(5)
エレナ王国の国境線に近い平原。
そこで、王都クルスへ向かっている大地たちと、ゴルドナ帝国の『四人の処刑者』たちは戦っていた。
それぞれが一対一で刃を交えている。
その戦闘の中で一番激しかったのは、マリテルア騎士団団長であるアイサと、『四人の処刑者』のアレクシスの戦いである。圧倒的な攻撃速度と範囲を誇るアイサのオーブ――『レイ』をアレクシスは悉く躱している。それだけでなく、隙をついては反撃をしていた。
(……ぐっ、強い)
お互いの剣が、何度もぶつかり合う。
その激しさは圧倒的で、二人の実力が相当高いことが窺える。何よりも、アレクシスの凄さにアイサは目を丸くしていた。
「――ッ」
(この私が、圧倒できないなんて――)
『レイ』は光線を生み出す具現系のオーブである。体力的な消費が激しいオーブだが、エネルギー性においても、攻撃性においても強力なオーブとして知られている。膨大な熱と速度を持った光が突撃してくるのだ。
それをアレクシスは躱している。その事実を、アイサは目の当たりにしながらも信じられなかった。
「おいおい。ご自慢の『レイ』もそんなもんか? もっと斬りがいがあると思ったんだけど」
「…………」
単純な挑発には乗らない。
それよりもこうも容易く避けられる理由を探るほうが先決だ。そうしなければ、騎士団団長とは言え、まず勝てない。
(相手のオーブが……? けど、宝玉の輝きは見られない)
オーブの発動には、必ず持ち主が肌身離さず持っている宝玉が光り輝く。その輝きは鞄に仕舞っていても、何かに包んでいても関係ない。一目で分かるほどの強烈な輝きが放たれるのだ。
つまり。
アレクシスはオーブを使っていない。
それで、アイサが最年少で騎士団団長になれた理由ともいえる『レイ』の攻撃を回避しているということになる。驚異的な身体能力だ。
「あなたの、その力は――?」
「あん? あぁ、何も特別なことはしてねぇぜ。単純にあんたの攻撃が見極めやすいってだけだろ」
アレクシスは可笑しそうに鼻で笑っている。
だが、そんなはずはない。光線による攻撃なのだ。ノーラン教会が独自に収集したオーブの資料では、全オーブ中最速の攻撃速度を誇っている。
(何かカラクリがある)
だから、そう判断した。
(まずは――)
そして、アレクシスのカラクリを見極めるために、攻撃を繰り返す。
「あなたの力、必ず見極めて見せます!」
「諦めが悪いのはいいねぇ! こっちまで楽しくなるぜ!!」
アイサとアレクシスが戦っている場所の近くでは、ティドとリカルドが同じように一対一で戦っていた。
リカルドが持つ大剣を、ティドは小柄な身体で何度も受け止めている。
「ぐ――ッ」
「ほう。非力な腕でよく持ちこたえるな」
「絶対に負けるわけにはいかないんです!」
「そうか。――しかし、お前と俺の絶対的な力の差は埋められない。お前も軍人のようだが、それは分かるだろう?」
たしかに、小柄なティドが一○センチ以上も背が高いリカルドに腕力で勝つことは難しいだろう。だが、ティドもエレナ王国王族特務護衛隊所属である。王族特務護衛隊は王国軍よりもエリート軍団として知られている。ティドにも、少なからずそのプライドがあった。
(ここでエリーナ様をやらせるわけには――ッ!!)
そうして。
ティドが持つ剣から、極彩色の輝きが溢れた。
「――ッ!?」
ティドのオーブ『ガルドル』。
不気味な声を通して、相手に呪いというかたちで効果を及ぼすオーブだ。効果範囲を限定的に指定できることからも希少で強力なオーブに分類されている。
その効果は絶対的なものだ。
「く、そ……。またか――」
ティドの背筋が凍るような歌声を耳にしたリカルドは、猛烈な目眩を覚えて地面に膝をついた。
「はぁはぁ……。これで、あなたは無力だ」
「ってなると思うか?」
「――ッ!?」
リカルドの一言にゾッとしたティドは、慌てて距離を取ろうとする。だが、遅かった。リカルドは地面に膝をついたままで、大剣を難なく横に振るう。その切っ先が、ティドの身体を正確に捉えたのだ。
「ぐッ――!?」
後ろに跳んで回避しようとしたが、間に合わなかった。ティドの肌を大剣が切り裂き、赤い血で服を汚した。
(傷は、浅くはない……か。まずいな)
「……僕のオーブから、どうやって?」
「それをホイホイ教える馬鹿がどこにいると思う? 『ガルドル』は確かに強力だが、先の戦争から対策はとられてきている。お前がその使い手だと分かれば、対処はできるさ」
「…………」
(なるほど。――確かに『ガルドル』の効果は絶対的だけど、完璧じゃない。それは分かり切っていたのに……)
その弱点をあっさりと突かれてしまった。それはリカルドが強い軍人という理由ももちろんあるだろう。それを再確認したティドだが、オーブを打ち破られたくらいで引き下がることはしない。ティドもまた軍人なのだ。
「ふふ。そうこなくてはな」
「あなたを必ず倒す!」
「いいだろう。俺も本気で行くぞ」
強い光が発生する。
リカルドの胸元のネックレスが、強烈な黄緑の輝きを放っていた。
(『ラファル』!)
