栗鼠が鎮座していた。
「大丈夫ですよ。きっと暫くしたら目が覚めますよ……たぶん」
多少やり過ぎた感はあると思う。が、自分を殺すなんて馬鹿な行動を私の目の前でやっていたのだから仕方ないだろう。えぇ。
栗鼠がこちらを向き、僅か頭を下げたような錯覚を覚えながら、今度は彼女の体を確認がてらに拭いていく。
この森に居るという事は集落の者なのだろう。それぐらいは分かるが、他に持ち物もがあるわけでもない。自殺志願者のようにネームタグがあれば別だが、当然あるわけもなし。
「……この世界が嫌い、か」
世知辛い世の中だから、そう思っても仕方ないのかもしれない。けれど、彼女は死に瀕して暴れたのだ。苦しかったからとか、そんな条件反射ではない。真に絶望していればそんな気力すらなかっただろう。だから、本当は死にたくなんてないのだろう。
「それでも死にたかったのは何故ですかね」
それと……
「大陸……」
ミケネーコ何某の物語がエルフにも伝わっているのだろうか。オケアーノスなる書物は既に無くなっているわけで、だったらどこでそれを知れたというのだろうか……。誰かが教えたというのだろうか……。
いや、今は良いか。
体を拭き、確認すればやはり胸元の火傷以外にはそれほど大事はないようだった。拭き終わり、燃えた服を一部引き千切ったり、折角しまったナイフを取り出して切ったりして邪魔な部分を取り除いて着せる。えらく鎖骨が出ている形になったが仕方ない。それを着せ、横にし、マントをかぶせる。焚火とマントがあれば少しは暖も取れるだろう。そう思い、そこらの落ち葉や木々を拾ってきて火をつけようとして苦労する。クローゼさんが言っていたように、やはり燃えづらい。だが、松明に括りつけた蜘蛛糸でずっと炙っていればいつしか火がつき、一息を付く。
作業が一段落すれば次は、
「食べ物……」
別段現地調達する必要もなく頭陀袋の中には干し肉などは入っているのだが、自分の分ぐらいしか用意していない。最悪の場合にはそれを噛んで柔らかくして与えれば良いが、もう少しましな物があればと思う。この少女の目が覚めた時に何かを用意してやれる物はないだろうか……。
だが、辺りを確認したところで虫の鳴く音が聞こえるぐらいで獣がいるような感じも無い。水面を跳ねるような音も聞こえず湖の中も魚がいるようには思えない。そもそもこんな暗い場所で魚を取れるわけもない。でも、そうか。湖か。
「脳みそ蛙……」
湖にいるかもしれないとセリナさんは言っていた。そして一目見れば分かるとも。だったら、少し探してみるのも良い。
「妖精さん、ちょっと頼っていいですかね?」
うんうんと頷く妖精さんに頼り……結局、頼りっぱなしである……即席松明と頭陀袋を持って辺りを廻る。
蛙の声は聞こえない。
ゲコゲコいう蛙の鳴き声は全く聞こえない。それは蛙がいないという事なのだろうか。……蛙でなくても何か食べられそうな生物はいないものか。
松明を足元、岩の陰に近づけながら確認するが何もいない。そんな事を繰り返しながら湖の周囲を周る。もしかしてと思い木々の合間、草花の合間を探しても見つからず。ついでとばかりに食べられそうな草花を包丁で切り取る。そんな事を数度しながら更に湖を廻る。
そこまで広い湖ではない。一周して見つからなければ今日は諦めよう。朝でなければいないのかもしれない。蛙の生態について分からない以上、判断しようもない。こういう時は諦めが肝心だ。
思い、ゆっくりと歩く。
残してきた焚火が遠目からでも見えた。横たわる少女とその横に小さな小動物と妖精さん。妖精さん達は特に何をするわけでもなくずっと彼女を見守っていた。
その様子を見ながら歩いていれば、地面に不自然な穴がいくつもあるのを発見した。
湖から少し離れた陸地、というと大げさか。湖から少し離れた場所にあるそれは地面に空いた小さな穴だった。
「穴を見つけたら水を入れるのは常識ですよね」
