幕間:失ってなどいない
何とか書けた!
休みでなかったら厳しかった。
レイグレイシア王国の王太子として生まれた私は幸せだった。愛する婚約者に敬愛する両親。可愛い弟妹に命よりも大事な民たち。
全てがユリウス・レイグレイシアを育ててくれたと思っている。
幼い時に一目惚れしたアリスティア。彼女と結婚して王となり子に恵まれて幸せな日々を過ごしていく。そんな日々すら夢見ていた。
だからこそ青天の霹靂だった。
叔父のクーデターは。
愛する婚約者であるアリスティアと遠乗りをしている最中の報せに最初は耳を疑った。叔父はあまり好ましい人物ではなかったがそれでもこのような真似をするとは思ってもいなかったのだ。
それから急いで逃げ出した私達は護衛騎士のギュスターヴがユーステリア公爵領の次男であったためユーステリア領に逃げ込むことにした。
途中追手を撒くために騎士たちは私によく似た格好をしてバラバラに逃げていった。どんどん少なくなっていく味方。それでも私はアリスティアが側に居てくれたから心強かった。
だが、アリスティアの馬が限界を迎えてしまった。これ以上ついて行けないと判断した彼女は残って追手を引き受けると言い出した。いくらアリスティアが国内最強の魔術師だからといって一人で相手するなど無理がある。
それなのに彼女は……。
「来月にある私の十七の誕生日を迎えたら結婚式だったわね。ここまで来たらお嫁に貰ってくれないなんて言わせないわよ。だから急いでユーステリア公爵に頼んで救援の兵を呼んできてちょうだい」
なんて言ってくるのだ。
分かっている。ここで余計な問答は意味が無く、一刻も早く彼女の言う通り援軍を呼んできた方が良いということも。
アリスティアがこれ以上逃げることが出来ないということも。
でも……だからと言って……頭では分かっていても。
置いていけるはずがないだろう!!
叫びたかった。
無理矢理でも連れて行きたかった。
だが私は王太子で……立場がある。
それを許されない義務がある。
何よりもアリスティアがここで私が無為に時を過ごすことを望んでいない。
――ならば、血を吐くような思いで受け入れよう。
「絶対だ! 絶対に帰ってくるからな!」
必ず戻って来てアリスティアを救い出す。
それだけを胸に誓い私はユーステリア公爵へと助けを求めたのだ。すぐ公爵から兵を借り救援に向かおうとした時、私達に襲い掛かる別働隊が現れた。
公爵から借りられた兵は六百程、相手の数は八百。まさか叔父は予め我々がどこに逃げ込むか予想していたというのか?
一刻も早くアリスティアを救援に行きたいのに数で負けている我々は逆に窮地に陥っていた。
「クソっ、このままではアリスティアが!」
「殿下! それよりもご自分のことをご心配してください! 相手は正規兵です。数が不利な現状ではいずれ押し負けます!」
ここまで劣勢になったのは完全に私のせいだった。一刻も早くアリスティアがを救いたいという思いが無理な行軍をさせてしまい、隊列を乱してしまったのだ。
悔やんでも悔やみきれない。己の未熟さが多くの兵を危険にさらしてしまったのだ。撤退するしかないと思い始めた時、突如敵の一画が崩れ始めた。
敵の中に別の一団が斬り込んでいく。夜の闇の中で灯りに照らされて翻る旗に見覚えがある。あの旗はバルバンティア公爵の旗だ!
