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勇者と王女のワールドエンド  作者: 小来栖 千秋
第三章 ノーラン公国、大陸動乱前編
58/83

(10)

 

 ティドの懸念は、杞憂(きゆう)に終わっていた。

 パンゲア大陸の北部に連なっている山脈はドンゴア帝国とクルニカ王国の国境線になっている。つまり、山脈に()られたトンネルは関門の役割も担っていた。ドンゴア帝国とエレナ王国は友好国ではないため、入国の段階で(つまづ)くかと思っていたが、気付かれる事もなく帝国内に入れたのだ。

 ドンゴア帝国の空からは、燦々(さんさん)と雪が降り注いでいる。

 降り積もった新雪をぎゅ、ぎゅと音を鳴らしながら()んで歩いていくと、なんだか楽しくなる。こんな気持ちになるのは子どもの時以来だった。

「こっちの方は雪も積もってるんだな」

 ルブラスから、ドンゴア帝国へ入った大地は止む事なく降り続ける雪へ視線を向けた。

 ティドが言っていたように、山脈を越えたあたりからは本当に別世界である。視界一面には雪が積もっている。大地たちの前に積もっている雪もまだ誰も歩いていないようで綺麗なままだ。木々に積もった雪、近くの家の屋根から時折落ちる雪の塊、固まった雪に足をとられて転びそうになる地面。そのどれもが雪景色の中におさめられている。

 とても綺麗な景色だった。

「転ばないように気を付けてくださいよ」

「そんな子どもじゃねぇって」

 と、大地とティドは軽く言い合う。

 その二人の横で「きゃあ」とリーシェが尻もちをついていた。その様子を見て、みんなは「大丈夫?」と声をかけながらも、笑顔を見せた。

「本当に綺麗だな。俺がいた街じゃ、ここまで積もった事ないなぁ~」

「それはエレナでも同じよ」

「そっか」

「えぇ。それと楽しんでる場合じゃないわよ。ノーラン公国へ急がないと」

「それはそうだけど――」

 やはり、エリーナの態度がいつもと違う。ティドの提案を渋々(しぶしぶ)と受けたあたりから、どうもおかしい。普段の彼女なら先を急ぎたい気持ちを飲み込んで、みんなの調子に合わせてゆっくりと歩いているだろう。それが、今はそんな余裕もないようだ。

「本当にどうしたんだ、エリーナ?」

「だ、だから、なんでもないって……」

「なんでもあるだろ。やけに急いでるし」

「そ、それは追手がまだいるかもしれないから」

「そりゃそうだけど、ここまで来たんだ。さすがにもう来ないだろ」

 大地だけでなく、リーシェやリシャールもそう考えていた。ドンゴア帝国とゴルドナ帝国も別に親交があるわけではない。ゴルドナ帝国の追手も易々とドンゴア帝国まで追いかけてくる事はしないだろう。

 それなのに、エリーナは急いでいる。その事が、不思議でならなかった。

「エリーナ様、もしかして……」

 ティドが思い当たる(ふし)があるようで、口を開いた。

「な、何よ」

「ジェリード陛下が怖いのですか?」

「――ッ!? な、なに言ってるのよ、ティド!」

 あからさまにうろたえるエリーナ。

 その反応に、大地だけでなくリーシェやリシャールも驚いた。

「エリーナも怖がる人とかいるのね」

「ほんとびっくり……」

「ふ、二人も何言ってるのよ! 私だって怖いなって思う事くらいあるわよ」

「そうかもしれないけど、意外でさ」

 うんうん、とリシャールが頷いている。それほど大地たちにとって意外だったのだ。父親であり国王でもあるエグバートには言葉遣いなどきちんとしている姿は見た。けれど、それは親であり国王であるエグバートだからである。エリーナが身内以外を怖がっていることが驚きなのだ。

「それで、ジェリード陛下って?」

「ドンゴア帝国の女王の事ですよ」

「へぇ~。って、この国は女王なのか?」

「えぇ。詳しい話は知りませんが、王位に就くには決まったオーブじゃないといけないらしいです。そのため、現在は女王だとか」

「ふ~ん。そのジェリードって人が怖いのか?」

「前に会ったことがあるのよ。それで、ちょっと苦手なだけ」

(早くこの国から離れたいって言ってんのに、ちょっとどころじゃないだろ)

 と、大地は思うが口にしない。

 代わりに、

「なら、エレナに戻るルートのが良かったんじゃないか?」

「それで、また『四人の処刑者(クアトロ・エヘクトル)』と戦うようになったら本末転倒でしょ」

「それもそっか」

 どうやらエリーナは怖い思いを我慢して、自身の感情よりもより安全な旅路を選んだようだ。そんなエリーナを見て、大地はこのまま何事もなくノーラン公国へ行くことだけを祈っていた。

 しかし、ドンゴア帝国の道は(けわ)しい。

 エレナ王国のように公道が()かれているようだが、降り積もる雪がその道を大きく変容させていた。一歩一歩雪を踏みしめる度に、想像以上に体力が持っていかれる。雪道がこんなにも歩きにくいものだと今さらのように知った。

