(24)
セイス大河に架かる巨大な橋を巡って繰り広げられる戦闘は、何も化け物二人の間だけで起こっているものではない。
全長一キロに及ぶヨーラスブリュックの橋上では、あちらこちらで怒号が飛び交い、爆発音が響いている。それぞれの兵士の宝玉が強烈な輝きを放ち、オーブが牙を剥いているのだ。
「怯むなーッ! 殿下に続くのじゃー!!」
一際大きな声を上げているのは、エルベルトの側近を務めている老兵のノランだ。引退してもいい歳ながら、祖国のためにいまだ身体に鞭を打っているノランは、目の前のゴルドナ兵士に果敢に突撃している。
「……くっ。このじいさんが!!」
「お前のようなひよっこのオーブなぞ、わしには効かんわ!」
「ちっ!」
ゴルドナ兵士のオーブをいとも容易く躱して、ノランは反撃に移る。使い古された愛剣を力強く振るった。ノランの剣戟を、ゴルドナ兵士は必死に受け止める。
「ちっ――。このジジイが!」
「老いぼれを甘く見るんじゃないわ!!」
「な……っ!?」
決死の形相で攻めるノランに、ゴルドナ兵士はたじたじになって、じりじりと後退りしてしまう。
オーブも、技術もそこには存在しない。単純な力による応酬。しかし、その攻撃はオーブの力に頼りきったゴルドナ兵士を追いこむには最も効率が良かった。圧倒的な手数で、ゴルドナ兵士は建物の壁に追い込まれていく。
「終わりだ!」
そして、ノランの剣がゴルドナ兵士を完全に沈黙させた。
ドサ、と三回り近くも若いゴルドナ兵士の身体が地面に倒れた事を確認して、ノランは視線を外した。視線の先では、轟音が響いて建物が盛大に崩れていっていた。あの側で誰かが戦っているのだろう。
(……殿下は無事だろうか)
心配に思う。
だが、全長一キロを超える巨大な橋でエルベルトを探す事は不可能に近い。ましてや、ヨーラスブリュック上では、あちこちで戦闘が起こっている状況だ。味方の安否を気に掛けていられる状況ではないのだ。
ノランに出来る事はエルベルトの無事を祈り、少しでもゴルドナ軍の侵攻を食い止める事だった。そのために、ノランはさらに別の場所へ視線を移した。
そこでは断続的に叫び声や建物の崩れる音が聞こえ、宝玉の発する光が止めどなく溢れていた。
「……ここはわしらクルニカ人の国じゃ。ゴルドナの余所者なぞにくれてやるものなど一つもないわ!!」
もう一度老体に鞭を打って、ノランは戦場を駆ける。
相変わらずヨーラスブリュックの戦火は治まらない。
わーわー、と騒いでいるような声が聞こえてくる。しかし、それらの声は決して楽しいものではない。生死を賭けた男たちの戦いの声だ。騒いでいるように聴こえるのは、無数の場所から声が聞こえるからだろうか。それらの声を正確に聞き分けられないからだろうか。
エルベルトが率いる二個大隊がヨーラスブリュックに到着してから、すでに一時間近くが経とうとしていた。強力なオーブを使用して行われる戦闘は比較的早い時間で決着がつくものだ。規模が拡大した戦争でも飛び抜けた力のオーブを持つ者がいれば、勝敗はあっという間についてしまう。
つまり、大将同士が激突しているエルベルトとドッシュの勝敗が、そのままお互いの軍の勝敗になると言えた。
視覚的にも圧倒的な威力を誇るエルベルトの『アグア』と、一見地味だが無敵状態になれるドッシュの『カウティベリオ』。そのどちらも、いわゆる飛び抜けた力のオーブである事は間違いない。
「ぐ、くそ……」
「はぁはぁ。やるじゃないか!」
何度目の激突だろうか。
お互いのオーブを駆使して、エルベルトとドッシュは幾度も剣をぶつけあった。甲高い音が響き合って、剣と剣が激しく交わる。鍔迫り合いの形になっても、エルベルトもドッシュも引こうとはしない。
「こ、のバケモンが!」