気づいたティドは、咄嗟に身体を屈めた。ティドの身体の上を、強烈な風が通り過ぎていった。
「よく躱した!」
「――ッ!」
声が聞こえた時には、屈んだティドの身体を上から叩きつけるようにリカルドが剣を振りかぶっていた。
(ちっ――)
歌が響き渡る。
先ほども響いたティドの口から発せられる身も凍るような歌。『ガルドル』のオーブに乗せられて聞こえてくる歌は、一時的にリカルドの身体を硬直させた。
しかし。
「無駄だと言っているのが分からないのか!!」
リカルドの叫びとともに、『ガルドル』は打ち破られてしまう。
(やはり駄目か。けど、これで――)
危機は脱した。
リカルドが『ガルドル』を破ったほんの一瞬の時間で、ティドは体勢を整えていた。
「――ほう、そういうことか。頭は悪くないようだな」
「はぁはぁ――。僕は王族特務護衛隊の隊員だ。そこまで甘くない!」
「あぁ、エレナの王家を護衛する専門部隊か。噂に聞いたことがある。――が、お前ほどの者が隊員とはよほど人材不足のようだな」
「……なっ!?」
ヒュン、という空気を切る音が聞こえてきた。
周囲の草木が掻き切られていく。それは無数に迫りくる烈風だった。
「ッ――」
「今度は躱せきれないぞ!」
無数のかまいたちが、ティドの身体を襲う。
四方八方から迫りくるかまいたちは面による攻撃だ。オーブによるかまいたちを同じオーブである『ガルドル』で打ち返すことはできない。
絶体絶命だった。
そこへ。
「させない――ッ」
いくつもの炎がティドの身体を追い越していった。
それらの炎はかまいたちを飲み込み、大きな爆発を起こした。地響きが起こり、爆風の煽りを受けて、ティドの身体がよろける。
それでも振り返るとそこには、
「リシャール!」
「大丈夫、ティド!?」
「え、えぇ。なんとか――」
突如駆けつけたリシャールに、ティドは救われた。見れば、リカルドも同じように爆風を受けたようで片膝を地面についた状態だ。急に表れたリシャールを鋭く睨みつけている。
「ですが、どうして? リシャールはたしか――」
リシャールはリーシェと二人で、『四人の処刑者』のソニア・クルスと対していたはずだ。戦力的に見ても、ティドの援護に回れるとは思えなかった。
「はぁはぁ。ちょこまかとオーブばかり使って逃げ回って――」
リシャールに遅れて、戦っていた相手のソニアも姿を見せた。その服がところどころ焦げている。リシャールの方も持っているペンダントが緋色の輝きをずっと見せている。どうやらリシャールのオーブ――『イグニス』でソニアと直接剣を交えないように戦っていたみたいだ。
「……とにかく助かりました。ありがとう」
「うん。僕も一人よりは一緒に戦ったほうがいいかなって思って」
「そうですね。ここからは二対二といきましょうか」
立ち上がったティドは、リシャールとともに『四人の処刑者』の二人へ鋭い視線を向けた。
「勝手に決めてくれちゃって。大丈夫ですか、リカルドさん?」
「あぁ、問題ない。だが、まぁ、いいだろう。倒す相手が一人だろうが二人だろうが関係ない」
リカルドとソニアもティドの言葉に応じた。二人ともそれぞれの獲物を握りしめて、ティドとリシャールに向かっていく。
「援護をお願いします!」
「わかった!」
走り出したティドの身体を、再び炎が追い越していく。
戦闘の様子は変化して、ティドとリシャールはともに強敵へと力を振るっていった。
相手の攻撃を剣で防ぐ。
反撃に、光線をいくつか放つ。
そうして、握った細身の剣を相手へふるう。
その間も、アイサはぶつぶつと考えていた。アイサの『レイ』を躱す力は生身の身体によるものではない。そう考えるアイサは、対峙しているアレクシスの一挙手一投足を確実に診ていた。
(体裁きや剣術は我流のよう……。けれど、ところどころに帝国武術の技術も見て取れる。やはり、強い男ですね)
