(15)
エレナ王国。
パンゲアのほぼ中央に位置する国。
四方をそれぞれの国に囲まれたエレナ王国は、古くから隣国の脅威にさらされてきた。それらの脅威をノーラン公国やクルニカ王国との蜜月の関係で乗り越えてきたエレナ王国だが、決して弱い国ではない。
エレナ王国を治める王族の権威が強力なのだ。パンゲアに住む者に等しく一つの力を与える宝玉だが、なかでもエレナ王国の王族が持つオーブ――『バーサーカー』はパンゲア中にその名を馳せている。
親和王と呼ばれるエリーナの父、エグバートもまた『バーサーカー』のオーブを持っている。彼らが君臨しているからこそ、エレナ王国は他国の脅威に幾度も立ち向かい、その脅威を排除してきているのだ。
「……ここを訪れるのは久しぶりだな」
「そうですね。記録には陛下の南方視察は三年ぶりとなっております。一昨年が西部、昨年が北部でした」
「そうか。去年はノーランの公爵と会談があり、北部の視察も併せて行ったのだったな」
「はい、そうです」
エレナ王国の現王であるエグバートは、師団規模の軍勢を率いて南部地域の視察に訪れていた。
小高い丘に立っているエグバートの眼下に広がるのは、南部地域最大の街――トレスタである。エレナ王国の主な都市の一つでもあり、商業の盛んな街だ。
「街へ入られますか?」
と、エグバートに尋ねたのはジェリ。
女性でありながら、エレナ王国王族特務護衛隊の分隊長を務める実力者である。肩で切り揃えられた銀色の髪が風になびくのを押さえているジェリの左耳には萌黄色に輝く宝玉のイヤリングがあった。
「そうだな。街の状況も見ておこう」
ジェリの提案に頷いたエグバートは先を歩く護衛隊の後に続いていく。視察と呼ぶには大袈裟な数の軍隊は丘で待機させ、エグバートの護衛に王族特務護衛隊の兵士が追いかけていった。
「そういえば、陛下。マルス隊長はどちらに?」
「マルスは今回参加していない」
「え?」
「彼には別の任務を与えている。――というよりも、個人的な頼み事をしている。そちらを優先してもらっているだけだ」
「よ、よろしいのですか?」
あっけからんと言うエグバートに、ジェリは目をぱちぱちとさせて訊き返した。
「かまわんさ。君の実力も十分に理解しているし、あれだけの兵士もつれてきた。視察に訪れた国王を襲おうって不届き者はいないだろう」
実際には、マルスは「私も参加します」と言っていたのを、エグバートが頼み事に専念させたのだ。エリーナの護衛を外され、さらに国王の南部地域視察の護衛も担当できないということで、マルスは相当ショックを受けていたが。
「へ、陛下がそう仰るのでしたら――」
王族特務護衛隊の隊長がいないということはどうなんだろう、とジェリは思う。しかし、エグバート自身が構わないという以上、あれこれと心配する必要はないのだろう。
(そう思わないとやってられないわ)
トレスタの街は、商業で栄えているということもあって日中はよく賑わっていた。
いや、国の王様がやってくるということでここらの町や村の人が大勢集まっているのかもしれない。
それらの人に笑顔で手を振りながら、エグバートは街をどんどんと歩いていく。
「ここに住む人々はゴルドナについての噂は知らないのか?」
「南の不穏な動きをいち早く察知したのはクルニカ王国のエルベルト殿下です。我々のところに情報が届いたのも先日。まだ国中には広まっていないのではないか、と」
「そうなのか?」
と、エグバートはジェリとは反対側を歩く男に振る。
「はい。南部の国境線に兵を向かわせ、情報を集めませましたが、ゴルドナが軍を動かすといった噂はありませんでした」
答えたのは、トレスタに駐屯している軍の指揮官を務めるジラルトだ。
「……そうか。噂が本当だとして、南が攻めようとしているのはうちじゃないのか?」
「可能性は高いと思われます。南のスパイが侵入していたのはクルニカです。狙いは――」
「セイス大河における主導権の獲得、か」
ジェリの言葉を引き継いで、エグバートが重たく呟いた。
セイス大河。
パンゲアに流れる巨大な河であり、現在はクルニカ王国がセイス大河の領域をほぼ手中に収めている。先の戦争でクルニカ王国が得た最大の成果と呼ばれるほど、セイス大河の主導権を得ることは魅力的なのだ。エレナ王国もクルニカ王国と友好的な関係を気付くことでセイス大河の利権の一部を与えられているようなものだ。
トレスタの街を視察しながら、エグバートは考える。
(セイス大河が奪われれば、こちらの状況も不味くなる。問題はゴルドナだけでは済まない。北や西の動きも注視しなければ――)
それだけではない。
エグバートには気になる点があった。
(スパイがいつから活動をしていたかまでは分からない。――しかし、なぜ今、このタイミングで明らかになった?)