「お前がそれを言うか!!」
オーブだけのやり合いではエルベルトの勝ち目は薄い。『カウティベリオ』の力は絶大であり、打ち破るのはどうしても隙を作り、ドッシュに接近するしかない。その手段で何度か『カウティベリオ』を攻略して、エルベルトの剣はドッシュに届いた。
だが、殺すつもりで斬りつけてもドッシュは倒れない。一八〇センチ以上あるエルベルトも長身だが、さらに大きいドッシュの体躯は簡単には倒れないのだ。そして、体格差は戦闘が続くほど顕著になっていく。
何度もの応酬でドッシュの体重の乗った剣を受け止め続けているが、その度にエルベルトは体力を奪われていた。
(――これ以上長引くのは不味い……)
と、考える。
一撃一撃の重さは尋常ではなく、受け止める事も回避する事もぎりぎりだったのだ。戦闘が長引く事は、エルベルトが敗北する可能性を増していく。どうにかして、一撃必殺しなければならない。
「はぁはぁ……。ふふ、さすがだな」
「……? あんたに褒められたからって引きやしねぇぞ」
「それは理解している。だが、これ以上は不味いと感じているのだろう?」
「――ッ!?」
(お見通しか)
「素直に引けば、命だけは取らんぞ」
「命は取られなくても捕虜になれば、親父に顔が向けられねぇんだ。悪いが、そろそろケリつけさせてもらうぞ」
「ほぅ。算段でもあるのか?」
(んなもんあるかよ!)
それでも、エルベルトは突っ込んでいく。
(『カウティベリオ』は攻略したんだ。あと一押しで――)
倒せるはずだ。
どれだけ屈強な男でも、人間である以上は急所が存在する。正確にそこを突ければ、ドッシュを沈黙させる事は出来るだろう。
正確に狙いを定めて、エルベルトはさらに力を放つ。
左腕に嵌めているブレスレットがその輝きをさらに増す。シアン色の輝きは、エルベルトのオーブの証だ。単純なオーブによる攻撃では簡単に止められてしまう。だから、水を操って波乗りの要領で、エルベルトは突撃の速度をさらに速くする。圧倒的な反応速度を誇るドッシュを上回るには、さらに攻撃速度を速めるしかない。
「さぁ、来い!!」
エルベルトの目の前でドッシュは避けようともせずに、どんと構えている。真っ向から受け止めるつもりだ。
「くらえぇええええええ――ッ!!!」
目で追うには難しい速度になって、エルベルトは握った剣の切っ先をドッシュへ向けた。
二人の視線が、一瞬交わる。
お互いの狙いを理解して、エルベルトは身を屈めたのに対して、ドッシュは左腕をぶらんと垂らした。
そして。
ドッシュがまた嫌味ったらしく笑みをこぼしたのが見えた。すると、エルベルトの突撃速度が不意に落ちる。
「――ッ!?」
直後、ガッキィイン!! と再び甲高い音が響いた。
二人の剣がぶつかった音だ。剣の切っ先を真っ直ぐに向けていたエルベルトに対して、ドッシュは下から力強く剣を振り上げた。その衝撃で、エルベルトの剣が宙を舞った。『カウティベリオ』でエルベルトが波乗りしていた水を止めたところを正確に狙ったのだ。
一秒にも満たないような時間で、二人の形勢は決する。
「――もらった」
短く、声が聞こえた。
眼前に、銀色の光沢を見せる刃が迫る。命を斬り落とす、単純だが強い武器の刃だ。『カウティベリオ』でオーブを封じられ、ドッシュほどの反応速度を持たないエルベルトは絶体絶命だった。
グサッ、と肉が抉られる。
ドッシュの剣が、エルベルトの肋骨の辺りを斬り裂いていた。先ほどの傷よりも深く斬り裂かれて、激痛が身体を襲う。
「――ぐっ!」
痛みで、顔が歪む。
倒れそうになる身体と、飛びそうになる意識を意地でも保つ。そうしなければ、次で殺されてしまう。歪んだ顔でドッシュを睨むと、勝ち誇った顔がそこにはあった。自分の勝利を確信したかのような表情だった。
