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勇者と王女のワールドエンド  作者: 小来栖 千秋
第三章 ノーラン公国、大陸動乱前編
53/83

(5)

 

 統一大陸と呼ばれるパンゲアには、七つの国が存在している。

 北のドンゴア帝国、東のクルニカ王国、南のゴルドナ帝国、南西のロレンス共和国、西のグルティア王国、北西のノーラン公国。そして、それらの国に囲まれている中央のエレナ王国。

 それらの国々は大陸統一を目指しながら、長年にわたって戦乱の世を繰り広げている。その争いの時代を終わらせたい、とエレナ王国の第一王女エリーナ・シンクレアはこの世界に降臨した勇者を求めて、エレナ王国の王都であるクルスを飛び出した。

 エレナ王国のケンブルという町で、勇者として降臨した工藤大地を見つけたエリーナは、大地に勇者としての力を貸してほしいと頼んだ。見知らぬ世界にやってきて困惑していた大地は、元の世界に帰る方法を探すために、エリーナとともにパンゲア中を巡る旅に出る事を決意した。

 そうして、大地たちはクルニカ王国にやってきていた。

 クルニカ王国の東海岸沿いにあるグラモス森林。その切り(ひら)かれた場所にあるノラッシュ村に辿り着いた大地たちは、この地の守り人であるノルアから勇者の伝承について詳しく話を聞いていたのだ。

 話を聞き終わってから、大地たちはノーラン教が秘匿(ひとく)しているという暗黒時代の歴史について知るためにノーラン公国を目指す事にした。ノーラン教の大本山であるマリテルア大聖堂がある。そこを訪れれば、何かしら新しい情報が得られるだろうという考えだ。

 そのための行程を、ティドが考えているところである。

 一方で、エリーナはノラッシュ村を散歩しながら、リシャールとお(しゃべ)りをしていた。エレナ王国とクルニカ王国は平和条約や友好条約を結んでいて、それぞれの国の貴族観などを話し合っているようだった。いや、正確にはクルニカ王国の王都をほとんど出た事がないリシャールが興味本位でいろいろと質問しているようだ。

 その様子を遠目に見ながら、大地はノルアの家の前でのんびりとしていた。

 そこへ、リーシェが声をかけてくる。

「それで、話って?」

「あぁ、うん……」

「……?」

 歯切れの悪い大地に、リーシェは首をかしげる。

「――随分、遠くまで来たよな」

「……? うん、そうだね」

 思い返せば、最初は大地とリーシェの二人だけだった。

 極度の世話好きでお人好しな性格のリーシェが、アーリ町で困っていた大地を助けたところから全ては始まっている。こちらの世界の(こよみ)を知らない大地には正確な日数は分からないが、あれからもう二週間近くが経とうとしていた。徐々に、パンゲアの生活リズムにも慣れてきたような気がする。

「でも、少しずつでも先行きが明るくなったんじゃない?」

「そうだな。とりあえず、降臨した理由ってのがちゃんとあるんだ。それを知って、役目を果たせば帰れるかもしれない」

「……そうだね」

 それは、あくまでも可能性だ。

 けれど、リーシェは(さび)しいと思った。自分がなぜそう思ったのか。リーシェには、すぐに分からなかった。ここまで一緒に旅をしてきて、仲間という感情が芽生えたからだろうか。アーリ町で初めて会ってから、ずっと大地の側にいたからだろうか。

 大地がエリーナと話している様子を、リーシェは頻繁に見ていた。エレナ王国の王女様が自身の夢のために勇者の力を頼っているという事は、大地にとって大きい事なのだろうか。リーシェには分からないが、王女という称号を(はぶ)いても博識で力があって頼りになるエリーナは魅力的だろう。リーシェは、自分の中でエリーナに勝っている部分があるとは思えなかった。

「……はぁ」

 小さくため息が(こぼ)れてしまった。

「どうした?」

「あ、う、ううん。何でもない」

「……?」

 疑問に思った大地が同じように首をかしげているが、リーシェは誤魔化(ごまか)した。

「の、ノーラン公国までどのくらいかかるんだろうね?」

「さぁ? 俺に聞かれても分からないって」

「そ、そうだね」

 あはは、と苦笑をまじえた。

「ティドが頑張ってくれてるんだろ」

「二人って相変わらず仲良いのかどうなのか分かんないよね」

「そうか?」

「うん。言い合ったりしてるかと思えば、この前は一緒に戦ってたし」

「それは、あいつが鼻にかけたような喋り方するからだ。護衛隊に所属してるエリートだなんだって」

「まぁまぁ。ティドもエリーナ守るために大変なんだと思うよ」

「そ、それはそうだろうけど……」

 大地は実際にその場を体験していた。

 セイスブリュックの宿屋に泊まった時に、ティドは夜通し護衛をすると言い放った。友好国の都市でありながら、徹夜でエリーナが泊まっている部屋の前で護衛すると言ったのだ。それに対して、大地も手伝うと口にしてティドの大変さを(わず)かながらでも体験しているのだ。

