2話:裁判も辞さない構えというやつですわね
「古い知人を頼ったんだ。この手の揉め事は珍しいことではないらしい。流石に貴族間で裁判沙汰にまでなったことは滅多にないようだが……」
「待っ……お待ちくださいませ、お父様。もしかしてお父様は、提訴するおつもりですの!?」
執務机に手をついて尋ねると、お父様は深く頷いた。
「そうならなければいいと思っているが……これは切り札だ。カウニッツ伯爵家への、交渉材料にする」
私は目を丸くした。
(この一ヶ月、全く家にいないなと思ったら、そんなことをしていたのね……)
道理で窶れているわけだ。あちこち奔走したのだろう。
お父様は続けて、引き出しから別の書類を出してきた。
「貸金業規制法で、金利上限は六パーセントと決まっている。これを超える利息は貸金業規制法違反で摘発対象だ」
(そりゃーそうよ!!金利率40%なんて、法外も法外よ!)
お父様が取りだしたのは、王国法の写書きのようだった。
しかしそれは、お父様の筆跡では無さそうだ。
その、古い知人、という方の文字かしら……。
怪訝に思った私は、お父様に詳しく尋ねることにした。
「古いご友人、というのは一体何をなさっている方なのです?そして、その方は今回、無償で、善意で、手を貸してくださったと?」
後者は有り得ないだろう。特に貴族の揉め事など、メリットがなければ基本的に介入したくないというものだ。余計な飛び火を貰う可能性が高いからだ。
私が訝しんでいると、お父様が苦笑した。信用のなさを実感しているのかもしれないが、当然だと思う。これで私が、諸手を挙げて『わーい!これで安泰ですわね!』と答える能天気娘なら、この家に未来はないだろう。お母様ひとりが苦労することになる。
お父様が、頷いて答えた。
「古い知人……というのは、学生時代の友人で、彼は法廷弁護士だ。彼には貸しがある。こちらに名刺があるから確認しなさい」
そして、お父様は続けて、机の上から一枚の名刺を取りだし、それを私に手渡してくる。
それを受け取って、私は注意深く確認した。
名刺に記載された名前は後で弁護士名簿を確認するとして……ほかの記載も確認する。
事務所の住所は王都の大通りのものだ。所属機関も、大手法曹院の名前が記されていた。
少し考えてから、私はお父様に尋ねた。
「こちら、お預かりしてもよろしいですか?明日の朝までにはお返ししますわ」
「それは構わないが……どうするのだ?」
「念の為、住所と弁護士名簿を確認します。お父様のご友人には申し訳ないですが、この手の話はとことん疑った方がよろしいかと思いますの。溺れる者は藁をも摑む、とはよく言ったものでしょう。最善の選択が、絶望の選択である可能性もゼロではありませんもの」
「……好きにしなさい。気になることがあれば、私に言うように」
「もちろんですわ」
お父様の許諾も得られたので、私はそれを自室に持ち帰ることにした。明日の出立まで後、七時間。今日も私の就寝は遅くなりそうだわ……。
(……こういうことは出立前日ではなく、もっと早くに教えてもらえないかしらね!!)
私も暇ではないのである。
しかし今言っても仕方ない話なので、私は次に気になっていたことを口にした。
「……裁判沙汰になったらレオナルドとエリオノーラの婚約にも影響が出ますわ」
「もちろんそれは、最終手段だ。カールが認めなければ、私は裁判も辞さないという構えだ」
「お父様はそれでいいかもしれませんが、裁判になったら私たちはどうなるのです?私は置いておくとして、問題はエリオノーラとレオナルドです。ふたりの婚約に影響が出る可能性は非常に高いと思いますわ」
「だから、提訴は最後の手段だ。これを切り札に、交渉に出る」
つまりそれは、提訴は脅しで本気では無いと言っているのか、あるいはそうなったらその時はその時だ、という意味なのか……。図りかねたが、私も時間に余裕があるわけではない。この話は一旦保留として、話を進めることにした。
「それは、お父様おひとりで向かわれるのですか?」
(交渉材料が1つってちょっと、危なくないかしら?)
なにせ相手はどんな手段をとってくるか分からないカウニッツ伯爵だ。
あの手の人間は、利益のためならどんなあくどい手も打ってくると踏んでいる。つまり、悪徳商人のようなものだ。
胡乱な顔でお父様を見ていると、お父様は分かっている、とでも言うように頷いた。
「友人の法廷弁護士に同行してもらうさ。さすがに私一人ではな。言いくるめられた過去もある」
……自覚があるようで何よりだわ。
私は少し思案の末、お父様に伝えた。
「そのご友人には、貸しがある……とのことですが、具体的にはどんな?」
「学生時代、彼の恋のキューピッドを演じたのさ。それで、彼は今も円満な夫婦生活を送っている」
(それ、本当に……!?)
本当に、円満な夫婦生活を送っておられるのかしら??お父様目線の話ではなくて?
それは真実なの?どこを取って真実だと仰るの?
それは信じられるお話なのですか?
……と、聞きたいことは盛りだくさんだ。
しかし、私はそれを堪えた。
なにせ──
「気になるところはたくさんありますけれど、今言っても仕方ありませんわね。なにせ明日には私、この地を出てしまいますもの」
「あんな契約を結んでしまったのだ。安心しなさい、とは言い難いが……私も、一度痛い目を見たのだ。流石に我が子にあそこまで言われたらな。目が覚める思いだったよ」
感慨深そうに言うお父様を、私はしらーっとした思いで見た。私の言葉で目が覚めるくらいなら、もっと早くに起床して欲しかったものだわ……と思ったのである。
私はちらりと壁時計に視線を向けた。
既に、十一時を回っている。この後、私は蔵書室に行って、弁護士名簿を確認し照合しなければならないのだ。
もし、そこに名刺に記載されていた名前がなければ──いや、流石にそんなことはないとは思いたいけれど。
その場合は、もっと忙しくなる。その可能性も踏まえて、私はお父様との話を切りあげることにした。
最後に、私はお父様に伝えた。
「では、お父様。カウニッツ伯爵に交渉するのはまだお待ちくださいませ」
「……なぜだ?」
今度はお父様の方が、訝しげに私を見る。それに、私は端的に答えた。
「私にも、準備があるからですわ」
「準備?何の──」
さらに問いかけるお父様に、私は口元に人差し指を押し当てた。
「それはまだ秘密です。ですが、お父様のその選択は、最後の手段としたいですわね。レオナルドとエリオノーラに皺寄せがいくことは、看過できませんもの」
「…………」
私の言葉に、お父様が渋い顔をした。
それに、私は補足するように付け加えた。
「お母様も動いてくださっています。ご存知でしょう?ひいおじいさまのお家に掛け合ってくださっているそうですわ。正攻法で借金……失礼、返済することは可能かと思います。ですが、私は、その手は取りたくありません」
「それなら、どうすると?」
お父様の言葉に、私はニッコリと笑った。
首を傾げると、下ろした桃色の髪が軽やかに揺れた。笑みを浮かべながら、私はお父様に回答する。
「ですから、私に考えがあるのですわ」




