(13)
アクス・マリナ。
パンゲアで最も多くの河川が流れるクルニカ王国の王都であり、その絢爛豪華な様から水の都と呼ばれる都市である。
「ここがアクス・マリナか~」
初めて訪れる水の都に、リーシェは感嘆の声をあげた。
運航船を降りて一歩街へ踏み入れただけでも、その壮観さは顕著だ。エレナ王国の都であるクルスもかなり大きく活気に溢れていたが、アクス・マリナはもっと別の、都らしい煌びやかな感じがあった。
「本当に水が多いんだな」
一目見ただけで、噴水や街を流れる川の多さに驚かされる。
「湖の中に浮かぶ島を街に作り直したからですよ。最小限の橋を架けるだけにして、都の防衛に川を用いているそうです」
「へぇ~」
都の煌びやかばかりが目につくが、そのように防衛もしっかりと考えられているようだ。
「それよりも目的は観光じゃないんですから。予見者を探さないと――」
「そう言っても、初めて来たからこの街には詳しくないし……。そういえばエリーナは来たことがあったのよね?」
「え、えぇ。まぁ……」
エリーナの返事はどこか歯切れが悪い。
「それなら貴族が住んでる区域とか覚えてないのか?」
「でも、お父様に連れられてだったから子供のころよ。そんなとこ覚えてないわよ」
「そっか~」
「それじゃ仕方ないな。また地道に聞いてまわるか?」
「エリーナ様はそれで良いのですか?」
そういえば、と思い出す。
エリーナはアクス・マリナへ向かうことにあまり積極的ではなかった。顔が知られているということもあり、他国の都を訪れたことを詮索されるかもしれないと理由を言っていたが。
「……そうね。もうここまで来たら、開き直って聞いて回るほうがいいでしょ」
何かを思い直したように、すっきりとした表情でエリーナも頷いた。それから大地たちはアクス・マリナの歓楽街を歩きまわって、予見者を探し始める。
歓楽街には大小様々な噴水が街を彩り、綺麗な様式の建物が並び建っている。この歓楽街を歩いているのは、多くが観光客である。パンゲア一の都と称されるほど絢爛豪華なアクス・マリナを訪れる人々の数は他の国々の都をはるかに凌いでいるのだ。
しかし。
「知り合いに予見者がいる人ってなかなかいないんだな……」
「それほど予見のオーブは希少なのよ。少しでも未来が分かるんだから、権力者に重用されるのも分かるでしょ」
「あぁ、まったくだよ。予見者を一人探すのもこんなに苦労するなんてな」
「次、どこ探してみる?」
大地たちの状況はセイスブリュックの時と似たようなものだった。
それでもリーシェはまだまだ元気のようだ。初めて訪れるアクス・マリナに興奮しているからかもしれない。
「歓楽街は一通り回ってみましたし、この街に住んでいる人がいそうな方を探してみましょうか」
と、ティドが提案した。
「そうね。住宅地区はたしか反対側だったはずよ」
歓楽街に設置されていた地図には、歓楽街とは反対の場所に居住区と書かれていた。アクス・マリナに暮らす人々は都の煌びやかな風景とは離れた場所で生活をしているようだった。
「そこに貴族が住んでるといいな」
「そういえばクルニカには、エレナ王国のムブルストのような都市はないのでしょうか?」
「ムブルスト?」
ティドが口にした単語を、大地は訊き返した。
「エレナ王国の貴族が多くいる都市です。エレナ王国の都はクルスですが、居住している貴族の多さから、ムブルストが政治の中心と言う人もいるくらいの都市ですよ」
「へぇ~」と大地が相槌を打つ隣で、エリーナが否定した。
「この国にそんな街があるなんて聞いたことないわ。別荘地ならあるかもしれないけど……」
「そうですか。似たような街があるのなら手っ取り早いと思ったのですが――」
そう簡単にはいかないようだ。
珍しくティドも愚痴をもらしながら、大地たちはアクス・マリナの居住地区へやってきた。
先ほどまでいた歓楽街とは違って、居住地区は随分と落ち着いた雰囲気が強い街並みである。
「やけに静かですね」
「昼間だからじゃないの?」
「それにしては人の往来が少なすぎます」
