10話:伯爵令嬢リンシアの幸福な約束
ルーズヴェルト卿が驚いたような声を上げた。
「レディ・リンシア?」
それに答えず、私は先程の彼同様、ルーズヴェルト卿の右手を取った。
(ものすっごく恥ずかしいわ……!)
でも、こういうのはきっと正気に戻ってはいけない。私は勢いでルーズヴェルト卿の手の甲にキスをした。
見なくてもわかるわ。きっと今の私は、顔が真っ赤だ。
「──」
ルーズヴェルト卿の驚いたような声が聞こえた。
淑女が紳士の手の甲に口づけるなど聞いたことがない。本来なら立場が逆で、この行為は私がするものではない。
それでも、私も誓いたかった。誠実な彼に、私とまた彼に誠実でありたい、と思ったから。
私は顔を上げると、彼の目を見てハッキリと言った。
「……私も約束を、あなたに」
声は、やはり上ずってしまったけれど。
それから、私は照れ隠しのように微笑みながらルーズヴェルト卿に言った。
「これから、よろしくお願いしますね。……る、ルシアン?」
しかし、スマートに言うことはできなかった。
それに、頬が火を噴くように熱を持つ。
今まで私は、彼のことをルーズヴェルト卿、と呼んでいたのだ。
婚約関係にない男女なら、それが普通だもの。
だけど私たちはいずれ婚約者になるのだ。今、彼とそう約束した。
だから、呼び方を変えようと思った。これは私の宣言のようなものだったし、決意表明だった。
ファーストネームを呼ばれたルーズヴェルト卿……ルシアンが目を見開く。
驚きに言葉を呑んだルーズヴェルト卿だったが、やがて彼も柔らかな微笑みを浮かべた。
「……ええ、リンシア。よろしくお願いします」
そうして、私たちは未来の約束をした。
気持ちは落ち着かない。とてもふわふわしているけどいい気分だった。居心地の良さ……というのかしら?ルーズヴェルト卿と一緒にいる時、いつも私は私らしく居られる気がする。
その時ふと、私は思い出した。
先日の、元婚約者の言葉を。
『お前みたいな高慢ちきな女、間違いなく不幸になる!!』
改めて思っても、随分な言われようだ。
カミロには不吉な言葉を投げられたけど──でも、私の幸せは私が決めるし、あんなことを言われたら、俄然幸せになってやろうという負けん気が湧くというものだ。
生憎、私は暴言に素直に傷つく可愛げは持ち合わせていない。
それに、今の私は十分幸せだ。幸福だし、恵まれている。
だから、元婚約者の言葉は外れているのだ。彼の言葉は、不吉な未来を表すものではなくただの捨てゼリフとなった。
(……以前は、未来に希望なんて抱けなかったわ)
あるのは諦観だけで、将来を考えた時楽しさなんて微塵もなかった。
だけど、今は違う。
その理由はきっと。
私は顔を上げて、ルシアンに微笑んだ。
「……では、お仕事を再開しましょうか!あっ、そうですわ!あの、ルシアン。もしよろしければ……その、あなたのお耳に、触れても!?」
恐る恐る、私は言った。
ずっと気になっていたのだ。もう婚約を約束したのだし……いいわよね?いいでしょう!いいということにしたいわ……!!
うずうずとした様子の私に、ルシアンは目を丸くした。
そして、思わず、と言ったように彼は笑う。
「耳はくすぐったいので……今はちょっと」
しかし、あっさりと彼は断ったのだった。衝撃に口をポカンと開けてしまう。
今、良さげな雰囲気ではなかった!?だめ!?だめなの!?そんな……!!
ショックのあまり固まる私に、ルシアンが首を傾げた。さらりと、彼の銀髪が首元で揺れる。
「もう少し、お待ちいただけますか。少なくとも、あなたが私に慣れる程度に」
「……私が?」
その言葉に、今度は私の方が首を傾げる。自身を指差す私に、ルシアンが微笑んで補足する。
「他人に触られるのは、慣れていないんです。他人の魔力の流れが苦手でして……。ですから、あなたが私に慣れて、私のそばにいても違和感など抱かなくなった頃。同様に私もあなたに慣れているはずですので、その時に」
ルシアンの言葉はなるほど、理に適っていた。エルフの耳は敏感なのかもしれない。他人の魔力の流れが苦手、というのは、感知しすぎて、ということなのかしら。気になる。気になりすぎる。そもそもエルフって生態が不明だわ。根掘り葉掘り、インタビューしたいけれど、今は置いておいて……!
私は往生際悪く、彼に言った。
「……約束、ですの?」
あまりに未練タラタラな私の様子に、ルシアンは目を見開いた。それから、彼は声を上げて笑った。
「っふ、は……ははは!ええ。そうですね、これも、約束です」
笑いすぎたあまり涙目になった彼が、目尻を拭いながら答えた。そんなに面白いことを言った覚えは無いのだけど……だいたい、魔法学を修めているものなら絶対誰しも同じことを思うはず。
マリア先生も触りたいと思ったはず。
聞いていないがそうに違いない。恩師の答えを決め込んだ私は、惜しみながらルシアンに言った。
「……絶対ですわよ?」
「ええ。では、期限を決めましょう。あなたが私の婚約者になった時に、というのはいかがでしょう?」
「絶対ですわよ!」
ふたたび私はそう言った。ルシアンは頷いている。これで言質は取ったわ……!!
まだ口約束に過ぎないけれど、その約束が果たされるのはきっとそう遠くない。
その時が楽しみだわ……!
まさかエルフの耳を触れる日が来るなんて思わなかった。というか、エルフが実在するなんて思わなかったもの!!ワクワクしながら、私は遠くない未来を思い描いた。
(まずは、帰ったらお父様に伝えて……水面下で話を動かしておきましょう)
やることはたくさんある。
私はそう思いながら、ルシアンを見た。
そして互いに笑みを浮かべると、それぞれ手持ちの作業に戻ってああでもない、こうでもない、と研究を進めるのだった。
昼下がりの研究室で私とルシアンは二つ、約束を交わした。
それは幸福な約束。
fin
この話をもって、本編は完結となります。
実は、【精霊は「きゃらきゃら」と笑ってるので何を言ってるかまでは分かんない、と言うルシアンの話】を書きたかったのですが……蛇足かな?と思い、カットしました。書きたかった……!調査パートが楽しすぎて、気がつけば10万文字を超えてすごく焦りました。書いてて本っ当に楽しかったです。
本当はザウアー公爵周りの話とか、お父様の今後とか、リンシアの婚約とかもっと書きたいことはあったんですが、間違いなく長くなる……!と判断し割愛しました。いずれ番外編みたいな形で掲載したいです。
本作は「記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました」と話の運び方が似ているので、良かったら読んでみていただけると嬉しいです。
(小説目次ページの【長編】から飛べます)
感想返信できていませんが全て読んでます!誤字脱字、評価、ブクマ、リアクションなども本当にありがとうございました!またどこかでお会いできたら幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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