激しい戦闘を繰り広げている間だが、アイサは確実に分析を進めていた。
「――で。どうだ? あんたの考えるカラクリとやらはわかったか?」
「……いえ、まだ」
ですが、と続ける。
「あなたはずっと正規軍にいたわけではないようですね」
「おっ、わかったか? すげえな。あぁ、そうだ。元々は猟兵団崩れさ。っていうか、『四人の処刑者』自体、曰くつきの部隊だからな」
アレクシスの口から出る余分な情報は切り捨てる。残った情報から、アイサはさらに思考を続けていく。
(猟兵団。依頼を受けて、仕事をこなす集団。かつての戦時中に増えたという野蛮な集団ですか。そういえば――)
「おっと、お喋りはここまでだな。のんびりしてらんねぇんだったぜ」
「――っ!?」
それまでは『レイ』による攻撃を回避することに集中していたアレクシスが、攻勢に転じてきた。
突撃してきたグイサの剣を、弾いて回避していくアイサ。しかし、前がかりになったアレクシスの攻撃はそれまでと違って正確さが増していた。
(まずいッ――)
回避が追い付かないと判断したアイサは、オーブを発動する。
耳につけたピアスが、黄肌色に輝く。すると、空中にいくつもの光点が現れた。そこから、一直線に光が放たれる。アイサの得意攻撃――光線だ。
「何度やったって同じだぜ!」
何重もの光線を、アレクシスは潜り抜けていく。いくつかの光線は身体を掠めていくが、アレクシスは気にも留めずに突進してきた。
「――!!」
剣による刺突を、アイサは細身の剣で弾いた。
鋭い突きを防いだアイサは、『レイ』を回避したアレクシスの行動で気になった点を見つけていた。
(おそらくは正当な技術じゃない。危険なやり方で宝玉を隠している……)
「――心当たりがありました」
「あ?」
再び距離を取ったアイサが、おもむろに口を開いた。
「どうやらあなたは、宝玉を装飾品にしていないようですね」
「お、やっと気づいたか。いつ気づくかと思ったが、結構時間かかったな」
(間違いありませんでしたか)
合点がいったアイサと違って、アレクシスはケラケラと笑っている。激しい戦闘を繰り返しながらも、この戦いを楽しんでいるようだ。
対して、アイサはさらに考える。
宝玉は、いまだに解明されていない謎が多い。
その最たるものが、持ち主に思いもよらない力を与えることだ。そして、持ち主のもとへ原石のまま突如として現れるという点も謎として挙げられている。物心ついた頃に、気が付けば持ち主のもとに現れるのだ。
その宝玉を、多くの者は加工している。原石のまま持ち歩くより、ピアスやネックレスのように装飾品に加工、あるいは自身がよく持つ物に埋め込めている。そうすることで、大事な宝玉をなくさないようにしているのだ。
「だけど、あなたは違う。その左目、義眼ですね」
「あぁ、そうだ。左目をなくして、そこに宝玉を埋め込んだだけだ」
宝玉を加工している者の多くは貴族や名家の者であり、彼らは金にものを言わせて行っている。宝玉の加工には高い技術が必要となり、ノーラン教がその技術を独占している。当然、費用も高くなるのだ。
「……宝玉を身体に埋め込むことは禁止されています。その危険性をあなたも知っているはずでは?」
「あぁ? そりゃあんたらの意見だろ。宝玉を身体につけりゃ、なくすことは完璧になくなるし、いいことずくめだぜ」
確かに、その通りだろう。
しかし、アイサの言う通りに宝玉を直接身体に埋め込むことは危険性が高いために、ノーラン教会は正式に禁止している。メリットよりも、考えられるデメリットのほうが多いのだ。
「どちらにせよ、カラクリは解けました」
「――?」
「義眼に埋め込んでいる宝玉は『アイズブル』ですね?」
アイサの答えに、アレクシスはニヤリと笑った。
「あぁ、そうだ」
(やはり!)
