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勇者と王女のワールドエンド  作者: 小来栖 千秋
第二章 クルニカ王国、伝承の地編
20/83

(2)

 

 クルニカ王国の隣に位置する、エレナ王国。

 王国のほぼ中央にあるアーリ町に、降臨した勇者――工藤大地はやってきていた。厳密に言えば、アーリ町に戻ってきていた。

「……なんだか久しぶりって感じるな」

 アーリ町に戻ってきたのは四日ぶりである。

 日にちとしてはそれほど経っていないが、目にする景色や人、街が全て初めてのパンゲアにおいて、十分久しぶりと思えるほどだ。

「にしても、腰がいたいな」

「仕方ないわよ。馬車を乗り継いできたんだし」

 と、ブロンドの髪が綺麗な少女が口にした。エレナ王国第一王女のエリーナ・シンクレアである。

 大地たちは五芒星都市の一つである王都クルスから馬車を複数乗り継いで、アーリ町まで戻ってきていた。一日のほとんどを馬車で移動していたため、馬でクルスに行った疲労まではいかなくても、やはり疲れていた。

「先に休憩する? それとも、もうお家に行く?」

 アーリ町に寄ったのは、エレナ王国のほぼ中央に位置しており、東地域へ行く馬車が多く出ているから、だけではない。

 一緒に旅を始めたリーシェの故郷だからである。

 大地たちの旅にリーシェも行くと覚悟を見せた。おとぎ話の真相の一端を聞き、親切心で助けた大地が勇者であることを知って、彼女も力になりたい。そして、真相を全て知りたいと思ったのだ。

 ただ。

 リーシェにも帰るべき家があり、家族がいる。エリーナはすでに父親である国王のエグバートが了承しているが、リーシェは自分の口から両親には伝えていない。「ちゃんと親にも認めてもらうべきよ」というエリーナの言葉で、大地たちはアーリ町で馬車を降りたのだ。

「そうね。でも、私一人で行くわ。みんなは待ってて」

「いいの?」

「うん。私が決めたことだから、私一人で説得したいの」

 それ以上何を言っても、リーシェは引こうとはしなかった。大地が様々な形で見せた覚悟を、彼女もエリーナに見せようとしているのだ。

「分かったわ。私たちは待ってよう」

「そうしましょう」

 頷いたエリーナとティドを見て、「ありがとう」とリーシェは返した。



 走り去っていったリーシェを見送って、大地たちはアーリ町の広場で立ちつくした。

「どうする?」

「説得にかなり時間がかかるようなら、どこかで時間を潰したほうがいいでしょうね。ここで一泊する必要もあるかもしれません。宿を探しますか?」

 その提案は大地に向けられたものではない。護衛としてついてきたリスティド――ティドが、エリーナに向けたものだ。

「そうね。宿を探しながら、少し町を歩いてみるのがよさそうね。どうしたの、大地?」

「いや、なんでも」

 大雑把な自分の質問よりもティドの具体的な提案のほうが的確であり、そちらにエリーナが反応したことに少しムッとしていた。

「そう。それじゃこっちから見て回ろっか」

 と、エリーナは様々な店が並んでいる通りを示す。

 どうやら、アーリ町で一番の通りのようだ。通りの脇に並ぶ店はアーリ町の特産品を扱っているものから、エレナ王国の各地で取れた果実や野菜を取り扱っている店と様々だ。農業が盛んな地域というのは間違いではないようだ。

 エリーナを先頭にして、大地たちは物珍しそうな視線を向けながら通りを歩いていく。

 大地は、自分は別としてエリーナやティドが珍しそうな視線を向けていることを意外に思った。

「二人ともこういうの食べないのか?」

「食べないことはないわ」

「そうですね。ただ自分では買わないので。こうしてお店にたくさん並んでるのは新鮮です」

「へぇ~。あれ、でもエリーナはクルスの市場を案内してくれたじゃないか」

「言ったでしょ。宮殿で聞いたお店とかを案内しただけよ。市場で買い物とかほとんどした事ないわ」

 だろうな、と大地は胸中で呟く。

 生粋の、とは言い難い勝気な性格だがエリーナは王女である。大切に育てられてきたのだろう。王都では人々と親しく会話していたが、自分で買い物に出掛けるという姿を想像することは難しい。