何の言い訳かは分からないが自分への言い訳を行い、湖の水を、冷たい水を手に掬い……痛みに顔を歪ませる。包丁で花を刈り取るぐらいならば良いが、流石に火傷と爪跡に水は染みるらしい。だが、まぁ軽傷だ。痛みも耐えられないものでもない。ただ、包帯は彼女の首に巻いた分だけしか用意してなかったので、何か応急処置は考えないと……すぐに医者に行こうにも行きと同様、2日以上はかかるわけで……。
使える物と言えば……見下ろせば頭陀袋と服、その2択。その2択なら元より選択肢などない。
「アルピナ様、ごめんなさい」
言い様、包丁で服の袖を落とし、包帯のように加工する。
加工し、手に巻き付けてもう片方の手と口を使って縛る。衛生面などを思えばあまり褒められたものでもない。焚火の下へ戻ったらお湯を沸かして再度包帯然としたこれを結ぶとしよう。
とりあえず、今は……
「水攻めですね」
小さな穴に水を入れればぶくぶくと泡が沸いてくる。沸いてきて、沸いてきて……予想通り何かが慌てて出て来た。
その動きを表す一番良い擬音は、むにむにと言ったところだろう。
「……なるほど、これは流石に見れば分かるなぁ」
出て来た所をひっ捕まえてそのまま頭陀袋の中に突っ込んだ。一瞬、手に伝わったぶにっとした感触が非常に気持ち悪いが、背に腹は代えられない。
「これは、食べられるよね」
まんま脳みそに蛙の足が生えていればそれはまぁ、脳みそ蛙と言われるのも致し方がない。寧ろ捻りがなさ過ぎだった。しかし、鳴き声が聞こえないのも口がないからだろうか?だったらまぁ鳴き声が聞こえないのも道理だった。いやでもだったら沸いた泡はどこから出たのだろうか?やっぱりどこかに口があるのかもしれないがまぁ、どうでも良い。寧ろ、気にしない方が良さそうだった。
一度要領を覚えれば後は慣れたものだ。同じようにして穴を発見しては水攻めを行いながら先を行く。2匹目、3匹目、4匹目。時折大き目の奴が出て来たびっくりもしたが、10匹程集めて焚火の下へと戻ろうとして湖越しにその場所を見れば、妖精さんが浮いていた。
否。
空を飛び、舞っていた。
鈴はない。単衣も違う。
けれど、その動きは、その舞い方はあの時の物と同じだった。背の翅をせわしく動かしながら、ゆっくりと動く。小さな手に鈴は無い。が、それがまるで手の内にあるかのように小さな手の平をひねっていた。ひねった瞬間、聞こえるはずのない鈴の音が聞こえたのはきっと気のせいだ。記憶に刻み込まれた情景が記憶を元に再生されただけなのだろう。けれど、例え幻聴だろうと、確かに優しい鈴の音が世界に鳴り響いているように思える。それぐらいに妖精さんの舞は真に迫っていた。
焚火に照らされたそれは奇麗で、唯一天井のないこの場所に、差し込む月の光にとてもよく映える。
「……」
魅入られるようにそれに視線を向けながら湖を行く。
見ていれば、いつしか惹きこまれ、心穏やかになっていく。焚火を囲んで皆が騒いでいるかのようなそんな幻想さえも浮かんでくる。音も聞こえれば映像まで……そんな都合の良い自分に苦笑する。夢は見る物だけれど、こんな風に見る物じゃあない。そう言い聞かせ、頭を振る。けれど、浮かんだ情景が脳裏から消えることは無かった。
自然、頬が緩んだ。
それはとてもとても素敵な情景で、だからそれを夢見る事は悪夢なんかじゃあないのだ。だったら、やっぱりそんな夢を私はみたい。
焦がれる想いを心の奥に秘め、妖精さんの舞を、今はただ堪能する。
焚火の下へ戻っても、妖精さんは真剣に、真摯に願うように祈るように舞っていた。それは神聖ささえ覚えるほど。近寄りがたい、そんな存在。普段、店の中で意味不明な上下運動に勤しんだり、人の頭に乗って時間を過ごしている物臭な感じなど今この場では一切見受けられない。
「栗鼠君も興味があるんですね」
