1話:伯爵令嬢リンシアの婚約
ルシアンとの約束の後、リンメル伯爵邸に帰宅すると私はお母様にサロンに呼び出された。そこで聞いた話に目を丸くする。
「アッカーマン伯爵家に帰る……?」
「帰る、というより旅行のようなものかしら。ちょうどシーズンオフになるでしょう?お父様から、子供たちを連れて里帰りするようお手紙をいただいたの。あなたもどうかしら、と思ったのだけど……難しいわよね?」
「そうね……残念だけど、私は行けないわ。文官のお仕事があるもの。……お爺様がそう仰ったのはやっぱり、あれが理由?」
首を傾げると、お母様が苦笑した。
「まあ、十中八九そうでしょうね」
やっぱり……。
つい最近発覚したことだが、お父様は私の元婚約者であるカミロの家、カウニッツ伯爵家に過去、融資を受けていた。だけど話を聞くと、それはまともな契約内容ではなかったのだ。年々金利が上がる契約となっており、リンメル伯爵家はカウニッツ伯爵家に大金を支払い続けてきていたのだった。
(カウニッツ伯爵家は他にもあくどいことを散々していたようだから、その関係で今も変わらず、王城で取り調べを受ける日々とのことだけど……)
詐欺罪はともかくとして、違法魔道具の密輸と生成をしていたのは重罪だわ。罪状が確定したら、領地返還か、少なくとも降爵は間違いないだろう。
あれからお父様とお母様がどんな関係なのかは分からないが、お父様はお母様に話しかけようとして失敗している姿をよく見かける。
そして、1人反省会でもしているのか、うなだれているのである。本当、何をしているんだか……。
お父様とお母様は政略結婚だと聞いていたけど、お父様はお母様が好きなのだろう。それが恋なのか愛なのかはまた、別として。
両親といえど、他人だ。ふたりの恋愛事情にまで踏み込むつもりはない。
お母様が、お父様から離れる選択をするのなら、私は止めるつもりはなかった。なかった、のだけど……
「しばらく、エリオノーラとレオナルドに会えないのね……」
ぽつりと呟いた私の声は、とても哀愁漂っていた。それに、お母様が肩をすくめる。
「来年の春には戻ってくるわ。だけど、リンシア。私はあなたもアッカーマン領に連れていきたかったのよ。あなたにも見せてあげたかったわ。アッカーマンは田舎だけど、緑が美しいのよ。食べ物も美味しくて、魚料理が有名なの。リンシアは白身魚が好きでしょう?」
お母様の言葉に、私は頷いて答えた。
アッカーマン伯爵領は、エルヴァニア国の南西に位置している。かなり辺鄙な場所なので、用事がなければ行くこともないだろう。エルドラシアに向かう時は、通らなかった。私は頭の中に広げた地図をしまいながら、お母様を見た。
「お母様の生まれ育った土地ね。私もいつか行ってみたいわ」
シーズンになるまで帰ってこない……ということは、年越しはアッカーマン領でするのだろう。今年の年の瀬は、お父様と二人きりかぁ……。ちょっと残念な気持ちになる。そこで私は、ふと、好都合なアイテムがあることを思い出した。
「そうだわ!魔法管理部の最終試験で提出した魔法のカメラなのだけど、正式に魔道具として登録されたの。お母様、あれでエリオノーラたちをたくさん撮ってくださらないかしら!」
我ながらいい考えだと思う。魔法のカメラは現在、魔法管理部の管理となっているが、届出を出せば問題なく使用許可が降りるだろう。
「もちろん、お母様も一緒に映ってちょうだいね!大好きよ、お母様」
そう言って彼女を抱きしめると、お母様が「もう、リンシアったら。分かったわ」という答えが返ってくる。お母様はいつも、甘い匂いがする。私は彼女の香りが昔から大好きだった。だから、私も真似して似た香水をつけている。私が愛用しているのはバニラの香水だ。
身を離したところで、お母様が微笑みを浮かべ、尋ねてきた。
「リンシア。ところであなた、今、好きな人はいる?」
「………えっ!?」
あまりにもタイムリーすぎる質問に、思わず肩が跳ねた。まさか、さっきの魔法管理部の研究室でのやり取りを、お母様は知っている……!?一瞬そう考えたが、いくらなんでも有り得ない。ただの偶然だわ。そう思い直していると、お母様が頬に手を当てた。
「私はね、あなたに【貴族だから】という理由で結婚を選んで欲しくはないの」
「え……」
「それはエリオノーラも、レオナルドもそう。あなたたちにはこの人だから、と思える人と結ばれて欲しい。貴族としてはありえない発言ね。でも、本心よ」
お母様はハッキリ言うと、さらに言葉を続けた。
「私はお父様と結婚して……今はこんな状態だけど。それでもあなたに会えて、エリオノーラに会えて、レオナルドにも会えて、とても幸せだわ。神様に感謝してる。だからね、リンシア」
お母様はそこで言葉を区切ると、首を傾げて私を見た。私と同じ、桃色の髪がさらりと揺れる。
「あなたはあなたの、進みたい道を行きなさい。お母様は、いつだってあなたの味方よ」
「──」
お母様の真っ直ぐな言葉が、胸に刺さる。私の進みたい道、それがどこに繋がっているかなんて分からない。だけど、私にはやりたいことがある。それを、お母様は応援してくれると言うのだろう。
貴族令嬢が文官を目指すなんて、本来有り得ないことだ。職業婦人は遠巻きにされる。だけど、お母様は私の背を押してくれた
それがあまりに嬉しくて、視界が滲む。それを瞬きで散らすと、私はお母様に微笑んで言った。
「お母様。ありがとうございます。その件なのだけど、実はお母様に報告があるの」
お母様は本心から、私を心配してくれている。だから私も隠さずに、本心を打ち明けることにした。
「さっき、ルーズヴェルト卿とお話してきたのよ。そこで、私は彼と約束したわ」
「……約束?」
首を傾げるお母様に、私は微笑みを浮かべたまま答えた。
どうしたって羞恥心は隠しきれなくて、頬がじわじわと熱を持つ。
「婚約の、約束よ」
私が答えると、流石に予想外だったのだろう。お母様は目を瞬いていた。
本編で書けなかった諸々のエピソードをゆっくり書いていくことにしました。不定期更新となりますがよろしくお願いします。




