(14)
エレナ王国で起こった革命の動き――内紛、あるいは内乱――は瞬く間にパンゲア中に広まっている。未来を予見することができるオーブを持つ予見者たちの多くが、その未来を垣間見ていたのだ。
同様にして。
エレナ王国の混乱は、他の国に伝染していく。
それは、ここノーラン公国でも同じだった。
ノーラン公国内の大きな都市だけでなく、町や村までもエレナ王国の出来事は伝わっていた。予見者が垣間見た未来は、他のオーブによって様々な地方まで広まっているのだ。
「どうやら、この町にも届いているみたいですね」
周囲の様子を観察しながら、ぽつりと呟いたのはレオン・アンソニー。エレナ王国王族特務護衛隊の分隊長を務めている軍人だ。レオンの隣には、彼が常日頃から護衛しているエレナ王国第三王女レイラ・シンクレアがいた。
「えぇ、そうみたいですね」
「ここはノーラン公国ですから、直接的な被害は及ばないでしょうが……」
気になるものは、気になる。
ノーラン公国はノーラン教の総本山であるマリテルア大聖堂を持つ公国である。正確には公爵が治めている国だが、実質的な権力はノーラン教、あるいは教皇であるパルトロメイが持っているとみられている。
そのような国を襲おうとする者などいない。
だが、万が一ということもある。レイラとレオンはたった二人でノーラン公国の公都を目指しているのだ。エレナ王国の革命に煽られた野盗の集団に襲われないとも限らない。道中は細心の注意を払う必要があった。
「もう少しでアステーナです。そこまで行けば、安全でしょう」
「そうね。レオン、急ぎましょう」
「はっ」
訪れた町が持つ不穏な雰囲気を気にしながらも、二人は先に進む。
ノーラン公国の首都――公都アステーナは、公国の東地方にある。
都市のシンボルでもあるマリテルア大聖堂を、街のどの場所からでも眺めることができ、白を基調とした聖堂に倣って、落ち着いた色合いでつくられた都だ。各国の首都や貴族都市のような華やかさはないが観光地としても有名で、何よりもノーラン教信者たちの聖地として広く知られている。
アステーナまでは定期便の馬車が運行している。ノーラン公国の各地とアステーナを繋いでいる馬車は人々にとってなくてはならない交通の要なのだ。
その馬車の発着場に二人は来ていた。
「次の便は何時なのですか?」
「待ってください。……およそ、三○分はありますね。目的地までもう少しですし、歩きますか?」
「いえ。ここまで徒歩を優先させてきましたので、さすがに疲れました。馬車を待ちましょう」
「分かりました」
レオンは主の言葉に従う。
クルスを出てから、二人はなるべく徒歩での移動を優先させてきた。今回のノーラン公国訪問は非公式のものであるからだ。父親であるエグバートは護衛を小隊規模でつけると口にしたが、レイラは姉同様に大所帯で行くことを拒んだ。
それは、彼女が気にしていることも少なからず関係している。
「……やはり、私には謎に思えるのです」
「ノーラン教会の教え、ですか?」
「えぇ」
「宝玉が突然現れることや尋常ならざる力を与える点ももちろん気になりますが……」
そこで、レイラの言葉を途切れた。彼女は考え事をするかのように、人差し指を口元にもっていく。その視線は地面をじっと見つめていた。
「……なぜ、宝玉は一人に一つだけ現れるのでしょうか?」
「それは……」
レオンは答えられない。
宝玉――あるいはオーブ――が誕生したのは、およそ五○○年前とされている。何時、何処で宝玉というものが生まれ、人々に広まっていったのか。当時の時代は暗黒時代と呼ばれ、確証の持てる資料も少ないことから詳しいことは解明されていない。その中でノーラン教が誕生して広まり、オーブの利便性が語られて、今日のようにオーブは日常生活になくてはならないものとまでなった。
「持ち主を失った宝玉は、次第にその力を失っていくということは証明されているそうです。ノーラン教会の学者たちが発表したものをそのまま信じれば、ですが」
「姫様は、信じておられないのですか?」
「正直に信じ難いと思っています。実際に、あの宝玉を目の当たりにしましたから」
「スミス中将に渡した――」
「えぇ。あの宝玉は輝きこそ弱めていましたが、その力はまだ残っていました。それが偶然なのか。それとも、そういうものなのか。私は気になります」
「…………」
それについては、レオンも気になっている。軍人であるレオンは、宝玉の研究について疎い。しかし、レイラから話を聞いて、違和感を覚えていた。
一方で、レイラは知的好奇心豊かに真偽を探ろうとしている。それが危険な行為だと分かっていながら、彼女は湧き上がる謎を放っておけない。明らかにしたい、と思っているのだ。
だから、二人はノーラン教会の総本山があるマリテルア大聖堂を目指していた。
「好奇心に実直なことは良いことだと思います。しかし、気を付けてください。どうも嫌な流れになっているような気がします」
「えぇ、それはもちろ――」
「なるほど。危険を感じ取る力は高いようだな」
「――ッ!?」
「ど、どなたですか!?」
