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勇者と王女のワールドエンド  作者: 小来栖 千秋
第三章 ノーラン公国、大陸動乱前編
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(11)

 

 ベンタイム城塞への来訪を終えて、レイラ・シンクレアは居住している屋敷があるムブルストまで帰ってきていた。

 ムブルストは、エレナ王国の北西部に位置する五芒(ごぼう)(せい)都市の一つである。エレナ王国の王都はクルスであるが、貴族だけでなく軍人、商人、旅行客など様々な人がクルスにはいる。一方で、ムブルストは貴族都市とも呼ばれるほど、貴族が多く目立つ都市だ。街の区画によっては、クルスよりもムブルストの方が(きら)びやかなほどである。

「レイラ様、お疲れさまでした」

「えぇ。ありがとう、レオン。あなたもお勤めご苦労さまです」

「はっ。ありがとうございます。それで、今後のご予定ですが――」

 屋敷に帰ってきても、レオンはレイラの今度の予定を打ち合わせていく。本来は執事(しつじ)などが行うべきものだろうが、レイラはレオンがいいと自らお願いしていた。

「……はぁ。また当分はここと王都を行き来するだけなのですね」

「はい、そうなります。エグバート陛下の南部視察も終わりましたので、今後は陛下との会食のご予定もあります。久々の家族水入らずですので、レイラ様もお楽しみ頂けると思いますので――」

「お父様とお母様とですか。確かに、なかなかお会い出来ていませんが、私はエリーナ姉様に会いたいです」

「し、しかし、それは――」

「無理なのは分かっています。せめて、どこにいるか分かればお手紙でも出せますのに……」

 と、レイラはため息をまた()いた。

 王都の喧騒(けんそう)から離れたムブルストで暮らしなさい、という両親の言葉でレイラは貴族都市の屋敷で生活している。王女としての生活を乱されないために、である。しかし、彼女の人気はどこで過ごしていても衰えることはない。ムブルストでも、彼女を取り巻く環境は決して穏やかとは言えないのである。

「それは、さすがに私も分かりませんね。ヨーラ様が何かお話したそうですが、私は聞いていませんし……」

「そう、ですよね」

 遠方まで出掛けた疲れか。レイラの表情は()えなかった。

 王家の人間としての公務は明日からである。

 今日一日はまだ休みという事で、レイラはムブルストにある行きつけの喫茶店へと歩いて向かおうとしていた。喫茶店といっても、民衆が行くようなお店ではない。貴族御用達と言われる高級店――サロンである。

 このように、貴族都市とも言われるムブルストには貴族を相手にした高級店がいくつもあった。高級家具店、宝玉装飾店、国産食材店、三ツ星ホテルなど数え上げればキリがないほどに充実している。一般的な市場に行かない彼ら貴族は、このようなお店を利用して生活をしているのだ。

「日没までには屋敷へ帰りますよ、レイラ様」

「分かっていますわ。けれど、久しぶりの休みなのです、今日くらいはハメを外してもいいでしょう?」

「それは、いけません。あなたは王女です。どこに危険が(ひそ)んでいるとも限りませんので」

「その時は、あなたが護ってくれるのでしょう、レオン?」

「そ、そうですが――。わざわざ危険な場にいる事もないでしょう! 私としては屋敷の紅茶でも構わないと思うのです」

 レイラが暮らしている屋敷にも、当然これらの店の物は揃えてある。レオンの言い分としてはわざわざサロンに行かなくても、屋敷で飲めばいいだろうという事だ。

 それに対してレイラは、

「レオン。あなたは馬鹿ですか? こういうものはお店の雰囲気も味わいながら、口にしたいものなのです。装飾された窓から見える街並みや人々に心を奪われながら、聞こえてくる会話に耳を傾けて、紅茶の香りに胸を満たしたい。そういうものです」

 レイラは恋する乙女のような表情で熱く口にした。

 急に語りだした(あるじ)にレオンは戸惑いながら、

「そ、そうなのでしょうか……」

 と、言葉を返した。

「えぇ、そういうものです。頭の硬い軍人には分からないでしょうが……」

「頭の硬い軍人で構いません。私は陛下から、姫様の命を預かっているのですから」

 レイラの皮肉も、レオンは心を固くして返した。

「そればっかり……。大丈夫です、あなたが心配するような事はしませんわ。それに、日没までにちゃんと帰りますから」

「……分かりました」

 レオンは、レイラの言葉に(うなず)いた。

 王都であるクルスを除いた五芒(ごぼう)(せい)都市は王国軍第七師団の管轄(かんかつ)下であり、師団の駐屯(ちゅうとん)基地や詰所が各都市に多く(もう)けられていた。その中でも精鋭部隊が置かれているのが、貴族都市ムブルストである。国の政治を(つかさど)る王族や貴族たちが多く暮らしているというためであり、レイラが居住している屋敷も常に兵士が門番していた。