「猟兵団の情報は先の戦争以後、各国が集めています。その中に、『アイズブル』を使う団がいたことも確認されています。そして、私の『レイ』を受ける時に、あなたの瞳が一瞬だけ輝く」
「ふん、すべて正解だ。褒めてやるよ」
「…………」
けれど。
(『アイズブル』は厄介なオーブ。戦いの劣勢が変わったわけじゃない)
そうだ。
アレクシスのカラクリは解いたが、戦局に決定的な変化は起こっていない。今度は、アレクシスの『アイズブル』を攻略しなければいけなかった。
少し離れた場所で、複数の爆発が平原に大きく響く。
それは、ダビドのオーブ『エクスプロシオン』だ。宝玉を持つ者によって異なる物体を媒体にして、爆発を起こすオーブである。具現系のオーブにおいて、軍用目的が最も多いオーブと言える力だ。
その攻撃を、工藤大地は酷い体勢を取りながらも回避していた。
「ぐはッ……。はぁはぁ――」
「…………」
(ばけもんだろ、あんなオーブ。くそッ)
地面を転がるようにして、爆発を回避する。急いで立ち上がり、また回避行動を取る。その繰り返しだった。無数の爆発が間断なく起こり、大地が反撃に転ずる隙がまともにないのだ。
「……」
(勇者といっても、この程度か……)
前回の戦闘から、五日以上も日にちが経っている。オーブを使用した大地と直接戦ったダビドは多少の成長を期待していたが、逃げ回っているだけでは、それも望めなかった。
「……拍子抜けだな」
「なんだと!?」
「もう少し剣にも慣れているかと思ったが、特に変わっていないな。結局大した戦力でもなく、オーブが使えなければ足手まといなだけか?」
「……ッ」
(こいつ――ッ)
大地は厳しい訓練を受けた軍人ではない。アイサと違って、挑発に乗ってしまった大地は手にした剣をむやみやたらに振るう。ガキィンガキィン、とお互いの剣が激しくぶつかり合う音が響く。
しかし、大地の剣による攻撃は、簡単に防がれる。そして、時折反撃してくるダビドの長剣を躱すことに大地は必死になる。
「……ふっ」
「く、そ……」
「どうした、こんなものか?」
どうやら、大地の攻撃を防ぐにはオーブを使う必要もないようだ。剣術だけで、剣を振り回しているだけに映る大地の攻撃を止める。
力、あるいは技術の差は歴然だった。
「くそ……、くそッ」
何度剣を交えたのか。
大地の剣が、ダビドに届くことはない。
どうしようもないのか。
圧倒的な力の差に、大地は打ちひしがれる。困難への覚悟はしてきた。何度かの戦いも経験した。それでも、大地が素人であることに変わりない。百戦錬磨の軍人には敵わない。今さらに、それが当たり前だと思った。
自分は足手まといなのだと思った。
(お、俺は……。俺は……みん、なの力に……)
なれないのだろうか。
知りもしない世界で勇者と呼ばれ、エリーナに頼られて、いい気になっていたのだろうか。盗賊やマルス、ドンゴア帝国の兵士を倒して、自分も戦えると勘違いしていたのだろうか。
ダビドの言葉が、大地の脳を強く揺さぶる。
戦いにおいて、みんなの邪魔にしかならないのだと脳が訴え、身体が膠着する。呼吸もままならないような錯覚を覚えた。
「……つまらないな。こんな男を世界は躍起になって探しているのか」
「――ッ!?」
(世界が、俺を?)
今の自分を思えば、信じられなかった。
エリーナが大地の力を求めたことも、ゴルドナ手国やドンゴア帝国が大地に刺客を送り込んだという事実もあるのに、だ。
それほど、大地は自分の弱さを改めて自覚していた。
「何、ぼーっとしてるのよ!!」
怒号が飛んできた。
視線を向ければ、別の男と戦っているエリーナが叫んでいる。
「大地! あなたは弱くないわ! 自分に自信を持って!!」
「――エリーナ!?」
「あなたは自信をなくしてた私を励ましてくれた。もう一度奮い立たせてくれた。そんなあなたが弱いわけないじゃない! 勇者になるって決めたんでしょ!? それなら、私にその力を見せて!!」
大地にかけられた言葉はエリーナらしく激しく、けれど優しくもあった。
それで、思い出す。
大地が、自信をなくしていたエリーナに投げかけた言葉を思い出す。セイスブリュックで「眠れない」と言っていた彼女に、大地は励ましの言葉をかけていた。状況は違っても、エリーナも大地と同じことをしようとしてくれたのだ。
「……エリーナ」
(――そうだ! 俺は、戦うって決めたんだ。自分のためにも。エリーナのためにも! エリーナも言ってたじゃないか。弱音を吐いてるのは私らしくないって。――俺だって!!)