不意に鼓膜に響いた声に、二人は身をこわばらせた。
視線の先、馬車の発着場の奥にある建物の路地から、一人の男が姿を見せた。男は夏だというのに、黒いコートのような外套を身にまとっている。見ているこちらが暑くなるような恰好だが、男の表情は暑さを感じさせない。
男がまとっている気配は、只者ではないことを知らせる。外套からは腰に剣を提げているのがちらりと見えた。
「お前は――」
「悪いな。これも使命だ。お前たちをこのまま進ませるわけにはいかない」
「……レオン」
「大丈夫です。レイラ様は下がっていてください」
「は、はい」
レオンの迷惑にならないように、レイラは思いっきり距離を取る。それを確認して、鍊は再び男に視線を向けた。
「――ノーラン教の者だな」
「答える義理はない」
「あぁ、そうだろうが、こちらにも事情がある」
「どのような事情だ?」
「それこそ答える義理はないな」
「……そうか。なら」
力づくで答えさせそう。
そう言わんばかりに、黒い外套をまとった男は剣を抜いた。レイピアのように細身の剣だ。だが、その刀身は波状である。どちらかというと、フランベルジュのようだ。その切っ先が、微かに赤みがかっている。
(見たこともない剣だ。あいつのオーブに関係しているのだろうか……)
考えている暇はない。
剣を抜いた男が、いきなり迫ってきた。
「――ッ」
反応が遅れた。右方向に身体を無理矢理捻る。そうすることで、相手の剣をぎりぎりのところで回避した。
「レオン!」
危険を感じたレイラが、彼の名前を叫ぶ。
しかし、レオンはそれを手で制した。
「いきなり斬りかかってくるとはおっかないな。ここは人目だってあるんだぜ?」
「そちらも気にはしていないだろう? それに危険がつきまとう事例は早めに済ませておくことに限る」
「危険?」
男の発言に、レオンは眉をひそめる。
(狙いはレイラ様で間違いないだろう。レイラ様を止めようとしているのなら、それはノーラン教の関係者の確立が高い。それに――)
「その首の刺青。噂に聞いたことがあるな」
「――気づいたか」
「あぁ。本物を見るのは初めてだが」
「ならば、分かるだろう? 素直に国に戻れ」
「それは出来ないな」
ちらりと後ろに下がったレイラに視線を移す。十分に距離を取っているものの、ここは町の中にある馬車の発着場だ。通りには家屋が並んでおり、背後は絶たれているようなものだった。
(無茶は出来ないが――)
やるしかない。
目の前の男に視線を戻したレオンは気を引き締めた。レオンは王族特務護衛隊のナンバー二と呼ばれている実力者だ。マルスやトーマスほどの大柄な体躯ではないが、敏捷さをもった身体で剣の腕前は彼らにも劣らないほどだ。
しかし、レオンは自ら動けずにいた。
対峙している黒い外套の男は、かなり強い。それは一度斬りかかってきたことでも分かった。その証拠が、男の首筋にある刺青なのだろう。
先に動いたのは、やはり男だ。
二人の距離を一瞬で詰めてきた。横に振るわれる細身の剣を、レオンは地面を転がって躱した。反撃に移ろうと、すぐに体勢を立て直す。
「な……ッ」
だが、男の攻撃が速かった。視界を覆うほどの火の粉がいくつもの方向から襲い掛かってくる。
(回避は間に合わない――っ)
そう思った直後、レオンの胸元が光りだした。オフェリア色の輝きを受けて、レオンを守るように六つの氷柱が現れる。襲い掛かった火の粉は、突如現れた氷柱とぶつかり爆発を起こした。
「ぐッ――」
立ち込めた煙を払いながらも、レオンは鋭い視線を男に向けた。
男は興味深そうに、砕いた氷柱を見ている。
「それが、お前のオーブ。氷を生み出すオーブか」
「…………」
(向こうは火系か。相性悪いな、ったく)
その通りだった。
レオンのオーブは氷を生み出す具現系の『アイシクル』。対して、男のオーブは同じ具現系の火を生み出すオーブであり、レオンの氷はあっさりと融かされてしまう。
「緋色の宝玉、『イグニス』か」
「あぁ、そうだ」
「一般的なオーブの持ち主が『執行者』か。意外だな」
「その名前を知っているということは、別の意味も知っているのだろう? お前は俺には勝てない」
もちろん知っている。
『執行者』はノーラン教会が認めたオーブの番人たちだ。各国の優れたオーブ使いたちがノーラン教会に選ばれ、裏の世界からパンゲアを守護している者たちだ。
それを称して、『グランツマイスター』。
大陸最強のオーブ使いともいえる集団だ。
(……一般的な具現系でも、使い手が変われば最強のオーブにもなれる、か)
再び気を引き締める。
どのような理由であれ、ノーラン教会が『執行者』を送り込んできたことは事実だ。それほどレイラを警戒しているのだろう。
「――どうしても通してくれない、か」
「当たり前だ。こちらにも使命がある」
「なら、力づくで通る」
「おもしろい。やってみろ」
相手は明らかな化け物かもしれない。
それでも、レオンは主のために引けなかった。王族特務護衛隊のナンバー二としての意地が、彼を奮い立たせる。
そうして。
レオンは怪物へ立ち向かっていった。




