(1)
統一大陸、パンゲア。
この巨大な大陸に相応しいほど巨大な大河が存在する。
セイス大河である。
ドンゴア帝国にある巨大な湖に繋がっており、エレナ王国とゴルドナ帝国に接するクルニカ王国の国境線に当たる大河だ。
幅は優に一キロメートルを越え、海かと見紛うほどの大きさの河には、巨大な橋がいくつか建設されている。それらの橋の上には街が形成され、国境に当たるため各国を行き来するための門も併設されていた。
その橋の一つ、セイスブリュック。
エレナ王国とクルニカ王国を大河で繋ぐ巨大な橋である。この橋上には当然街が形成され、流通の拠点にもなっていた。
「……全く。王子はどちらへ行かれたのか」
「す、すみません。巡回中の船に乗られたのは見たのですが――」
セイスブリュックで一際目立つ大きな建造物。この橋を統治するクルニカ王国軍の駐屯施設である。
その基地で、数人の兵士が項垂れていた。
「巡回船か。セイスを北上されたのか?」
「い、いえ。おそらくは地方を奔放に動かれているのではないかと」
「……はぁ。あの方には王族としての認識がいささか欠けておる。我々の目の届かぬところで襲われでもしたら――」
心配をするのは、兵士たちの中でも年老いた男だった。彼らが探している王子の側近のノランである。
「あ、あの……」
「なんだ?」
若い兵士の遠慮がちな声に、ノランは少しイライラとした声で問い返した。
「エルベルト様は、噂をお聞きになられたのでは?」
「噂?」
「は、はい。エレナ王国からやってきた商人が言っていたのですが、エレナ王国に勇者が降臨した、とか」
「勇者が?」
流通の拠点にもなる国境線の街では、たびたびエレナ王国の商人やキャラバンがやってくる。エレナ王国の物資をクルニカ王国に輸出したり、クルニカ王国の特産品をエレナ王国に輸入するためである。そうして大陸を横断するように移動している彼らは、様々な情報を持つ事が多かった。
「ふむ。たしかにアクスマリナでも勇者が誕生するという話を聞いた事があるが――」
「勇者がどの地に降臨するかまでは予見出来ていなかったみたいですが、どうやらエレナ王国に降り立ったのだと」
それは、それで面倒だ。
以前よりパンゲアでは、いずれ勇者となる人物が降臨すると噂されていた。大陸全土に伝わるおとぎ話があるためだ。予見者や貴族たちの間では単なるおとぎ話ではなく、その元になった伝承から、勇者降臨は必ず起こる事と認識されていた。
ノランもこの話を聞いた事があったが、年老いた兵士は勇者にさほど興味はない。彼の使命はこの国とこの橋を守る事である。ノランが面倒だと思ったのは、勇者を取り巻く状況にあるのだ。
降臨した勇者がおとぎ話の通りの力を有するのであれば、強力な手札になる。そのため、各国は勇者を我が物にしようと様々な画策を働いてくるだろう。エレナ王国と友好条約を結んだクルニカ王国には厄介な事態になりかねない。
(両帝国の動向を探る必要があるな)
思慮したノランは、一度視線をセイス大河に向けた。
きらきらと光を反射させている大河は、いたって穏やかだ。様々な漁船が漁を行っている。国境線の街とは思えないほど落ち着いたセイスブリュックは、今日も多くの商人が集まってくる事だろう。




