6話:やっぱり聖女なのではなくて?
そして、魔道具人形の言葉通りにぬいぐるみに魔力を込めると、それは右手を上げた。
ちょうど、子供が信号を渡る時のようだ。ぬいぐるみは「はいっ!」と言わんばかりに右手を挙げると──気がつくと、私たちはどこかの一室にいた。
(ここ──)
周囲を見渡して、瞬時に理解した。
ここはエルドラシア魔法学院のマリア先生の研究室だ。
「ここは……?」
「作業部屋のようですが……」
ルーズヴェルト卿とクラインベルク様がそれぞれ疑問の声を出した。
室内には、びっしりと隙間なく本棚が置かれており、作業台テーブルがいくつも並べられてある。天井から吊るされたガラスランプのすぐ横に、いくつもの試験管が同じように複数吊るされていた。試験管の中には、様々な色の液体が収められていた。
そして、その片隅にその人はいた。
「いらっしゃい、リンシア。そして、騎士のおふたり」
彼女は私たちの到着を待っていたのだろう。
安楽椅子に腰をかけ、膝には猫が乗っていた。マリア先生の飼い猫だ。猫は、私たちの到着を知らせるように「にゃあ」と鳴いた。首輪につけた鈴がチリン、と鳴る。
「……先生、おふたりは騎士では」
ありません、と言う前にルーズヴェルト卿が答えた。
「お初にお目にかかります、グルーネヴァルト教授。私どもは、レディ・リンシアの安全のためつけられた同行者ですが……生憎、どちらも騎士職に就いているわけではありません」
「あら、そうなの。では、婚約者かしら」
「……それでもありません」
婚約者、という言葉にカミロの姿を思い出す。不本意だけど、今現在、私の婚約者はあの男である。気まずそうにルーズヴェルト卿が答えるとマリア先生はなにかに気がついたように瞬いた。
「あら、あなた……」
「?……何か?」
マリア先生の言葉に、ルーズヴェルト卿が首を傾げる。
(あら、珍しい……)
マリア先生は良くも悪くも、他人に興味が無い。今のように、他人を気にかけることなんて、滅多にない事だ。
マリア先生は、以前はしていなかったモノクルをつけていた。イメチェンだろうか。
そのモノクルのフレームに触れて、彼女はルーズヴェルト卿を凝視している。
まるで、魔道具造りをしている時のようだ。真剣な眼差しで見られ、流石に戸惑ったのかルーズヴェルト卿が身動ぎする。
それに、マリア先生は目をぱちくりとさせた。文字通り、ぱちくりと、だ。
「あらまあ。あなた、精霊に愛されているのねぇ……!!」
「えっ」
「はっ……」
私とルーズヴェルト卿の驚きの声が被った。
思わずルーズヴェルト卿を見ると、彼は困惑しているようだ。マリア先生は口元に手を当ててコロコロと笑った。
「珍しいわぁ。リンシア、彼なんてどう?今の婚約者より、よっぽどあなたにお似合いよ」
「えっ!?はっ!?……えっ!?!?」
私は、マリア先生にカミロの話をしていない。
そもそも、魔法学院に在籍していた時は前世の記憶がなかったから、完全に自責思考だった。
そのため、カミロを責めるような思考ではなかったし、もちろんそんな発言もしたことがなかった。それなのになぜ、マリア先生はカミロのことを知っているのだろう。
(いや、それよりも、よ!!今、彼女はなんて……!?)
混乱した私は、正直にマリア先生に尋ねた。
「どう、とは?」
「相性いいと思うわよ、あなたたち」
「…………はぁ」
相性?何の?というかこれは何のお話なの?
よく分からなくて、私は曖昧な返事を返した。助けを求めるようにルーズヴェルト卿を見れば、彼も困惑しているようだ。
いたたまれない空気と、気まずい沈黙が流れる。それをものともせず、マリア先生がにこり、と笑って言った。
「まあ、こういうことは若い人に任せましょう。私も仲人なんて柄ではありませんしね。では、リンシア。本題ですが──」
あっさり、マリア先生は話を変えた。
その唐突さには面食らうが、彼女は元々こういう人だ。慣れている私は、すぐに思考を切りかえて、彼女の話を聞く。しかし、ルーズヴェルト卿とクラインベルク様の二人は困惑しているようだ。
「地下の禁書室への入室許可ですが、お二人の分も取ってあります。リンシア、真実に辿り着く道は、一つではありません。あなたはあなたの正解を、見つけてくださいね」
祈るように言ったマリア先生から禁書室の鍵を受け取る。ひんやりとしたそれは、一見、ただのカードに見える。
だけど恐らくこれは、魔道具の類だろう。魔力を込めることで解錠のための鍵となるのだと思う。
魔道具を確認してから顔を上げると「行ってらっしゃい」と彼女に微笑みかけられた。
猫も応援しているかのように、尻尾をくねらせている。
(到着初日だけど、時間は有限だわ。すぐに向かいましょう)
早速私は地下に向かうと考えて、いや、その前に荷物を置かなければ、と思い直した。その時、ふとルーズヴェルト卿が口を開いた。
「グルーネヴァルト教授。この後、お時間はございますか。少しで構いません。お聞きしたいことがあります」
「ええ、良くてよ。精霊の愛し子さん。ただし、私が用意した時間には限りがあります。そうね……あと五分三十二秒しかありませんね。それで良ければ、お聞きしましょう」
マリア先生が指を鳴らすと、懐中時計がどこからか現れた。時間を確認する彼女に、ルーズヴェルト卿が頷いて答えた。
「ありがとうございます。ご厚意に感謝します」