ドッシュはエルベルトの血がたっぷり付着した剣をもう一度構える。次は心臓まで斬り落とすつもりだ。エルベルトの剣は先ほどの攻防で、手元にない。朦朧とする意識と身体で回避する事も叶わない。
それでも。
エルベルトは、
(それを、待ってた――)
エルベルトの左腕が何度目かの強烈な輝きを見せる。
二人の足元には、『カウティベリオ』によって水が溜まっている。
「なっ――!?」
勝ちを確信したドッシュは剣を構えていて、宝玉への意識が一瞬遅れる。水を操る事が出来るエルベルトには、その一瞬は十分すぎる時間だった。
『アグア』のオーブが炸裂する。
足元に溜まっていた水はいくつもの槍となって、地面からドッシュの身体を貫いた。
「ぁあああああああああ――!!」
絶叫が響いた。
『アグア』によって作られた水の槍によって、ドッシュの身体が逆に拘束された。槍に貫かれたドッシュの身体からは大量の血が流れている。
「最後に驕ったあんたの負けだ」
(……この男は危険すぎる)
このまま放っておく事も、捕虜として生かす事もクルニカ王国にとって後々の危険となりえる。だから、トドメをさそうとエルベルトはドッシュの剣を奪い取った。
「ぐっ……」
「オーブも使えないって事は、もう力切れか?」
「貴様――ッ」
「これは戦争だ。あんたを生かしておく事はクルニカにとって弊害にしかならない。ここで死んでくれ」
「……はぁはぁ、ここまでか」
観念したかのように、ドッシュは頭を垂れた。その頭を斬り落そうと、エルベルトは自分の血が付着した剣を握りしめる。
「……あんたは強かったぜ、ドッシュ。でも、時代はもう先に向かってるんだ」
力強く握った剣を振りかぶった。
あとはそのまま下ろすだけ。それだけで、この屈強な男は命を落とす。一軍人として、エルベルトは躊躇する事なく手に力を込めた。
そこへ。
突如、二人の間に火球が降り注いだ。
「――っ!?」
咄嗟に跳んで回避したエルベルトは火球が飛んできた方向を睨む。
そこにいたのは、十数人のゴルドナ兵士だった。大将がピンチになった事に勘付いて助けに来たようだ。
「ドッシュ将軍!!」
ゴルドナ兵士は次々に火球を浴びせて、ドッシュからエルベルトを引きはがした。その間に、別のゴルドナ兵士が割って入る。
「将軍、無事ですか? お怪我は――」
「はぁはぁ、お前ら……。どうして――」
「近くでシアン色の輝きを見ましたので。シアン色はクルニカ王家の象徴の色。見過ごせませんでした!」
「……そうか」
小さく呟いて、ドッシュは完全に意識を失った。意識を失った巨体をゴルドナ兵士が担いで、拘束されていた水の槍から外した。
「――!? 全軍に告げるんだ、後退する! 我らは敗北した! 救護班を呼べ。将軍の傷は深い!」
駆けつけた兵士の中で隊長格の男が部下に告げた。この戦いで負けたと知って、帝国まで逃げるつもりのようだ。
「な、待て――!!」
エルベルトは慌てて追撃するが、ゴルドナ兵士の一人がオーブで壁を生み出して阻まれてしまった。
その向こう側で、ドタバタと走り去る音が聞こえた。ゴルドナ兵士たちは重傷のドッシュと一緒に逃げていく足音だった。
「……くそ」
歴戦の猛者であるドッシュを追い詰めておきながら、あと一歩のところで取り逃がしてしまった。自分の失態に、エルベルトは悪態をついた。
だが。
(とりあえず敵は撃退したんだ。最悪は免れたはずだ)
市民や兵士にどれだけの死傷者が出たのか分からない。それでも、ヨーラスブリュックは奪還する事が出来た。先ほどの兵士の号令を受けて、次第にゴルドナ軍は後退していくだろう。
セイス大河は死守されて、クルニカ国内の平和は保たれた。
それだけは成し遂げたのだ。




