(21)
「おいおい! どこまで逃げるんだよ!」
大地たちはヨーラから聞いたトマッシュ地方という単語を手掛かりにクルニカ王国の東海岸を、馬車をいくつも乗り継いで目指していた。
はずだった。
しかし、今大地たちは馬車を降りて、広大な平野をひたすら走っている。
いや、逃げている。
「知らないわよ! とりあえずあいつらから逃げないと――」
「この広い公道はまずいです! 逃げ道が少ない……」
珍しくティドも焦った表情を見せた。
先を走るリーシェとエリーナの護衛を努めるように最後尾を走っている彼だが、追いかけてくる相手のほうが明らかに速い。相手は五人いるが、五人とも尋常ではない速度で追いかけてきている。とても人間の走る速さには思えない。
「このままじゃ追いつかれる――ッ」
取るべき手段は一つ。
このまま殿として、追手の前に立ちはだかる。エリーナの護衛を努める身として、先に王女だけでも逃がそうとティドが走る速度を緩める。
すると。
「ティド! あんた、何を――」
「ここまで食い止めます! エリーナ様たちは先を急いで――」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! ティドを置いていけるわけないでしょ!!」
声を張り上げたエリーナも足を止めて、ティドを振り返った。
立ち止まったエリーナを見て、大地とリーシェ、リシャールの三人も足を止める。まだ距離はあるが、遠くには追手の姿も見えている。
「え、エリーナ様!?」
「こうなったら、戦うしかないわ! やるわよ」
エリーナの言葉に、ティドも頷く。
二対五だが、戦えないことはない。相手を倒さずとも、隙を作って逃げ切れればいいのだ。
「エリーナ……」
やる気になった二人を見て、リーシェは不安を見せる。
「大丈夫よ。逃げる用意だけはしておいて。ティド、三人の護衛をお願い」
「わかりました!」
眼前にはもう追手の姿がはっきりと見えている。恐るべき速度で追いかけてきているが、誰かの宝玉の力によるものだろう。常時発揮できる種類のオーブであれば、一番厄介である。
「お、俺だって戦う!」
「――だ、大地!?」
「俺だって盗賊やマルスと戦ったんだ。守られてばかりで納得するかよ」
声は上ずり、両手は微かに震えている。それでも、大地は戦うと言い切った。
何の因果か。見知らぬこの世界にやってきたのは、おとぎ話として語り継がれる勇者として、だ。おとぎ話に登場する勇者は、果敢に道を阻む敵と戦う姿が描かれている。守られてばかりの存在は大地も嫌だったのだ。
「……分かったわ。でも無理はしないで」
「おう」
大地もエリーナとティドと並んで立つ。
鼓動の音が急速に大きくなる。周囲の雑音が消えていき、視界は自分の意識異常に鮮明になっていく。
見れば、追手の五人がすでに剣を抜いていた。
「襲いかかる気満々のようね」
「狙いはエリーナ様でしょうか?」
「私と、大地でしょうね。リーシェ、大地が怪我したら、すぐに治してあげて。リシャールはリーシェと一緒に離れてて!」
「う、うん」
リーシェが返事した時には、すぐ目の前に追手が迫っていた。
五人の内、一人が先頭に立つエリーナに斬りかかる。甲冑を着た相手の攻撃を、エリーナは魔剣ゲインで受け止めた。黒い刃を持つその剣は、エリーナの『バーサーカー』と同じで彼女の強さを象徴している。
「その剣……」
「どうかしたかしら?」
「あんたが、エレナの姫で間違いないな」
「――やっぱり狙いは私? それとも……」
「答える義理はない」
「でしょうね。でも、その鎧。――ゴルドナの兵士が、クルニカのこんな奥地まで来て狙いは別とかおかしいでしょ」
「…………」
返事はなかった。
それが答えだと受け止めて、エリーナは問答無用に反撃する。
キィンキィン、とお互いの剣がぶつかり合う。殺気だつような攻防が繰り広げられるなか、その周囲でもティドと大地が追手であるゴルドナ軍の兵士たちと睨み合っていた。
「剣の構え方など、素人だな」
大地と対峙しているゴルドナ兵士は、その構え方を見て失笑した。
