3話:精霊に嫌われた聖女
フェルスター卿がティーカップをそれぞれの前に配膳してくれる。彼は、テンションの高い王太子殿下を見て、おや?と首を傾げた。
さらりと、彼の長い紫色の髪が肩から落ちる。
「なんか楽しそうにしてるね?ヴィンセント、もしかして限界?」
「いや……うん、確かにそうかも」
一度否定しようとしたものの、彼自身そう感じたのだろう。
王太子殿下が神妙に頷いた。ルーズヴェルト卿が私を見て補足するように言った。
「ヴィンセント……王太子殿下は限界が近いと異常に笑いのツボが浅くなるんですよ」
「そ、そうなんですの……」
限界が近い?とは?
つまり?
困惑していると、フェルスター卿が驚愕の事実を口にした。
「もうヴィンセント、三日は寝てないもんね~。そろそろ寝たら?」
は……?
「三日!?」
思わず聞き返すと、ニコッと笑った王太子殿下と目が合った。
(な、なるほど……過労死寸前っていうのは嘘じゃなさそう)
思わず、卒倒しそうになる。
この職場、問題しかないのでは?
労基という概念がないからか、限界まで働かされそうだ。
月の時間外労働時間なんて恐ろしくて聞けやしないわ……!!
(だって、定時ないなんて言われたら、白目むいてしまうもの……!!)
この時、私は魔道具管理部に入ったこと──もとい、この件に関わってしまったことを、ほんの少し後悔していた。
でも、これは私がやりたかったことである……。多分。いや、きっとそう。
こんなブラックすぎる職場だとは思わなかったけれど……。初仕事が違法魔道具の摘発とは、新人に色々任せすぎじゃないかしら。無茶ぶり過ぎない?
無表情のまま唖然としていると、王太子殿下がため息を吐いて背もたれにもたれた。
「仕方ないだろう?ザウアー公爵がうるさかったんだよ。あの手この手で魔道具管理部からレディ・リンシアが提出した魔道具【魔法のカメラ】を持っていこうとしてさ」
(ザウアー公爵……?)
その名前に、私は目を見開いた。
ザウアー公爵は、セリーナの父親だ。彼女の後見人でもある。
聖女を娘にしたザウアー公爵は、聖女の権力を利用して、社交界で一気に発言権を得た。
「揉み消しに走ったのは、公爵閣下でしたのね……」
私の言葉に、王太子殿下が頷いて答えた。
「あの人は、私の叔父でもあるからね。やり込めるのはまあまあ骨が折れた。だけど結果として、私はあなたという強力な仲間を得たんだから、文句なしの成果だ」
「……なるほど。では、私は王太子殿下に恩を返さなければなりませんね」
私の言葉に、王太子殿下がにっこりと笑う。
これこそが、つまり私を協力させることが彼の目的だったのだろう。
私の能力を高く買ってくれて、ありがたい限りだと思う。
思うけれど……私は内心、ため息を吐いた。
食えない人だと思う。
だけど、だからこそ、彼には王の資質があるのだろう。
(しかし……私を魔道具管理部に合格させるために三日間、寝ないで奔走してくださっていたなんて……)
申し訳なさすぎるわ。
だって、三日よ!?三日!!
早く寝て欲しい。切実にそう思う。
しかし、フェルスター卿が指摘するまでまったく気づかなかった。私がそう思っていると、王太子殿下が「ああ、そうそう」と軽い口調で続けた。
「寝てないのは私だけじゃない。ルシアンは二日、フェリックスは一日だっけ?私たちは仲良く徹夜組だよ」
悲鳴をあげたい気持ちだった。
なんなの、このブラックすぎる職場。
「早急に職場の環境改善に努めた方がよろしいのでは?睡眠不足は、寿命を縮めますわよ」
本気で私は心配になった。
そして、今後ここで働くことになる自分の身を案じた。
私の言葉に、王太子殿下は肩を竦めた。
「まあ、冗談は置いといて」
「冗談だったんですの!?」
「徹夜は本当。そうじゃなくて、こっちも急いで動かなければならない理由があるんだ。まず1つ目に、これが私の戴冠の条件なんだ」
「…………はっ!?」
今、彼はとんでもないことを口にしなかったかしら。唖然としていると、王太子殿下が眉を寄せて言った。
「父上は、私を試しているのだろうね。つまり私が、国を率いるに足るかどうか、だ」
あっさりそういうと、王太子殿下は言葉を続けた。
「そして、2つ目に、今回の件は叔父が関わっている。叔父は今、王位継承権第3位にある。私が1位で、弟が2位だ。私も弟も未婚だから、当然子はいない。そうなると、まだ自分にもチャンスはある……と彼はそう思ったのだろうね」
「──」
絶句した。
(もしかして今、私は……超重大機密に触れているのでは?)
完全に権力争いである。王位継承権を巡る、政争だ。
逃げたい。思わず腰を上げそうになったが、ここまで聞いてしまったのだ。逃げられない。
顔色の悪い私を見て、王太子殿下が麗しい笑みを向けた。
「そういうわけで、私にはとにかく時間が無い。戴冠の条件というのはまあ、今すぐでなくても構わないんだけど……叔父の方がね。だいぶ厄介なんだ。これ以上勢力を伸ばされたらまずい」
「……それで、聖女の件でまとめて失脚してもらおう、と?」
「そういうこと。聖女だろうがなんだろうが関係ない。違法魔道具の使用はもちろん、所有だけでも重罪だ。投獄は免れない」
王太子殿下は瞳を細めて挑戦的に言うと「話が逸れてしまったね」と話を戻した。
「先程の話だけど、つまり、ルシアンは精霊と縁があるんだ。もっと言うと、彼には精霊が見えている」
突然、話が変わったので面食らったが、それ以上に──
「……精霊が!?」
信じられない気持ちで、聞き返す。
精霊とは、当然のようにそこにいる存在だ。だけど、見ることは出来ない。魔法を使う時は、魔力の流れ以上に、精霊との繋がりを意識することが重要だと言われている。
思わずルーズヴェルト卿を見ると、彼は私の視線に気がついたのだろう。頷いて答える。
そしてルーズヴェルト卿は、はっきりと答えた。
「彼女が何らかの違法魔道具を使用しているのは、間違いないかと」
「……理由をお聞きしても?」
私の質問に、ルーズヴェルト卿はまつ毛を伏せて答えた。
「精霊が、とても嫌がっているので。嫌々従っているような……そのように、私には見えます」
(……なるほど)
それは単純明快な理由だった。
聖女──つまり、女神の愛し子、精霊の忘れ形見なら、本来、精霊に嫌われるということはありえない……はずだ。
それなら、そうせざるを得ない理由があると、見て然るべき。
(違法魔道具は、無理に魔法を行使するもの)
つまり、精霊は無理に従わされていることになる。
ルーズヴェルト卿の答えは、どんな理由よりも説得力のあるものだった。