あまり開けた通りではないが、それにしても行き交う人の姿がなかった。通りを歩きながら、脇に並ぶ家の様子をこっそりと窺ってみても物音がしない。歓楽街の賑わいとの差に、嫌な印象を強く受けるほどだ。
「どういうことだと思います?」
「……そうね。余所者の私たちを警戒してるのか、何かあったのか」
「来たばっかりだぞ。誰も俺たちを見てないだろ」
「そうよね」
と、怪訝に思うエリーナも大地の言葉に納得する。
警戒されるようなこともしていないし、この地区に来たばかりで誰も大地たちを目のしていないのだ。何かあったのだ、と考えるのが普通だろう。
「とりあえず人を探してみましょう」
ここで暮らしている人を探さないことには、トマッシュ地方や予見者を知っているかどうかも聞けない。
「そうね。行こう」
エリーナを先頭にして、大地たちは薄気味悪い街並みを歩いていく。
居住地区はほとんどの家が等間隔に並んでいて、高さのあるものでも四階までが最高だった。人の往来が激しい歓楽街やセイスブリュックに比べると低い建物が多く目につく。アクス・マリナにはセイスブリュックやクルスに比べて、人はあまり暮らしていないのだろうか。
警戒をしながら居住地区を歩いていると、
「きゃっ――」
不意に脇道から飛び出してきた少年が、エリーナとぶつかった。
「あ、す、すみません――」
ぶつかった少年は慌てた様子で謝る。
「ちょ、ちょっと待って!」
そのまま走り去ろうとした少年を見て、エリーナは慌てて声をかける。
突然呼びとめられて、少年はビクッと身体を震わせた。けれども、逃げようとはしないで、恐る恐るこちらを振り返る。
「な、何ですか?」
振り返った少年の瞳は驚くほどに赤い。落ち着いた黒の髪と対照的で、嫌でも目立つ瞳だ。背丈は大地と変わらないくらいだが、どこか頼りない印象を抱くのはほっそりとしているからだろうか。
「少し訊きたいことがあるの」
話しかけたエリーナを警戒している少年は少しずつ後ずさりしている。怖がっているようにも見えた。
「知り合いに予見者とかいないかしら? 私たちはどうしても予見者に会いたいの!」
「……」
少年は答えない。
じっと口を噤んだまま、エリーナを見据えている。
「お願い! 知り合いにいるのなら、紹介してほしいの!!」
「…………お爺ちゃんが――」
「え?」
「僕のお爺ちゃんが予見者です」
その一言を聞いて、大地たちは顔を明るくした。
「ほ、本当?」
「やった。ようやく予見者に会える!」
「まさか初めて聞いた人が心当たりあるとは――」
喜びを隠さない大地たちに対して、不審を露わにした少年は、
「あなたたちは?」
「あ、ごめん。私たちはちょっと調べものをしてて、予見者に尋ねたいことがあったの。この国に関係することで、予見者なら分かるんじゃないかなって思って――」
「…………」
リーシェが答えたが、少年はじっとエリーナを見据えたままだ。
「あなたの顔、見たことがある」
「え……っ!?」
唐突に言われて、エリーナは驚く。エレナ王国の王女であるエリーナはパンゲアにおいて最も有名な人物といってもいい。他国に住む人々が知っていてもおかしくはないが、面と向かって言われるとやはり驚くものだ。
「なぜ、あなたがここにいるの?」
「そ、それは――」
言葉に詰まる。
「予見者を探してることと関係してるの?」
少年は確信があるように質問を続ける。じっとエリーナを見据えている赤い瞳が燃えているようで、それは『バーサーカー』状態になったエリーナと酷似していた。
「……事情は分からないけど、お爺ちゃんはあなたに会いたいって思うかも。でも、待ってて。今はお使い中だから」
「お使い?」
「うん。今は大変な時だから、僕が行けって言われて」
そう口にした少年は少し俯いた。何かをじっと我慢しているようにも見える。
「私たちも手伝うわ」
「え?」
「予見者を紹介してもらえるんだから、それくらいはへっちゃらよ」
大地やリーシェ、ティドもエリーナの言葉に頷く。これまでの苦労が一気に報われるのだ。少年が任されているお使いの手伝いなど大地たちにとってみれば、朝飯前だった。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして。――知ってると思うけど、私はエリーナ。それで――」