その舞を見ていたのは私だけではなかった。恭しく頭を垂れて崇めるように妖精さんを見つめている。小さな、意思すら持たない小動物としか思えない栗鼠にその瞬間、なぜか知性を感じた。それほどに栗鼠は真剣だった。
それは、感謝だったのだろうか。
私には、そんな風に思えた。
優しい時が流れる。
流れ、流れて……時が元の早さを取り戻した。
「ん……」
取り戻した時間の始まりは少女の呻きだった。寝苦しそうに、マントを掴み、けれどどこか表情は穏やかに。世界を恨み、自らを傷つけて死のうとしてしたとは思えないぐらいに今の彼女の表情は穏やかだった。
その少女の表情を見て……妖精さんがほっとした表情で舞を終え、疲れたとばかりに私の頭へと戻って来た。そして栗鼠もまた少女の顔の近くまで戻るのを見て、なんともいえない気分になってくる。まるで、栗鼠が妖精さんにお願いして少女のために舞ったかのようにさえ思えたから。
だから、
「……何かしたんですか妖精さん?」
そう聞いたのは不思議な事でもなんでもないのだと、思う。けれど、当然それに返ってくる言葉はない。
でも、そうだった。
思い返すのはやはりあの日の事。
エリザが、私が殺した彼女の心が元に戻ったあの日も、妖精さんは舞っていた。エリザが元に戻ったのはそれを見た時だったように思う。何もしていないのにエリザが元に戻ったのが不思議だったけれど、もしかして、妖精さんの舞にはそういう人達を治す力があるのだろうか。だとしたら、
「妖精さんは凄いですね。腕力だけじゃなくて、優しい力まで持っているんですね」
また笑みがこぼれる。
それはそれはとても優しい力だ。羨ましいと思えるぐらいに優しい夢のような力だと思う。この世知辛い世の中、それに絶望する少女達を救う力。それは本当に優しい神様が持っているような力だった。
「妖精さんが神様を慰めた方が良いんじゃないんですか?」
私みたいな笑う事しかできない人間よりも妖精さんの方があっているだろうに。でも、やっぱりそれにも返る言葉は無く……きっと、妖精さんでも駄目だったんだろうな、とも思った。でなければリオンさんが私に託すわけもない。
難易度がさらに上がった気分だった。そんな気分のまま、少女の呼吸が落ち着いてきたのを確認し焚火の前に座る。
「じゃ、食事にしましょうか。大量にとってきたので妖精さんも遠慮せずに食べてくださいね。たくさん踊って疲れたでしょう?」
頭陀袋の中から脳みそ然とした生物を取り出し、包丁で足を落とす。足を落としてしまえばまさに何がしかの生物の脳そのままで、見た目は非常に悪い。が、往々にして見た目が悪い物は美味しかったりするものだ。
真中から半分に割れば、小さくゲコッと鳴った事にあぁやっぱり口だかなんだかはあったんだなぁと思いつつ、解体を続ける。脳みその中に内臓があるという極めて意味不明な生物を一体全体誰が作ったのだろう。化物の神様だろうか?だとすればたいそう芸術家肌な神様だと思う。こんな形状の生物を作ろうと思った所が狂気の沙汰である。あぁ、でもそういえば天使も前衛的な形だったから神様は皆、芸術家気取りなのだろうか……辟易する。
湖の水で蛙の血を洗い流し、食べられそうな肉の部分に頭陀袋に常備してある塩と胡椒をまぶし、先程刈り取った花や草を巻く。そして焚火の中へと。これを香草焼きというと料理人には怒られるだろう。所詮、素人のやる事なので大雑把な料理とも言えない代物である。
そうして3匹程解体し同様にする。流石に栗鼠は肉食ではないだろうからあげても仕方ない。なので三つ。妖精さんはまぁ食べるだろう。頭の上でひぃと引き攣った顔をしている気もするが、気にしないでおくとしよう。
次いで、余った足をその辺りに転がっている木々に刺して火で炙る。味付けは当然の如く塩である。お肉はやっぱり塩でしょう。
「……妖精さん、いい加減降りて来て下さいね」
頭の上から捕まえて引き摺り下ろしてみれば、案の定嫌そうに首をふるふるしていた。それもまた、可愛らしい仕草だと思う。えぇ。