 どれくらい歩いただろうか。

 クルニカ王国から山脈トンネルを越える時は、太陽はまだ頂点に昇っていなかった。間断なく雪を降らせている雲で太陽の位置を確認することは難しいが、おそらく既に昇りきっているだろう。

 クルニカ王国で追ってきた『四人の処刑者(クアトロ・エヘクトル)』にまた追いつかれるかもしれない。帝国軍に見つかるかもしれない。それらの可能性も考えて、一刻も早くドンゴア帝国を抜けて、ノーラン公国に向かうべきだ。

 だが、ティドはどこから仕入れたのか、ドンゴア帝国の地図を広げて出した。

「この先に小さな村があるようです」

 ティドが、みんなを振り返りながら口にする。

「村?」

「はい。村人との余計な接触は()けるべきだと思いますが――」

 どうしますか、とティドは視線を向ける。

 険しい雪道を歩いたため、大地たちは思っている以上に疲弊している。特に女性であるリーシェはすでに足を動かすのが辛そうだ。エリーナがあまりに先を急ぎ過ぎるために、知らず知らずに無理をしていたのだろう。

「……はぁはぁ」

 今度は、エリーナだけに視線を向ける。

 どうしますか、と。

「……、――」

 難しい表情のまま、じっと唇を噛んだエリーナは、

「村に行くわ」

「――わかりました。リシャール、先導をお願いします。僕はリーシェを」

「あ、うん。わかった」

 ティドから地図を受け取ったリシャールは、みんなの前を歩いていく。地図を渡したティドは、肩で息をしているリーシェに駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

「う、うん。ありがとう」

「いえ。早く暖まれる場所に――」

「えぇ、そうね」

 まっすぐにノーラン公国へ向かおうとしていた大地たちだが、ここで方向転換をする事にした。自分たちの思っている以上に身体は疲弊している。さらに、ルブラスで買いこんだ服や靴も雪道を歩いているうちにぐしょぐしょに濡れていて、身体を冷やしていく。そうやって、体力があっという間になくなっているのだ。

 早くドンゴア帝国を抜けたいという気持ちもあるが、慣れない旅路にはやはり休息も大事なのだ。

 渡された地図で道を確認しながら、リシャールはみんなの先頭を進んでいく。雪で覆われた景色の中で、正しい方角を目指す事は難しい。良心的な看板など探しても周囲にはなくて、手にした地図と必死ににらめっこをしている。

「たぶんこっちだと思う」

「たぶんって……」

 リシャールの曖昧(あいまい)な言葉に、大地は呆れた声を出してしまう。

「ちょっと見せてみて」

「は、はい」

「…………うん、合ってるみたいよ。ノーラン公国は西の方角だし、あっちの山を目印にして村を目指しましょう」

「あ、ありがとう」

 エリーナの指示を受けて、大地たちは右手に見えている山を見失わないように歩き続ける。

「……はぁ、はあ。ドンゴア帝国って厳しいとこだな」

「この環境が大陸一の軍隊を作り上げているって言われてるほどよ。ドンゴアの兵士たちはこの雪でも平然と戦えるんだから」

「へ、へぇ~、そうなのか」

 無理矢理にでも会話を続けようとする。そうしなければ疲れきった身体は今にも倒れそうで、意識がとんでしまいそうだったのだ。

「この厳しい環境で訓練をしているそうです。ドンゴア帝国の軍が強いのは、もはや必然ですよ」

 と、後ろでリーシェを気遣っているティドも言葉を(はさ)んだ。

「この国ってそんなに強いのか……」

 ふと不安になる。

 大地たちは旅行という建前でドンゴア帝国へ入国している。大地たちがドンゴア帝国に入りこんでいる事が知られたら、その軍がゴルドナ帝国の時と同じように襲ってくる事になるのだろう。ゴルドナ帝国の追手から(から)くも逃げた大地たちが、大陸一と言われる軍隊を相手に逃げ切れるのだろうか。確実に逃げられるとは、到底言えなかった。

 そうしているうちに、村が視界に入ってきた。

「あれが、村」

「――みたいですね」

 村に近づくと、雪が降る勢いは一層増していった。吹雪にかわるのも時間の問題である。

「こっちも雪が(ひど)いな……」

「どこか、休憩できるところを探しましょう」

「――そうね」

 大地たちが立ち寄った村は、さほど大きくなかった。リーシェの故郷であるアーリ町よりもさらに小さい村は、やはり雪に(おお)われている。このような村にゆっくり休憩できるような場所はあるのだろうか。不安に()られるが、大地たちは異国の村を進んでいく。

 村にはいくつも家やお店などの建物があるが、建物の外に人の姿はなかった。雪の勢いが強くなっているとはいえ、まだ日が暮れる時間でもない。村を歩いている人の姿が見えないのは、かえって奇妙だった。

「宿屋のような店はないのか?」

 ()が落ちていくにつれ、気温が下がっていく。このまま雪道を歩いていくことも外でじっとしていることも危険だ。(だん)をとれる場所を確保することが何よりも大事なのだ。

「これだけ小さい村だと期待は薄いですね」

「でも、どうにかしないと……」

 すでにリーシェだけでなく、みんなも疲れを見せ始めている。

「はぁはぁ……」

「ど、どこか休める場所は――」

 大地たちは小さい村をきょろきょろと見回す。しかし、やはり旅人を心よく迎え入れてくれるような店はない。近くの家屋はカーテンがしっかりと閉ざされて、中の様子を(うかが)い知ることは出来なかった。