「私はリーシェよ」
「僕はリスティドといいます。ティドと呼んでください」
「俺は大地だ」
「大地? 珍しい名前……」
「あ、あぁ、よく言われるんだ」
リーシェたちも驚いていたが、やはり工藤大地という名前はこの世界では相当珍しいようだ。珍しいというよりも、初めて耳にする名前といえるだろう。
「あなたの名前は?」
「……リシャール。リシャール・ブラン」
「ブ、ブラン!?」
「あ、あのブラン家?」
少年の名前に驚いたのはエリーナとティドだ。対して、大地とリーシェはぽかんとしている。貴族と兵士の二人には耳慣れた名前のようだ。
「は、はい。そうだけど……」
驚いた二人の反応を見て、リシャールと名乗った少年はたじたじとした。
「有名な家なのか?」
「有名よ、めちゃくちゃね」
「クルニカ王国でもかなり上流の貴族です。ブラン家といえば水の扱いに長けたオーブを持つ一族で、王家のノーク家と並び立つと言われるほどです。クルニカ王国の繁栄はこの二つの家によるところが多いとさえ言われています」
いつものようにティドが説明を加えた。それを聞いて、大地もリーシェも改めてリシャールに驚く。
「へぇ~。すごい家の子ってことか」
「そうですね」
軽々しく口に出した大地の言葉に、リシャールの表情に影が入る。その表情はさきほど俯いた時と全く同じだ。やはり何かに必死に耐えているように見えてしまう。
「それで、あなたが頼まれてるお使いって?」
「あ、うん。商業地区に買い物に行ってこいって言われて」
「そうなんだ。じゃあ、早速行こうよ。私たちも荷物を持つわ」
意気揚々とエリーナはリシャールを引っ張っていく。知り合いに予見者がいる少年に会えて、よほど気分がいいようだ。その後をついていく大地とリーシェ、ティドの三人。三人の足取りもセイスブリュックの時と比べてはるかに軽い。
しかし、ティドには気になることがあった。
「……でも、ブラン家の人はたしか――」
「どうしたんだ、ティド?」
ぶつぶつと言っているティドを怪訝に思って、大地が訊いた。
「あ、いえ。ちょっと疑問に思う点があって」
「疑問?」
「えぇ、はい」
それから、ティドは前を歩くリシャールに聞こえないように小声で話す。
「ブラン家はノーク家と比べられるほど水の扱いに長けた具現系のオーブを持つ貴族です。ノーク家の一族はブラウンの髪が特徴ですが、ブラン家は綺麗なブロンドの髪とブルーの瞳が特徴です。そのことからブラン家がアクス・マリナの絢爛豪華さとも合って、王族に相応しいと言う人もいるそうです。けど、彼は――」
そう。
リシャールの髪は金髪ではなく、黒色。瞳もバーサーカー状態のエリーナと酷似するほどの赤色だ。どちらもブラン家の特徴とは合致しない。そのことにティドは疑問を抱いていた。
「たしかオーブは親のものを受け継いでいくんだよな」
「えぇ、そうです。だから、ブラン家の者で水を操るオーブを持つ者は、ブロンドの髪とブルーの瞳を持っています」
けれど、リシャールは違う。
「彼は本当にブラン家の人間なのでしょうか?」
その疑問に、大地は答えられない。いや、ティドも答えられるはずがなかった。
「あらゆる可能性を考慮するべきです。友好国とはいえ、エリーナ様を敵対視する人間がいないとは限りません」
「罠かもしれないって?」
「はい」
じっとリシャールの後ろ姿を見据えるティドの瞳は鋭くなっている。警戒心を強めているようだ。
「そういう人には見えないけど――」
大地にはとてもリシャールが罠をしかけるような人間には思えない。人の良さそうな好少年という印象だ。
「何を買うの?」
「えっと、しばらく買い物に行くのが大変になるかもしれないから、食糧を買ってこいって……」
「これ、メモ? ――わ、すっごい量。こんなの一人じゃ持てないでしょ」
「う、うん。でも買ってこないと……怒られるから」
最後の言葉は小さく尻すぼみしてしまう。
「え?」
「う、ううん、なんでもない」
リシャールはそう言ってはぐらかす。
「でも、ちょうど良かったわ。私たちも荷物持つわね」
「あ、ありがとう」