そうして。
大地の瞳に、力が戻る。
「――ようやく勇者の力を見せるか。いいだろう。その上で勇者を叩きのめす!」
「あぁ。やれるもんなら、やってみろ」
眩い光が、炸裂した。
大地の右手から放たれた銀色の光は、どの宝玉の輝きよりも美しく思える。パンゲアにただ一人だけが持つオーブ。かつての勇者と同じく、勇者になる者だけに与えられるオーブ。
パルトロメイ教皇が、『アウラ』と呼んでいたオーブだ。
「行くぞ」
ドッ、と大地の凄みが増した。
一歩駆けだす。
それだけで数メートルの距離を一瞬で詰めた。
「――ッ!?」
大地の動きが極端に変わったことに、ダビドは目を見開く。
銀色の剣が迫る。ダビドはそれを長剣で受けた。二人は鍔迫り合う。だが、次の瞬間には、大地の蹴りがダビドを吹き飛ばしていた。
「ぐ――っ!」
「……はぁはぁ」
(これが、『アウラ』の力――)
大地は今までもオーブを使ってきた。
しかし、これまでは自分に与えられた力のことをよく知りもせずに使ってきた。その点で、大地は大きく変わっていた。オーブの事を知り、勇者の事を知った。世界に迫る危機を止めるために、『アウラ』の力が必要になるかもしれないことも知った。
それらの事を知って、大地は二週間ほど前にクルスを出発した時から大きく変わっていた。パンゲア世界のことを少しずつ知り、この世界で大きく助けてくれたエリーナやリーシェたちに何度も励まされた。
だから。
大地は、もう弱音を吐かない。
(――あの男は、俺が倒す!)
一方。
エレナ王国の王女であるエリーナとゴルドナ帝国のスパイの男は、大地たちのすぐそばで戦っていた。その二人の前を、大地に蹴られたダビドが吹き飛んできた。
しかし、二人とも目の前を横切っていたダビドを気にしない。じっとお互いに集中している。
「よそにちょっかいを出してる暇があるんだな」
「あなた程度じゃ、私の相手にならないからね」
「ふん! 言うじゃないか。それともなんだ? エレナの姫様は勇者にお熱か?」
「――っ!!? そ、そんなわけないでしょ!」
急に大声を出したエリーナ。
それを見て、スパイの男はニヤリとした。
「そんなに必死に否定しなくてもいいだろう?」
「くっ――」
挑発でも何でもない冗談に、エリーナは翻弄されていた。その様子に、スパイの男は笑いが止まらない。
「くくっ。そんな様子で俺じゃ相手にならないとよく言えたもんだな」
「う、うるさいわね!」
(ともかく集中しないと――)
緩んでいた気を引き締める。
エリーナは相手をしているスパイの男とは一度戦っている。前回の戦闘では、エリーナは『バーサーカー』のオーブを使用していない。相手に余計な情報を与えたくないという考えからだったが、エリーナはスパイの男に対して苦戦していた。このスパイの男も相当な手練れなのだ。
「まぁ、いいか。今回は本気のあんたと戦れそうだしな」
「……っ! そんなに私のオーブを見てみたいわけ?」
「あぁ。そりゃもちろんだろ。『闘神姫』と戦えるなんてまずないだろうからな」
スパイの男は、ギラギラとした目をしている。この男もグイサ同様に戦いに楽しさを覚える性格のようだ。エリーナは、目の前の男が諜報部隊に所属していることが不思議に思えてきた。
「いいわ。そこまで言うなら、見せてあげる。私の本気――」
一瞬で空気が変わる。
風で揺れるエリーナのブロンドの髪がふわふわと舞い上がった。次の瞬間には、エリーナの右手から強烈な赤い輝きが溢れだした。
『バーサーカー』。
エリーナを最強の姫としているオーブの力が発動する。
「――ッ!!!」
エリーナと戦っているスパイの男は、身の毛がよだつのを感じた。
圧倒的な威圧感。
オーブを解放したエリーナからはただならぬ雰囲気を感じる。それが『闘神姫』の正体ということなのか。
(すげえ! これが『バーサーカー』か!!)
胸中で、感嘆の声を漏らす。
先の戦争ではエリーナの父であるエグバート国王が『バーサーカー』の力を振るった。それ以来伝説とさえ言われている覚醒系最強のオーブの一つが『バーサーカー』である。戦いに楽しさを抱く男に、興奮するなと言っても無理な話だった。
「さぁ、いくぞ!!」
本気になったエリーナを前にしても、スパイの男は動じない。エリーナが剣を振るう前に駆けだしていた。
「――ッ!」
「先手必勝!!」
先に圧倒的な力を振るわれる前に、エリーナの動きを封じようとしてくる。だが、スパイの男の剣をエリーナは黒い十字剣で簡単に受け止めた。
そして。
軽く振り払う。
その動作一つで、圧倒的な衝撃波が全てを飲み込んだ。
「――っ!!? ぁあああああああああああああああ――ッ!!!」
近距離で、魔剣ゲインが放つ衝撃波を受けたスパイの男は一○数メートルも吹き飛んでいく。ようやく止まったのは、公道脇に生えている木にぶつかった時だった。
「ぐッ――。なん、て力だ……」
「よく耐えたのね。大抵の相手は今ので気絶しちゃうんだけど」
「……ッ」
正しく、怪物。
ぎらついた赤い瞳は爛々(らんらん)と輝き、ブロンドの髪をなびかせながら戦う姿はとても王女とは思えない。狂戦士という形容に恐ろしく当てはまっていた。
「どう? あなたが見たがってた私の力よ」
それまでの戦闘が嘘のように、エリーナは圧倒的な力を振るっている。
だが。
それでも、スパイの男は笑った。
「ぐくはははッ。これが最強の力か! さすがだな、『闘神姫』!! しかし、まだだ!」
まだ決着はついていない。
そう言わんばかりに、スパイの男は突撃していく。
「懲りないわね」と呟いたエリーナの言葉を無視して、同じように剣をぶつけた。けれど、またしても魔剣ゲインに簡単に止められる。後はもう一度振り払うだけ。そう思ったエリーナに反して、スパイの男はさらに一歩踏み込んだ。
「――っ!?」
その一歩とともに宝玉の輝きが放たれた。
そして、二人の周囲の地面が大きく沈んだ。
「なっ――」
がくん、とエリーナの体勢が崩れる。そこを狙って、強力な回し蹴りがエリーナの脇腹を捉えた。
「くぅううう――ッ!?」
(な、何が?)