 そこへ、

「さがせ!!」

 不意に大きな声が聞こえてきた。

 ついで、ガシャガシャという金属音。村に降り積もった雪を踏みしめる音から、多くの人が村に入ってきたようだ。

「――ッ!?」

「大地、こっち!」

 慌てて、建物の(かげ)に隠れる。

「陛下は西へ向かったと仰っていた。やつらは、この村に入りこんだはずだ! 必ず見つけ出せ!!」

「はっ!」

「第二小隊は俺についてこい!」

「了解っ!」

 ドタバタという無数の足音と怒気を含んだ声に、大地たちは背筋を(こお)らせた。声の主たちは誰かを探している。誰か、というのは直接口にしていないが、大地は自分たちのことだとすぐに分かった。

「だ、だれが……」

「間違いなくドンゴア帝国の軍です。こんな小さな村に駐屯(ちゅうとん)しているとは思えません。近くの基地からきたんでしょう」

「ど、どうして」

「あの金属音は甲冑(かっちゅう)でしょう。ドンゴア帝国の甲冑は雪と寒さに耐えられるように特別製だと聞いた事があります。おそらくその音でしょう」

「で、でも早すぎないか……?」

 大地たちが村に到着してから一時間も経っていない。国境を越える時も素性が割れた様子はなかった。どこで気付かれたのだろうか。

「あの女よ」

「あの女?」

「この国の女王よ。ドンゴアの王になるには決まったオーブじゃないと駄目ってティドが言ったでしょ。あの女のオーブが私たちに気付いたのよ」

「でも、どうやって」

「そこまでは分からないわ。でも、そうに違いない」

 妙に断言するエリーナだが、大地もそれ以上は疑わなかった。

 それよりも、今はこの状況を打破する事が先決だからだ。

「仕方がありません。村から出ましょう。ここにいたら捕まってしまいます」

 ティドの提案に、誰も反対しなかった。リーシェだけでなく、みんなも歩き疲れているのだが、ここで捕まってしまうという最悪の状況だけは考えたくなかったのだ。特に、大地以外のみんなはどのような形にしろ、戦争を経験している。捕虜(ほりょ)というものの扱いをおおよそ知っているのだ。

「で、でもどうやって……」

 弱々しい声をだしたのは、一番疲れているリーシェだ。大地たちの中で最も体力がないだろうリーシェは、これからさらに全力で走ることは難しそうだ。

「僕に考えがあります」

「ティド?」

「僕のオーブです」

 はっ、と思い出した。

 クルニカ王国で、大地はティドがオーブを使った場面を目撃している。ノラッシュ村に辿(たど)り着く前、『四人の処刑者(クアトロ・エヘクトル)』と対峙(たいじ)した時に、ティドは彼らに対してオーブ――『ガルドル』を使用している。そのオーブの効力は歌に呪いを()めて、相手の五感に働きかけるというものだと説明していた。大地には詳しい力など分からないが、そのオーブを使えば、この状況を打破できるのかもしれない。

「僕の歌が聞こえる範囲の敵は混乱するでしょう。その隙をついて、村から出るんです」

「聞こえる範囲って。俺たちは大丈夫なのか?」

「大丈夫です! 意識をさらに高める必要がありますが、効果範囲を限定する事で味方には効かないようにします」

「そ、それってむちゃ――」

「無茶も承知です!! けど、生き残るためです! ここを脱して、ノーラン公国まで逃げ切れれば、相手も簡単に手出しはできませんから!」

「覚悟しろってか」

 ふぅ~、と一息吐く。

 そして、また思い出す。

 この冒険を始めた時のこと、エリーナから話を聞いた最初の自分の気持ちを思い出す。

(――大丈夫だ。決意も覚悟もずっと前にしたんだ)

 こんなところで、(くじ)けているわけにはいかない。

 捕まるわけにはいかないのだ。

「よろしいですか?」

 みんなに問いかける。

 大地同様に全員が覚悟を決めたようで、しっかりと(うなず)いた。

 そうして、小さな村に歌が響きわたる。

 それは、素敵な歌とは言えない。ぞくぞくと背筋に寒気が走るほど恐怖を連想させる調べだ。

 ちらり、とティドに視線を向ける。中性的な顔立ちをしているティドだが、不気味な歌を歌っている彼は、さらに性別がはっきりしないように思える。その腰元から極彩色の輝きが溢れ出ている。ティドが持っている剣の柄に埋め込まれた宝玉(オーブ)が、『ガルドル』を使用したことからその輝きを溢れさせているのだ。

 近くで、男の苦痛な声が聞こえた。

「――今です!」

 ティドが合図をする。

 その直後、建物の(かげ)に隠れていた大地たちは一斉に駆け出した。直前まで迫ってきているドンゴア帝国の兵士たちから、危険な状況にあるこの村から全速力で逃げる。

 エリーナを先頭にして大地たちは村を駆け抜けていく。ティドは走りながらも『ガルドル』は使用し続け、その歌声を響かせ続けている。ティドの声を聞いたドンゴア帝国の兵士たちは、次々に激しく(うめ)いて地面に膝をつけていっていた。

 けれど、大地たちは無事だ。ティドのオーブのことは詳しく知らない。どのように使用する事で効果範囲を限定しているのかも分からない。それでも、自分たちに影響が出ないのなら、

(本当に俺たちには何も起こらない……。これならいける!)

