(28)
「……暗いな」
「森ですからね。あんまり陽が降り注がないんでしょう」
「っていうか、もうそろそろ真夜中なんじゃない?」
ここは、クルニカ王国の東部にあるグラモス森林。
クルニカ王国の東海岸に辿りついた大地たちは、そのまま馬を南に走らせて森の中に入り込んでいた。リシャールのお爺さんの話では、小さな森の中に地図に載っていない町が存在し、その町こそがトマッシュ地方という事である。
しかし、森に入って数十分経つが、目的のトマッシュ地方はまだ見えてこない。
「そうかもね。寒い?」
「少し。ずっと馬の上に乗ったままだったし」
エリーナの問いに、リーシェは肌寒そうにしながら答えた。
「リシャールのオーブで暖かく出来ないのか?」
大地の疑問に「無理ですよ」と答えたのは、いつものようにティドだ。
「誰だってオーブを使うには体力を使います。少しの間は暖かくなっても、その分、リシャールが疲れてしまいます」
「少しの間なら頑張れるよ。――ほら、これでどう?」
と、話を聞いていたリシャールがオーブを使う。
先頭を走っていたエリーナとリーシェの周囲に揺らぐ炎が出現した。リシャールが持つ一般的な炎を具現させるオーブの『イグニス』である。具現した炎は、走っている馬の速度に合わせるように寄り添っていた。
「ありがとう」
「確かに暖かくなったわね」
暗くなった森の中で、二人の周囲だけが温かく照らされる。その光を受けて、エリーナとリーシェは暖かさを感じた。
それからも、大地たちはグラモス森林を歩いていく。
獣道のような道なき道をただひたすらに歩いていると、不意に生活感のある匂いがしてきた。
「……この匂いは?」
「コーヒー、でしょうか?」
後方にいたティドも匂いに気付いたようだ。
すると、エリーナとリーシェが森林の先の景色に気付いた。
「あそこ見て!」
「森林が開けてるわ」
エリーナの言う通りだ。
海を見つけた時と同じように、視線の先には森林が開けた場所が木々の間から見えた。どうやらこの匂いはそこから漂ってきているようだ。
「行ってみましょう!」
ティドの掛け声で、大地たちは逸る気持ちを抑えながら馬を走らせる。
木々の合間から見えていた景色はさらに明確に視界に入ってきた。その中に、いくつか家屋も見える。遠目ではカーテンが掛けられているのが分かる。という事は、人が住んでいるのだろう。
そして、大地たちは森林を抜けた。
「ここが、トマッシュ地方……」
眼前に広がる景色に、大地は言葉を失った。
小さくも深い森の中を随分と歩き続けた。その森はいたって普通だった。それほど面積がある森林ではないが、木々は深く、森林内に特別な場所があるようには思えない。
しかし。
実際、目の前にある光景は森ではない。
そこに広がるのは、
「む、村っ……!?」
「で、間違いなさそうね」
隣に立っているエリーナも信じられないといった表情をしていた。
森林を抜けた先にあった開けた場所には、小さな村があったのだ。
「クルニカにこんなところがあったなんて……」
と呟くリシャールだが、
「リシャールはどこだって初めてでしょ」
「そ、それはそうだけど――。なんだが幻想的に思えて」
確かに、リシャールの言う通りだ。
グラモス森林の中に忽然と現れた小さな村は日常から、あるいは世界から取り残された小さな世界に見える。綺麗な風景とはまた違ったような、絵本の中から切り取った一場面が、そのまま目の前に広がっているようだ。
時間もあってか、外を歩いている人の姿は見えない。
「で、でも、ここで間違いないんでしょ?」
少し不安そうにリーシェがみんなに訊いた。
「そうでしょうね。東海岸にあると言われる誰も知らないトマッシュ地方。それが、地元の人すら誰も近寄らない森林の中であれば、見つけようもないでしょう。お爺さんは町と言っていたけれど、ほかにこんな場所なさそうだし」
「――とりあえず人を探そうぜ。誰かしらいるだろ」
「いなかったら困るわ」
人の姿はまだ見えないが、大地たちは村へと近づいていく。
近づいていくと、村は想像以上に広いことに気付いた。家屋は数えるほどしかないが、森林内の開けた場所のおよそ三分の一は村のようだ。大半が畑のようだが、太陽がなかなか降り注がない森林の中で何を栽培しているのだろうか。
「畑があるってことは人が住んでいるってことですね」
「こんなところに住む人が本当にいるのね」
と、リーシェが疑問を抱いた。
彼女が住んでいたアーリ町もそれほど大きくなく長閑な村のようなところだが、ここで暮らしていけるとは到底思えなかった。村から抱く印象で、不自由さがあまりにも強いのだ。
「お、おい!」
「どうしたの?」
「何かありましたか?」
突然大声を上げた大地のほうを見ると、その先にある家屋の一つから煙が上がっていた。どうやら、中に人がいるようだ。
「い、行こう」
エリーナの声も少し震えていた。
時間の流れから取り残されたかのような小さな村は、どことなく郷愁を感じさせるとともに、不気味な印象も抱かせていたのだ。こんな辺鄙な地にわざわざ暮らしている者は何者なのだろうか。リシャールのお爺さんは、もっと詳しい予見者が暮らしていると口にしていた。
その人物であることを願って、エリーナは玄関にあたる扉をノックした。
「…………はぁい」
しばらくして、返事が聞こえた。やけに若々しい声だ。
「あ、あの……」
自然と声が上ずる。
緊張している様子を見せたことがないエリーナにしては珍しかった。
「わ、私は――」
エリーナが言い切る前に、扉が開く。
その先に、小さな女の子が立っていた。
「わ、本当に王女様だ!」
と、女の子は驚いたような表情を見せた。
一方で大地たちも女の子の言葉に驚いていた。
(エリーナ様のことを言い当てた!?)
