いただきます
「わっ、部屋が片付いてる! エトナがやってくれたの?」
帰宅した私は、劇的に綺麗になったリビングを見て喝采を上げた。生活力も整頓力も乏しい独身アラサー特有の悲惨だった部屋が、文化的な暮らしを営める程度に回復している。放りっぱなしだった空き缶などは分別され、纏められていた。
「……なにか、お役に立てたらと思って」
「わー、ありがとう。すごく助かっ──あれ、もしかして洗い物まで!?」
洋菓子などを冷蔵庫に入れながらふと台所に目を向けると、ここ数日放置し混沌の化身となりつつあった洗い物が一掃されている。水切りスタンドには、皿やコップなどが種類や大きさごとに等間隔に置かれていた。パーフェクトだ。
「時間があったので、その、やらせていただきました……!」
リビングと台所の境界線付近に立ったエトナは、ぶかぶかのパーカーの袖をゆらゆらさせながら、控えめに笑う。
お分かりいただけるだろうか?
この瞬間の、私の昂ぶりを。
普段絶対に買わないような高級肉を買い、さあ焼くぞと気合を入れたはいいものの、まずは洗い物……それも、数日間溜めに溜めていたものを洗わねばならず、センチメンタルになっていたのだ。
そこに、エトナのファインプレイ。
嬉しくないわけがない。
私が思わずエトナを抱き寄せ、頭をわっしゃわしゃに撫でるのも当然と言える。
「わっ、ひゃっ、と、トーコさん!?」
「よーしよし、エトナは偉いなぁ。いい子いい子、ほんといい子」
シャワーを浴びて丁寧に洗った成果か、さらさらで心地いい香りがするエトナの銀髪の感触を楽しみつつ褒める。腕の中で彼女はもじもじと恥ずかしそうに呻いていたが、やがて、
「撫でてもらうのって、気持ちいいんですね……」
と、はにかみながら顔を上げた。
そのとろけた表情はとても魅力的で、もっと撫でたくなる。
だが、いつまでもハグハグなでなでしているわけにもいかないため、名残惜しさを感じつつエトナを解放した。
「さて、晩御飯作っちゃうからちょっと待っててね」
「な、なにかお手伝いできることありますか?」
「あるにはあるけど──今回は大丈夫かな。晩御飯はエトナを歓迎する意味も込めて作ってあげたいから、私一人でやるよ」
「……かんげい、ですか?」
エトナが不思議そうにつぶやき、首を傾げる。
「とびっきり美味しいもの食べさせてあげるから、楽しみにしてて」
「……わかり、ました」
どこか戸惑い気味に頷き、エトナはソファに向かう。
その後ろ姿に多少の引っ掛かりを覚えつつ、私は買い物袋から野菜を取り出してまな板に載せた。
◇◇◇
切って、茹でて、焼いて。
料理の初歩だと思っていたこれらの行程は、『自分以外の誰かに作る』という要素が加わるだけで難易度が跳ね上がることを私は身を以って実感した。
普段から炒飯やオムレツなどを見栄えを気にせず大雑把に作っていた私だが、エトナに食べさせることを意識すると、途端に緊張してしまったのだ。昼はまだ迷い猫にエサを与える程度の感覚だったのだけれど、一緒に住むと決めた今となっては、料理ができるお姉さんとして振る舞いたい。
おそらくすぐにボロが出てしまうだろうが、少しくらい尊敬されるお姉さんムーブがしたいのだ。分かってほしい。
思い返せば、身内以外に料理を振舞うなんて初めてだ。
大学生時代はそれなりに自炊もしていたが、就職してからはその頻度も減った。
野菜はコンビニサラダで済ませていたし、肉が食べたくなれば誰かを誘って焼肉に行けばよかった。
そんなことだから、ジャガイモの皮むきで指を切るしオーブンで軽く焼こうとしたライ麦丸パンはあわや焦げパンになりかけた。高いから美味いはず──と、深く考えずに買ってきたA5ランクのサーロインはフライパンで焼き始めた途端に焼き加減を全く考えていなかったことに気づき、なんの考えもなしにミディアムへ着地するという雑っぷり。
料理スキルのなさを発揮してしまった私は、それでもどうにか完成にこぎつけた。
鉄板皿に分厚いサーロインステーキと付け合せの野菜を添え、香ばしい丸パンとコーンスープが用意できた。
「ま、まぁ、このくらいなら私でもできるし……?」
震え声で誰にともなく言い、料理をリビングへ運ぶ。
「お待ちどうさま。お皿熱いから、火傷しないようにね」
テーブルいっぱいに、皿を並べていく。
