(25)
「それが勇者のオーブ、か」
「す、すごい。身の毛のよだつような殺気が……」
「何びびってんだよ、ソニア」
「びびってないですよ! このオーブと戦ってみたいって思っただけで」
『四人の処刑者』のメンバーも初めて目にする勇者のオーブに驚いていた。パンゲアにたった一つしか存在しないと言われるオーブを見たのだ。その反応は当然と言えたが、だからといって『四人の処刑者』の面々は大きな動揺は見せない。
「…………くそが」
大地の強烈な蹴りを受けたリカルドが、ギロリと大地を睨みつけた。
「大丈夫か?」
「あぁ。……ったく。案外強い蹴りぶち込みやがって」
「甘く見てはいけないようですね」
リカルドに手を差し伸べたのは、それまで黙って戦況を見守っていたダビドだ。四人の中で二番目に年長のダビドは、じっと大地を見据えている。
「どうした?」
「あいつは俺がやります。隊長は王女をお願いします」
「お前がか?」
「はい。勇者のオーブがおとぎ話の通りなら、俺がいいはずです。逆に、俺は『バーサーカー』には弱い」
「……分かった、譲ろう。けど、命令は忘れるなよ」
「えぇ、分かっています」
「はぁはぁ、はぁはぁ……」
息が上がっている。
かなりの疲労感が、大地の身体を襲っているようだ。相変わらず胸ポケットからは銀色の輝きが漏れているが、勇者のオーブは相当な体力を使うのだろう。
「だ、大地……」
心配しているリーシェがぽつりと声をかける。
先の戦闘で負った左腕の傷は治したとはいえ、失った血は戻らない。貧血状態でもおかしくない身体で、大地はそれだけのオーブを使っているということだ。
「大丈夫だ! リーシェは、早くエリーナを」
「わ、分かった」
リカルドを蹴り飛ばした事で、エリーナからは遠ざけた。リカルドのオーブで酷く傷ついたエリーナを救えるのは、この場ではリーシェだけだ。
すぐに気持ちを切り替えたリーシェも、エリーナの元へ駆け寄る。
「エリーナ、すぐ治すからね!」
「り、リーシェ……」
エリーナの呼吸が荒い。
身体中傷だらけだけでなく、『バーサーカー』の連続使用も影響しているようだ。リーシェの『ヒーリング』で身体の傷は治す事が出来るが、大地同様に失った体力がすぐに戻る事はない。離れた場所で戦っているティドもアレクシスに押されている。エリーナも戦闘続行は厳しい。現状は、絶体絶命と言えた。
しかし。
エリーナを守るように、リカルドたちの前に立った大地の眼はまだ諦めていなかった。
「お前らは許さない!」
「あ?」
「みんなは、俺が守る!」
力強く言い切った。
もう、いつかのように身体が震える事もない。握った剣の感触を確かめながら、大地は一歩前に出た。
対して、ダビドが口を開く。
「一つ、尋ねておこう」
「……?」
「抵抗しないというのなら、酷い目には合わせない。俺たちの元へ来るつもりはないか?」
「どういう――?」
すぐには理解出来ない大地。
しかし、リーシェに傷を治してもらっているエリーナは「やっぱり……」と小さく呟いた。
パンゲアに伝わる伝承を元にして作られたおとぎ話。それは、あくまでもおとぎ話として広く知られている。誰もが勇者の存在やおとぎ話に登場する宝玉を、実在するものとは思っていない。
そのおとぎ話を誰よりも信じているのが、予見者たちである。彼らは、おとぎ話――あるいは、伝承――を遠からず起こる出来事と捉えて、勇者の登場を予見者の多くが信じていた。貴重なオーブである予見者たちの多くはそれぞれの王家や貴族などに仕えており、自然と高貴な者たちは勇者の存在を認めるようになっていった。だから、それぞれの王家や貴族が勇者として降臨した大地を自国に招きたいと思うのは、至極自然な事だった。伝承やおとぎ話に登場する勇者はこの統一大陸に新しい秩序をもたらすと言われるほどの力を持っているのだから。
(ゴルドナの狙いは大地と、私を殺すこと)
そのために、ゴルドナ帝国は本来自国内で活動を行っている『四人の処刑者』を送りこんできたのだろう。確実にエリーナを殺害して、大地を誘拐するために。
エリーナの予測は当たっていたのだ。
「勇者の力を必要としているのは、そこのお姫様だけじゃないってことだ」
(なるほど)
ようやく理解した。
エリーナも大地がこの世界に来た事を知ったら、すぐに探し始めたと言っていた。結果としてエレナ王国に降臨した大地を真っ先にエリーナが見つける事になったのだが、その間で他の国々も勇者の降臨を察知して探そうとしていたのだ。
でも。
「俺はエリーナやリーシェ、エレナ王国の人々に助けられた。訳も分からない俺に、この世界で進む最初の道を示してくれたのもエレナの人々だ。その人たちを裏切りたくない!」
「それが答えか。――いいだろう。ならば、全力で奪う取るまで!!」
ダビドが突っ込んでくる。
相手は処刑者と呼ばれるほどの実力者だ。先ほどのゴルドナ兵士を圧倒していたエリーナやティドですら簡単には勝てない相手だ。そんな相手を前にして、勝てるとは到底思えない。しかしエリーナが目の前でやられて、共に旅する仲間の危機を黙って見ている事は出来なかった。
両手で剣を構える。
(大丈夫だ。俺には伝承に出てくる勇者の力があるんだろ。きっと、大丈夫だ!)