「な、なんだと……ッ」
「事実なんだろう? 聞けば、勇者は訓練を受けた軍人じゃないそうだな? 向こうのガキは若いが軍人の動きをしている。あっちの王女と奥にいる二人は明らかに違う。となると、残ったお前が勇者で間違いないだろう」
あっさりと見抜かれてしまった。
「く……。し、素人でも俺は勇者だ! ビビってられるか!!」
覚悟はもうとっくに決めていた。
だから、大地は駆け出す。右手で抜いた剣をしっかりと握りしめて、自分を狙う兵士に向かって、その切っ先を向ける。
生と死を賭けた命がけの戦いに向かって。
「うぉおおおおおお!!」
勇気を振り絞るように叫んで、袈裟斬りのように剣を振る。けれど、簡単に避けられてしまった。
「ふっ」
またしても失笑されてしまった。
嫌味な笑みを浮かべたゴルドナ兵士は反撃とばかりに、水平に剣を振るった。咄嗟に構えた剣で受け止めた大地だが、強い勢いにじりじりと後ずさりしてしまう。
「く、ぅう……」
「これがおとぎ話に出てくる勇者の力なのか? こんなものなのか!?」
たかだか一六歳の大地に対して、ゴルドナ兵士は大の大人であり日頃から訓練をしている兵士だ。力の差は如実であり、次第に大地は押されていった。
(お、押される……ッ)
単純な力の押しあいだと勝てない。
そう判断した大地は身体を右に回転させる。突然の動きにゴルドナ兵士は身体のバランスを崩す。そこへ右の裏拳で顔を狙った。
「……っ!?」
腕を交差させて受け止めたゴルドナ兵士は、その反動で大地の腹部めがけて鋭い蹴りを放つ。硬い軍靴の先が大地の腹部を正確に突いた。
「がっは――ッ」
一瞬呼吸が止まって、苦しくなる。その直後に、鋭い痛みが身体を襲った。地面に蹲るように膝を落とす。そこを狙って、さらに追撃が来た。
「危ない、大地!!」
距離を取って離れているリーシェの声が響く。
しかし、大地は身体を動かせない。強烈な痛みが身体の自由を奪っていた。大地の脳天を狙って剣の柄が振り降ろされる。間に合わない、とリーシェは目を瞑ったが、
「させない……っ!」
飛び出したのは、リシャールだ。
気弱な印象があるリシャールだが、彼も貴族だ。ここぞ、で振り絞った勇気で大地の危機を救った。
「り、リシャール!?」
「大丈夫、大地?」
「あ、あぁ。でも、お前……」
「僕も戦う!」
「リシャール……」
「僕だって貴族の端くれだ! 最後の跡取りとしてあの屋敷に残されていたけれど、最低限貴族として、男として育てられたのは嘘じゃない! 僕だって戦える!!」
勇気は、覚悟を支える。
自らの言葉で断言したリシャールの瞳は、灼熱のような赤。覚悟を決めた男の瞳としては、申し分ないほど勇気を象徴するかのような色だ。
その勇気と覚悟に呼応するように、リシャールの胸元が輝き始める。リシャールの宝玉が、彼に力を与えているのだ。
「その色は……!?」
綺麗な、緋色だった。
胸元のペンダントが輝くのと同時に、炎が出現した。
「そ、それがリシャールの……」
「あぁ、そうだよ。これが、僕の力だ!」
声高に言い放つ。
瞳と同じ炎は、ゴルドナ兵士を一斉に襲う。火の粉を撒き散らしながら、襲いかかる火球にゴルドナ兵士は地面を転がるようにして回避した。そこを突いて、大地が飛び上がって斬りかかる。だが、その剣は片膝をついた状態で止められた。
「く、そ……」
先ほどとは違って、体勢を利用して押さえこむように力を入れる。
「この、程度――っ!」
「な……っ!?」
足払いで体勢を崩された。
尻もちをつくまでの一瞬。その一瞬で、ゴルドナ兵士がにやりと不気味な笑みを浮かべているのが見えた。
(まずっ――)
嫌な予感に身体が反応する前に、ゴルドナ兵士の腕が鋭く動いた。その手に持った剣が、大地の身体を正確に捉える。
「ぁあああああああああ!!」
絶叫が響いた。
大地の身体から血が流れる。
「だ、大地!?」
「大丈夫!?」
慌てたリーシェとリシャールの声すらも、大地の叫び声で小さくしか聞こえてこない。
