(10)
「エ区スキューター?」
聞き慣れない単語に、大地は戸惑う。
けれど、エリーナたちはその言葉の意味を正しく理解していた。理解して、その顔を驚愕に染めていた。エルベルトが名乗った時よりもさらに衝撃が強く、エリーナは信じられないものを見るように男へ視線を向けている。
「告げた通りだ。俺はオーブの番人」
「ノーラン教が認めた『グランツマイスター』よ。世界中の人を裁く権限を持っていて、『執行者』って呼ばれてるわ」
エリーナの声は震えていた。
「私も初めて見た……。噂は聞いたことがあったけど、本当に存在するなんて」
「酷いな。俺たちは表舞台に登場しないだけで、役割は果たしている」
「その『執行者』が僕たちに何の用ですか?」
力の違いを見せつけられたティドだが警戒心は解いていないようで、ベルトーネと名乗った『執行者』を鋭く睨んでいる。
「与えられた任務のためにこの国を訪れていたが、他国の王女を見つけたのでな。興味を持った。それだけだ」
「興味?」
「そうだ。エレナ王国の王女よ。この国に何用で来ている?」
「……答えられないわ」
「『執行者』はノーラン教の意思そのもの。ノーラン教に逆らうつもりか? エレナ王国とノーラン公国は親密にしているが、その関係性も壊れかねないぞ」
「それでも、答えられないわ」
「……そうか。教皇にはエレナ王国の王女がクルニカ王国を訪れていたことを報告しよう。何かしらの企てがあろうとも、教皇の耳に入っていると知れば躊躇いは起こるだろう」
釘をさすように、ベルトーネは鋭い視線をエリーナに向けた。
睨まれたエリーナも怯まずに反撃する。
「あなたこそ、この国で何をしてるのかしら?」
「それこそ言う必要はない。お前たちには関係のないことだ」
「なら、私がしてることも関係ないわ」
「それは違う。俺たちノーラン教はパンゲアを表と裏より支えている。パンゲアに危機が及ぶというのなら、俺たちは黙ってはいない。この世界の秩序を守るのが『執行者』の使命だ」
「秩序を、守る……? 本当に、守ってるって言えるの!?」
突然、エリーナが語気を荒げた。
「今だって戦争はなくなっていない! もう何年も、何年もみんな戦ってるわ!! 秩序を守るってんなら、この世界から戦争を完全に無くして見せなさいよ!!」
怒号を発したエリーナははぁはぁ、と肩で息をする。
その突然の代わりように大地もリーシェもティドも驚いていた。
「え、エリーナ?」
恐る恐る声をかける。
しかし、彼女の目はまっすぐにベルトーネに向けられていた。
「何を怒る? 俺たちは使命を果たしている。戦争が無くならないのは人の性であり、お前たちの弱さの問題だ。飽きるほどこの世界が回るなかで、俺たちがどれほどの力をパンゲアを守ることに費やしてきたと思う?」
「何を言って……」
意味の分からないベルトーネの発言に、エリーナの怒りも薄れてしまう。
「エレナ王国の王女よ。お前はこの世界の成り立ちを知らない。知らないがゆえに、俺に対して吠えたことは赦してやろう」
「成り立ち?」
「どういうことです?」
ベルトーネの言葉に反応したのはエリーナだけではなかった。聞き流さなかったティドも追及した。
「お前たちが知る必要はない。俺はオーブの番人。その使命を果たすだけだ」
そう言い残して、ベルトーネは身を翻して立ち去っていく。「待て」とティドが声をかけたが、『執行者』は振り返りもしなかった。
アクス・マリナへの運航船は順調にセイス大河を進んでいた。
船に乗ってすでに一日が経っている。二日も船で移動は退屈だと予想していたが、途中で港にも立ち寄ったため、それほど辛さは感じなかった。リーシェがパンゲアで一番快適な乗り物らしいよ、と言うだけはある。
それなりの大きさを誇る運航船だが、個人個人に個室が取れるほど余裕があるわけではなく、大地たちは四人一部屋の部屋を取っていた。
そんな小部屋に大地とティドはいた。エリーナとリーシェの姿は見えない。二人は船内を回っているのだろう。
「明日の何時に着くんだ?」
「さぁ? 僕も初めてですから、詳しい時間は分かりません。けど、予定時刻は朝の九時ですね」
「結構早いんだな」
「早い? 普通の時間じゃないですか?」
「え、そうなのか?」
「はい。僕はそう思いますけど――」
そこで大地は思いだした。
ベルガイル宮殿で見た時計には一三個の数字が並んでいた。大地がいた世界と同じ見方なら、一日は二六時間ということになる。
「そういえば、こっちの世界の一日の時間って何時間なんだ?」
「どうしたんですか、突然? 一日は二六時間ですよ」
そんな当たり前のこと、とティドは呆れた顔をする。
(やっぱり時間の感覚が違うのか)
「俺の世界じゃ違うんだよ。一日は二四時間だ」
「え? そうなんですか?」
一日の長さの違いはそれなりに衝撃だったようで、ティドは目を丸くした。
「あぁ。こっちよりも一日は短いんだよ」
「それは驚きですね。他に感じた違いはありますか?」
「他に?」
突然質問されて、大地は戸惑う。
(何か違いあるか……?)