どこからか現れたバルバンティア公爵のおかげで窮地を脱することが出来た我々は公爵の陣へと招かれた。
「ご無事で何よりでした」
バルバンティア公爵。何度か娘であるジュスティーヌとの婚姻を進めてきた男であり忠臣とは言い難いがこの状況では公爵の力はありがたかった。
「救援感謝する。バンティア公爵」
「いえ、臣下として当然のことです」
どこか信用できない相手ではあるがそんなことを言うわけにもいかず、今は味方として遇するしかない。
「それで公爵。兵を貸して欲しいのだ。一人追手を食い止めてくれたアリスティアを今すぐにでも救援に向かいたい」
「アリスティア様ですか……殿下、残念なお知らせがあります」
公爵が語った内容は信じられない物だった。
アリスティアがロステリア渓谷で追手と戦闘をした結果、百騎以上の騎士を殲滅したというのだ。魔術師一人で行える戦果ではなく通常ではありえない話だ。いくらアリスティアが国内最強だと言われていても限度というものがある。
だがそんなことはどうでもいい。要はアリスティアの安否が重要だ。
「それでアリスティアはどうしている!?」
「ロステリア渓谷で太陽と見紛う炎が目撃されております。現場は凄まじい破壊の後と誰一人として生きている者はいないということでした」
「……亡骸は見つけたのか?」
「いいえ、ですがあれだけの戦果を一人で上げたのです。配下の魔術師が言うにはこれだけの戦果を挙げるにはアリスティア様でも命を燃やし尽くす程の代償がいるであろうとのことです」
馬鹿な……アリスティアが死ぬはずなど有り得ない。約束したのだ、必ず迎えに行くのだと。……。
「ならば行方不明ということだな」
「殿下、お気持ちは分かりますが……生存は絶望的かと」
バルバンティア公爵が何か言ってくるが知ったことでは無い。亡骸を見たわけではないのだ。ならばアリスティアは生きている。そうに決まっているのだ!
「くどい! 私はアリスティアの亡骸を見るまでは認めない!」
「……かしこまりました」
ああ、アリスティア。
私は君が死んだなんて認めない。
クーデター自体は拍子抜けするほどにあっさりと鎮圧できた。王都を占拠されたことは痛手だったが、多くの諸侯が手を貸してくれたおかげだろう。
残念ながら王であった父上は叔父に殺されており、母と弟妹達は無事だった。叔父は母に横恋慕しており、自らの妃にしようとしていたらしい。
アリスティアは行方不明のままで未だに何の情報も入ってこない。元凶である叔父の首を撥ねたのは私だがもっと苦しませてやればよかったと思ってしまう。
口性が無い者はアリスティアは死んだなどと言う者もいたがそんな戯言など耳に入れる価値も無い。アリスティアは私との約束を破ったことは無かったのだ。必ず帰ってくると信じている。
戦後の処理は比較的簡単に済んだ。恩賞は叔父についた貴族の土地や財産を取り上げてから味方の諸侯に与えればそこまでこちらの財布も傷まずに済む。おかげで大きな不満が出ることも無く済んだ。
問題はバルバンティア公爵だった。我が軍の三分の一を占める兵がバルバンティア公爵の兵だった。どこからそれだけの兵を調達してきたと聞けば傭兵や冒険者なども金で雇ったという。バルバンティア公爵の貢献に比肩する諸侯はおらず、唯一ユーステリア公爵のみが対抗できるだろうかといった具合だった。
従って戦後のバルバンティア公爵の発言力が増していったのは必然だと言えるだろう。叔父のクーデターは阻止できたが代わりにバルバンティア公爵が台頭することになってしまっていた。バルバンティア公爵は自らの陣営を増やしつつ、遠回しに私とジュスティーヌとの婚姻を匂わせるようになり始めていた。
心が弱った時はアリスティアとよく見に来た庭へと足を運んでいた。今日も勢力を拡大しようとするバルバンティア公爵派と王家派の間で、静かだが激しいやり取りが会議で行われた後で激しく疲れていた。
父が亡くなったせいで王として即位せねばならず、誰が味方で誰が敵かを常に見極め続けた上でバルバンティア公爵に対抗する毎日。
私は疲れきっていた。
そんな時は今日みたいにアリスティアが好きな蒼穹の夕暮れを眺めながら思い出に浸ることが唯一の慰めだった。
しかし、最近そのわずかな時間すらも邪魔をしてくる者がいた。
「ねぇ、ユリウス様ぁ。早く私に今度の夜会で着るドレスを送ってくださらないかしらぁ?」
へばりつくような甘ったるい声を出しながら私へベタベタと甘えてくるジュスティーヌに心底嫌気がさしていた。バルバンティア公爵の娘でなければ今すぐにでも叩き出して城へは出禁にしてやるというのに!