「では、行ってきます。暗くなる前には帰りますので」

「はっ」

 と、敬礼した兵士に対して、レイラはきちんと礼をして喫茶店へと向かっていく。

 その様子を見ていたレオンが口を開いた。

「姫様」

「なんですか?」

「前々から思っていましたが、あなたは王女です。我々にも礼儀を(おも)んじて頂けるのは嬉しいですが、王家の者としての威厳も持ちえたほうがいいかと思いますが――」

「またその話ですか? 私はただ誰にでもきちんと接したいと思っているだけです。お父様やお母様だけでなく、大臣の方々やあなたのような軍人、国を支えている国民、もです。私が無礼な対応をしては、相手も心を開いてはくれません。王女という立場の私ではなく、個人としての私がそうしているのですよ。幼い頃から作法や言葉遣いは厳しく教えられましたが、社交界や目上の方だけにしか使わないというものではないでしょう?」

「そ、それはそうかもしれませんが……」

 レイラが、他の王女よりも人気があるのはこういうところである。もちろん可憐(かれん)な容姿や王女らしさが溢れるお(しと)やかさも、人気がある理由の一つである。それだけでなく、誰でも分け(へだ)てなく接する心優しさや性格は、貴族たちだけでなく民衆の心も鷲掴(わしづか)みにしていた。

「あなたも護衛隊の次期隊長候補であるなら、相手に対してきちんと接してみてはどうですか? そうすれば、相手もあなたを信頼してくれると思いますよ」

「そうしてみますよ」

 レイラのお節介(せっかい)も、レオンはやはり心を固くして聞き流した。

 それから、二人は午後の日射しが弱くなっていっているムブルストの街を歩いていく。貴族都市という事もあり、すれ違う人の多くは貴族やその子息ばかりである。その彼らを護衛している第七師団の兵士たちの姿も見えた。

 これから訪れる夏の本番を前にして、降り注ぐ日射しが日に日に強くなっている気がする。日傘がなければ肌はあっという間に黒く焼けてしまうだろう。王女であるレイラにとって日焼けは天敵である。常日頃から持っている日傘を握りしめて、彼女はゆっくりとした足取りで目的のサロンに向かっていた。

「ところで」

 と、レイラが口を開く。

「ヨーラは何か言ってませんでしたか?」

 ヨーラとはシンクレア王家に仕えている予見者である。エリーナと大地にノラッシュ地方を目指す事を勧めた人物でもあり、エリーナたちだけでなく大臣たちも厚く信頼している予見者だ。

「いえ、特には。どうかなさいましたか?」

「そうですか」

(ヨーラは宝玉(オーブ)を預ける事に反対するかと思いましたが……。もしかして、良くない未来でも見ているのでしょうか)

 レイラは普段からよくヨーラと会っているわけではない。というよりも、会えない。ヨーラはシンクレア家に仕えているといっても、基本的にベルガイル宮殿に住み、国王のために働いている。ムブルストにいるレイラが簡単に会える相手ではないのだ。その一方で、エリーナは事あるごとにヨーラに相談していたが。

 サロンに着いてお気に入りの紅茶を口にしても、レイラの表情は晴れなかった。

(こうして時間を潰せば、少しは気分も変わるかと思いましたが……)

「……。あなたも何か飲んではどうですか?」

「いえ、私は大丈夫です」

 レオンは短く答えて、最初に出された水を口に含んだ。

「――ふぅ。何かお話しましょうか」

「話、ですか?」

「えぇ。穏やかに街の様子に目を向けているのもいいですが、会話も楽しみたいと思いまして」

「は、はぁ……」

 そう言われても、レイラとレオンは王女と軍人である。また、一〇歳もの歳の差があり、二人で楽しく会話できるとは思えない。実際に、対面に座っている――レイラに無理矢理座らされた――レオンだが、側には愛剣が(たずさ)えられていた。いつ、どこで、何が起こるか分からないのだ。主を守る軍人として当たり前だが、異様な存在感を放つ剣はサロンにいる他の客からは非難の視線を向けられていた。

「気が効かないですね。退屈なのですよ」

「そ、そう言われましても……」

 レオンは困ってしまう。やはり頭の硬い軍人であるレオンには、思春期を迎えたレイラの心の機微(きび)を敏感に察知することは難しかった。どうにかして会話を盛り上げようとするが、話題を多く持っているわけでもなく、しばらくすると途方に暮れてしまった。