思い返してみるが、大きな違いはやはりオーブの存在くらいか。パンゲアに住む人々の生活にはオーブが不可欠らしい。それほど彼らはオーブと密接に繋がっている。真新しい機械がまるで存在していないのだ。
「あっ」
「何かありますか?」
「リーシェはこの船も珍しいって言ってたけど、この世界には機械なんてないのか?」
「機械ですか? ないこともないですけど、オーブに利便性では敵いませんから。この船だって水を操るオーブを少なからず利用していますし――」
「でも、オーブって一人に一つだろ?」
多機能性があるわけではない。それなら様々な用途の機械が普及してもいいはずだ。
「そうですが……。パンゲアに住む人々の多くはオーブを信用しきってますし、何よりオーブとともに生きてきましたから」
多少の不便は目を瞑るということだろうか。
これといった不自由を感じることなく暮らしてきた大地には考えられないことだった。主な交通の手段は馬車であり、室内の明かりや調理には火を用いている。ガスや電気が普及していないことに、やはり違和感を覚える。
まるで、機械文明が発達する前の世界のようだ。
(そうか!)
そこで、大地は気付いた。
「パンゲアは昔の世界みたいなんだ……」
「昔の世界?」
唐突に呟いた大地に、ティドが疑問の声をなげかけた。
「俺がいた世界の昔の様子に似てる気がするんだ。授業で習った程度だけど」
「この世界が、ですか?」
「あぁ。大きな違いはオーブがあることだけど、それ以前に文明の発達度が違う」
「リーシェに話していた飛行機のことですか」
「そうだ。煉瓦造りの家にしても巨大な木製の船にしても、俺たちの世界だと古臭いものだ。鉄でできた乗り物が自由に空や地面を走ってるからな」
「……たしかに、それは大きな違いですね。となると、大地は未来からやってきたということなんでしょうか」
「それは違うだろ。俺がいた世界にはオーブなんてないんだぞ」
「様々な出来事を経るうちにオーブが失われたということは考えられます。僕たちの世界はオーブを神と崇めていますけど、具体的な原理は分かっていません。突然その力が消えたとしても、何も不思議じゃないですよ」
あっさりとそう思えるものだろうか、と大地は不思議に思った。ティドはもしかしたらノーラン教をそれほど信仰していないのかもしれない。ノーラン教を盲信しているほどの信者はティドのようには考えられないだろう。
「まぁ、これ以上考えても仕方ないことですね。僕たちの目的は勇者の伝説について知ることであり、大地は元の世界へ帰る手段を知ることですから」
その通りだ。
他のことにまで頭を悩ませている余裕はない。エルベルトに手助けする形でスパイを捕まえたのも予想外の出来事だ。無駄な時間と労力はなるべく避けて、伝承が発祥したとされるトマッシュ地方を目指すことを優先しなければならなかった。
「……そうだな」
大地も、ティドの言葉に頷いた。
「それにしても、二人とも遅いな」
エリーナとリーシェがまだ帰ってこないことを気にかける。
「ベルトーネと名乗った『執行者』は寄港した港で船を降りたようです。警戒を解くわけにはいきませんが、エリーナ様がついているのであれば大丈夫でしょう」
「……護衛役がそんなのでいいのか?」
セイスブリュックの宿屋では廊下で見張りまでしていた者の言葉とは思えなかった。
「エリーナ様がいいと仰ったのですから、今は必要ないということでしょう。『執行者』にはエリーナ様でも勝てるかは分かりませんが、大抵の刺客なら返り討ちにあうだけですよ」
「まぁ、そうだろうけどさ」
それでも取り逃がしたスパイのこともある。警戒心は強く持っているべきだと言ったのもティドだ。その彼にしては、この仕事放棄は珍しかった。
「お前、体調悪いんじゃねぇか?」
「……? そんなことありませんが」
「本当か? そういや昨日から部屋にずっと閉じこもりっぱなしじゃないか?」
「う……。そ、それは大地の気のせいです。時々外には出てますよ」