そうやって、自身を奮い立たせる。勇者の証である銀色の光を見せる宝玉は、今も胸の内で輝いていた。
「いくぞ!!」
上段から十字剣が襲いかかってくる。その軌道を見切った大地は身を屈めて回避した。続けざまに、ダビドの足を払おうとする。しかし、大地の足払いは跳んで躱された。
「くそ……ッ」
(反応が、他の奴らと違う……!?)
直感で判断した。大地の回避や反撃の速さが、じっと見ていたエリーナやティドたちの戦いとはとても違ったのだ。ダビドには、それがあまりにも意外だった。
「お前は素人のはず! なぜ……っ」
「そんなこと、俺が知るかよ!」
逆ギレっぽく反抗した。
勢いは大地のほうにあった。勇者のオーブを使用した大地の動きは、ことごとくダビドの行動を上回って、確実にダビドを攻め込んでいた。しかしながら、ダビドもその攻撃を寸前の所で回避し続けている。ゴルドナ兵士を倒した大地の剣は受け止められ、いなされていた。
「……くっ」
「こいつ……ッ」
決定打がお互いに出ない。
攻め続けている大地だが素人である事に変わりはなく、圧倒的に経験が足りなくて攻撃は単調なのだ。ダビドの動きよりも俊敏で間断なく攻め続けているため、ダビドを追いこんでいるにすぎない。
一方で、ダビドもなかなか反撃に移れなかった。勇者のオーブについて多少知っているダビドは、そのオーブを必要以上に警戒して動きが鈍くなっていたのだ。それでも、ぎりぎりの所で躱しているのは、やはり経験の差である。
目を細めたくなるほどに銀色の宝玉が輝いている。
その光を近くで受けて、ダビドは思わず顔を背けたくなる。その一瞬を、オーブを使用している大地は見逃さない。
「――ッ!?」
ダビドの身体ではなく、顔を狙って剣が迫ってきた。
仰け反るようにして剣を避けたダビドの足をもう一度蹴り払った。体勢を崩していたダビドは、今度は回避する事も出来なくて盛大に倒れる。
大きな隙を作った。
大地の攻撃を幾度も躱したダビドも、地面に倒れてしまってはどうしようもない。愕然としたようなダビドの顔をまっすぐに見据えて、大地は剣を振りおろした。
しかし。
大地の剣がダビドの身体に届く前に宝玉が、空色に輝いた。
直後、大量の爆発が起こった。
「な、があぁあああああああああッ!!!」
絶叫が響く。
身体の近くで無数の爆発が起こり、大地は吹き飛ばされた。
「な、なに、今の――」
驚いた声を上げたのは、リーシェだ。初めて目にするオーブだったのだ。
「『エクスプロシオン』の一種よ。自分が発生させた何かを媒体にして、爆発を起こすオーブ……」
しかし、何を媒体にしたのだろうか。一瞬の出来事で、エリーナもはっきりと視認する事が出来なかった。
「大地!」
倒れた大地の元に、リシャールが慌てて駆け寄った。
「大丈夫?」
「あ、あぁ、なんとか――」
だが、激しい痛みが身体を襲っている。すぐに立ち上がる事は不可能だった。
対して、立ち上がったダビドは余裕な表情を取り戻していた。宝玉をブレスレットにしているのだろう。ダビドの左手首が空色に輝いている。
「あまり使いたくはなかったのだが……、任務を遂行するためだ」
そして、続けざまに爆発が二人を襲う。
痛みに呻いている大地の身体を無理矢理押し倒して、リシャールは爆発を回避した。頭上で起こった爆発を、両手で頭を守るようにしてやり過ごす。攻撃はそこで止まらない。二人が地面に伏せているところへ、ダビドが跳びかかるようにして斬りかかってきた。
「危ない!!」
リーシェが、危険を伝える。
「――ッ!?」
それでも、二人ともすぐには動けない。
そこへ。
「やらせない!」
ティドが、割って入ってきた。
二人の剣が、激しくぶつかる。額と額を突き合わせるようにして、ティドとダビドは睨み合う。
「よく防いだ」
「仲間は僕が守る!」
「……ほう。なら、守ってみせろ!!」
またしても、ブレスレットが輝く。直後、三人の周りにしゃぼん玉のような透明な風船が現れた。
「……っ!」
「――不味ッ」