 そう思った。

 大地だけでなく、エリーナも逃げ切れると確信したようで大きな声を上げた。

「もう少しで村をでるわ! すぐにノーラン公国に――」

 しかし。

 その声は、途中で途切れた。

 それどころか、エリーナはちょうど村を出たところで走ることをやめてしまった。

「お、おい! どうしたんだよ」

 急に止まったエリーナに、大地が後ろから声をかける。

 だが、大地も気付いた。

 いや、全員が気付いたのだ。

「あ、あ、あれは……」

「そ、そんな――」

 目の前には、あまりに多すぎる軍勢が待ち構えていたのだ。小隊や中隊という程度をはるかに超えている。その数はざっと五〇〇人ほどだろうか。

 待ち構えていた軍勢を見て、大地やリーシェは絶望感をあらわにした。こちらはたったの五人だ。数が違いすぎる。勝ち目などないのは、誰の目にも明らかだった。

 それでも。

「エリーナ様!!」

「分かってるわ!」

 ティドの歌声がより大きくなった気がした。

『ガルドル』の力が及ぶ範囲を広げたのだろうか。離れているドンゴア帝国の兵士たちも苦痛に顔を(ゆが)めている様子が見えた。

 そして、エリーナが腰にさげた剣を引き抜いた。

 魔剣ゲイン。

 エリーナが持つ、悪魔ともいえるほどの力を持つ黒い十字剣だ。

 黒い十字剣を握りしめたエリーナの右手から赤い光が勢いよく溢れ始める。彼女が持つオーブの力の象徴ともいえる色。暴力的なまでの強さを()めた赤色。この世界でその力を知らない者はいないオーブ。

 それは、『バーサーカー』。

 そして、右手に持った十字剣を横に振るった。

 たったそれだけだ。

 それだけの動作で、何者をも打ち(くだ)く衝撃波が生み出され、ドンゴア軍兵士たちへ襲いかかっていった。

「ぎゃぁあああああああああ――ッ」

 遠く離れていても、衝撃波を受けて倒れていく兵士たちの叫び声が聞こえた。

 その眼前に立つエリーナのブロンドの髪は乱れ、狂戦士を象徴するように(ひとみ)は赤く染まっている。右手の薬指に()められた指輪は強烈な赤色を示し、その光を浴びて、エリーナは煌々(こうこう)と輝いていた。

 この姿のエリーナを見ることは、もう何度目になるだろうか。

 窮地(きゅうち)に追いやられた時は、いつもエリーナは先頭に立って戦っていた。それが当たり前といわんばかりに。王女でありながら、他の多くの軍人を圧倒するようなオーブを持つ者であるため、彼女は誰よりも真っ先に剣を握るのだろうか。それは、率直にすごいなと思えた。

 大地がそんなことを思っていると、

「今よ!! 走って!」

 エリーナの声が、現実に引き戻した。

 ティドの『ガルドル』とエリーナの『バーサーカー』による攻撃で、さらに相手に隙を作った。その間に、大地たちはまた走り出す。

 目的の場所はノーラン公国だ。しかし、慌てて飛び出した大地たちは方向感覚がはっきりとしない。今も燦々(さんさん)と降り続ける雪と()み荒らされていない積もった雪景色が、さらに方向を分からなくさせている。

「どっちなんだよ!」

「分からないわよ! とりあえず逃げなきゃ――」

 向かうべき方角が分からない。

 その恐怖感よりも、後ろにいる軍勢の絶望感のほうが強かった。だから、大地たちは迷うことを覚悟しながらも走り続ける。ここで捕まるわけにはいかないから。

 後ろから、怒号(どごう)が聞こえてくる。

 それらはドンゴア帝国の兵士たちがあげる大声だ。大地たちを取り逃がしたことに、怒り狂っているのだろう。

「はぁはぁ……」

「どこまで逃げるんだよ!?」

「追いつかれないところまでよ! ティド、道探して!!」

「分かってます!」

 焦っているため、みんなの声が自然と荒くなっていた。

 ちらりと後ろを振り返れば、さきほど怒号を上げていたドンゴア帝国の兵士たちが追いかけている。彼らの狙いはもはや大地たちで間違いない。たった五人のために、あれだけの軍勢が投入されているのだ。

 目的は、何なのか。エリーナなのか、勇者である大地なのか。それははっきりとしないが、ここで追いつかれればクルニカ王国の時の二の舞になってしまう。大地たちは慣れない雪道を必死に走った。

「リシャール! オーブで雪溶かせない?」

「出来るけど、いちいちやってたら追いつかれちゃうよ!」

「ちっ。それもそうか――」

 いらついているのか、エリーナは無意識に舌打ちしていた。

「エリーナが一気に倒したほうがいいんじゃ――」

 さきほどもエリーナは『バーサーカー』を使用して、魔剣ゲインを一振りしただけで、多くの敵を()ぎ払っている。それだけの力があるのなら、倒したほうが早いような気がするのだ。