それは、まるで勇者の降臨を予期していたかのようなタイミングだった。いや、それだけに留まらない。ゴルドナ帝国がクルニカ王国でスパイ活動を行っていた。エリーナが勇者である大地をつれてクルニカ王国へ向けて出発したことをあらかじめ知っていたかのようだ。
(いや、そんなはずはない。降臨したことを正確に予見していれば、まず狙われるのはこちらのはずだ。――となると、ゴルドナの狙いはやはり単純にセイス大河か)
「エグバート陛下?」
「……ッ。どうした?」
「ベルガイル宮殿から早鷹です。クルニカ王国のエルベルト殿下から、親書が届いたようです」
「エルベルトから?」
エルベルトからスパイを捕まえたという情報を得たのはつい先日だ。またすぐに親書を送ってきたことを不審に思いながら、エグバートは兵士から親書を受け取る。親書に書かれていた内容を見て、エグバートは顔をしかめた。
「エルベルト殿下は何と?」
「スパイの目的が判明した。やはりゴルドナはクルニカを攻めるようだ。こちらには向かってこないだろうが、殿下は北への対応をこちらに頼んでいる」
「北の対応?」
「そうだ。ベンタイムにドンゴアを牽制してほしいようだ」
「ベンタイム要塞、ですか」
ベンタイム要塞とは、エレナ王国の北西部にある城塞都市である。大陸随一の軍事力を誇るドンゴア帝国が攻めてきた際の第一防衛線にあたる位置に要塞を構え、一個師団が常時駐屯している堅固な城塞都市だ。
「あそこにいるのは、スミスか?」
「そうです。スミス将軍が指揮を取られています」
「スミスに、ドンゴアの動きに注視するように伝えよ。ベンタイムの近くにこちらからも援軍を出そう。それと、モルスにも二個大隊を送れ。エルベルト殿下にもこちらから軍を出すことを返答しろ」
「はっ」
エグバートの命令を受けて、親書を持ってきた兵士は下がっていく。
(ゴルドナが先に動いた。クルニカとうちが対応して、ドンゴアの様子見というところか。西の動きが気になるが、まずは北と南だな)
それぞれの思惑が絡みあっていく。それを動かすのは大陸に突然起きた大きな流れによるものだろうか。それはきっと誰も分からない。しかし、これからパンゲアで起こる出来事の多くに、彼は関わることになるだろう。
(だが、君はそれを覚悟して旅だったのだろう。エリーナもいる。リスティドもつけた。きっと、君なら乗り越えられるだろう)
ふと、東の空へ視線を向ける。
そのはるか遠くを、大地たちは懸命に歩いているのだろう。彼らの安否を気にしながらも、エグバートは国王としての責任を果たそうと改めて前に目を向けた。
(だから、私は君たちが無事に旅を進められるように尽力しよう。戦争は絶対になくさなければならない……ッ)