またしても少し俯いたリシャールだが、先ほどとは表情が違う。恥ずかしそうで、少し照れているようだ。
アクス・マリナの商業地区は、居住地区よりも歓楽街寄りに位置していた。歓楽街を訪れた観光客が、アクス・マリナの特産品にも目を向けてもらえるように歓楽街のそばにあるようだ。
アクス・マリナを囲う湖と同じ色の大きな布がアーケードとして商業地区の大通りを覆っている。風に緩やかに揺れるそれは、時折日射しを人々が歩く大通りに差しこませていた。
「ここも歓楽街と違って、人があんましいないわね」
「そうですね……。やはり何かあるのでしょか?」
「…………」
大地たちの疑問を疑問を聞いていながら、リシャールは何も喋らない。手にしたメモを頼りに買い物を済ませていく。
リシャールが手にしているメモには、これから何日間も泊まりこみをするのではないか、と思うほどの食材が書かれていた。大家族でも数日間は買い物をしなくて済むような量である。当然それだけの食材をリシャール一人で持ち運ぶことはできない。エリーナの言う通り、ちょうど大地たちがいて良かった。
けれど。
(上流貴族ってんだから、こんな買い物も使用人がするもんだと思うけど……)
大地の頭に、当然の疑問が思い浮かぶ。
それとも、ティドが言うようにブラン家の特徴を持たないリシャールも使用人なのだろうか。
「あとはー?」
「あとは小麦粉だけ」
気がつけば、大地とティドの両手には重たい食材が入った買い物袋が握られていた。男手として力仕事を任されているのである。ティドよりも持っている袋の数が多いような気がするが、これからの旅に重要な話を聞けるかもしれないと大地は我慢した。
全ての買い物が終わったのは、それから二〇分ほど経った後だった。
「これで全部、か」
「う、うん」
リシャールが握っているメモはいつの間にか、くしゃくしゃになっていた。買い物を一つ済ませるたびに荷物が増えていき、皺にならないようにメモを持つことが難しかったのだ。
「あとは家まで持って帰るだけだから」
「だから大丈夫、なんて言わないでね。これだけの荷物を一人で持つなんて無理よ」
エリーナの言う通りである。
大地もティドも両手に買い物袋を提げており、エリーナもリーシェもそれぞれ荷物を手にしている。大地たち四人がいてもなんとか持ち運べるか、といった量なのだ。
「あ、ありがとう……」
「気にしないで。予見者を紹介してもらうってんだから、これくらいはしないと」
「う、うん」
買い物を済ませて、大地たちはリシャールの案内で居住地区まで戻ってきた。
リシャールの家はどうやら居住地区の奥にあるようで、足音以外聞こえないような際立つ静けさの中、居住地区を歩いていく。居住地区をさらに奥まで歩いていると、次第に周囲の建物が大きくなっていることに大地は気付いた。
「これ全部貴族の家か?」
「うん、そうだよ。ここらへんはアクス・マリナに住んでる貴族の家」
「へぇ~。全部すごい家なんだろうな」
けれど、クルスの宮殿と比べるとやはり大きく見劣りする。王族と貴族の差というものだろうか。
そのようなことを考えていると、突然リシャールが立ち止まった。
「ここ?」
「うん、そう」
ブラン家の屋敷は、アクス・マリナの居住地区の一番奥に建てられていた。いわゆる上流貴族の家が集まっている区画のようだ。
上質な設えの白塗りの門の奥には、三階建てのこれまた大きな屋敷が構えている。屋敷に比べて庭園が小さいのは単純に土地が少ないからだろうか。それでも窮屈さを感じないのは、居住地区でも開けた場所に建てられているからだろう。
「ちょっと待ってて」
そう言って、リシャールは先に門をくぐっていく。リシャールが屋敷の中に入っていくところを、大地は静かに見守った。
「大丈夫だよな?」
「ここまで来て、会えないってのは考えたくないわね」
しかし、しばらく待ってもリシャールは出てこない。大地やティドの両手には未だに重たい買い物袋が提げられており、さすがに限界だった。
「やっぱり罠では……」
あまり考えたくない可能性をティドは小さく口にする。
それでも。
「そんなわけないわ。私は彼を信用してる」
「しかし、エリーナ様。何かあってからでは――」
