2話:紅茶が入りました
「まず、この国の根幹と言ってもいい聖女伝説の話なんだけど。あなたも知ってるよね?」
「救世の聖女様のお話ですわよね?エルヴァニアの子供たちはみな、寝物語に聞かされますわ」
私の言葉に、王太子殿下が頷いて答えた。
聖女伝説、つまり、エルヴァニアには、遠い昔、聖女がいたとされている。
(おとぎ話みたいなものだわ)
エルヴァニアの歴史に箔をつけるためだけに作成、脚色された寓話……。
私がそう思っていると、王太子殿下がため息を吐いて足を組んだ。
「聖女ヴェロニカ。箔付けに作られた、架空上の人物だと私は思ってる」
「はっ……」
しかしそれを、当の王太子本人が言うとは思わなかった。
思わず目を見開くと、私の驚きを見た王太子殿下が首を傾げて答えた。
「伝承もあやふやだし、過去の文献に記載もない。聖女伝説の内容だって、ある日聖女が現れて、パァッと世界を救った、という大雑把なものだよ?これを本気で信じる方がどうかしている。……って、私がこんなことを言った、というのはここだけの話だよ?」
王太子殿下は、くちびるに人差し指を当てた。オフレコ、ということらしい。
私は目を見開きながらも、どうにか頷いて答えた。
「え、ええ。分かりましたわ」
(この王子様、想像していたよりずっと豪胆というか……現実主義者というか)
話しやすい、といえば話しやすいけど。
(社交界で見る姿とは全く違うから驚いたわ……)
社交界では、それこそ、誰もが憧れる王子様を演じているのだ。夜会で会ったなら、彼は決してこんなことは言わなかっただろう。王太子殿下が、聖女伝説の信ぴょう性を疑う、なんて。
「まあそんなものだから、何が本当か、なんて誰にも分からないんだけどね」
考古学者が聞いたら苦渋の表情を浮かべそうだわ……。
だけど、王太子殿下の言葉は確かにその通りだった。考古学者も苦労していることだろう。
その時、折良く扉がノックされた。視線を向けると、従僕がワゴンを押して入ってくる。
フェルスター卿が席を立ち、こちらにウインクを投げて寄こした。
「僕が対応するよ。話を続けて」
本当に、彼が淹れるらしい。
席に残ったのは私と王太子殿下、ルーズヴェルト卿の三人だ。
(もしかしてフェルスター卿は、紅茶を淹れるのが好きなのかしら)
ちら、と彼を見ると、フェルスター卿は楽しげに、ティーセットを用意している。その手つきはやはり慣れている。
意識をそちらに向けていると、王太子殿下が話を続けた。
「……聖女は【女神の愛し子】とも呼ばれているよね。【精霊の忘れ形見】とも言われている。
『聖女は、本当は精霊として生まれるはずだった。だけど手違いで人間として生を受けてしまった。だから精霊は彼女を気にかける』
……というやつだ」
「それは……私も聞いたことがありますわ」
正直、眉唾もの……といったら各方面に失礼かしら。だけど、信ぴょう性に欠けると思う。
私の半信半疑な様子に、王太子殿下が苦笑する。
「いいね。あなたは思った以上に現実主義者らしい。女性は、こういうおとぎ話を好むと思っていたけど」
「確かに……女性が好むお話かとは思いますが、専門学者は頷かないでしょうね」
「そうだね」
王太子殿下は相槌を打つと、首を傾げた。さらりと、彼の光を束ねたような金髪が揺れる。
「聖女伝説はともかくとして、精霊の忘れ形見……というのは、私はいると思っている」
「どういう意味ですの?」
彼の言葉の意図をはかりかねて首を傾げると、王太子殿下がちらりと私から視線を外した。彼の視線の先には、ルーズヴェルト卿がいる。
「どうする?このまま私が、説明してもいいけど」
「いや、いい。この話をした時点で、伝えるつもりだった。……レディ・リンシア」
ルーズヴェルト卿に呼ばれて、目を瞬く。
彼は、真っ直ぐに私を見つめて言った。
「あなたは聖女伝説発祥の地がどこか、ご存知ですか?」
「それは……確か──」
記憶を探って、すぐにその名を思い出す。
ハッとして口に手を当てた。
(聖女が生まれた地として有名なのは、ルーズヴェルト領……だわ)
つまり、ルーズヴェルト卿のご実家である。
私の反応に、ルーズヴェルト卿が頷いて答えた。
「我がルーズヴェルト公爵家には稀に、精霊と縁のあるものが生まれます」
「まさか……」
信じられない思いで尋ねる。
(彼がそういうということは、心当たりがあるのかしら?)
例えば、彼自身がそう、とか──。
それにルーズヴェルト卿は冷静な声で返した。
「今、あなたが考えた通りかと思います。私がその【精霊と縁のあるもの】です。……と言っても、そう簡単には信じられないでしょうが」
彼の言葉に、私は絶句した。
(つまり、それって──)
その瞬間、私は思わず立ち上がっていた。
「つまり、ルーズヴェルト卿が聖女様、ということですの!?」
「違います」
あまりの混乱に、つい思ったことが口をついて出てしまう。私の言葉に、ルーズヴェルト卿は眉を寄せて即答した。
私はさらに頭を回転させた。
(あら……!?よく考えたら、聖女は女性を指す言葉よね。それなら──)
「……女性では無いから、聖女?ではない?ということですの??」
「ぶっ……くっ、だめだ。あはははは!!」
その瞬間、王太子殿下が爆笑した。
いつも品のいい笑い方では無い。ハハハとかフフフとかホホホのそれではない。大爆笑である。ギョッとしていると、王太子殿下は笑いすぎたあまり、涙が滲んだのだろう。彼は目尻を拭いながら言った。
「ルシアンが聖女って……!!レディ・リンシア。あなたは面白いことを言うね!」
いつのまにか、執務室にはツンとした爽やかな酸味のある香りが漂っていた。ローズヒップティーが入ったのだ。