 しかし、エリーナの言葉は違った。

「あの数よ!? すぐに囲まれて終わりよ!」

『バーサーカー』として知られているエリーナだが、そのオーブも長時間使用出来るものではない。多対一の戦闘ではオーブが切れた瞬間に、袋叩きにあってしまうだろう。盗賊などのような数が少なく練度も低い相手ならまだ戦えても、正規軍相手では無理なのだ。

「そ、そんなこれ以上速く走れないよ」

 息も切れ切れながらに、リシャールが弱々しく嘆いた。

「頑張って、リシャール!」

「む、無理だよ……」

 貴族出身でそれなりに剣術や武術の指南(しなん)を受けているだろうリシャールも、肩で呼吸をしていた。彼だけじゃない。現役の軍人であるティドも疲れている表情だ。ティドはオーブを使用した事も関係しているのだろうが、それにしても初めて見るような顔だった。

「あっちの森林に逃げ込みましょう! 少しは引き離せるかもしれません」

 (かす)かな望みで、大地たちは右手に見えている山へと進んでいく。山肌に生えている木々の中を通って行けば相手は見失うかもしれない、という微かな望みだった。

「……はぁはぁ。――くッ」

「早く! 早く森に!」

 真っ先にティドが雪に埋もれた森の前に着いた。

「リーシェ! さぁ、こっちに!」

「う、うん!」

 進めば進むほど、雪は深く積もっているような気がした。ドンゴア帝国の兵士たちから逃げようと必死に足を動かしているのだが、一歩一歩がとてつもなく重たい。

 それでも、ようやく森の入り口に差しかかる。あとは森を()うようにして逃げれば、相手を撒く事が出来るだろう。

 しかし、その前に敵のオーブが振りかかる。

「逃がすかぁ!!!」

 迫ってくるオーブは、様々だ。大地が今までに目にしたオーブや見た事もないオーブ。それらが明らかな殺傷力を持って、背を向けている大地たちに襲いかかる。

「危ない!!」

 叫んだティドが、咄嗟(とっさ)に全員を伏せさせる。その上を、オーブが雪に埋もれた木々をかまわず薙ぎ倒していった。

 その隙をついて、走力に特化したオーブを持つドンゴア帝国の兵士たちが一気に間合いを詰めてくる。森の入り口の木々も倒されて、大地たちの身を隠すものもなくなった。

 絶望。

 ただそれだけが確実にのしかかってくる。

 相手は圧倒的な数の軍隊で大地たちを追い詰めている。さらに、ドンゴア帝国特有の気候に慣れた人間たちである。雪国での戦闘も十分すぎるほどに心得ているだろう。国境さえ越えれば助かる。その希望さえも、簡単に(くじ)かれそうな状況に絶望を感じてしまうのだ。

 それでも。

 エリーナは、ここで(くじ)けるわけにはいかなかった。

 だから。

「走って!!!」

 もう一度、声を張り上げた。

 つられて、身を守るように伏せていた大地たちは一斉に駆け出した。

 さきほどまで森があった場所は、木々が倒されたことで視界が開けている。森の中を縫うように逃げることはもう叶わない。ただ、迫りくる絶望から背を向けて必死に走るしかない。

 しかし、それもドンゴア帝国軍との疲労度は明らかに違った。何よりも、相手は土地勘のある正規軍。五〇〇の軍勢で囲むように追われれば、大地たちはひとたまりもない。

 そのため、エリーナはもう躊躇(ちゅうちょ)はしない。

「ぅああああああああ――ッ!!!」

 再び右手が赤く輝きだした。それを合図にして、エリーナは思いっきり十字剣を振るった。

 次の瞬間。

 ドッガァアアアアアアアン!! という強い地響きが起こった。

 それは山肌が崩れる音だった。敵のオーブによって()ぎ倒された木々がさらに大きな力によって崩れていった。山肌をごっそり(けず)り取ったエリーナの一撃は、ドンゴア帝国の軍隊をも飲み込んでいく。

 突然の崩壊に、ドンゴア帝国の兵士たちは為す(すべ)もなく倒れていく。それを確認して、

「や、やった……」

 リーシェが歓喜の声をあげた。

 だが。

「まだよ!」

 まだ気を緩めない。

 一気に相当な数の敵を沈黙させたが、相手はまだいる。一瞬でも気を抜けば、その隙をついてくるだろう。

 だから、エリーナはもう一度その力を振るおうとする。たった一回剣を振るっただけで山肌をごっそりと(けず)るような衝撃波。それをもう一度、敵の軍勢に浴びせようと右手に力を込める。

 彼女が持つ魔剣ゲインは振るう度に、威力を増大させる悪魔の剣だ。もう一度力をふるえば、相手の戦意を()ぐには十分だろう。念には念を入れて、そう判断したが敵の動きも迅速だった。