回し蹴りをおもいきり受けたエリーナは後ずりする。キッ、と睨んだ先にいるスパイの男はまだ終わっていないとやる気に満ちた表情をしていた。
「あなたのオーブはたしか――」
「あぁ、使い勝手の悪いオーブだ。戦いにゃいまいち利用できないんだからな」
スパイの男は前回の戦闘でも同じことを言っていた。その言葉はあながち間違いでないのだろう。
なぜなら。
「確かに自分の体重を変化させるだけのオーブなんて使い道なさそうね」
「あぁ、全くだ。――だが、使い方次第じゃ、あんただって倒せるさ!」
それは、虚言。
スパイの男のオーブも覚醒系には違いなかったが、エリーナとの力の差はどうしても埋められない。『バーサーカー』はそれほどまでに圧倒的なのだ。
だから。
勝負にもならなかった。
「がっは――ッ」
「……こんなものかしら」
ようやく因縁に蹴りをつけたエリーナは、魔剣ゲインを収めた。相手を完全に沈黙させた以上、命まで奪う気はない。彼女は軍人ではないのだから。
(他のみんなは――)
そうして。
自身の相手を倒したエリーナは仲間たちの様子を心配した。
エリーナが『バーサーカー』を発動したことは、他の者たちもすぐに気づいた。
周囲に圧倒的な威圧感を与えるオーブ。そのオーブとセットにして力を振るうことで衝撃波を生み出す魔剣ゲイン。何よりも、強烈な赤い光は大地の『アウラ』の輝きに次いでよく目立つ。
「ようやく出しやがったな、あのお姫さんは」
「――あれが、噂に聞く『バーサーカー』ですか」
「くく。やっぱりあんたの『レイ』よりも斬りがいがありそうだな」
戦闘を一時やめたアイサやアレクシスのように、他の者もエリーナの姿に釘づけになっていた。
「『闘神姫』の異名は本物か。あいつには少し荷が重いかもしれないな」
エリーナとスパイの男の戦いぶりを見て、リカルドは率直な感想を口にしていた。そばにいるソニアもリカルドの言葉に頷く。
「えぇ、そう思います。あの力は別次元すぎます」
「あぁ、そうだな」
その二人の前で、ティドとリシャールが力尽きていた。
「――ぐッ。くそ」
「はぁ……はぁ、はぁ……」
悪態を吐いているティドの視線はいまだまっすぐリカルドに向けられていた。しかし、元々貴族のリシャールは完全に体力を失い、両膝を地面につけていた。そばで寄り添っているリーシェが『ヒーリング』で懸命に二人の傷を治している。
「大丈夫、リシャール!?」
「う、うん……」
声に、言葉に覇気がない。『四人の処刑者』という強敵を相手にして、『イグニス』の力も使い果たしているのだ。
その二人に対して、リカルドは言い放つ。
「我々の目的は勇者ただ一人だ。抵抗するなら容赦するなという言葉を頂いているが、お前たちにはもはや興味ない。そこで弱さに打ちひしがれているといい」
ティドたちへの興味をなくしたリカルドとソニアは、苦戦しているスパイの男のもとへ行った。倒されたスパイの男に代わって、エリーナと戦うというのだ。
「次はあなたたち?」
「あぁ、そうさせてもらう。ここでエレナの姫を倒せば、ゴルドナの有利に事が運ぶだろうからな」
「ふん、いいわ。これ以上仲間は傷つけさせない!」
「いくぞ、ソニア!」
「はいっ!!」
狂戦士状態のエリーナと『四人の処刑者』の二人が、刃を交える。
今度はエリーナ自ら仕掛ける。跳躍一つで相手との距離を一気に縮め、飛びかかりながら剣を振るった。
単純なその攻撃は、あっさりと避けられてしまう。
しかし、エリーナは笑った。
「――ッ!?」
「――気を付けろ、ソニア!!」
気づくのが遅かった。
エリーナが着地したと同時に、大きな衝撃が起こった。地面が大きく抉られ、砕かれた石や木の枝が周囲に散弾のように撒き散らされる。飛び散った石や木の枝は腕を交差して防いだリカルドとソニアだったが、魔剣ゲインを振るったことで起きた衝撃波までは防げなかった。
「ぐぅううう――ッ」
「きゃあああ!!」
叫び声をあげながら、リカルドとソニアは吹き飛んでいった。別々の方向へ飛んでいった二人を、エリーナは間髪入れずに追撃する。真っ先に狙ったのは、大男のリカルドだ。
(『ラファル』は少し厄介。そっちから片づける!!)
