(16)
マリテルア大聖堂は、世界最大の教会である。
巨大な空間を利用した礼拝堂には、日々数多くの信者や観光客が訪れて、祈りを捧げている。上層階は教皇や枢機卿などが執務を行う部屋やノーラン教が大量に書物を貯蔵している図書館もある。地下にはマリテルア騎士団の詰所もあり、彼ら騎士団員は日頃から鍛錬に励んでいるのだ。
その教会を、大地たちは騎士団の者に案内してもらっていた。
礼拝堂や儀式場。教会に隣接している庭園、宿舎。そのどれもが壮観だった。ここが信者にとっての聖地と言われる所以も十分に理解できる。
そして最後に案内されたのが、膨大な量の書物を保管している図書室だった。
「ここが図書室になります。貸し出しは行っておりませんが、一部の書物を除いて、どなた様でも閲覧可能となっております」
「へ~。おっきいね」
「本当ですね。ベルガイル宮殿のより多そうです」
「少し見ていってもかまわないかしら?」
「えぇ、大丈夫ですよ。何かありましたら、お申し付けください」
「ありがとう」
図書室に入って、改めて本の多さに驚いた。
図書室の広さはそれまでに案内された礼拝堂や儀式場のような広大な空間の場所に匹敵するほどだ。その部屋一面に見上げるような高さの本棚が並んでいる。さらに、本棚にはびっしりと様々な本が収められていた。パンゲアで使われている文字が読めない大地にはさっぱりだが、どの本も貴重なものなのだろうと察しがついた。
「これだけ数があったらキリがないわね。別れて探しましょう」
「うん」
それぞれが別れて、目的の絵本を探し始める。文字が読めない大地はリシャールについていった。
棚に並んでいる本を一つ一つ見る。分厚いものややけに厚みのない本も並んでいる。それらの中から気になったものをいくつか手にして、リシャールに尋ねた。
(絵本だから、子ども向けの表紙だよな~)
だが、
「それは違うよ。大人向けの小説だと思う」
「そっか~……」
表紙に子どもが描かれている本だったが、勇者の伝説を記した絵本ではないようだ。
「表紙はたしか子どもとかは描かれてなかったはずだよ」
「そうなのか?」
「うん。僕の家にもあったから覚えてる。分かりやすく宝玉だけが描かれてたはず」
「宝玉だけかー」
はたしてそれは分かりやすいと言えるのだろうか、と大地は疑問に思った。
けれど、他にあてになる情報もない。リシャールの言葉を頼りにして、再び絵本探しに没頭する。
目眩がするほどに並んでいる大量の本をにらみつける。気になった本を手に取って表紙を確認するが、どれにも宝玉が描かれているものはなかった。
「本当にあるのか、絵本なんて――」
「きっとあるよ。僕の家にもおとぎ話の絵本なんてなかったけど、宮殿で見たことがあるから。宮殿にあるなら、聖堂にもあるはずだよ」
「そ、そうだな……」
リシャールのない何気ない言葉だったが、大地は呆気にとられた。彼の家はクルニカ王国でも有数の貴族家――ブラン家である。ブラン家はクルニカ王家であるノーク家の遠縁にあたる。そのためか、血筋と違うオーブを受け継いだということで蔑まれていたリシャールだが、彼も貴族としての教育を受けてきた。
「ともかく、この列には絵本はなさそうだね。他の棚を見てみようよ」
「あぁ、分かった」
そうして、同じことを繰り返す。
天井まで届きそうな高さの本棚を端から端まで見て回る。それを繰り返しているうちに、マリテルア大聖堂に貯蔵されている本の多くは信者や騎士団の者が利用することが多いのだろう。子ども向け――とりわけ絵本のような本は少なく感じた。
「本当だね。学術書っていうか、オーブに関係する本や資料のほうが多そう。きっと他の棚には普通の本も置いてあるだろうけど……」
「じゃあ、最初からそっち探したほうがよかったんじゃ――」
「まぁまぁ。おとぎ話だってオーブに関係することだから。もしかしたら、こっちの棚にもあるかもしれないから」
「そりゃそうかもしんないけど」
なんとなく納得がいかない大地だった。