「エリーナ様は勇者たちを市場に案内したのですか?」

「えぇ、そうよ」

「それが、どうしたの?」とエリーナは訊いた。

「い、いえ、意外だったので――」

「そう?」

「は、はい」

 どうやらティドのエリーナに対するイメージと市場を案内したということには違いがあるようだった。

(そういえば王族特務護衛隊とか言ってたな)

 エリーナの護衛にはマルスがよくついていたようだから、ティドはエリーナに付きっきりで護衛するというのはこれが初めてなのだろう。それまでのエリーナに対する印象は王族特務護衛隊で見聞きしたものかもしれない。

 そう考えながら通りを曲がろうとすると、向こうから走ってきた人物とぶつかってしまった。

「お、わっ」

「いてて……。あ、す、すみません」

 ぶつかってきた人物が慌てて謝る。

 よく見れば、栗色の髪が特徴的な少年だった。背丈や顔立ちからして、大地より二つ三つ年下だろう。

「大丈夫か、大地?」

「あ、あぁ」

「君こそ大丈夫ですか?」

 と、ティドが大地とぶつかった少年に手を差し出す。

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして」

 笑顔を見せたティドの眼差しに、少年がじっと固まっていると、大地は「あれ」と気付いた。

「君、もしかしてリーシェの――」

「え、お姉ちゃんを知ってるの?」

 やっぱり、と大地は得心した。

「うん。君のお姉さんに助けてもらったんだ」

「じゃ、じゃあ、あなたが手紙に書いてあった人!?」

 大地の言葉に、少年も大きく驚いた反応を返した。

「て、手紙?」

「うん。お姉ちゃんが残した手紙に困った人を助けてくるって」

(リーシェ、そんな手紙残してたのか)

 大地の知らないことだった。隣町のケンブルへ向かう前に書いたのだろうか。大地には分からない。

「きっとそうだな。君のお姉ちゃんに助けてもらった、大地だよ」

「へぇ~。この国の人じゃないの?」

「あ、あぁ。それで困ってたところを君のお姉ちゃんが声かけてくれたんだ。優しいお姉ちゃんで助かったよ」

「へへ。そうでしょ!」

 と、少年は自慢そうに口にした。

 そのように大地と少年が会話を交わしていると、

「大地、この子は?」

 と、話の流れについていけないエリーナが訊いてきた。

「あ、あぁ、ごめん。えっと」

「は、はじめまして。リーシェの弟のセシル・ウォルスっていいます」

 大地の後を受け継いで、セシルが挨拶した。

 少し緊張している様子を見せるが、礼儀正しい挨拶からは姉であるリーシェと似たところが見受けられた。よく似ている姉弟なのだろう。

「弟がいたのね。私はエリーナよ」

「僕はリスティド。ティドでいいですよ」

 それぞれ挨拶を交わす。

 挨拶を終えて、セシルも気付いた。

「エリーナって……。お、王女様!?」

「えぇ、そうよ。びっくりした?」

「も、もちろん! 初めて見た!!」

 興奮しているセシルを見て、エリーナは「ふふっ」と小さく笑っている。セシルの反応が可笑しいようだ。けれど、嫌な感じを受けない。心から楽しんでいるような笑顔だ。

「どうして、ここに?」

 純粋な疑問だ。

「あなたのお姉ちゃんと一緒に来たのよ」

「そうなんだ! じゃあ、お姉ちゃんはやっぱり帰ってきたんだね」

「やっぱり?」

「うん。さっき、コリンさんにお姉ちゃんを見かけたって聞いたから。僕も心配してたんだ」

「お姉ちゃんのことが好きなのね」

「うん! お姉ちゃんは僕の先生だからね」

 セシルが口にした先生という単語に、大地は疑問を持つ。しかし、エリーナは「そうなんだ」と笑顔で相槌を打つだけだ。

「先生って?」

 と、疑問を持った大地がティドに小声で尋ねる。

「オーブのことですよ。オーブは親のどちらかの物を受け継ぎますけど、きっとリーシェと同じオーブなんでしょう。それで、まだリーシェほど上手く使いこなせていないんだと思います」