「――はぁ、仕方ありませんね」

「す、すみません……」

「いえ、構いませんわ。レオンには期待しませんから――」

「れ、レイラ様……」

 主の冷たい言葉に、レオンは何も返せなかった。

 そうして、再びレイラは外の景色へ視線を向けた。

 遠くに見える太陽が一日の役目を終えようとしている。その西陽に照らされた街を、数多くの人が行き交っている。レイラと同じように日傘を差している貴婦人や、街の警備を担当している兵士たち。公園でわいわいと騒いでいる子どもたちはどこかの貴族の子どもだろうか。

 それらの光景は、普遍的な日常である。

 いつどの時代でも変わることなく、日常的に見られるものだ。どこか遠くの地で起こっている紛争や争いなど、この街にはまるで関係がない。他国が攻め込んでくることも、内紛が起こることもなく、ムブルストは貴族たちが煌びやかな生活をずっと続けてきた街なのだ。

 それでも飽きることはない。先の戦争を終わらせて、ようやく手に入れられた平和だからだ。

(お父様が築き上げた平和は、きちんと守られている。それは喜ばしいことでしょう。でも――)

 レイラには不安があった。

 故に、曰くつきの宝玉(オーブ)を王都から遠くはなれたベンタイムのスミスに預けたのである。王都の喧騒から遠ざけるように。権力を求めようとする貴族たちから遠ざけるように。それが、この平和を守り続けることに繋がるように願って。

「レイラ様」

 短くレオンが声をかける。

 気がつけば、紅茶はすっかりと冷めていた。

「あら。少し考えに耽ってしまったようです。――帰りましょうか、レオン」

 冷めきった紅茶を飲み終えて、二人はサロンを出た。気分を変えるために立ちよったが、これ以上いるとかえって沈んでしまいそうだったからだ。

 すると、見知った顔の人物と出くわした。

「おや、レイラ様じゃないですか」

「あ、あなたは……」

 姿を見せたのはエルヴァー・マルコラスだった。嫌味ったらしい態度と口調で同年代にはよく思われていない伯爵(はくしゃく)の息子だが、多くの貴族に取り入ろうと様々な事をしている事も有名だった。

「お久しぶりです、エルヴァー。マルコラス伯爵も」

 そう。

 エルヴァーの側には、男がもう一人いた。

 ロッシュ・マルコラス。エレナ王国の前王から伯爵位を頂いた貴族である。ぽっちゃりとした体型、ぼてっと垂れた(ほほ)(たくわ)えた口髭が汚らしい印象を抱かせるが、頭の切れる男として貴族の間でも名高い人物である。しかし、裏がある人物ともされていて、息子同様悪い噂が絶えない男でもあった。

 二人はこれからサロンに入ろうとしていた。

「お二人もこれからお茶でもするのですか?」

「まぁ、そういうところですな」

「仲が良い親子なんですね」

「いえいえ。シンクレア王家の仲の良さには敵いませんよ。お父上はあなたたちを信頼してらっしゃるようですし」

「ふふ、ありがとうございます。伯爵に言われると、私も嬉しくなりますわ」

「これは恐縮です。レイラ様はこれからお帰りで?」

「えぇ。もう陽が暮れますから」

 にこやかに会話しているレイラに、「姫様」とレオンが小さく口添えした。その瞳は鋭くロッシュを見据えている。

「そうですか。お気をつけて」

「はい、ありがとうございます」

 小さく会釈して、レイラは喫茶店を後にする。後ろに控えていたレオンが「姫様、マルコラスにはお気をつけ下さい」と小さく耳打ちしているのが、ロッシュには確かに聞こえていた。

「――ふん。行くぞ、エルヴァー」

「いらいらするなら、無理して会話しなくても良かったんじゃないですか?」

「相手は一応王女だからな。平和ボケした(むすめ)だろうが、体裁は保っておかねば」

「本音出てますよ、父上」

「もうおらんのだ、かまうものか。それより全員揃ってるんだろうな?」

「えぇ、もう到着しているようです。南の使者もお着きみたいですよ」

「分かった。――今晩も長くなりそうだ」

 そうして、マルコラス親子はサロンへと入っていく。

 不穏な気配を感じる。彼らの会話をはっきりと聞き取ることは出来なかったが、楽しい親子の会話などではないだろう。レイラ自身も、親子の良くない噂を幾度も耳にしていた。だから、気になるのだ。

(……調べてみましょうか)

 ふと、レイラは足を止めた。

「どうしました?」

「いえ……。レオン、お願いがあります」

「何でしょうか?」

 その側にぴったりと付き添っているレオンに短く告げる。

「お父様との会食をキャンセルしてもらえますか?」

「え――? ど、どうしました、突然!?」

「気になることがあります。――私も、ノーラン公国へ向かいます」




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