地面を蹴る。
その反動で吹き飛んでいくリカルドにすぐに迫った。
「――くッ」
「もらったわ!」
空中でリカルドの身体を捉えた。黒い十字剣を叩きつける。リカルドは姿勢の悪い空中で、魔剣ゲインを手にした大剣で防いだ。
だが。
エリーナが持っているのは、魔の力が宿った剣だ。
「しまっ――」
上辺から叩きつけた魔剣ゲインは、その力を下方へと振るう。人を軽く吹き飛ばすほどの力を秘めた衝撃波が、リカルドの身体を地面へと叩きつけたのだ。
「がぁ、ああああ――」
地面が大きく割れる。
その中心にいたリカルドは、激痛に顔を歪めていた。二度も魔剣ゲインの衝撃波を受けて、無事でいられるはずがないのだ。
「ふう。終わりかしら?」
「くそ……。化け物、か」
オーブを使う余裕すら与えない。エリーナの戦いは、戦闘と呼ぶことを憚られるものだった。
その光景を目の当たりにしても、『四人の処刑者』たちは屈しない。
「リカルドさん!!」
ソニアが慌てた様子で、倒れたリカルドに駆け寄った。
エストックを放り出し、リカルドの身体を支える。その表情は不安そうなものから、エリーナを睨みつけるものへと変わっていった。
「……大丈夫だ、ソニア」
「リカルドさん! で、でも――」
「気にするな。この程度なんてことない!」
そんなはずはない。
しかし、リカルドは立ち上がった。
「へぇ~。しぶといのね」
「あぁ。身体は頑丈なほうでな」
「いいわ。もう一度やってあげる」
何度目の激突だろうか。
それから、エリーナ対『四人の処刑者』のリカルドとソニアの戦いは激しさを増していった。
剣と剣がぶつかり合う。
その度にエリーナが持つ剣から、衝撃波が起こった。最初は衝撃波をまともにくらっていたリカルドとソニアだったが、『四人の処刑者』というゴルドナ帝国最強の部隊に所属しているのだ。何度も剣を交えているうちに、衝撃波を回避していっていた。
それでも。
エリーナの優位は変わらない。
それほどまでに、『バーサーカー』の力はすさまじいのだ。
その光景を見ていたアレクシスとアイサは戦いをやめて、感嘆の声を漏らしていた。
「――すごい」
「あの二人が押されるなんて……」
エリーナの戦いぶりは、やはり見る者の目を奪う。
戦闘に巻き込まれそうになるが、彼女の戦闘はそれだけ人を惹きつけてしまうのだ。倒れたティドとリシャール。その二人の傷を治しているリーシェも視線を動かせなかった。
「……本気になったエリーナ様に敵う人なんていませんよ」
「そうなの?」
「えぇ。マルス隊長ですら手も足も出ないほどなんですから」
エレナ王国王族特務護衛隊の隊長を務めているマルスの戦いをリーシェも見たことがある。『ライトニング』という具現系の中でも強力な部類に入るオーブを駆使して大地と決闘をしていた。そのマルスですら、エリーナには敵わないのだ。
「……じゃあ、大丈夫よね?」
「はい、そうです」
リーシェはティドの言葉に胸を撫で下ろした。これ以上仲間が傷ついていく様子を彼女も見たくなかったのだ。
そんなティドたちとは別に、戦闘を続けている二人がいた。
大地とダビドだ。
「はぁはぁ……。さすが勇者のオーブといったところか」
「まだ動けるのか」
「ふふ。前回は一対一でやれなかったからな。思う存分戦うさ」
「ちっ」
戦いを続けるダビドに、大地は苛立ちを露わにした。
勇者のオーブである『アウラ』は長時間使用できない。本人への疲労が多きいためである。その点で、ダビドの『エクスプロシオン』は多発できるオーブだ。長時間の戦闘は大地にとって不利でしかない。
そして、それはエリーナにも言えた。
(覚醒系のオーブはあまり長く使えないんだっけ? 早め倒さないと――)
大地は意気込んで、動き出した。
ダビドがオーブを使う前に距離を詰める。後ろへ飛んで距離を取ろうとするダビドの腕を咄嗟に掴んだ。
「……ッ」
「逃がすか!」
腕を掴んだまま全身を使ってダビドの身体を地面に叩きつける。背中から地面に倒れたダビドは「がッ、は――」と呼吸が止まるのを感じた。