結局、大地たちが探していた列にはおとぎ話の絵本はなかった。絵本を見つけたのは、別の場所を回っていたリーシェだった。
「やっと見つけたよ、絵本!」
興奮気味に駆け寄ってきたリーシェの腕には抱えきれないほどの本が積み上げられている。その全てが、かつての勇者の旅をもとにして作られた絵本のようだ。
「本当に数が多いんだな」
大地はリーシェの小さな腕に抱えられている絵本を見てため息が出た。一○冊近くあるということは聞いていたが、目の当たりにすると驚きが強かったのだ。
「そうですね。続編も作られているおとぎ話の絵本です」
彼女の後ろについてきていたティドが答えた。どうやら先にエリーナとティドの二人と合流していたようだ。
リーシェが見つけた絵本をさっそく開く。
絵本の構成は大地の知っているものと基本的に変わらなかった。一冊ごとのページ数はそこまで多くない。さらに子どもが読んで分かりやすいように、大きな絵に短い文章が添えられている。
「続編もあるのか……。そっちも調べたほうがいいのか? これだけでかなりの数だぞ」
おとぎ話について、みんなほど詳しくない大地が絵本の一つを手に取りながら尋ねた。
「そうですね……。僕も続編を読んだことはないんですが、かつての勇者とともに旅をした仲間たちの話がメインだそうです。それを考えると、続編はそこまで重要視しなくていいと思います」
「そっか~。でも、これだけの本の中から真実を探し出すのは――」
苦労しそうだった。
一冊一冊のページ数が少ない絵本とはいえ、絵本そのものの数が多い。もはや絵本というよりは児童小説のような感じである。
「とりあえず、まずはみんなで手分けして、これから調べていきましょ」
「そうですね」
大地たちはそれぞれが手分けして、絵本を開いてく。
だが、すぐに問題に直面した。
「――どうやって調べるの?」
困った表情のリシャールが、みんなの顔を見回していた。
「あ……」
今さらのように、エリーナもその問題に気付いた。
そう。
ただ絵本を開いて、書かれている内容を読んだだけでは、真実かどうかは分からないのだ。ノルアの話では、かつての勇者が辿った伝承にあらゆる噂が枝づけされて完成したのがおとぎ話ということだった。その伝承の本文は過去についてと未来について記されていた。過去についての伝承はノーラン教が持ち去り秘匿しているため、誰も知らないのである。知っているのは、幼い頃から読みきかされてきたおとぎ話だけだった。
「……年表みたいなものはないのか?」
行き詰っていたところで、口を開いたのは大地だった。
「え?」
「い、いや、俺も学校で歴史とか習ってるけど、そういうのって大体年表があるもんだろ。こんだけ本があるんだ。パンゲアの歴史をまとめた年表とかあってもおかしくないと思うんだけど――」
「それよ! みんな、大地の言う年表を探しましょ!」
いいアイデアよ、とエリーナはまくしたてた。
絵本――かつての勇者のおとぎ話だけでは真実は掴めなくても、年表やその時代の歴史書と照らし合わせれば絞ることができるかもしれない。
「わかった」
大地たちはまた分かれて年表や歴史書を探し始める。ノーラン教の総本山にある図書室ということもあって、オーブ関連の書物がやはり多い。
しかし、パンゲアの歴史について書かれている本も確かに貯蔵されていた。だが、パンゲアの全ての歴史を網羅した年表などはない。それでも、それぞれの国がまとめた歴史書を集めて照合すれば、パンゲアそのものの年表に近づけることができる。それを見越して、エリーナたちは図書室にある歴史書をいくつもかき集めてくる。
「これくらいあれば十分でしょ」
そして、一通りの資料を集めた。
「そうですね。エリーナ様とリーシェはエレナ王国とノーラン公国の歴史からお願いします。リシャールはクルニカ王国のものを、僕はそれ以外をやります。大地は気になった点があれば、僕たちに聞いてください」
「わかった」
「うん!」