 それでも、ティドの大地に対しての話し方はもっと柔らかくしてもいいんじゃないかと思ってしまう。

「そうかもね。私はタメ口で話してくれたほうが、もっと仲良くなれると思うんだけどなー」

 基本的に丁寧な言葉を使っているティドに、リーシェは壁がある事を感じていた。一緒に旅をしている仲間である以上、もっと信頼関係を築きやすい話し方にしてくれればいいのに、と思っているのだ。

「それは、ティドの性格なんだろ? まぁ言葉遣いとか厳しいところだと思うけど……」

「王族の護衛隊だもんね。仕方ないのかな」

「だろうな。俺には分からない世界だけどさ」

「私も」

 そう言って、二人はまた苦笑しあった。

 エリーナやリシャールといった王族や貴族たち。それらの人々を護衛しているティドのような近衛兵たちの暮らしは想像しか出来ない。それでも、今こうして階級の垣根を超えて、大地たちは旅をしている。単純な接し方や言葉遣い、(うやま)う気持ちなどを全て取っ払って、それぞれが旅に意味を見出して冒険を続けている。

 それが、大地とリーシェには特別な事のように思えた。

 いや、実際に特別なのだ。

 エリーナは世界に蔓延(はびこ)る戦争を止めるために。ティドはそのエリーナを守るために。リーシェは出会った大地の心配と途中で投げ出したくない気持ちから。リシャールは自分の置かれた環境から飛び出すために。そして、大地は元の世界へ帰る方法を探すために。

 それぞれが違った理由を持って、一緒に冒険している。

 それが特別でないのなら、何が特別と言えるのだろうか。

 そして。

 だからこそ、大地は考えていた。

 悩んでいた。

「なぁ、リーシェ」

「うん?」

「…………。俺さ、自分がいた国じゃ、こんな体験した事なくって。何もかもが初めてで、嬉しさとか驚きとかいろいろあったんだ。馬に乗った事だって、王様に会った事だって、こうしてみんなと旅してる事だって俺は初めてだったから、わくわくしてたんだ」

「……大地」

 ぽつりぽつりと話す大地に、リーシェは小さく相槌を打った。

「勇者になって冒険する決意も覚悟もあったんだ。――あったはずなんだ……」

 その言葉には、その表情には苦悩(くのう)が見えた。

 大地は何に悩んでいるのだろうか。リーシェにはいまいちピンとこないが、それは大地にとって相当な問題なのだろうと思った。

「……リーシェは人が傷つくのを怖いって思った事ある?」

「え? そ、それはうん」

 リーシェも直接戦場にいたわけではないが、戦争を経験している身である。戦場から帰って来た兵士が(ひど)い傷を負っている姿を見た事がある。それだけではない。戦場となった町や村から逃げてきた人々。人で溢れかえった町や村で起こる(いさか)い。戦争を利用して、略奪を繰り返した盗賊たち。その盗賊たちの被害にあった者たち。戦争によって、多くの人が傷ついている事を知っている。

 だから、リーシェも恐いと思う事はあった。

「本当に初めてだったんだ。……人を傷つけたのも」

 大地の声が、震えている。

 それに気付いたリーシェは、ハッと思い出した。

 ノラッシュ村に辿り着く前に、大地たちはゴルドナ軍の兵士たちと戦っている。『四人の処刑者(クアトロ・エヘクトル)』というゴルドナ帝国が誇る部隊とも刃を交えた。その戦いの最中で、大地は勇者のオーブを発揮し、敵を斬り倒している。その時に、大地は恐怖を感じたのだろう。

「だ、いち……」

 なんて声をかけたらいいんだろう。

 リーシェは人を傷つけた事がない。いや、正確には人を斬った事がない。自身の言動によって相手の心を傷つけた事はあるが、大地のような経験をリーシェはした事がなかった。

 だからこそ、どのような言葉をかけたらいいんだろうと口が止まる。

「俺がいた世界じゃ、戦争なんて遠い世界の出来事だって思ってたんだ。人が剣持ってるのが当たり前なんて国じゃなかったし、人を斬るのに抵抗がないって暮らしじゃなかったんだ……」

「……う、うん」

 リーシェは、大地がいた世界の事を知らない。今までの会話からパンゲアとは随分違う世界なのだろうな、と考えていた程度だ。その世界で、大地がどのように日々を暮らしていたのか。

