(17)
エレナ王国、王都クルス。
その中心にいるベルガイル宮殿の謁見の間に、レイラは訪れていた。
第三王女であるレイラ・シンクレアは、貴族都市とも言われるムブルストに居住している。五芒星都市の中でも最も煌びやかな都市とされ、王都であるクルスよりも貴族や騎士が多く暮らす街である。国王であるエグバートが王都の喧騒からレイラを遠ざけるために、ムブルストに屋敷を建造したのだ。
だが、彼女は今、謁見の間に来ていた。
「久しぶりだな、レイラ」
「はい、お父様」
「どうかしたのか? お前がベルガイルを訪れるのは珍しいが」
「……お父様にお願いがあって、参りました」
ひどく小さな声で言う。
エグバートは今でこそ親和王と呼ばれているが、『バーサーカー』の力を振るい、大陸戦争時は現在のエリーナと同じように猛者として知られている。気性の荒さこそ加齢とともに落ち着いてきたが、レイラにとって恐い父親であることは変わらないのだ。
「願い? なんだ?」
短い返事。
そこには、レイラの願いなど聞き入れるつもりはないと言っているような錯覚すら覚える。
「……気になることがあるのです。それを調べに、ノーラン公国へ向かいたいと思っています。――許していただけますか?」
「ノーラン公国に? 敵国ではないが、公務でもないのに隣国へ向かわせるなど許せるはずもないだろう。それくらい、お前だって知っているだろう?
「はい、もちろん存じております。――けれど、どうしても向かいたい。いえ、行かなければならないのです」
強い口調で言い直す。
そのレイラの姿を、初めて見たエグバートは大きく驚いた。二人の姉と違って、母親譲りの性格から人に対して強く当たれないレイラが、父親であるエグバートに初めて口ごたえをしたのだ。
「……その気になることとは?」
「今はまだお話できません」
「どういうことだ?」
「クルスと違い、ムブルストは貴族の方々が大勢いらっしゃいます。そこで得られる情報は私にとって無視できないものでした。お父様やお姉様方が頑張ってらっしゃることも存じています。――けれど! 私にだって出来ることくらいあります。たとえ未熟者でも!」
「…………。それが、ノーラン公国へ行くことか?」
「はい。そこで私が掴んだ情報を調べます」
「それは、ノーラン教に関することか?」
「いまはまだ申し上げられません」
端的に返す。
だが、それが質問の答えそのものだった。
「公国、いやノーラン教は我々ととても懇意な関係にある。だからといって、娘を他国へ行かせるわけにもいかない。公国には他の国の者もいる。危険が全くないというわけではないのだ」
「分かっています。それでも私は自ら動くことを選びたいのです」
「だめだ! 大事な娘を勝手に行かせることはできない」
「お姉様たちはよくて、なんで私はだめなんですか!?」
「言っただろう。危険がないとは限らないのだ! そこへ娘を行かせられる親などいない!」
「それでも! 私もお父様の娘です!!」
「――ッ!?」
一番の驚きだった。
確かに、レイラもエグバートの娘である。だが、彼はレイラのことを他の二人の娘とは違うように見ていた。『バーサーカー』を受け継がなかった娘を、どこか守るべき者として見ていたのだ。それは父親似ではなく、オーブも含めて母親似なところがあるためだ。
だから、レイラの口から「お父様の娘です」という言葉が出てきたときは面食らった。
(……そこまでして、なぜ?)
当然の疑問が湧き上がる。
けれど、レイラは話せられないと言っていた。
それは、つまり。
(私も危険になるかもしれないということ、か)
エグバートは、レイアが生まれた時から彼女のことを誰よりも見ている。そう自負している。彼女がすくすくと育ってきた姿を見てきたからこそ、レイラの行動は信じ難かった。いや、信じられなかった。
「――意思は固いのだな?」
「はい」
「……はぁ、わかった。ノーラン公国へ行くことを認めよう」
エリーナに似ている瞳で、見つめられたのだ。父親の身を案じ、自身でノーラン公国へ向かうと口にしたレイラに対して、エグバートは観念するしかなかった。彼女の意思の強さを目の当たりにしてしまったのだ。エグバートは、一番下の娘を止めることはできないと悟った。
「ただしお前一人では行かせられん。こちらで護衛を用意する。特務部隊から何班かを編成して――」
「お父様、大勢の護衛は結構です。私には付き人のレオンがおります。彼にお願いしようと考えています」
「一人だけでいいと言うのか?」
「はい。大所帯で行けば、私のしたいことが出来ないかもしれません。それに、私はお父様の娘です。たとえ、その力を受け継いでいなくても、お父様の強さは受け継いでいるつもりです。私なら大丈夫です」
「…………」
まだ一五歳にも満たない子どもだ。
エグバートは、ずっとレイラのことをそう考えていた。社交界へのデビューは果たしたものの、まだまだ未熟で、学ばなければならないことは多い手のかかる子どもである。実際に自ら勉強を教えるなどすることはなかったが、エグバートはレイラをそう見ていたのだ。
だからこそ。
ムブルストで暮らさせるようになってから、一番下の娘がここまで成長していることに驚いていた。
「いいだろう。護衛はレオンに任せる。あとでレオンをこさせろ。私から話がある」
「かしこまりました」
エグバートは娘の成長をひしひしと感じていた。
他に誰もいない謁見の間でほろりと涙が零れそうになる。自身のオーブを受け継いだ上の娘二人と違って、レイラは母親のオーブを受け継いでいる。お淑やかな性格などが庶民からは人気を得ているが、彼は気弱な面を持つレイラをずっと心配していたのだ。
(それが、いつの間にかあそこまで育ったのか……)
胸中は複雑だ。
エグバートがレイラをムブルストの屋敷に住まわせていることは、王都の喧騒から遠ざけたいという思いが強い。だが、それだけが理由ではない。貴族都市であるムブルストは、五芒星都市の中で王都に次いで護衛の軍隊の数が多い。レイラが母親から受け継いだオーブは、『バーサーカー』の力ほど圧倒的なものではない。その彼女を守るために、ムブルストに住まわせていた。
しかし、彼の願っていた通りではなかったのだ。
(私もお父様の娘よ、か。――確かに、その通りだな)
初めて反抗してきた娘への驚きは大きかった。
レイラは誰に対しても真摯に対応し、優しさを見せてきた。そんな彼女があそこまで大声を上げたのだ。お淑やかで柔和な表情と性格から、上の二人の姉よりも王女らしいと言われてきたレイラからは想像もつかない。
「陛下、失礼いたします」
すると、一人の大臣が謁見の間に入ってきた。
「――ど、どうなさいました、陛下?」
「……いや、何でもない」
「……? ご気分が優れないのですか?」
「いや、大丈夫だ。すまないな。それで、どうした?」
「あ、はい。第七師団からの報告です。ムブルストで不穏な動きあり、とのことです」
「……そうか」
空気が劇的に変化した。
それにともなって、エグバートの顔も娘の成長に感激していたものから一国の王としてのそれに変わる。鋭い瞳は、まっすぐに大臣をとらえていた。
「ポールマンとライトに伝達しろ。緊急事態だ!」