ティドの指示を受けて、大地たちはそれぞれが持ち寄った本を開いていく。エレナ王国やクルニカ王国はエリーナとリーシェ、そしてリシャールと出身の人が行うほうが効率は良い。そして、軍人であるティドは各国の歴史についても一通り習っている。
一方で。
当然のことだが、大地はパンゲアの文字が読めない。気になった本を手にして、誰かに聞くという確認作業しか取ることができないのだ。それでも、大地は文句を言うこともなく、同じように黙々と本を開いていく。どこかにおとぎ話につながる手がかりがないか、と必死に探している。
「ロレンス共和国のグルティアからの独立は四○年ほど前。……それまでナビア川は国境線ではなかった。……けど、昔あの湖は別の国の領土だったはず……」
「ねぇ、エリーナ。これはどう?」
「う~ん。それは違うわね。ノーラン公国ができたのはノーラン教ができた後よ。おとぎ話の国とは合わないわ。それに、勇者が伝説の宝玉を見つけたのは南の大地っておとぎ話にあるわ。ノーラン公国は北国よ」
「そっか~……」
一方では。
「ノラッシュ村が、トマッシュ地方って言われてたのは、何十年も前のことみたい。きっとノルアさんが来る前じゃないかな」
「そういえば、昔にクルニカの東海岸沿いで戦争がありましたよね?」
「うん。クルニカとドンゴアが争った戦いって習ったけど……」
「ノラッシュ村は、海岸沿いのグラモス森林の中にありますから、その戦争時に何かしらの被害を受けていても不思議はありません」
「それって、昔はもっと栄えてたってこと?」
リーシェと一緒に調べていたエリーナが会話に加わってきた。
「それは分かりませんが――。戦争の被害を受けた時に、ノラッシュ村でも何か動きがあったんじゃないかなと思ったんです」
「動きか~」
「えぇ。そもそもノーラン教を興した人物は、勇者に関する伝承をなぜ北国まで運んだんでしょう」
「さぁ? そっちのほうがよかったんじゃない?」
「理由までは分かりませんが、重要なことのように思えます」
「そう?」
「はい。そこにノーラン公国が誕生するまで、その地域には国がなかったのかもしれません。国があったという史実がどこにも載っていないのです。歴史が編纂されていないということは、国がなかったということに繋がると思います」
「だから、そこに国を作ったってこと?」
「これは僕の推測ですが、トマッシュ地方を治めていた者と仲違いしたのではないでしょうか? それで当時国が存在していなかった地域で、ノーラン教を作り上げた、と」
「なるほどね~」
その推測は筋も通っていて、あっているように思える。けれど、リシャールには気になる点があった。
「それって暗黒時代だったから、資料が残っていないとかじゃないの?」
「もちろんその可能性もあります。オーブが広まる以前のパンゲアはもっと醜い大地だったという話もありますし」
暗黒時代。
その名の通りに、パンゲアにおいて最も暗いとされている時代だ。残っている歴史資料の少なさと現在よりも多くの国が乱立し、争いを続けていたことからそう呼ばれている。歴史の真実が分かりづらい時代ということだ。
そういう点では、大地たちが今調べているおとぎ話と通じている。
つまり、かつての勇者が降臨したのはパンゲアの暗黒時代なのだ。
「そもそもさ。前の勇者ってどんな旅したんだ?」
みんなほどおとぎ話を知らない大地が、改めて尋ねた。
「……そうですね。それを説明していませんでした」
一拍おいて、ティドが口を開く。
「おとぎ話では、かつての勇者は大地と同じようにパンゲアのほぼ中央に現れました。どのようにして現れたかは絵本にもはっきりと書かれていません。ただ現れた勇者は旅の仲間を集めて、パンゲアを一周するほどの長い旅に出ました。その道筋はおとぎ話ではまず北から向かったとされています。度重なる困難を乗り越えて、勇者は目的の宝玉を手にし、世界を平和に導きました。――大まかな物語はこのようなものです」
ただ、とティドは付け加える。