「罠にかけるなら出会った時にすればいいはずよ。わざわざ買い物に私たちを付き合わせる必要はないわ」
「そ、そうですが……」
エリーナのはっきりとした口調に、ティドも押し黙る。断言するエリーナには何か確信があるのかもしれない。
すると。
屋敷のほうから何か騒がしい音が聞こえてきた。誰かが大声を出しているようだ。
「な、なんだ?」
「何かあったのかしら?」
突然の大きな音に大地たちは怪訝な表情を屋敷へ向ける。
騒がしい音が不意に止まったと思えば、今度は屋敷の玄関扉が開けられた。そこから三人の人間が姿を現した。一人はリシャール。一人はきちんと正装した口髭を蓄えた男の人。最後の一人は血気が盛んそうな顔立ちのふくよかな女の人だった。
「どうしたんだろ」
「あの人が予見者……ってことはないわよね?」
リーシェの苦し紛れの冗談にも、大地たちは反応できない。ふくよかな女の人の視線が一直線にこちらへ向けられているのだ。
「あなたたちですわね!」
「……?」
「リシャールに頼んだ買い物を勝手に手伝ったそうではないですか!」
「は、はい。そうですけど――」
「何を勝手なことをしたのですか!?」
一際大きな声が響いた。
返答したリーシェも慌てて耳を塞ぐ。それでも大声は鼓膜を揺さぶった。
「これは私たちがこの者に課したことです! どこの誰とも知らないあなたたちに手伝ってもわらなくて結構です!」
その一言に、むっときたのは大地だ。
「これだけの量の買い物を一人で持つなんてどう考えたって無理だ。それくらい誰だって分かるはずです!」
「そんなことありません! この者なら、これくらいどうってことありませんわ!!」
「いえ、現に彼は困ってた! 俺たちが手伝わなければこんな買い物無理でした!!」
大地と女の人が言い合いを始める。その間、リシャールはじっと下を俯いたままだ。それは、居住地区で出会った彼の姿そのものだった。
「いいえ! ブラン家の者であれば、この程度の買い物などそつなくこなせるのです!! あなた方の手など借りる必要はありませんでしたわ!!」
(このおばさん……ッ!)
大地がさらにヒートアップしそうになった時、ティドが制止させた。
「もういいでしょう。こちらも無理矢理に手伝ったようなものですし」
「けど……!」
「ほら、そうなのではないですか! 無理矢理に手伝った!? 望みもしない援助など、ありがた迷惑なだけですわ!」
女の人はふんぞり返っている。その傍らに控えている口髭を蓄えた男の人は執事なのだろう。じっと主人が威張り散らしている状況を見守っていた。
「いいこと、あなたもです!」
その矛先はリシャールにも及ぶ。
「これくらいの買い物はあなた一人でこなしなさい! そうでなければ、あなたはこの家には必要ありませんわ!」
決定打だった。
威張り散らしている女の人の発言で、大地の怒りが頂点に達した。
「おい! いくらなんでもそこまで言うことねぇだろ!!」
激昂した大地は女の人に詰め寄ろうとする。必死にティドが押さえつけているが、怒り狂っている大地の力はとても強い。ティド一人では大地を止められそうにはなかった。いきなり血相を変えて暴言を撒き散らしだした大地を見て、女の人も顔を強張らせる。その顔は男の人にこれほどまでに怒りを向けられたことがないと物語っている。
「大地! これ以上は止しましょう!」
「おさまんねぇよ! こいつは人を何だと思ってんだ――ッ!」
さらに突っかかろうとする大地を見て、女の人は、
「ふ、ふん! 威勢だけはいいことね! ほ、ほら、荷物を運びなさい!」
言い残して、つかつかと屋敷へ戻っていった。
残された執事とリシャールがたくさんある買い物袋をたんたんと屋敷へと運んでいく。
「くそ……っ」
その様子をじっと見つめながら、大地は苦い顔をしていた。
「……エリーナ様」
「えぇ、分かってるわ。予見者に会うのは無理そうね」
小さくため息を吐いて、エリーナは残念そうに零した。リシャールに予見者であるお爺さんを紹介してもらうつもりだったが、この状況では難しそうだ。ブラン家は想像以上に厳しい貴族家のようで、とても赤の他人の大地たちが屋敷に招かれるようには思えない。