「――ッ!?」

 先を走っていたリシャールの目の前に、新たな軍勢が現れたのだ。

「あ、うあ……」

 声にならない声が()れる。

 現れた軍勢の数はおよそ五〇人。さきほどの部隊の一部が迂回して、先回りをしていたようだ。

「そんな、前にも敵なんて……」

「諦めないで! ティド!!」

「はい!」

 エリーナの言葉に応じたティドが、一気にオーブを解放する。

 色鮮やかな、とは言えない極彩色の輝きが周囲に溢れる。そして、相手の聴覚に働きかけるティドのオーブ、『ガルドル』が炸裂する。

 さらに。

 彼の隣から緋色の輝きが増した。それはリシャールが持つ宝玉(オーブ)の輝きだ。リシャールのオーブ、『イグニス』。炎を具現させるオーブが、いくつもの火球を出現させる。しかし、目の前にいる敵はまだ遠い。だから、狙いはドンゴア軍兵士そのものではない。一面に積もっている雪。そこへ向けて、火球は放たれていた。

 いくつもの火球が降り積もった雪もろとも地面を爆発させる。巻き上げられた粉塵(ふんじん)は大地たちを隠す目くらましになった。

「今だよ、ティド!」

 そして、声が響く。

 再び周囲に響きだした歌声はさらに大きくなっていく。近くにいる味方に力が及ばないように繊細(せんさい)に、けれども遠くの相手にしっかりと歌が聴こえるように、声を大きくしていく。

 それが、どれだけの集中力を要するのは分からない。一人の人間に一つだけもたらせるオーブの使用には個人差はあるものの、それぞれ疲労する。それはオーブの種類や力の使い方、使用時間、頻度(ひんど)。様々な要因がある。今のエリーナとティドは、その全てを満たすほどにオーブを多発していた。

(後々のことを考えている余裕はない! この場を脱却(だっきゃく)するために全力を尽くす!!)

 そのためなら、何だって(いと)わない。

 彼は真面目な性格のため、共に旅をしている仲間全員を守ろうとしている。だが、本来彼が何よりも大事にしていることは、主であるエリーナの身の安全だ。最も戦闘能力が高い彼女のことよりも自身の心配をするべきかもしれないが、ティドは王族特務護衛隊の所属だ。やはり彼は自身の任務を全うしようとする。

「……ぅあ、ああああ」

 遠くから(かす)かに痛みに(うめ)くような声が聞こえた。

 それは『ガルドル』が効いている証拠だ。具体的なオーブの効果は知らない大地だが、聴覚に働きかける『ガルドル』は相手の内側――精神を攻撃するようだ。

 ティドの攻撃で、ドンゴア軍兵士のいくらかは沈黙しただろう。リシャールのオーブで姿を隠したとはいえ、いつまでもじっとしているわけにはいかない。『バーサーカー』も『ガルドル』も無限に使用できる代物(しろもの)ではないのだ。じっとしていれば、前後から敵に攻撃されてしまう。

「またリシャールが地面爆発させて、煙の中を進むのはどうだ?」

「少しくらいなら出来るけど、ずっとは無理だよ。僕の力じゃ、国境に着くまでもたないよ」

「……そうか」

「ぐずぐず考えてる(ひま)はないわ! 森にいてもあいつらがばったばった斬り倒すなら、もう一直線にノーランを目指すわよ」

「けど、前も後ろも敵がいるのに――」

「大丈夫! 私が道を造る!!」

 力が爆発する。

 三度炸裂する力は狂戦士(バーサーカー)による一振り。幾度も目にしたそれは、地形を容易(たやす)く変えてしまうほど恐ろしい攻撃だ。その一振りによって、大地たちの後方に迫っていたドンゴア軍兵士たちの前に大きな地割れが起こった。ちょうど大地たちと敵を(へだ)てるように斬り裂かれた地面を見て驚愕(きょうがく)した。

「じ、地面を斬り裂いた……!?」

「私の力は何も相手を吹き飛ばすだけのものじゃない! これで、あいつらもすぐには追ってこれないはず!」

 敵との距離が出来たことを確認して、何度目かの逃走を図る。

 体力はもうとっくに底をついている。降り積もった雪が歩行を困難にし、慣れない気候が身体をしんまで冷やしている。着こんだ防寒具もこれまでの逃避行でボロボロになっていた。

 それでも、逃げることは止めない。

 誰もがここで捕まりたくない、死にたくないと心から思っているからだ。冒険の理由は様々でも、ここまできたというある種の達成感が、大地たちを強固な仲間にしている。

 だから、王女であるエリーナも全力を尽くしているのだ。

「……はぁはぁ。か、らだが――」

 身体に踏ん張りがきかなくなる。『バーサーカー』という強力なオーブを三度も使用して、エリーナにも限界がきたのだ。

「エリーナ様!」

「これくらい大丈夫よ! 今は前に進まなきゃ」

 今は前に進むことしか出来ない。弱音を()いている場合ではない。

 しかし、息が絶え絶えになっているのも事実だった。

 すでにどれほどの距離を踏破(とうは)してきたのだろうか。それも分からなくなり、雲間から太陽の位置を探すことすら億劫(おっくう)になる。今日中にノーラン公国に入るという計画も頓挫(とんざ)しているようなものだ。