 大地の言葉の通りであれば人が剣を持たなくてもよく、戦争が遠い場所で起こっている事のように感じられる世界なのだろう。

 それは、とてつもなく魅力的な世界だった。

(そんな世界が、あるんだ……)

 (にわ)かに信じられない。

 しかし。

 本当にそんな世界があったから、大地は今悩んでいるのだろう。心から苦しんでいるのだろう。

「私も怖いって思うよ。私のオーブは人を癒す力だから、人が傷ついてるのを見ると本当に怖くなる」

「…………」

「大地が言う怖さを、私は知らないと思う。戦った事がないから。――でも、誰だって感じるものじゃないのかな」

「……それは、そうかもしれないけど――」

 きっと自分が感じた怖さは誰よりも強かっただろう。大地は、そう思った。

 王族特務護衛隊に所属しているティドはもちろん、エリーナや貴族のリシャールも剣術は習得しているのだろう。彼らは、この世界で生きてきたのだ。恐怖心を持っていたとしても、大地ほどではないはずだ。人に対して剣を振るう事も躊躇(ためら)わないほどに。

 けれど、自分の覚悟はそこまで達していなかった。目の前で人が血を流す事が、こんなにも怖いと思っていなかったから。

 思い出すだけで、身体が震える。

「……怖いんだ。人を斬るのが、こんなにも……」

 震えは止まらない。

 がくがくと震える腕と足が、自分の物ではないように感じられる。誰かが糸をつるして、大地の身体を操っているかのようだ。

 どうすれば、この震えも止まるのだろうか。

 それさえも分からなくなっていた。

 すると、そこへノルアが声をかけてきた。

「それは、誰もが一度は通る悩みだと思いますよ」

「ノルアさん……」

 ふいに姿を見せたノルアに、大地は困ったような表情を見せている。その顔を見ても、ノルアは微笑んでいた。

「本当は誰もが争いを望んでいないと思います。それでも人は人と争ってしまう。大切な人のためであったり、家を守るためであったり、国のためであったり。その理由は様々です。その理由のために剣を持つ覚悟をした人たちはたくさんいます。――あなたのように。それが正しい事なのか、間違いなのかは私には分かりません。けれど、一つ思っている事があります」

「思ってる事?」

「えぇ。あなたが剣を握ったのは、決して人を攻撃するためではないでしょう?」

「は、はい。旅を続けるために、自分くらいは自分で守れるようにって――」

 勇者としてパンゲアを旅する上で、エリーナたちに迷惑をかけないように、少しでもエリーナたちの役に立てるようにと思って剣を手にした。その思いは、恐怖心を感じる今でも変わっていない。

「それです。何時どんな時でも、相手を傷つけるために戦うと考えないで、自分を――あるいは大切な物を守るために戦うのだと考えるようにしてみてはどうですか? あなたまで、醜い感情に惑わされないように」

「相手を傷つけるためじゃなくて守るために……」

 大地は、自分の口で繰り返してみた。最初に抱いた気持ちを忘れないように、より強く胸に刻みつけるように。そうすると、身体の震えも次第に治まっていった。

 ノルアの言葉は、まるで魔法のように大地の心へ溶けて沁み込んでいく。

「……はい、そうしてみます」

「これは、未来ばかり見てきた私からの忠告、といったところでしょうか」

 と、ノルアは微笑んで見せた。

「私も昔は貴族の家に仕えた身でした。そこで数多くの未来を予見してきました。些細(ささい)喧嘩(けんか)から、戦争の行方まで。予見した未来を回避する事は難しいですが、きっと不可能じゃないと思います」

 意味深なノルアの言葉に、大地もリーシェも口を閉ざした。この地の守り人を務めているノルアが何を伝えようとしているのか、必死に意味を()み取ろうとしているのだ。

「そのためにも、大地さんには剣を握る理由を曲げないで欲しいのです。誰にも分け隔てなく希望を指し示す者。それが、勇者だと思いますから」

「……は、はい。わかりました」

 剣を握る理由を曲げない。

 旅をする上で想像もしない困難が降りかかり、それから自分を守るために大地は剣を握った。先ほどの言葉と同じように、それを忘れるなという事だろうか。

「あと、これを」

 そう言って、ノルアは大地にあるものを差し出した。

 それは、ノルアに加工をお願いしていた大地の宝玉(オーブ)だった。

「あ……」

「エリーナさんの指輪を参考にして作ってみました。色は同じ銀色でまとめてみました。どうですか?」

「すごく綺麗です。ありがとうございます」

「いえいえ。つけてみてもらえませんか?」

「は、はい」

 言われて、大地は恐る恐る指輪を右手の人差指に()めた。指輪のサイズもぴったりで、銀色の宝玉(オーブ)が鮮やかに光っている。宝玉は原石よりもかなり小さくなったが、大地が指から外さない限り宝玉(オーブ)を無くす事はなくなるだろう。