「婚約者でもない女性に贈るような真似はできない」
「あらぁ? 婚約者は今はいらっしゃらないのではぁ?」
「……アリスティアは帰ってくる。必ず」
「アハハハハ! あの女をお待ちになっているのかしらぁ? 死んでいる者を待つのは不毛ですわぁ。仮に生きていたとしてももう既に半年経っておりますわぁ。それなのに帰ってこないということは他の殿方でも見つけているのではぁ?」
ジュスティーヌは見た目だけなら美しい女性だった。艶のある黒の髪に深い蒼の瞳。男好きのしそうな豊満な体。しかし、それら全てを台無しにするくらいジュスティーヌの笑顔は歪んでいた。
――気持ち悪い。
そう思ってしまえばもう無理だった。無理矢理絡みついてくる腕を振り払いこの場を離れる。
情けない。この程度のことで弱る惰弱な王。
それが私が私に下していた評価だった。
ああ、アリスティア……生きていてくれることを望む。
そしていつか帰って来てほしい。
私は君がいなければあまりにも弱いのだと思い知らされるのだ。
アリスティアが行方不明になってから半年経ったある日、会議でバルバンティア公爵がとんでもないことを言い出した。
「陛下をその命をかけてお守りした宮廷魔術師アリスティア・バルヴィエスト侯爵令嬢の功績を称えるべきだと愚考しております。つきましてはアリスティア様の二つ名を王家が認める英雄の二つ名として優秀な魔術師に与えるべきかと。さすれば今は亡きアリスティア様の栄誉は未来永劫語り継がれ、王家の威信も高まるものかと」
ふざけるな! あれは私がアリスティアに贈った名であってくだらない政治の道具に使うべきものではない!
私がそう言って反対しようとした時、バルバンティア公爵がアリスティアの父である筆頭宮廷魔術師のオーギュスト侯爵へと問いかけた。
「どうでしょうか? バルヴィエスト侯爵。アリスティア様の英雄としての功績を曖昧にするのは私としても望むことでは無いのです」
「……アリスティアは栄誉や英雄などそういうことに興味はないでしょう。しかし二つ名をそのまま与えるのではなく、新しく王家が制定するのではダメなのですか公爵?」
「これは異なことを仰る! 優れた英雄の二つ名こそ名誉になるというものです。確かに王家が新しく設けられる二つ名も名誉ですが、今回はアリスティア様を称えるためのものです。ならば聖炎の魔女以上の称号はありますまい。それに国内最強の魔女の証でもあるとすれば多くの者が求めることでしょう。それは結果的に国の力を高めることになるのでは?」
アリスティアを利用していることは明白だが、全てを否定できるほど有り得ない話ではない。バルバンティア公爵の言う通り効果はあるだろう。
だがそれでも私は認めたくは無かった。愛するアリスティアへ贈った名なのだ。他の見も知らぬ者が名乗るかと思うとゾッとする。
「……分かりました。私からは何もありません」
最近は会議ではバルバンティア公爵の影響の方が大きくなっていた。こういう議題を跳ね除けることが難しくなってきていたのだ。
結局聖炎の魔女の二つ名を懸けて選考会が開かれることとなった。多くの者がバルバンティア公爵の言う通り集まり結果として国の力へとなっていった。
――そしてこの選考会で優勝したのはジュスティーヌだった。
この日からジュスティーヌが私の婚約者として扱われるようになっていった。
次からは王都編開始です。
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