大地の攻撃は終わらない。
ダビドが体勢を整える隙を狙って、強烈な膝蹴りが鳩尾を突いた。
「ぐッ――」
ダビドの身体は激しい蹴りを受けて再び倒れる。倒れたダビドへ、大地が剣を振り下ろす。止めをさそうと、その振りには今までで一番力が込められていた。
だが。
剣がダビドの身体を捉える前に、二人の間にシャボン玉のような透明な風船が現れた。
「なっ!?」
透明な風船はダビドの身体から溢れている空色の輝きを受けて、一気に膨張していく。そして、大きな爆発を引き起こした。
爆発の煽りを受けて、大地の身体がダビドから吹き飛んでいく。止めを刺し損ねた大地は空中で体勢を立て直した。顔を庇うようにして腕を出したためか、両腕に爆発の熱をひどく感じる。だが、『アウラ』の力で反応したことで致命傷にはならなかった。
(――火傷にはなってないか)
「本当にしぶといな」
「……伝説の勇者相手に本気にならないやつはいないだろう?」
起き上がったダビドの表情には、まだ余裕が見える。あれだけの攻撃をくらいながら耐えていることが不思議だった。
しかし、先ほどの攻防でダビドは回避行動にオーブを使用している。それまでは剣で簡単に受け流していたが、『アウラ』を発動した大地の攻撃は剣だけで防げなくなったということだ。
(なら、あと少しで届くはず!)
再び突撃のために身構える。
目にも留まらぬ速度で動き、『エクスプロシオン』を使う隙も時間も与えない。圧倒的な速度と反応で撃破しようとする。
その構えを見たダビドも、同じように構える。
「……いいだろう。今度はこちらからも行くぞ」
「…………」
静寂は、ほんの一瞬だけだった。
ドッ、と両者が地面を駆る。
速いのは大地だった。ダビドが剣を振りかぶる前に、その懐に潜り込もうとする。そして、下から剣を振り上げる。それで勝負を決する。
そのつもりだった。
「二人とも避けて―っ!!!」
リーシェの叫び声が響いた。
直後。
空高くから、男が大地とダビドの間に舞い降りてきた。
いや、飛び降りてきた。
「――ッ」
「な、誰だ――!!」
飛び降りてきた男の衝撃で地面が沈み、砂埃が大きくたちこめる。視界が奪われた大地とダビドは慌ててその場を離れた。
「そ、んなどこから――!?」
突然の襲撃者に他の者も驚愕のあまり、戦闘の手を止めた。驚いたのは男が急に表れたことだけではない。男が空から来たということにも、だ。
ここはエレナ王国とノーラン公国の国境線。エレナ王国は平原が多い国である。近くに高台や山などはなく、空から男が現れるとは考えられないのだ。なのに、男は間違いなく天高くから降りてきた。
信じられない出来事だった。
対して。
大地たちと『四人の処刑者』たちとの戦いの場に、突然介入してきた男は何事もなかったように歩き出した。
「誰だ?」
「そっちの援軍かよ」
「あ? そんなわけあるか。俺らも知らねえぞ」
大地たちはもちろん『四人の処刑者』たちも急に現れた男を知らなかった。
だが。
男の服装には見覚えがあった。
袖の長い黒のコートを羽織った服装は、セイス大河を進む運航船の上で出会ったあの男に酷似している。その男と違うと分かるのは、大地と同じ黒髪に黒い瞳を持っているからだ。
「なぁ、ティド――」
「……えぇ、分かっています」
(ベルトーネと名乗った『執行者』と同じ格好。この男も……)
『執行者』。
ノーラン教が認めた実力者たちであり、オーブの番人としてこの世界を影から支えている者たち。世界中に噂は広まっており、オーブを使った悪事を犯すと『執行者』が捕えに来るとまで言われている。
「誰だって聞いてんだよ!」
男に吠えたのはグイサだった。
しかし、男は立ち止まることなく、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。
「……俺の名はカイト。お前らと同じく勇者を頂きに来た」




