(8)
「う~。なんだか寒くないか?」
ぴゅうとふく風が、工藤大地の身体を冷やしていく。いくら着込んでいても、皮膚を貫くような痛いほどの寒さが強くなっているような気がした。
雪国と言われるノーラン公国に行くために厚い服を買い込んだが、それでも足りないと思ってしまう。
「本当ね。風邪引いちゃいそう……」
「随分北に来ましたからね。ここはドンゴア帝国との国境沿いにある街です」
「っても、夏前なんだよな? 全然夏って感じしないんだけど……」
「パンゲアの北には大きな山脈があります。山脈を越えたら、別世界らしいですよ」
「別世界って事はもっと寒くなるのか? ここでも限界なんだけど……」
「詳しい話は知りませんが、ドンゴア帝国には雪を降らせるオーブがあるそうです。それが常に発動しているとか」
「なるほどね~」
ノーラン公国を目指している大地たちが訪れたのは、クルニカ王国の北西部にあるルブラスという大きな街だった。
クルニカ王国の都は大きな湖の中にある島の街――アクス・マリナであるが、それほど広い街ではない。一方で、ルブラスはエレナ王国の都クルスにも匹敵するほどの広さを持ち、人口もクルニカ王国で一番多い街である。貴族が中心に暮らしているアクス・マリナよりも商人や軍人、平民が圧倒的に多かった。そのため、ルブラスの方が都あるいは政治や経済の中心に相応しいという声も国内に多くあるほどだ。
そして、ルブラスは北のドンゴア帝国やノーラン公国へ行くための連絡都市でもあった。
「それで、どうやってノーランまで行くんだ?」
いまいち土地勘が分からない大地が質問した。
「一度ドンゴア帝国へ入って、そこからノーラン公国を目指します。危険度は跳ね上がりますが、エレナへ戻るよりも早く公国に入れるでしょう」
答えたのは、リスティド・クレイ――ティドだった。エリーナ・シンクレアの護衛を務めているティドは、護衛だけでなく旅路の行程や宿探しなど様々な雑務もこなしている。
比較的冷静で几帳面なティドだが、ノラッシュ村を出る前に危険な行程で行く事を決めていた。
「そこも敵なんだよな……」
「今は休戦状態ってところですね。もちろんエレナに戻ったほうが安全ですが、ゴルドナの追手が残っているかもしれませんから。それに、ドンゴアとゴルドナも別に仲が良いわけではありません。あいつらもドンゴア帝国まではそう簡単に追ってこないでしょう」
という理由である。
エレナ王国にゴルドナ帝国のスパイも潜り込んでいるだろう。エレナ王国を通る遠回りのほうが、追手に追いつかれる可能性は高くなると判断したのだ。エリーナも、ティドの考えた行程に異論がないようだった。
「もう行き方も決めたんだし、さっさと行きましょ」とエリーナはすぐにでもノーラン公国へ向かいたいみたいだ。
「どうしたんだ?」
ふと大地は、エリーナの様子が普段と違うように思えた。
「な、なんでもないわよ。ただすぐにノーラン公国に行って、ノーラン教が隠してる秘密を調べたいだけよ」
「そ、それは俺もだけど――」
「この街に長居は無用です。エリーナ様の言うように、すぐに向かいましょう。太陽が昇りきる前には山を越えたいですし」
「そっか、山脈があるんだよね」
大地たちの旅路に同伴しているリシャール・ブランが思い出したように口にした。リシャールはクルニカ王国の人間だが、王都であるアクス・マリナからほとんど出た事がない。クルニカ王国の北国境線でもある山脈を実際に見た事がないのだ。
「山登るのかよ……」
「それは大丈夫ですよ。山脈にはトンネルが掘られています。クルニカの建築技術に特化したオーブで掘られたらしいですが――」
「あ、それ知ってる」
「トンネルか。それなら山越えるのも早いのか」
「……だといいのですが」
「――?」
不安な事でもあるのだろうか。ティドは考え事をするように顎に手を添えた。