エリーナとティドは、すぐに気付いた。ダビドのオーブは、あの風船を媒体にしているに違いない。透明だから気付きにくかったが、発生した風船はすぐに大きく膨らみ始めていた。
しかし、爆発が起こる直前に大地たちの周囲で炎が荒れた。
「な……っ!?」
表情を驚愕の色に染めたダビドが、倒れている二人に視線を向けた。その先で、リシャールがニヤリと笑っている。その胸元でペンダントにしている緋色の宝玉が、輝きを見せていた。
リシャールの『イグニス』が、ダビドの風船を全て消し去ったのだ。それだけで終わらない。リシャールの炎は、そのまま鍔迫り合いをしているダビドにも迫っていった。
「ちっ!」
自身のオーブでは炎を防げないと判断したダビドは一度距離を取った。その間に、倒れていた大地とリシャールが体勢を整える。
(一対一では勝てなくても、三人で行けばやれる!)
大地やリシャールの戦いぶりを見て、ティドはそう考えた。
「大地、リシャール。……三人で力を合わせましょう」
「ティド……」
「そういえば、大地と一緒に戦うのはこれが初めてですね」
そういえば、そうだ。
エルベルトとともにスパイを捕まえた時も、『執行者』を目に前にした時も、つい先ほどの戦いでも、大地はティドの実力を直に見ていない。この歳で、エレナ王国の王族特務護衛隊に所属している事から、かなりの実力を持っている事は想像していた。
実際にそれは、エルベルトやエリーナが取り逃がしたスパイをたった一人で捕まえた事や、『四人の処刑者』というゴルドナ帝国の精鋭を前にして怖気づく事もなく立ち向かっていった事からも分かる。
そのティドが、大地と初めて共闘しようと提案したのだ。
「でも、どうすれば――」
「僕のオーブも、勇者のと同じで特殊なんですよ。三人の力を合わせれば、必ず撃退できます!」
力強く言い切る。大地よりも低い背丈、中性的な顔立ちからは想像も出来ないような確固とした瞳だった。
「――分かった。お前を信じる。俺は何をすればいい?」
勇者のオーブは、そう長くは続かない。それでも、ティドには何か考えがあるようだった。
エリーナは深手を負い、一般市民のリーシェに戦闘は任せられない。この場で動けられるのは大地、ティド、そしてリシャールの三人だ。単純な数では相手のほうが一人多い。ソニアと名乗った女将校だけ戦闘に参加していないが、最後までそうだとは限らない。
「相手のオーブが詳しく判断出来ない状況で突撃するのは馬鹿としか言いようがないですが、今はそういう場合じゃないです。僕が突っ込みます。リシャールは援護を、大地は僕が合図するまでオーブを使わないでください」
「……? 分かった」
詳しい意図は分からないが、二人とも頷く。
この歳で王女の護衛を任されている人物なのだ。ティドを信じれば、大丈夫だと大地もリシャールも自然と思った。
そして。
ティドは『四人の処刑者』たちに向けて駆け出した。
「おいおい、策もなしに突っ込んでくるだけか?」
「馬鹿を言うな。後ろに勇者がいる。何かあるぞ」
「だとしても、俺らの敵じゃねぇ!!」
吠えたアレクシスが、ティドに向けて剣を構える。
それを見て、大地はすぐに気付いた。アレクシスはティドの動きを正確に見て、会心のカウンターをお見舞いするつもりだ。姿勢を低くして、重心を安定させ、鋭い視線でティドを見据えているアレクシスの顔からは殺す気満々だという気配が感じられる。思わず、危ないと叫んでしまいそうになる。
「――っ!?」
しかし、その前にいくつもの火球がティドを守るようにアレクシスを襲った。リシャールのオーブだ。
突撃してくるティドに反撃をくわえようとしていたアレクシスは地面を転がる事で回避した。『四人の処刑者』の一人がティドの視界から外れる。
「……なに!?」
リシャールの攻撃を躱したアレクシスには目もくれず、ティドはまだ突っ込んで行く。その先には、残りの三人がいる。じっと立ったままのソニアも無視して、ティドは真っ直ぐ前に鋭い視線を向けた。
(逃げる隙を作るには、敵の頭を叩くのが一番!)