 それで先生ってことか、と大地は納得した。

 宝玉(オーブ)は一人に一つずつあり、それぞれがオーブという力をその者に与えている。一人が一つしか持つことの出来ないオーブは世界中に様々な種類存在している。学校でもオーブの使用について習うようだが、親から受け継がれるオーブについて習うには家族が一番なのである。

 しかし。

 それは、大地は自身のオーブについて誰からも教わる事が出来ないということになる。大地はパンゲアに降臨した勇者であり、おとぎ話に登場する勇者はパンゲアでたった一人しか持たないオーブを持っているからだ。一人しか使えないオーブの上手な使い方を他の人から教えてもらうことなど出来ない。自分の感覚で養っていくしかないのだ。

「…………」

 胸ポケットに収めている鈍い銀色の光を持つ宝玉(オーブ)を確かめる。オーブによって色が違うらしく、大地が持つ宝玉(オーブ)は世界にたった一人しか持たないオーブの力によって銀色を輝かせている。

「どうしたんですか?」

 ティドが大地の様子を窺ってきた。

「……いや。オーブってそうやって受け継がれてくんだな」

「――? そうですね」

 胸に確かにある宝玉(オーブ)の存在を確かめて、大地は視線を戻した。

 二人の前ではエリーナがセシルに泊まれるところを尋ねていた。

「泊まるとこ?」

「えぇ、そう。もしかしたら、ここで一泊するかもしれないの」

「……ん~。小さな町だから、王女様が泊まるような宿はないよ?」

「そ、それは気にしないわ」

 もっと酷いとこで寝るようになるだろうし、というやけくそ気味な自虐はセシルの耳に届かない。

「それじゃ、この裏通りに宿屋があるよ。お姉ちゃんの幼なじみの親がやってるところだよ」

「へぇ~。そこ行ってみる?」

 と、後ろにいる大地とティドに確認を取る。

「俺はこの町も詳しくないし、ついてくよ」

「そうですね。僕も異論はないです」

「よし、その宿に行ってみよう。ありがとうね、セシル」

「ううん、こちらこそ!」

 元気よく手を振りながら走り去っていくセシルを見送って、大地たちも再び歩き出す。裏通りならば、ここからそう遠くはないはずだ。



 見慣れた家。

 一六年を過ごした家は、改めて帰ってくるとリーシェにはずいぶん小さく感じられた。

「……ふぅ」

 一つ。

 深呼吸をする。

 ただ自分の家の玄関を開けるだけ。それだけなのに、リーシェは異様に緊張する。リーシェの告白に、両親がどのような反応を返すのか。それが、あまりにも怖いのだ。

「よし!」

 ここでじたばたしていても仕方ない、とリーシェは意を決して扉を開けた。

 家の中に入ると、すぐに懐かしい匂いが鼻腔(びこう)を突く。小さい家だけれど、落ち着く事が出来て、とても安心出来る我が家独特の匂い。その匂いを嗅いだだけで、リーシェは涙が零れそうになった。

 そこへ。

 バタバタと駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。

「リーシェ!」

「無事だったの!?」

 父親と母親である。

 血相を変えて駆け寄ってきた両親を見て、リーシェは敏感に感じ取った。

(……そう、だよね)