斬られたのは大地の左腕だ。反応が遅れてしまい、左腕で身体を守ろうとしたところを斬られてしまった。
「リーシェ! 急いで!!」
少し離れた距離で、三人のゴルドナ兵士を相手にしていたエリーナが叫んだ。その声に我を思い出して、リーシェは大地に駆け寄る。
彼女のオーブは、こういう場面にこそ活きるものだ。
「待ってて! すぐに治すから」
リーシェが首にかけている首飾りがより一層輝きを増す。その色は緑色。癒しを与える優しい色だ。輝きが強くなってから、リーシェは両手を大地の傷口に添える。精神を安定させようとリーシェが目を閉じる。
そこへ。
「見逃すわけないだろうが!」
ゴルドナ兵士が剣を振り上げた。
目を閉じたリーシェは「きゃっ」と眼前に立つゴルドナ兵士に身体が竦んでしまっている。大地は左腕を斬られて、痛みに呻いている。二人は救えるのは、近くにいるリシャールしかいなかった。
「だから、させないって言ってるよ!」
彼の開いた両手から、次々と火球が放たれる。放たれた火球は一直線に、ゴルドナ兵士へ迫っていく。
「――ちっ」
視界に迫ってくる火球を捉えて、ゴルドナ兵士は後ろへ跳んで距離を取った。
「具現系のオーブ。それも火を使う。厄介だな。貴族の端くれと言ったか。お前、何者だ?」
「僕の名前はリシャール・ブラン! 僕の仲間は傷つけさせない!!」
一斉に、五つもの火球が生み出される。それらの火球は五つの軌道を描いて、ゴルドナ兵士に向かっていく。色鮮やかな軌跡を残して飛ぶ火球に視線を奪われてしまいそうになるが、ゴルドナ兵士はすぐに反応した。
「この程度の攻撃など、どうということ――」
そこで言葉が途切れる。
五つの軌道を描く火球の中を、走ってくる人影が見えたからだ。
「な、そんなすぐに――!?」
動けるとは思っていなかった。
それは、リーシェも同じだった。
しかし、リーシェの『ヒーリング』が発動した直後から、大地の傷口はみるみるうちに治っていき、呼吸も安定していったのだ。痛みに歪めていた顔も、落ち着いたものに変わっていた。
大地が駆け出す前に、リーシェは彼の声を聞いていた。
「もう大丈夫。ありがとう」
と。
視線を移せば、駆け出した大地が再び剣を手にしていた。キラリと光る剣の色は彼が持つ宝玉と同じ色に輝いている。リーシェは、その色が大地に力を与えているように思えてならなかった。
だから、気が付いた時には口が開いていた。
ただ一言だけ。
彼の勇気を後押しするように。
「いっけぇえええ――っ!!」
その声を受けて、周囲を飛ぶ火球とともに大地は声を張り上げる。
その勢いのまま、構えた剣を無我夢中に振りおろした。
「ぐ、ぁああああああ――」
再び、叫び声が響き渡った。
大地の剣を受けたゴルドナ兵士は膝から地面に崩れ落ちる。ドサッと倒れた後は、身体が動くことはなかった。
それを確認して、大地は顔を上げた。
その先に、笑顔のリーシェとリシャールが見える。
「はぁはぁ。……やった」
リーシェに助けられて、リシャールと力を合わせて、大地はゴルドナ兵士を倒した。その実感が、じわじわとこみ上げてくる。
「は、はは。やったよ、大地!」
「す、すごい!」
リーシェとリシャールの二人も、手放しで喜んでいる。傷を負いはしたが、オーブを使うこともなくゴルドナ兵士を倒した。
盗賊を撃退した時も、決闘場でマルスと決闘した時も、大地の窮地を救ったのは勇者にのみ与えられたオーブの力だ。それが、初めてオーブを使うこともなくゴルドナ兵士を沈黙させた。
そのことに、大地は誰よりも自信を得ていた。
「へぇ~。やりますね、向こうの三人も。――こちらもうかうかしてられませんね」
「よそ見してんじゃねぇよ!」
「おっと! こんな敵国の奥地までわざわざやってくるとは執念深いですね」
「そっちも同じだろうが!!」
一方で。
それまでの焦りはどこに行ったのだろうか。ティドは相手を挑発しながら、攻撃をいなして、的確に剣を振るう。
「くそ……ッ」
「この程度、ですか?」
(エリーナ様や大地を狙うにしては、あまりに弱い。どういうことだ――?)