「まだ……、まだ着かないの?」

「もう少しです! ――はぁ、はぁ。もう少しで逃げ切れる……ッ」

 リーシェと同じように息も絶え絶えに、ティドはみんなを鼓舞(こぶ)する。

 ちらりと振り返ると、休息のために立ち寄った村がもう微かにしか見えなくなっていた。そのことを自覚して、大地たちはかなりの距離を歩いたのだと気付いた。

 しかし、まだ気を抜くことは出来ない。ここはまだドンゴア帝国の領内なのだ。大地たちを追っている五〇〇のドンゴア軍兵士もまだ追ってきている。エリーナとティドの攻撃で相当数を倒したとはいえ、相手はこちらの一○○倍の数の兵士たちだ。まだ敵はいるはずである。

「……はぁ、はぁ」

「あの山さえ越えたら――」

 何度そう思っただろう。

 一面の雪景色で整備された街道も、標識さえも見えない景色の中で、大地たちはただひたすらにノーラン公国を目指した。

 それだけが、助かる方法だから。

 そう信じて。



 その希望すら、一瞬で(くず)れさるものだとしても。



 まっさきに音が響いた。

 それは目の前から聞こえてきた。いや、目の前から次第に周囲へと音の発生源は広がっていった。

 次に地面が激しく揺れた。ゴゴゴゴゴッ、という地響きはエリーナが山を崩した時とはまた違う音だ。雪が積もっていて足場が不安定なため、ぐらぐらと揺れる身体を支えきれない。転倒しそうになるリーシェを、慌ててティドが支えた。

「な、なに!?」

「地震?」

 これは災害なのだろうか。そう思ったが、

「いえ、違います」

 あっさりとティドが答えた。膝をついたリーシェの肩を支えているティドが、鋭い視線をある一点に向けている。

「あ、あれは……」

 そこには周囲から大量の雪が、氷が集まってきていた。それらは集合し、結合し、巨大化していく。大地たちの目の前でみるみるうちに大きくなっていくそれは、何かを形成しようとしている。

 それは、

「――オーブです。『氷の巨人(イエロ・ギガス)』。いくつものオーブを合わせて作られた雪と氷の巨人。先の戦争でドンゴア帝国が主戦力に数えた兵士ですよ!!」

 その脅威は、明らかだった。

 大きさは軽く二、三〇メートルはあるだろう。圧倒的な質量で作られた巨人の肉体は、周囲の景色同様に白い。しかし、その身体は筋骨隆々だ。腕にしろ、足にしろ、その身体をぶつけられたら、ひとたまりもないだろう。

「……きょ、巨人……」

 大地にとって、それは伝説上の存在だった。実際に対峙することのない存在だったのだ。その存在すらもオーブは作り上げるのか、と身体が震え上がる。

 その『氷の巨人(イエロ・ギガス)』を出現させたのは、その足元にいるドンゴア軍兵士たちのようだ。目を凝らせば、二〇人程度の姿が確認できる。これまでの大部隊とは違って随分数が少ないが、どこから迂回してきたのかなど考えている余裕はない。

氷の巨人(イエロ・ギガス)』がすぐに動いてきたのだ。

 それは、一瞬だった。

 一〇メートルを超える腕が想像以上の速度で伸びてきた。人を軽く捻り潰せそうなほど大きな腕だ。

 その腕を目の当たりにして、大地たちは全く動けなかった。

 ここまで逃避行のように必死に逃げてきた。さきほどの強い揺れで足がとられていた。突然、木々よりも大きな巨人が現れた恐怖感もあった。ずっと溜まってきた疲労と恐怖、絶望感が、ここで最大に達したのだ。

「――まずい」

 ただ一人。

 ティドだけが動けた。

 それは、何も特別なことではなかった。

 彼は王族特務護衛隊に所属している。まだ若く実戦経験が少ないかもしれないが、彼はエレナ王国軍の中でもエリート部隊の所属なのだ。それはエリーナにもない日々の訓練が培ったものだった。

「あぶない――ッ!!」

 固まっているみんなの意識を呼び戻すように叫ぶ。

 そして、みんなを守るように『氷の巨人(イエロ・ギガス)』の前に立ちはだかった。

「……ティド!?」

 エリーナが驚いて、立ち上がろうとする。自分の身体ほどの大きさの拳が眼前に迫ってきているにも関わらず、立ち塞がった部下を守るために全身に力を込める。

 だが。

 それよりも先に、『氷の巨人(イエロ・ギガス)』の腕がティドの身体を殴りとばした。



「――――ッ!?」



 呼吸が止まる。

 小柄なティドの身体が、大きく宙に舞う。

 それは、ひどくゆっくりとした時間だった。目の前で起こった事が信じられないような、何かの間違いだと思いたくなるような事にエリーナの呼吸が止まったのだ。

氷の巨人(イエロ・ギガス)』の腕が振り切ったのと同時に、ティドの身体が地面に倒れる。一度大きく跳ねて倒れたティドを見て、エリーナは慌てて駆け寄った。

「そ、そんな、ティド――!!!」

 声をかけるが、返事は返ってこない。

 ぐったりとしたティドの身体からは、大量の血が流れていた。

「ティド! ティド!!」

 ティドの身体を支える両手が赤く染まる事も(いと)わずに、エリーナは何度も何度も声をかける。

「ぐッ――、エ、エリーナ様……」

「ティド!」

 微かに聞こえた声に、顔を緩ませる。

 しかし、そこへザクッ、という雪を踏みしめる音が聞こえた。

「――ッ!?」

 そのままの表情で見上げると、『氷の巨人(イエロ・ギガス)』が敢然と立っていた。二、三〇メートル近くある巨体が、小さな大地たちを見下ろしている。目に当たる部分が存在するのか疑問だが、それはまさしく虫けらを見るような格好だった。ティドを殴り倒した右手が赤く染まっている。その赤黒く大きな拳が、再度握りしめられた。