「う、うん。心配かけてごめんなさい」

 素直に謝る。

 両親の表情を見て、自分の想像以上の心配をかけていたことに気付いたのだ。

「本当だぞ! こんな置き手紙だけ残して」

「お母さんもお父さんも本当に心配していたのよ? 捜索届けも出そうかと思ってたくらいなんだから」

「ご、ごめんなさい」

 母親の言葉は、父親のそれよりももっと重たかった。

 成り行きだけでなくリーシェの意思で王都までついていき、アーリ町に帰ってくるまで四日もかかっている。両親にどれほど心配をかけたのか、リーシェはようやく分かった。

「……でも、無事でよかったわ」

 うっすらと涙を浮かべた母親に抱き締められる。感じる母の温もりは、何よりも温かく、娘を心配する親心が強く感じられた。

「どこに行っていたんだ?」

「く、クルスに……」

「クルス!? なんで、また王都に――」

「手紙にも書いたけど、困ってる人がいたの。その人を助けてたら、クルスまで行くことになって……。それで、ようやく帰ってこれたの」

「そ、そうか……」

 リーシェの話を聞いて、二人とも困惑しているようだ。

 無理もない。娘のお人好しな性格は二人とも十分理解しているつもりだったが、まさか王都まで困っている人を連れていくとは到底考えられなかったのだ。

「そ、それで、その困っている人は?」

「ま、町の広場にいるわ」

「またここまで戻ってきたのか?」

 困っている人を王都まで連れていって解決ではなく、アーリ町まで戻ってきているという事に、父親はまた困惑する。

「う、うん。――そ、それでね。私、お母さんとお父さんに言わなきゃいけないことがあって――」

「言わなきゃいけないこと?」

「うん……」

 しかし、なかなか切り出せない。

 これまでの反応を見ても、反対されることは目に見えている。心配性な母親は怒りだすかもしれない。そう考えると、簡単には口を開けなかった。

「なんだ? 何かあるのか?」

 固まったままのリーシェを見かねて、父親から尋ねた。

「そ、その……」

「黙ったままじゃ、何も伝わらないわよ?」

 優しく母親が言う。

 その言葉に後押しされて、リーシェは意を決して口を開く。

「その困ってる人はこれからパンゲアを旅しないといけなくなったの」

「パンゲアを?」

「うん。――それで、私もついていこうと思う」

「……っ!?」

「な、なんであなたが!?」

 娘の言葉に、両親はさらに絶句した。

「い、いつもの放っておけないってことか?」

「そうなんでしょ、リーシェ?」

 二人の問いは、リーシェの心を痛いほど突き刺す。

 普段のお人好しな言動はここまで大きく発展しない。重たい荷物を抱えている人がいたら一緒に持ってあげたり、道に迷っている人がいたら一緒に目的地までついていったり、分からない問題があれば、理解出来るまで教えてあげたりする程度である。その行為が積もり積もって、リーシェはアーリ町に住む人で知らない者はいないほどのお人好しと言われている。

 パンゲア中を巡る旅についていこうというのは、とても同じ物差しでは測れない。リーシェも自分なりの覚悟と決意を固めている。それを『いつもの』で済まされたことに、少なからずショックを受けたのだ。

「ううん。私、自分でちゃんと決めたの」

「ど、どうし、て……」

「それは……、まだ言えない。でも、この旅はその困ってる人にも、私にもきっと良い結果になると思うの。ううん、なるようにするわ」

 普段のリーシェからは考えられない力強い言葉だった。

 誰かの影響を強く受けたような口調に、父親は言葉を失う。娘を心配する気持ちも怒る気持ちもどこかへ行ってしまったかのようだ。

「リーシェ……」

「お父さんとお母さんが心配してくれてたのは分かってる。私のせいでいつも迷惑かけてる事も。いつものお人好しなら、これ以上心配かけたくないから止めると思う。――けど、今回は自分の気持ちに正直でいたい」