そう主張するが、ティドが部屋から出たところを大地は見ていない。港に停まったときでさえ、部屋にいたはずだ。
「もしかして酔ったのか?」
「……ッ!? そ、そんなことありません!!」
声を荒げて、否定する。
「そ、そんなに怒らなくても……」
軽くからかっただけだが、ティドが予想外に大きな声を出したことに、大地も驚く。
すると。
「うるさいわよ」
と、扉を開けてエリーナが入ってきた。先ほどのティドの声は廊下まで聞こえていたようだ。
続いて戻ってきたリーシェの手には紙袋が抱えられている。
「外まで声が丸聞こえだったわよ。喧嘩でもしてたの、あなたたち」
「ちげぇよ」
「な……ッ。大地がめちゃくちゃなことを言ってくるから――」
「はいはい。目立つようなことはするなって言ったティドが騒いでどうするのよ。落ち着きなさい」
弟に対する姉のような態度で、エリーナはティドをなだめた。
「し、しかし……」
食い下がろうとするティドだが、エリーナの鋭い視線を浴びて口を閉じた。対する大地もエリーナに怒られる。
「大地もよ。年下のティドに何を言ったのよ」
「何って。船酔いしたのかって聞いただけで……」
「それだけでティドが怒ったの?」
「怒ってはいません。それに酔ってもいません」
頑なに否定するティドである。
二人の様子を見て、エリーナは重たいため息を吐いた。言うことを聞かない弟たちの喧嘩に呆れているかのようだ。
「ところで、それなんだ?」
「これ? お弁当だよ。船の食堂で売ってたもの」
はい、とリーシェは紙袋から二人分の弁当を取り出す。大地とティドの分だ。部屋から出ていない二人はまだご飯を済ませていないことにようやく気付いた。
「サンキュー」
「ありがとうございます……」
それぞれ弁当を受け取って、二人はようやくご飯を口にする。
「それで、何か分かりましたか?」
部屋に備えつけられているソファに座ったエリーナにティドが訊いた。
「ううん、何も。トマッシュ地方について知ってる人はいなかったわ。おばあちゃんなら知ってるかもって子供はいたけどね」
「おばあちゃん?」
「昔は予見者だったおばあちゃんらしいわ。今は入院してるから会えないってさ」
「そうですか。やはり上手くはいかないですね」
「仕方ないわ。根気良く探すだけよ」
エリーナの成し遂げたい夢には、伝承に登場する勇者が持つ力が必要不可欠だ。今までも自らの力で争いを無くすためにそれなりに頑張ってきたつもりだったが、それだけでは圧倒的に足りなかった。もっと大きな力が必要だということで、勇者の力を頼ろうとしている。
けれど、勇者が持つ力についてエリーナは詳しく知るわけではない。勇者としてパンゲアに降臨した大地も同じだ。どうやったら帰れるのか。自身に宿ったオーブについて全く知らない。元の世界へ帰りたいと願う大地も、自身の夢を叶えたいエリーナもまだスタート地点にすら立てていないのだ。
そのスタート地点に立つために、伝承が発祥したとされるトマッシュ地方を目指しているが、具体的な場所が分からないまま今に至っている。
「クルニカ国内に入れば、簡単に分かると思っていたのですが――」
「セイスブリュックで手に入らなかった時点で想定はしておくべきだったわね。アクス・マリナでも何も聞けなかったら、打つ手なしだわ」
さすがにその状況は避けたい、と共に旅をしている全員が思っている。部屋に広がる重たい雰囲気に、食事も自然と進まなくなった。
「それについても、ここでこれ以上考えても仕方ないことです。アクス・マリナに行って何も情報が得られなかった場合は、その時にどうするか考えましょう。今はアクス・マリナに無事に行けること。そこでトマッシュ地方について少しでも情報が手に入ることを考えていればいいと思います」
「……そうね」
旅はまだ始まったばかりだ。
まだまだ希望を捨てる場面ではない。想像できない困難が襲うだろうと大地に説明したのもエリーナ自身だ。現状は想定できる範囲内の困難だ。
セイスブリュックでも口にしたように、こんな場面で弱音を吐いているのは彼女らしくないのだから。