「勇者が本当にパンゲアを一周したのかどうかは分かりません。トマッシュ地方やナビア川など勇者が訪れただろう痕跡がある場所は大陸の南が多いです。そして、おとぎ話では宝玉も南で見つけたとされています。可能性が高いのは、パンゲアの南にあるかもしれないというだけですね」
「南か……」
たんに南といっても範囲が広い。クルニカ王国、ゴルドナ帝国、ロレンス共和国、グルティア王国の四国が、パンゲアの南半分の領土を分け合っているのだ。
「もっと情報を絞り込んだほうがよさそうですね」
「そうね」
しかし。
やはりそう上手くはいかない。
それからもみんなで手分けして、おとぎ話の真実に重なる歴史的事実がないかと探している。大地以外は幼いころから、かつての勇者の伝説をおとぎ話として読み聞かされてきた。おとぎ話の内容は染みついていても、それが正しい歴史かどうかは分からないのだ。
それは、こうして歴史書とにらめっこしていても同じだった。大地も含めてみんなは学者というわけではない。歴史の考察など得意にしていないのである。
だからか。
年表などと照らし合わせてみればいい、という大地の提案も次第に行き詰っていく。
「…………」
「これは?」
「……それも違うよ。エレナ王国は昔からクルニカと仲良くて、グルティアとは敵対関係にあったから。おとぎ話の西の大国と仲良かったのはは作り話だと思う」
「これも違うかーっ」
「……」
「ねぇ、リーシェ。そっちはどう?」
「もうお手上げ。全部が作り話で、全部が本当のことに見えてくる」
リーシェの言う通りだ。
調べれば調べるほど、真偽が分からなくなっていく。深いドツボにはまったような感じになっていた。
「……困りましたね」
「うん……」
ほとんど進展しなかった。
おとぎ話というが、シリーズ化されている絵本のために内容は多い。明らかに作り話だろうという点はいくつか発見できたが、真実だと断定できる点も同じように少なかった。
「しらみつぶしに回ってみるしかないのかな?」
「そうなると何か月もかかりそうですね。しらみつぶしになら伝説の宝玉があったとされているパンゲアの南方とか、そっちを優先したほうが――」
ティドの言葉が途中で止まる。
大地が「あっ!」と大きな声を上げたためだ。
「どうしたの?」
驚いたリシャールが声をかけるが、大地は黙ったままである。
(教皇は俺のオーブが、伝説の宝玉を見つけるために必要だって考えてた。それが正しいかどうかは分からない。けれど、最後の手段にはなるか……)
大地自身も確信が持てない話だったが、パルトロメイの言葉をすべて無視する必要はない。ノーラン教の最高権力者である教皇の言葉なのだ。確信は持てていないと言っても、何らかの裏付けがあるはずだ。大地はそう考える。
(なら、そこへ近づけば何か反応を示すかもしれない……)
しらみつぶしに探すという最後の提案も、手段としては悪くないかもしれないと思えてきた。統一大陸の南という広範囲だが、何も手がかりがないよりは幾分かマシである。さらに、かつての勇者はクルニカ王国――とマッシュ地方を旅の最終地としている。どのような行程だったのかはわからないが、クルニカ王国には何か手がかりがある可能性は高い。
「それ、いいかも」
「しらみつぶしに探すことがですか?」
「あぁ。前に勇者だったやつもそうやって見つけたんだろ? それなら、俺にもできそうだ」
「は、はぁ……」
「本当に言ってるの、それ?」
あまりに楽観的な大地の言葉に、エリーナたちは唖然としてしまう。だが、大地はそれさえも笑い飛ばした。
「あぁ、当たり前だろ。俺も勇者なんだからな」
大地はニカッとした笑みを見せる。
エリーナはその表情に不信感を覚えたが、
「まぁ、それしかないかもね。手がかりは少ないし……」
「――ですね」
一つ、ため息を吐く。
長時間かけておとぎ話について調べたが、得られた手がかりはほんの僅かだった。だが、それでも方向性を定めることはできた。
ノーラン公国に来たことは全く無駄ではなかったと少なからず思えたのだ。