狙いは、リカルドだ。
ダビドに隊長と呼ばれていた男であり、顔立ちからも一番年長である事が窺える。リカルドを倒せば、少しの時間を稼ぐ事は出来るはずだ。
「させない!」
「――ッ!?」
リカルドを守るように割って入ってきたのはダビドだ。二人の剣が激突する。鍔迫り合いの形でぶつかった二人の側から、再びリシャールの火球がいくつも飛んだ。狙いは、ティドと同じで、リカルドただ一人だ。
しかし、その火球もリカルドの前でソニアに防がれてしまった。彼女の左耳に、群青色の輝きが見えた。
ティドの突撃も、リシャールのオーブも防がれた。だが、まだ一人残っている。
そう。指示があるまで待機していた大地が、リカルドに向けて剣を構えていた。
「勇者のオーブは一度目にした! そう何度もくらわないぞ!!」
応じるように、リカルドも十字剣を構える。それと同時に、黄緑色の光がリカルドの胸元から溢れだした。
「くらえぇええええええええ――ッ!!!」
それでも構わずに、大地は剣を振りおろす。
その剣を、リカルドは難なく受け流した。大地の体勢が大きく崩れた。そこを狙って、リカルドのオーブが放たれようとする。エリーナの身体を斬り裂いた突風だ。避けきれないと分かって、大地は思わず瞼を閉じた。しかし、一向に大地の身体をオーブが襲う事はない。
「……? ――っ」
そこで、気付いた。
歌が聴こえる。
それは、綺麗な調べとはとてもじゃないが言えない。背筋が凍るような気味悪ささえ感じる歌だ。
目を開けると、目の前でリカルドが身体を硬直させていた。
「な、なんだ、これは!?」
驚いた声を発しているのはリカルドたちだ。他の三人も同様に身体の自由が効かないようで、顔を歪めている。視線を移すと、ティドの剣が極彩色に輝いていた。そして、ティドは歌っていた。温かみのある歌ではなくて、破滅を招くような不気味に聞こえる歌だった。
「ティド……?」
大地の身体には何も起きていないが、それでも恐ろしく感じてしまう。それはティドが歌う歌や歌声が似つかわしいからだろうか。元々中性的な顔立ちのティドだが、今歌っている歌声からは性別が判断出来ない。男のようにも女のようにも大人のようにも声変わりも終わっていない子どものようにも聞こえた。
そんなティドと視線が合う。視線を交わしたティドは、「今です!」と瞳で訴えてきた。こくりと頷いて、大地はリカルドに視線を戻す。リカルドは大地の前でいまだに硬直している。今がチャンスだ。
銀色の光が、再び溢れだす。その光を受けて、大地は力を振り絞る。勇者のオーブはそれが真骨頂だ。
「終わりだ――!!」
声を張り上げながら、大地は剣を振りおろした。
グサッ、と剣がリカルドの身体を肩から斬り裂いた。皮膚が斬られ、剣は肉と血管まで裂いた。リカルドの身体から、血飛沫が上がる。
「……はぁ、はぁ……」
大量の血を流したリカルドの身体が、硬直から解放されて地面に倒れる。
リカルドが倒れた事を確認して、ティドは歌っていた歌を止めた。そして、別の方向へ走り出す。
「今のうちです! 逃げましょう!!」
ティドが逃げ出した方へ、大地たちも追いかける。
『四人の処刑者』の四人は歌の効果でまだ動けない状態だ。この隙を作るために、大地たちは力を合わせた。今の大地たちでは、『四人の処刑者』には敵わないから。
「あぁ、逃げるぞ!」
「うん!」




