(9)
エレナ王国の国境を越えてから、かなりの時間が経過した。
ここまでの道中でも、行き交う人々が慌てた様子を見せていた。そのことから、ノーラン公国に向かっている第三王女レイラ・シンクレアもエレナ王国で何が起こったのか理解した。
「お父様は大丈夫でしょうか……」
ぽつりと不安な言葉が零れ落ちる。
「きっと大丈夫です。エグバート陛下はお強い方です。今回の暴動もあっさりと解決してくれるでしょう」
不安な表情を見せるレイラに、言葉をかけたのは、レオン・アンソニーだ。エレナ王国王族特務護衛隊の分隊長を務めており、レイラ専属の護衛としてノーラン公国訪問に同行している。
「……そうだといいのですが」
「不安はなくなりませんか?」
「えぇ、もちろんです。ムブルストの状況は、おそらくお父様よりも私のほうが詳しいでしょう。やはり詳しくご報告しておくべきでした」
「……そうなされなかったのは、陛下に余計な心配をかけないため、ではなかったのですか?」
「そうですが……」
心残りがあるのだろう。
それを悟りながらも、レオンは彼女に言葉をかけ続けた。
「今回の訪問の前に、私は陛下より命を受けました」
「命?」
「はい。何があっても、レイラ様を守れというものです。もちろん、私は平素よりレイラ様の護衛役としてその任をしっかりと行ってきているつもりです。ですが、今回のような形での他国訪問は初めてです。エレナ王国で何かが起きているように、こちらでも何かが起こるかもしれません。――まずは、ご自分の身の安全から、ですよ」
「……はぁ。あなたはいつもそうなのですね。――分かりました。無事にアステーナに着くように旅路を祈っています」
「えぇ、それでいいのです」
同時刻。
レイラたちが向かっているアステーナに、一人の男が舞い戻ってきていた。
男は疲れた様子も見せずに、マリテルア大聖堂に向かっていく。その異様な恰好は周囲の者から怪訝な視線を向けられるが、男は大して気にしていない。それどころか、堂々とさえしていた。
「よく戻った、ベルトーネ」
「はっ。遅くなり、申し訳ありません」
「よいよい。で、成果はどうだった?」
「東方面を一通り見てきましたが、クルニカは南北の帝国をより警戒している模様です。これでは本格的な捜索は難しいでしょう」
「……そうか」
「はい。あと、セイス大河の連絡船で勇者とエレナの姫に会いました。彼らもクルニカ国内に向かっていましたが、放っておいてもよいので?」
「あぁ、今はまだ気にする必要はないだろう。お主が戻る前に、こちらにも顔を出してきていた。どうやら調べものがあったようだが、エレナの革命の動きを見てトンボ帰りしていったところだ」
「――なるほど。不穏な動きは感じていました。我々も動くのですか?」
「そのつもりでおる。気になるか?」
「……いえ」
「ならばよい。――あぁ、そうだ。あともう二人ほどこちらに向かっておる者がいる。会ってやってもよいのだが、少々面倒になるかもしれない。お主に対応を任せてもよいかの」
「二人? わかりました、俺が対応します」
「助かる。何事も、丁重にの」
「はっ」
そうして、ベルトーネは謁見の間を後にした。
ベルトーネが退室したことを確認して、パルトロメイは大きなため息を吐いた。
「教皇たる者がこのような様ではいかんのだろうが……。わしらにも悲願がある。すまないの、エグバートよ」
少し悲しそうな表情を見せたパルトロメイの手には一つの封筒が握られていた。
封も開けられていないそれには、エレナ王国の王家の花押があった。