「引き返しましょう」
予見者がいるという屋敷の前まで来ながら、大地たちは来た道を戻っていく。リシャールと出会った時の足取りは影を潜め、大地たちの気分は重たい。一歩一歩歩くたびに、ため息が零れそうになる。長い迷路の出口が見えたと思えば、突然空から新しい壁が降りてきて出口への一直線が塞がれたような気分である。
「…………」
「……」
居住地区の静かな道を歩く大地たちに会話はない。
目の前の希望を毟り取られて、抱いた希望をあっけなく失った。こちらを警戒しながらも、エリーナの話を聞いてくれたリシャールはふくよかな女の人の前では物音一つ立てないように静かに佇んでいた。きっと、あの女の人には逆らえないのだろう。ティドが気にしていたリシャールの特徴とブラン家の特徴の違いの意味が、大地にもようやく分かった気がした。
(なんだか似てるな……)
自然とそう思ってしまった。
それは、きっとパンゲアに来てから見た懐かしい記憶のせいだ。記憶の奥底に、いや思い出の彼方に飛ばしたはずの子供の頃の出来事。それは、どことなくリシャールの現状と似ている気がした。
「……これからどうします?」
重たい口を開いたのは、ティドだ。
「そうね。当てもないけど、クルニカの町や村を全部回ってみる?」
「何日かかるんだろうね」
「……たしかに」
それは最後の手段だ。リーシェがぽつりと口にしたように、何日かかるのか分からない。一月以上はクルニカ王国に留まらなければならない可能性もある。最初の段階でそこまで足踏みしてしまうのは何としても避けたかった。
「トマッシュ地方ってんだから、具体的な町や村じゃなくて、どこか地域のことを指してるんじゃないのか?」
「普通に考えたらそうなりますね。けど、これだけの人に聞いて回って何も得られなかったんですから、単純に地方名じゃないのかもしれませんよ」
「そ、そっか……」
やはり大地たちだけでトマッシュ地方を当てることは難しい。予見者であるヨーラから聞いた単語である以上、同じ予見者に聞くことが正しいとしか思えない。どうにかして、予見者を探しだしたほうが早そうだ。
また振り出しに戻った。四人は落胆した気持ちのまま、アクス・マリナの居住地区を後にしようとした。
そこへ。
「ま、待って!!」
後ろから、声が掛けられた。
「……?」
「リシャール」
振り返ると、そこにいたのはリシャールだ。急いで追いかけてきたようで、肩で息をしている。
「何かしら?」
「……さっきはごめんなさい。僕のせいで……」
そう言って、リシャールはまたしても顔を俯かせる。
「あなたが謝る必要はないわ。あなたのお使いをほとんど無理矢理手伝ったって、ティドも言ってたでしょ。あなたが怒られたのは私たちの責任もあるわ」
「けど……」
「あなたの事情を知らなかったから。――ごめんね」
ぽつりと零れた言葉は、エリーナの本音だ。
「ぼ、僕は……」
「一つだけアドバイスをあげるわ」
「え?」
「余所者の私たちが首を突っ込んでいい問題じゃないだろうけど、あなたは今のままでいいの?」
短い問いかけが、リシャールの心に響く。エリーナの言葉は静かな水面に投じた一石のようにリシャールの心情に波紋を広げていく。
「……よくない」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「僕もブラン家の人間だ」
それは溜めこんでいた彼の本音だ。
「今のままがよくないってのは僕も分かってる。けど――」
「あなたの世界を変えるのは、他の誰でもないあなた自身よ。きっかけは毎日そこら中にあるわ。あとは、あなたが踏み出すかどうかだけ」
最初の出会いとは違う。今度はエリーナがじっとリシャールを見据えている。『バーサーカー』を使用すれば目の前の少年と酷似する瞳で、彼を真っ直ぐに見つめている。
(きっかけはそこら中にある……)
それは、魔法の言葉に聞こえた。
そうだ。
きっかけなんて、なんだっていい。
自身を変えたい動機がしっかりとしているのなら。
(あとは踏み出すだけ)
「――お爺ちゃんを紹介するよ。僕についてきて」
そして。
リシャールは自ら踏み出した。