現に、側で戦っていた素人同然の大地が傷を負いながらも健闘したのだ。追手の兵士としてはレベルが低すぎる。エリーナを狙う追手が来るとしたら、モルス近郊の森で対峙したスパイと同等の実力者だと考えていたティドは拍子抜けする。
剣を持つ右腕を狙ってゴルドナ兵士が剣を振るが、手を引くことで難なく躱す。そこから反転して回し蹴りを放った。
「ぐぁああああ――っ!!」
あっけなく吹き飛ばされる。
そう、あっけなくだ。
(僕たちを追ってくる速度は尋常じゃなかった。オーブなのは間違いない。しかし――)
ゴルドナ軍の精鋭部隊とは思えない。どちらかというと策敵部隊のような感じだ。ゴルドナ軍がクルニカ王国に侵攻しているのなら、策敵部隊がクルニカ国内に展開していても不思議はない。実際にアクス・マリナでヨーラスブリュックがゴルドナ軍に制圧されたという情報は耳にした。それにしては、ゴルドナ軍の動きが早い気がするのだ。
そして。
(エリーナ様のことを知っていた……)
知っているだけなら、彼らもそうだろう。『闘神姫』はパンゲアで最も有名な人物とも言える。だから、知っているだけならおかしくはないのだ。
けれど、ゴルドナ兵士たちは間違いないな、と念を押した。この国にエリーナがいることを事前に知っていたような口ぶりで、エリーナを探していたような様子だった。それは、馬車に乗っていた大地たちをわざわざ襲ってきたことからも分かる。
「……エリーナ様と大地が狙いのは間違いない」
間違いないが、追手にしては弱いというのが引っかかる。
ふと視線を向ければ、エリーナはあっという間に三人のゴルドナ兵士を沈黙させていた。一人も殺していないのは情報を吐かせるためだろう。
「こ、こんなガキが……」
「こんな、とは失礼ですね。これでも僕はエレナ王国王族特務部隊、第三部隊所属の軍人です。王国が、エリーナ様の護衛に弱い者をつけると思いますか?」
「お、王族特務……。エレナの王家直轄の部隊か!?」
その部隊にこんなガキが!? とゴルドナ兵士は驚愕した。
「実力主義ということです。平民上がりと舐めないでください」
と、ティドは剣をゴルドナ兵士の喉元に突きつける。
「さて、答えてもらいましょう。誰に指示されたのですか? 狙いはエリーナ様と大地で間違いないのは分かっています」
鋭い視線で詰問するティド。
その様子をエリーナもじっと見ていた。一方で、必死にゴルドナ兵士を気絶させた大地は肩で息をしていた。盗賊やマルスの時と違って、極限の緊張感の中で行った戦闘に精神が擦り切れているのだろう。
「こ、答えられるか!!」
国に命を捧げる兵士としての訓練を相当積んでいるのだろう。捕虜となっても簡単に口は割らない。
「……。こちらは本気です。先ほども言いましたが、僕はれっきとした軍人です。捕虜の扱いは心得ていますよ」
中性的な顔立ちをしているが、その瞳は相手の命を切り落とすように鋭くなっている。この旅の妨げになるだろう者を、最悪殺す覚悟している軍人の目だった。丁寧な口調との差が余りに大きくて、様子を見守っているリーシェやリシャールも背筋を震わせた。
「…………ッ」
ゴルドナ兵士が声にならない声を上げた。ティドが本気なことを敏感に感じ取ったようだ。
「もう一度訊きます。誰に指示されたのですか?」
「……そ、それは……」
剣を向けられているゴルドナ兵士が口を開きかけた。
その時。
「駄目だね~。軍人が簡単に喋っちゃ売国奴だよ」
ティドの目の前で、ゴルドナ兵士の首が切り落とされた。
「……ッ!?」
あまりの早業にティドも目で追えなかった。いや、それどころではない。接近に気付くことすら出来なかった。周囲には、四人の男女がいつの間にか立っていたのだ。四人の手にはそれぞれ十字剣が握られており、その刀身は血で染められていた。五人いたゴルドナ兵士全員があっという間に殺されていたのだ。
「こ、こいつらは――?」
「いつの間に!?」
四人は四方から大地たちを囲んでいる。一人一人がかなりの実力者のようで圧倒的な威圧感を与えてくる。それは逃げ場がどこにもないような感覚さえ抱かせた。
その内の一人が、口を開く。
「さて、王女と勇者はどいつだ?」