 決死の告白だ。

 その告白に、父親は何も言葉を返せない。いや、返さない。

「ちょっと、お父さん。リーシェを説得しないと――」

 一方で。

 心配性な母親が、だんだんとリーシェの言葉を認めようとしている父親に催促した。このままでは父親が「いいだろう」と口にしかねないと判断したからだ。

「あ、あぁ……」

 けれど、父親の返事は歯切れが悪い。

「お父さん!」

 母親のきつい言葉が飛ぶ。

 それでも、リーシェの強い決意は変わらなかった。

 母親に負けず劣らず真剣な口調で、

「今日はそれを伝えに来たの。もっと心配かけちゃうことになるけど、私は大地と一緒に旅に出る。困ってた彼に声をかけたのは私が最初だから、最後まで彼の力になりたいの」

「……リーシェ」

 力強い娘の言葉に、母親も言葉を失う。こんな娘は今まで見た事がない、というような表情だった。

「お父さん、お母さん。――本当に、ごめんなさい」

 その表情をしっかりと見て、リーシェはもう一度謝る。

 それが、リーシェが二人に言った最後の言葉だった。



「ここがそうね」

「民宿、といった感じですね」

 大地たちはセシルが案内した宿の前に来ていた。

 宿の外観を目の前にして、エリーナはなんとも言えない顔を見せている。自分の想像していた以上のものだったようだ。

「おい、さっき気にしないって言ってたろ」

 と、大地は思わず突っ込みを入れてしまった。

「そ、そうよ」

「だったら、さっきの顔はなんだったんだよ」

 エリーナはセシルの言葉に泊まるところがどんな場所でも気にしないと口にしていた。しかし、エリーナの表情はとてもそうは見えない。

 一方で。

 大地は、個人経営なのだろうな、と思わせるほど小さいところ以外は、親しみやすい良い宿なのだろうなという印象を抱いた。やはりどこか懐かしさを覚える外観だった。

「とりあえず入りましょうか。部屋が空いているとは限りませんし」

「そうか? 小さな町だぞ? 泊まる人なんていないだろ」

「小さな町だからこそ、ですよ。他にもたくさん宿があるってわけじゃないでしょうし。農業が盛んなアーリ町なので、キャラバンが来ていないと断言も出来ませんから」

「ぐ……」

 ティドの的確な言葉に、大地は何も言葉を返せない。

(なんか相性悪いな)

 何度も同じような場面があったことで、大地はティドに対してあまり良い印象を持てない。

「い、行くわよ」

 そんな大地の心境に気付かないエリーナは、二人を先導して納得し難い宿へと足を踏み入れていく。

 第一印象は、宿というよりも大家族が住んでいる家というものだった。

 受付と思われる最初の部屋は木製の調度品が多い点もあって、長年暮らしている家というイメージを与えてくる。客人が泊まる部屋はどうやら二階にあるようで、階段が部屋の脇にあった。この階段も何人もの人が登り降りしてきたのだろう、と思えるほど傷が目立っている。

