後輩
「ありがとうね此葉。助かったや」
「先輩にはいつもお世話になってるっすから、そのお返しっすよ」
隣を歩く此葉が、にぱっと笑う。
『自堕落』パーカーを外出着として我が物顔で着こなす愛すべき後輩の手には、私が買い過ぎた荷物の半分が握られていた。
「タクシー乗り場ヤバかったっすね」
「ヤバかったね」
私たちは二人して苦笑。
偶然会った後、少し話してじゃあまた会社で──と別れようとしたのだが、タクシー乗り場に長蛇の列が出来ていたのである。どうやら近場で催し物が行われている影響らしかった。それで筋肉痛覚悟の徒歩帰宅を決行しようかとした矢先、此葉が荷物持ちを申し出てくれた次第。
彼女の家が私のマンションと徒歩15分弱しか離れていないからこそ成せることだ。
聞けば彼女は休日ということで朝は猫カフェ、昼はジム、そして先ほど定食屋でカツ丼定食(大盛り)を平らげてきたところらしい。
満喫しておられる。
「そういえば昨日はたいへんだったらしいっすね。外注のライターさんが音信不通になって結局先輩が外注さんの分もぜんぶ書いたって聞いたっすよ」
「あー、うん。まあ、なんとかなってよかったかな」
昨日はトラブルがあって残業してたっけなとおぼろげに思い出す。
あのあとエトナと出会ってしっちゃかめっちゃかだったためすっかり忘れていた。
「っていうかそれ誰から聞いたの?」
「白咲さんからっす。ほら、ラインで。『あんたんとこのリーダーがキーボードクラッシャーしながら残業しててうるさい』って」
「あんにゃろう」
明日出社したら縦ロールに余裕たっぷりな表情が誰より似合う同僚に小言を言われるんだろうなと、渋い顔になる。
私と碓氷、そして白咲は同じシナリオ製作会社で働いている社員だ。
スマホ向けアプリやコンシューマーゲームのシナリオ、ドラマの脚本からノベライズや記事の執筆まで文字媒体を広く請け負っている会社で、私は社員と外注ライター数名で構成されたチームのリーダーとして納品物のクオリティや納期などを調整している。
碓氷は同じチームの部下で、白咲はもう1つのチームのリーダー。
他の製作会社がどういった仕組みを取っているのかは知らないが、小さい会社であるウチは2つのチームが仕事を回している。
で、昨日は外注ライターに振り分けたソーシャルゲームのキャラクターフレーバーテキストやシナリオがいくら待っても納品されなかったため、エナジードリンクの力を借りてギリギリでクライアントに納品したわけだ。
「にしても大荷物っすね先輩。一人暮らしだって聞いてたっすけど、どしたんすか?」
「えー、あー。夜に妹が彼氏連れて来くるからさ。久々に会うし、ちょっとお姉さんらしく奮発してあげようかなってとこ」
まさか異世界から14歳の女の子が来ているとは言えないため、やや早口で嘘をでっちあげる。此葉は素直に「ほほう」と頷いてくれた。
「なんか、やっぱ先輩ってかっこいいっすね。仕事もできるし、ちゃんとお姉さんしてるし。尊敬するっす」
にゃはは、と猫科っぽく口元を緩ませる此葉。
「いやいや、かっこよくないない。此葉の知らないところでダメダメだらけだし」
料理は雑で部屋の掃除はできず、恋人もいなければ着替えもしないでチューハイ片手にスプラッタ映画を観てるような残念アラサーである。……改めて客観的に考えてみるとだいぶ悲惨だ。泣きそう。
しかし可愛い部下はにゅふんと軽く笑って、
「自分はダメダメな部分があったほうが、グッとくるっすけどねぇ。なんでも完璧! みたいなほうが怖いっすよ。絶対自分、ソリが合わない自信あるっす。その点先輩は自分がダラダラしてても許してくれるから理想の上司っすよ」