「よく似合ってますよ」

 ノルアは孫に誕生日プレゼントを上げたように笑った。

 つられて、大地も恥ずかしくなってはにかんだ。何かプレゼントされるという事が、随分久しぶりだったからで、妙にくすぐったい感覚になったのだ。

 ()めた指輪を森の開けた場所に降り注ぐ日射しにかざしてみると、銀色の光沢がさらに輝いて見えた。この小さな宝玉(オーブ)が、自分に信じられないような力を与えてくれているのだと思うと不思議な気分になる。それと同時に、とてつもなく力強い仲間のようにも感じられた。

「そういえば、勇者のオーブって具体的にはどんなものなんですか?」

 ふと疑問に思った事を口にする。

「……それは私にも分かりません。おとぎ話に登場する勇者のオーブは神秘的なものとして扱われていました。その効果は、自身に思いもよらない覚醒を及ぼすといったものです」

「思いもよらない?」

「オーブというものはほとんどが目に見える形で力を与えてくれます。いえ、五感で感じられると言ったほうがいいかもしれませんね。エリーナさんの『バーサーカー』も一目で分かります。リシャールさんやリーシェさんのオーブも目で分かる効果があります。私の『セイズ』やリスティドさんの『ガルドル』は一見して分かりにくいですが、五感で感じる事が出来ます。オーブはそういった分かる形で力を与えてくれますが、おとぎ話の勇者はそれらのオーブとは違った形で勇者に力を与えていると描かれています。大地さんのオーブもそうなのかもしれませんね」

 目に見えない形、あるいは五感で感じられない形で力を与える。そう言われて、大地は思い返した。

(そういえば、オーブを使った時は盗賊もマルスもそんな反応を見せなかったような……)

 今まで対峙してきた相手は初めて見る銀色の宝玉(オーブ)に驚いて、その正確な力まで把握していなかったように思う。盗賊はあっさりと打ち倒したし、マルスとはオーブというよりも大地の力量を計るための決闘だった。ゴルドナ軍兵士との戦いでは素人な部分を大きく露呈してしまったが、『四人の処刑者(クアトロ・エヘクトル)』の時と同様にオーブの力を発揮して、最終的には沈黙させている。

 そのどれもが、大地のオーブを正確に把握していないのだ。

「じゃ、じゃあ俺のオーブの本当の力は……」

「それも、ノーラン公国に行けば分かるかもしれません。ノーラン教の大聖堂には、その可能性があるだけの大きな秘密を隠しています」

「…………」

 ゴクリ、と自然に(のど)が鳴った。

 ノーラン公国。

 やはり、そこを目指さなければならないのか。

 パンゲア中に信仰が広まっているノーラン教の総本山であり、パンゲア最大の聖地とも言える場所である。だからこそ、迂闊(うかつ)な事は出来ない。大地たちはそこでノーラン教が秘匿している暗黒時代の歴史を知ろうとしているのだから。

 それでも、決めた事を(くつがえ)すわけにはいかない。

 そこへ行かなければ、知りたい事は何一つ分からないままになってしまうのだ。

「大丈夫ですか?」

「は、はい。行かないと、俺がこの世界に来た意味も分からないままになってしまう――」

「さすが勇者、ですね」

「え……?」

「いえ。あなたを見ているとなんだか懐かしい気持ちになります。ふふ、私も歳を取りすぎたようですね」

 微笑を(たずさ)えて、ノルアは立ち上がった。

「どうやらリスティドさんが行程を考えついたみたいですよ」

 言われて、家の方を見るとティドが姿を現していた。

「お待たせしました。計画を立てましたよ」

「随分早いね」

「のんびりしてられませんからね。追手がもう来ないとも限りませんし――」

「あ、そっか」

 リーシェはゴルドナ帝国の兵士に追われていた事を、今さら思い出したかのように言った。まだ危険な状況にある事は変わらないのだ。地図に()っていない村だからと言って、長居している場合ではない。

「エリーナ様とリシャールはどこですか? すぐに出発しますよ」

「二人ならあっちに――」

 と、大地も指を差しながら立ち上がった。

 その大地へ、ノルアがもう一度声をかけた。

「大地さん、これからも頑張ってください」

「え? は、はい」

「ふふっ。あなたの冒険が上手くいきますように」

「はい! ありがとうございます」

 お婆ちゃんに微笑みかけられるような温かさを感じて、大地たちは北を目指していった。




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