(15)
機は熟した。
その合図があったのは、つい先ほどだ。
与えられた役割は十分に理解している。恐怖がないと言ったら、嘘になるだろう。それでも、彼は戦う覚悟をしている。
それは自分の本来の意思とは違うものかもしれない。
彼は貴族の家に生まれた。父親が少し有名であったため、彼の人生はそれなりに波乱万丈なものとなっている。それ自体を恨んだことはない。親――あるいは家族を本心から恨む人などまずいないだろう。
当然のように、彼も貴族の家に生まれたことを自覚して、貴族として生きていくことを覚悟した。それがしがらみの多い人生になると分かっていながらでも、だ。
彼の父親は、すでに現役を退いている。
およそ一○年前の大きな戦争で軍人として戦った父親は、戦争終結後に前線で戦うことを止めた。宝玉の力も合わさって、武闘派な印象の強い父親が、あっさりと戦場に出なくなったことを彼は疑問に思ったりもした。
しかし、父親の本意は分からずじまいだった。
それでもよかった。武闘派で厳格な印象がある父親が、今までよりも少し自分と接してくれるようになったと子供心で喜んでいたのだ。
貴族の家には、役目があった。
国王より任せられた土地を治め、政治を行い、民と国を守る。王国軍という軍隊が存在しているが、所属している兵士の割合は貴族と一般人でどちらが多いのだろうか。そのようなことを時々考えるほど、貴族は多くのことを国王より任せられている。武闘派と言われている彼の父親は、大臣などのように国の政に関わることは少なかったが、軍人として国を長く守ってきたという意識は強く持っているような気がした。
だからだろうか。
いつの間にか父親は国への不信感を抱くようになっていた。
戦争が終結してからほどなくして、国は融和政策を進めるようになっていた。隣国とは平和条約、友好条約を立て続けに結び、大陸最大宗教であるノーラン教の本部がある公国とより親密になっていった。それらは全て戦争終結後も力を蓄えつつあった両帝国への警戒の意味合いもあったが、彼の父親はそんな国を弱くなったと憂いた。
大人になり切っていない彼は、父親からその話を聞かされた。このままではいずれ滅んでしまう、と危険を覚えた父親はもう一度国のために立ち上がると口にした。そのために力を貸してくれ、と。
悲壮な決意を見せた父親に、彼は二つ返事で答えた。
親――あるいは家族を本心から恨む人などまずいないだろう。彼もそうだったのだ。貴族として生まれ、貴族としての教養、享受、武術、剣術の嗜み、ダンスや社交界でのルールなど多くのことを学んだ。
それらのことを教えてくれたのは、時として師よりも親が多くなる場合もある。だから、彼は親の決意に力添えすることにした。
そう。
結局のところ、彼は父親を尊敬していたのだ。
身体が震える。
これは武者震いではない。単純な恐怖によるものだ。
彼は軍に所属している兵士ではない。日々の鍛練や剣術の指南は受けているが、戦場での経験は浅い。それでも彼を突き動かしたのは、父親への思いからだ。
(作戦は全て父上が立ててくれた。あとはその通りになぞるだけ)
ふと父親のことを考えたら、身体の震えが止まっていた。そのことに、彼は少しだけ苦笑する。
「さぁ、合図が出た。いくぞ、お前たち」
「はっ」
父親と志を同じくする者を従えて、彼――エルヴァー・マルコラスは表通りへと飛び出していった。