「あなたの場合はなんだかんだ締め切り前にクオリティの高い成果物を上げてくるから放任してるだけよ。下手に口出さなくてもちゃんと間に合わせてくれるし。怠けてるだけだったら、遠慮なくシバくから」
冗談めかして言ってやる。
すると此葉はにんまりして爽やかに言った。
「先輩のそういうとこ、やっぱ好きっす」
「そういうとこって、どういうとこ?」
「ちゃんと自分のこと見ててくれて、信頼してくれてるってとこっすかね。自分、先輩以外の人と組むと『真面目にやれ』って怒られること多くてもにょっとするんで、できるだけ先輩と一緒にお仕事したいなぁ、なんて」
「……まぁ、善処しといてあげる」
そうして言葉を交わしているうちに、マンションが見えてくる。
数十メートル手前の交差点の赤信号で止まった私は、「ありがと。ここまででいいから」と言って、此葉から荷物を戻してもらうことにした。
此葉の手から、私の手へ肉や野菜で膨らんだ袋が渡る。
それと同時に、いきなり此葉が距離を詰めてきて私の肩のあたりに鼻先を埋めた。
そのまま彼女は、すんすんと鼻を鳴らす。
「……なにしてるの、此葉」
「あ、すんません。なんかいい匂いするなって思ったら吸い寄せられてたっす」
あっけらかんと言う此葉。
「匂いは、たぶん出かける前にシャワー浴びたからかな。っていうか前に温泉行った時もいきなり胸揉んできたし、相手が相手だったら怒られるからね?」
「ご心配なくっす。こういうことするの、先輩にだけなんで」
「それはそれでどうなのよ」
「親愛の証ってことでよろしくっす。あ、信号変わったっすね。じゃあ自分はこれで!」
ビシっと敬礼をキメて此葉が180度ターン。
しかし私は、去ろうとする後輩の背中に声を掛けた。
「ちょい待って。これお礼にあげる」
「およ?」
慌てて更に180度ターンをして元通りに向かい合った此葉の手に、私はさっき買った『絶品とろける卵プリン』を握らせる。
「せ、先輩!? これ駅地下のめちゃくちゃ美味いやつじゃないっずか!!」
「そうなんだ。目に付いたから買っただけなんだけど」
「そ、そんなあっさりと……ブルジョワっすね。あ、今さらやっぱ返してとか言うのなしっすからね? もうこれ此葉ズ・プリンなんで」
そう言って此葉はプリンを大事そうに胸に抱く。
「取らない取らない──やばっ信号点滅してるし。じゃあ今度こそまたね」
「はーいっす! ひゃっほーい、先輩のとろけるプリン!!」
私が小走りに横断歩道を渡り、此葉は弾んだ足取りで来た道を戻っていく。
一度振り返ってみると、クソダサスタイリッシュ『自堕落』パーカー姿の後輩の背中は、もう見えなくなっていた。
元気なやつだなぁ、としみじみしつつマンション内に入り、エレベーターに乗る。
するとそこで、ラインの通知音が鳴った。
見れば此葉からだ。『こんど先輩の家行っていいっすか?』とあった。
「…………」
私は数秒画面を眺めた後、『考えとく』と濁して返した。
家に呼ぶということは、エトナに会わせるということに他ならない。そのあたりは、エトナとも話し合うべきだろう。
4階につき、通路を歩く。
ポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。
「ただいま」
一言、リビングへ向けて言う。
すると軽く小刻みな足音とともに、エトナがやって来る。
「お、おかえりなさい! トーコさん!」
主人の帰りを待ち侘びていた子犬のようなキラキラした顔をするエトナ。
手が荷物で塞がってなかったらわちゃくちゃに撫で回してやりたいななんて思いつつ、私は改めて「うん、ただいま」と言った。
いってきますと同じで、ただいまを言う相手がいるというのはやっぱりいい感じだ。