(しまっ――)

「死ね、エレナの王女」

 どこかで、そんな声が聞こえた気がした。

 大地もリーシェもリシャールも近くにはいない。エリーナも反応が間にあわない。絶体絶命の状況に、殺されるとエリーナは思わず目を閉じてしまった。

 しかし。

 いくら身構えても身体に痛みは来ない。死ぬということは痛みを感じないものなのかと一瞬思ってしまうほどだ。それも間違いだと気付いたのは、閉じた(まぶた)の上から強烈な光を感じたからだ。

「――っ!?」

 何が起こったのかと目を開けた。

 すると、視界全体を覆うように光が溢れていた。

 ただの光ではない。

 それは、光線だ。視界全体を覆うほどの強烈な一つ一つの光線が、全てオーブによる攻撃だった。

 いくつもの光線は凄まじい威力を持って、『氷の巨人(イエロ・ギガス)』を貫いていく。腕、足、頭、胴体。身体全体を無数の光線が、何度も貫いていった。強烈な光の攻撃を受けて、『氷の巨人(イエロ・ギガス)』は声もなく崩れ去っていく。雪と氷で作られた巨体があっさりと倒れていく姿に、ドンゴア軍兵士は慌てふためく。

「な、何事だ!?」

「お、オーブによる攻撃です、隊長!」

「えぇい! 一度距離を取り、敵を見つけよ!!」

 隊長の指示を受けて、ドンゴア軍兵士たちは策敵する。しかし、それでも光線による攻撃は止まない。どれだけ距離を取っても、遠方から襲ってくる光の筋はドンゴア軍兵士へ襲いかかった。

「く、くそ……ッ」

「隊長、このままでは――」

 広範囲に及ぶ光線の攻撃は降り積もった雪を溶かし、その下の公道や地面を(えぐ)っていく。木々は()ぎ倒され、山肌を(あら)わにさせていた。その強烈な熱と目で追えないほどの速さの光線を受けて、ドンゴア帝国の兵士たちが次々と倒れていく。

 それは、圧倒的な光景だった。

『バーサーカー』のオーブを持つエリーナも盗賊や敵国の兵士を相手に圧倒的な力を見せたことがある。今、目の前で繰り広げられている光景はエリーナの力とはまた違った威力を誇っていた。

 エリーナの攻撃は『バーサーカー』と彼女が持つ魔剣ゲインによるものである。オーブを発動し、さらに剣を振るうことで相手を圧倒している。一方で、今目の前で繰り広げられている攻撃は、姿さえ見せない。遠距離からの広範囲攻撃であり、その攻撃は圧倒的な威力を誇っている。攻撃速度、範囲はエリーナのそれとはまるで違い、多対一に向いているオーブのようだ。

 一方的な殺戮(さつりく)とも取れる攻撃が行われている光景から意識を戻したエリーナは、リーシェを呼んだ。

「え、エリーナ!」

「リーシェ。ティドが――」

「うん、分かってる。すぐに治すから!」

 ドンゴア軍兵士がやられていっていることで、大地たちも急いで二人のもとへ駆け寄ってきた。

 小さく反応を見せるティドだが、『氷の巨人(イエロ・ギガス)』の攻撃で受けた傷はひどい。それを確認したリーシェが、すぐに彼の身体に手をかざした。すると、彼女の首飾りが緑色の輝きを見せ始める。リーシェのオーブ――『ヒーリング』の力である。

「う……っ」

 小さな(うめ)き声をあげたティドの身体を、同じ緑色の光が包み込んだ。柔らかい色の光が、ティドの傷を(いや)していく。折れていた骨は治っていき、大きな痣や出血はみるみるうちに消えていく。それが、傷ついたものを治す『ヒーリング』の力である。

 初めて目にしただろう力を見て、リシャールは素直に「すごい」と感想を漏らしていた。その側で大地が疑問を口にする。

「あの攻撃は……」

「さ、さぁ? この国で私たちを助けてくれる人なんて」

 いるはずがない。

 ここはドンゴア帝国。現在戦争が起こっていないとはいえ、エレナ王国と友好関係にある国ではない。そんな国の領内で、エレナ王国の王女であるエリーナを助けてくれる者なんているはずがないのだ。

 けれど。

 眩いばかりの光の攻撃は、たしかにドンゴア軍兵士を撃退していっている。それは奇跡のような光景なのだ。助かる見込みのない絶望の中で、目の前に現れた一筋の希望の光なのだ。

 だから、振り返る。

 目の前に現れた希望が確かなものにするために。

 繰り広げられる奇跡を起こしている者は誰なのか。それを確かめるために。

「……あ、あの人は――」

 そして、見つける。

 そこには、女の人が立っていた。

 くるくる赤毛の女の人が立っていた。



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