「まぁ、ここで考えていても仕方ありませんね。山脈を目指しましょう」
大地同様にリーシェ・ウォルスやリシャールもきょとんとしている。しかし、ティドは気にした風もなく、先頭を歩いていった。
一方で。
ゴルドナ帝国が誇る精鋭――『四人の処刑者』と案内役のスパイの男もルブラスにいた。
「なんで、こんな国から離れた街なんかに……」
と、愚痴を零しているのは逆立てた短髪が特徴的なアレクシス・グイサだ。いらつきを隠していないアレクシスは、年上のリカルド・アイマールにも食ってかかっていた。
「文句を言うな。ヨーラスブリュックは陽動作戦に利用して崩壊状態だ。エルベルトがいるのなら、突破するのは難しい。北からの船で南下して、近くの港で降りるのが一番安全だ」
「それなら、セイスブリュック通ればいいじゃんか」
「お前は馬鹿か? セイスブリュックこそエルベルトの本拠地だ。スパイが侵入している事くらいばれているだろう。やはり、たった五人であの橋を突破するのは難しい」
リカルドは安全策を口にしているが、アレクシスだけでなくダビド・デ・ルシアもソニア・クルスも自分たちの力なら問題ないだろうと考えている。それでも二人が文句を言わないのは、リカルドの考えを尊重しているからだ。
「落ち着いて下さいよ。隊長も考えがあっての事だと思いますよ?」
「考えって何だよ? 説明してくれりゃ俺も納得するさ」
「…………いずれ話す」
しかし、リカルドはそう言うだけだった。
「――ちっ」
あからさまに舌打ちしたアレクシスだが、彼もリカルドの後をついていく。
アレクシスの舌打ちを聞いただろうリカルドは気にした風もなく、先頭を歩くスパイの男と何やら会話をしていた。
「よろしいのですか?」
「気にするな、あいつはいつもあぁだ。それよりも、その予想は信じていいんだな?」
「は、はい。予見のオーブを持っているわけではないですが、この国で集めた情報とあいつらの状況を考えれば――」
「そうか。では、その予想に乗っかってみよう」
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ。こちらは戦争を吹っ掛けた身だ。いずれクルニカとエレナが連合軍を結成して反攻してくるだろう。技術革新が進み、強国としての地位を確立しつつあるゴルドナといえど、二ヶ国から攻められれば崩れるかもしれない。それを防ぐためにも、今回の勅命は成功させなければならない。皇帝陛下も特例を認めてくれるだろう」
「攻められた際、『四人の処刑者』が国にいないのは一大事ではありませんか?」
「確かに我々はゴルドナの精鋭部隊と言われているが、たったの五人だ。大局に影響を与えられるほどの軍勢ではない。防衛戦となれば、ドッシュ将軍のオーブの方が有効だろう」
と、リカルドはスパイの男の不安を払拭した。
それよりも、
「問題はあいつを説得できるかどうか、だな」
そして、ちらりと後ろをついてくる部下に視線を移した。アレクシスは相変わらず文句を垂れている。そんな状態のアレクシスを説得するのは骨が折れそうだ。
「……しかし、クルニカの反攻ですか」
「まず間違いなくあるだろう。陛下も将軍たちも理解した上で軍を侵攻させ、将軍は我々をクルニカに送りこんだ。回避する術があるのなら、それにこした事はないがな」
「回避する術、ですか……」
その可能性は限りなく低そうだ。クルニカ王国とエレナ王国は、それぞれ一国だけではゴルドナ帝国には歯が立たないだろう。しかし、両国は手を組んでいる。その両国の関係を悪化させる以外に、ゴルドナ帝国への反攻はなくならないだろう。
「それは、なさそうですね……」
「あぁ、そうだろうな。将軍は、皇帝陛下は何か考えていると言っていたが――」
作戦実行部隊であるリカルドたちには教えられていない。与えられた命令を果たすためにも、その考えを信じて動くだけである。
そうして、彼らも北へ視線を向けた。