「……本当に宿屋なんだろうな、ここ」

 そんな失礼な疑いを抱いてしまうほど、宿屋のイメージが持てない。

「失礼よ」

「……だけどさ」

「お店の人がいないですね」

 入り口を入ってすぐ前にある受付には誰もいない。宿屋が休みというわけではないだろうから、用事で席を外しているのだろうか。

「ただの家なんじゃ――」

「それなら看板があったのがおかしいじゃない。ちゃんと営業してるはずよ」

 扉が開いた音を聞いたのか、程なくして人が良さそうな中年の男性が姿を現した。

「……お待たせしてすみません。ご宿泊ですか?」

「いえ、まだこの町に滞在するかも決まっていないの。部屋が空いてるか確認だけでも出来るかしら?」

「確認ですか? もちろんできますよ。――って、エリーナ様!?」

「? えぇ、そうだけど」

「な、なんでエリーナ様がこんな宿屋に……っ!?」

 王家の者が、部屋が空いているかどうか確認に来たことに、店主らしき男は驚く。

 当然の反応だろう。

 王都のように栄えている町ではない。そのような小さな町の、小さな宿屋に王女が来たという事実は店主には俄かに信じられない出来事だ。

「この町で泊まるなら、ここが良いって聞いたの」

「そ、そんな、私のお店が――」

 目の前の出来事を、まだ信じられないようだ。

「セシルという若者に聞いたのです。どうやら彼の姉の知り合いがやっている宿屋のようで、我々としても安全に泊まれるかと思ったのですが――」

 と、丁寧な口調でティドがつけ加えた。

「セシル? 彼を知ってるのですか!?」

「彼の姉と面識があるんです。用があってこの町に来たので、泊まれる場所を探している最中で――」

「そういうことでしたか。お部屋はちょうど空いています。部屋は押さえておきましょうか?」

「どうする?」

 店主の提案に、大地たちは顔を見合わせる。

 まだアーリ町で一泊すると決まったわけじゃない。それなのに部屋を取っていてもらうのは悪い気がした。

「ありがたいけど、そこまでしなくていいわ。一泊すると決まって、まだ空いてるようだったら、また来るわ」

 みんなの総意をエリーナが代弁した。

 少し残念そうな表情を見せた店主だが、

「そうですか。かしこまりました。また来られるのをお待ちしております」

「えぇ、ありがとう」

 お礼を述べて、大地たちは宿屋を後にする。

 すると。

「みんな!」

 宿屋の前に、リーシェがいた。

「リーシェ!?」

「どうしたの?」

 いきなり姿を見せたリーシェに、大地たちは口々に尋ねる。

「ちょ、ちょっとね。セシルに聞いたら、コリンさんの宿屋に向かったって言ってたから」

 ここまで走ってきたようだ。

 慌てた様子で走ってきたということは何かあったのだろうか。呼吸が荒くなっているリーシェはゆっくりと深呼吸して、

「すぐに町を出よう! 東に向かう馬車がもうすぐ出るわ」

「え、もうか?」

「そうよ。ここで一泊しても全然大丈夫だけど――」

 パンゲア中を旅する冒険だが、大地たちはさほど急いではいない。ついてくると言ったリーシェがアーリ町とお別れをするために、この町で一泊してもいいと思っているほどだ。

「私なら、大丈夫だから。すぐに出発したほうがいいでしょ?」

 切羽詰まったようなリーシェの様子を見て、エリーナは「わかったわ」と頷いた。

「お、おい。本当にすぐ出るのか?」

「彼女が大丈夫というんだもの。そんなに急いでるわけじゃないけど、すぐに出発出来るならそうするべきじゃない?」

「そうかもしれないけど――」

 それでも、大地はまだ納得出来ない。

 ここはリーシェのふるさとなのだ。すぐ出発では、感慨なんてあったものじゃない。

「大丈夫だよ。きっと、全てが終わったらまた帰ってこれると思うから」

 気丈な振る舞いを見せるリーシェ。

 結局、大地たちは彼女の意思を尊重して、アーリ町をすぐに出発することにした。

 ケンブルへ向かった時と同じく、町の広場からエレナ王国の東地域へと向かう馬車に大地たちは乗りこむ。今度の馬車はかなり大きかった。

「随分でかいな」

「長駆馬車よ。長距離移動専門の馬車ね」

 目の前の馬車はなんと二階建てであり、大地の下半身を優に越えるサイズの車輪が六つも取りつけられてあった。この馬車を引っ張る馬も、八頭も用意されている。馬車の規格からもかなりの距離を移動することが予想出来た。

「その通りですよ。二日はずっと馬車の中でしょうね」

 と、ティドが大地の予想を肯定した。

「二日も?」

「はい。途中の町で停まるのは一回だけです。大変ですが、耐えなければなりませんね」

 言葉にしなくても、その道程の大変さは容易に想像出来る。アーリ町までの馬車を乗り継いでの移動も大変だったが、これはそれ以上になるだろう。

 それでも、大地は文句を言わない。

 この旅を選んだのは、誰でもない自分だ。

 過酷な旅になることは最初から想像していた。馬車で目的の場所まで移動するだけで音を上げている場合じゃない。

 ふと、後ろを振り返ると生まれ育った町をじっと見つめているリーシェがいた。

「リーシェ。もうすぐ馬車が出るぞ」

「……うん、すぐ行く」

 馬車に乗りこんだリーシェの目元には、うっすらと滴が零れていた。


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