ソファに座るエトナは、並んだ料理を前に感嘆の吐息を漏らした。
「ご飯かパンかで迷ったんだけど、美味しそうなパンが売ってたから、パンにしたんだ」
「こんな綺麗なパン、本当にひさしぶりに見ました……! それに、お肉も……!」
エトナの細い喉が鳴る。
おあずけされた子犬みたいにうずうずしながら、鉄板皿の上でじゅわぁぁと音を立てるステーキに釘付けになっていた。
だが、エトナはその可愛らしい表情を引っ込めて、一転して不安げに私を見る。
「あの……これ、本当にわたしがいただいてもいいんでしょうか? とっても高そうなお肉に見えるんですけど……」
「まあ、値段はそれなりにしたけど」
具体的には、余裕で万札が飛んだ。
「でも言ったでしょ? 私がエトナに美味しいものを食べてほしいの。とはいえ、今回は歓迎の意味も込めて奮発したわけで、毎回こんな豪勢にはできないけどね」
頬をかきながら、笑って言う。
だがエトナは、まだ不安を引き摺ったままの表情で「さっき言いそびれてしまったんですけど……」と前置きしてから言葉をこぼす。
「わたし、歓迎していただけるような立場じゃなくて……むしろ、お邪魔でしかないですから……その、こんなに美味しそうなご飯を用意してもらう資格があるのかなって怖くなって……ごめんなさい。お料理が出来上がってからこんなこと言って。でも、わたし、こんな美味しそうなもの初めてで、胸が苦しくて……ごめんなさい」
「エトナ……」
涙を堪えてどうにか吐露し、彼女は俯いた。
それに私は、もっと此葉みたいに「お肉だー!!」とか言ってがっついてくれてもいいのになんて思ってしまう。
だが、これがエトナのらしさなのだろう。
自分を卑下し考え過ぎてしまう、臆病な子。
それが良いか悪いかは別として、私は彼女の性格に向き合っていきたかった。
私が想像もできないような14年を生きてきたエトナを少しずつ知り、その上で彼女が素直に楽しんだり喜んだりできるようになってくれたらいいなと、強く思う。
だって。
せっかくのご馳走を前にしてすら、こんなに辛そうな顔をしてしまうなんてあんまりじゃないか。
だから私は、願いを込めて心のままに言った。
「私は、あなたが来てくれて嬉しいよ」
「えっ……?」
私の一言に、エトナは信じられないとばかりに顔を上げた。
「あなたの服を買ったり料理をするの楽しかったし、いってきますとかただいまって言う相手がいるのがホッとすることだったなんて初めて気づけたし、部屋が片付いてると気持ちがいいし──そういうのぜんぶ、あなたが来てくれたから分かったことなんだ。だから、感謝してる」
「そんな、トーコさん……わたし、なにもしてません……勝手に上がり込んで迷惑かけて……感謝されるようなことなんて……!」
「そんなことないよ。私ね、あなたと一緒に暮らすの結構楽しそうだなって思ってるんだから。……すぐには難しいとは思うけど、もっと自分を大切にしてね。まだ会って間もないかもしれないけど、迷惑だとか邪魔だとか、一瞬も思ったりしてないから。ねっ?」
「…………っ」
エトナは無言できゅっと下唇を噛み締め、何度も頷いた。
涙をこぼさないように一生懸命なのだろう。
だが、あまりに勢いよく頷いたせいで一筋涙が流れてしまっていた。エトナは慌てて目元を拭い、不器用に笑う。
「うん。じゃあ、この話はもうお終い。はい、これで涙を拭きなさい」
そう言ってティッシュを渡し、エトナが落ち着くのを待つ。
熱々の鉄板を採用したおかげで、鉄板からはまだ微かにじゅぅぅ……と音が聞こえていた。大丈夫、まだ充分に温かい。
正直私も、はらぺこだった。二日酔いのせいもあって昼は食べずのままだったため、鉄板で焦げるステーキソースの香りだけで唾液が溢れてきてしまう。
おにく、たべたい。
が、それよりも先に言うべきことを言う。
「それじゃあ──ようこそ、エトナ。私はあなたを歓迎します。どうぞ、召し上がれ」
「ありがとうございます、トーコさん。本当に……! あ、えっと、お祈りじゃなくて……いただきます!」
先ほどまでの翳った表情など微塵も感じられないほどにきらきらとした笑顔を浮かべ、エトナは食前の祈りではなく、私と同じ挨拶を口にした。
私は、それがなんだかとても大切で嬉しいことのように思えて、彼女と同じくらい笑顔になって「いただきます」と言った。