ということは、この女の子も予見者なのだろうか。
「わ、私の事を……!? や、やっぱり――」
「ううん、王女様は超有名人でしょ。オーブなんて使わなくても分かるよ」
(……間違いない。この子は予見者――)
しかし、ブラン家の屋敷でリシャールのお爺さんが言っていた人物とは違うようだ。女の子の容姿はどう見ても五歳を少し超えた程度だ。リシャールのお爺さんがここ訪れた時は赤ん坊である。
小さな女の子は大地たちの視線を意に介したふうもなく、「どうぞ」と家の中へ通した。
狭く見えていた家屋の中は、意外にも広かった。温かみのある材木を使っているようで、なかなか日射しが入ってこない森林の中にある家でも心地良い。女の子はここで誰と暮らしているのだろうか。通された部屋にある家具は広さに反して、小さいものがほとんどだった。
大地たちを客間らしき部屋に通して、女の子は一度部屋を後にした。
「あ、あの子じゃないわよね?」
「さすがに違うでしょ。あの子だったら、私もびっくりよ」
「まぁ、たしかに」
大地たちが落ち着かなくてそわそわしていると、部屋の扉が再び開いた。
すると。
「こんばんは、エレナのお姫様」
「……っ!?」
「あ、あなたは――」
女の子と一緒に入ってきたのは優しそうな表情が印象的なお婆さんだった。エレナ王国の王家に仕えているヨーラと同じような黒いローブを着ているお婆さんは、首元に大きなネックレスをしていた。そのネックレスに透明な宝玉が飾り付けられている。
ということは、リシャールのお爺さんが言っていた予見者はお婆さんなのだろう。
「初めまして。この地の守り人をさせてもらってるノルアといいます。こちらは孫のアンネ。あなたがここを訪れることは分かっていました」
「え?」
「そ、そうなんですか?」
「えぇ。もう少し早く来られるものかと思っていたのですが……。一週間ほど前には、あなたたちがグラモス森林に入るところをちらっと見ました」
一週間前。
大地たちがセイスブリュックを目指して馬車で移動していたころだ。ノルアの言葉を信じるのなら、その頃から大地たちがこの村を訪れることを予見していたらしい。
それは、驚異的な力だった。
予見者たちが行う予見について、ティドやリーシェよりも身近に見てきたエリーナとリシャールはあまりの驚きに、口をぱくぱくとさせていた。
「い、一週間前!?」
「それって本当に!?」
「えぇ、そうです。この村に人が来るなんてまずありませんから。それに幻想的なところと言われたら、誰だって嬉しくなりますよ」
と、ノルアは機嫌が良いのかニコニコしている。
しかし、その一言にエリーナとリシャールはまた驚愕した。
「ぼ、僕たちの会話まで覚えてるの?」
「そ、そんなことが出来るなんて」
それは予見者としての力が、とてつもなく大きい事を表している。
エレナ王国の王家に仕えているヨーラはせいぜい二日程度。リシャールのお爺さんは明日のことを断片的に予見することしか出来ない。会話まで予見するなどまず無理なのだ。それでも予見者としては高度な力を持っているとされ、王家や貴族家に仕えている。
だが、ノルアは今日のことを一週間前には予見したと述べた。さらに、リシャールが「幻想的に思えて」と言ったことを知っているかのような口ぶりをみせた。
信じられないほどの力だ。
「そんなにすごい事ではありませんよ。ノーラン教の中にはもっと強い力を持つ予見者もいますから」
そう言われても、エリーナたちの身近にノルアほどの力を持つ予見者はいない。やはり驚くべき事なのだ。
「それよりも、今日はもう遅いです。あなたたちも疲れているようですし。ここに来られた目的などは明日詳しく聞きましょうか」
「……分かりました」
今すぐに話を聞きたい衝動に駆られるが、大地たちは全員が疲弊しきっている。アクス・マリナを出てから一睡もする事なく、ここまでやってきたのだ。身体は疲れ切って、脳は休息を欲していた。
「アンネ。みなさんに二階のお部屋を案内なさい。――窮屈な家ですが、ゆっくりしていってくださいね。後で晩ご飯もご一緒にどうですか?」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。久しぶりのお客さんですから。しっかりおもてなしさせて頂きますよ」
そうして。
夜は更けていく。




