(14)
ようやく、大地はゆっくりと身体を休められていた。
エレナ王国の国王であるエグバートに謁見し、予見者ヨーラと続けて会った大地は思わぬ情報を手に入れはしたが、クルスへの移動と合わせて予想以上に疲れていたのだ。
大地がいるのは、クルスの宮殿内にある客間だ。
さきほどの応接室ほどはいかないが、部屋はやけに広い。豪華な装飾が施された部屋は、大地が一人でいるにはあまりに広いのだ。
「一人にしてくれるのはうれしいけど……」
すごく落ち着かない。
リーシェの家の方が、よほど居心地が良かったほどだ。
「これから何があるんだろ」
エリーナもリーシェも今はいない。
リーシェは別の部屋にいるのだろうが、エリーナは「ここで休んでて」と言ったきりだ。
(何かあるんだろうけど――)
何か、は想像できない。
壁に掛けられている大きな時計を見れば、すでに夜の八時を回っていた。客間の窓からは、どっぷりと日が暮れたクルスの街並みを見渡す事ができる。
(……本当に八時か? ってか、こっちの世界も一日は二四時間なのか?)
ふと、疑問に思った。
リーシェの家にも時計はあったが、普段のように時間を見ていた。今も、客間の壁に掛けられている大きな時計を見て、普段見るように今は八時だと判断した。
(でも、文字は一三個あるな……)
針の先が示すだろう文字は円を描くように一三個並んでいる。パンゲアの文字を読む事が出来ない大地はそれが数字なのだろうと想像する。だとすれば、針が示している時間は九時に当たるのだろうか。
そこまで考えて、ぐぅ、とお腹が鳴った。
「あ……」
間抜けな声まで出る。
気が付くと、かなりお腹が空いていた。
ケンブルを出てから何も食べていない事を思い出す。
(腹減ったな……)
客間には食べ物などない。
部屋を出て何か食べ物を探しに行こうか、とも考えるが、エリーナは「休んでて」と言っていた。すぐに戻ってくるかもしれないから、勝手に出歩く事も憚られる。
「しょうがないか」
ため息が零れる。
仕方なく、大地は我慢する事にした。
客間に流れる時間は、とても遅く感じられる。エリーナとリーシェから別れて、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
(食事はどうすんだろ)
やはりお腹が空いていて、そればかりが大地の頭の中を流れては消えていく。考えなければならない事、決めなければならない事は他にもあるのに、脳と身体が食物を欲しているようだ。
程なくして、エリーナは戻ってきた。
その隣には、マルスが控えていた。そのマルスは何やら大きな洋服を大切そうに持っていた。
「遅くなってごめんね」
「やっとか」
姿を見せたエリーナに、大地は愚痴を呟く。
「悪かったわ、ずっと待たせて。――どうしたの?」
「どうもこうも、腹減っただけさ」
「そうなの? なら好都合よ」
「え?」
エリーナの言っている事が分からなくて、素っ頓狂な声を出してしまう。
「今から会食よ。お父様が大地を招いて食事をしたいそうよ」
「会食? なんで俺を?」
それはエリーナも分からないようで首をかしげる。
「さぁ? 勇者だからじゃないかしら?」
「そんな理由で?」
「わ、分からないんだもの。お父様に直接尋ねればいいでしょ」
「そ、そんな事出来るかよ!」
「まぁまぁ、そこまでにしませんか、エリーナ様?」
「ま、マルス。分かったわ」
マルスに諭されて、エリーナは気を取り直す。
「会食に出てもらうために、これに着替えてほしいの」
そう言って、マルスが持っていた洋服を差しだした。
「これは?」
「この国の正装といった所だ。陛下とともに食事をするのだから、その服では駄目だ。こちらに着替えてくれ」
「……はぁ~。分かったよ」
再び深いため息を吐いて、大地は頷いた。
マルスが持っていた服装に着替えた大地は大広間に来ていた。
エリーナが言っていた会食に出るためだ。エリーナの話では、国王であるエグバートが勇者を招いて食事がしたいとの事だった。
しかし。
今、大地の目の前で繰り広げられている光景はとても食事で済むようなものには思えなかった。
「…………」
呆然としている大地は、何も言葉を発せない。
何メートルあるのだろうと思われる長いテーブルに様々な料理が並べられている。とても一家族で食べきれるような量ではなく、それらの料理を囲むように多くの人が大広間にはいた。彼らはエレナ王国の王族や貴族たちのようだ。
ただの食事だと大地は思っていたが、エリーナが言っていた会食は彼らを招いた晩餐会だったのだ。
「お、おい。聞いてないぞ!」
「言ったら、大地はきっと嫌がるでしょ。謁見であんなに萎縮してたんだから――」
「当り前だろ! 俺なんて身分の低い奴がこんなとこで平気にしてられるかよ」
愚痴をぼやく。
しかし、エリーナは聞かずに、さっさと大広間の中へ入っていく。
「お、おい――っ!」
呼び止めようとしたが、すぐに別の人とエリーナは話し始めた。
その後ろ姿を憎らしそうに眺めた大地は、途方もなく立ちつくした。
そこへ。
「お、やっと来たか。今日の主役よ」
「へ……っ!?」
後ろから声を掛けられて、大地は素っ頓狂な声を上げてしまう。
振り返れば、そこにいたのはエグバートだった。執務室で会った時と同じ服装のままのエグバートは少し疲れたように見えたが、エリーナに負けず劣らず豪快な性格をすぐに見せる。
「突っ立ってないで、ほら、中に入るのだ。君のために開いた晩餐会だ。君に楽しんでもらわなければ、意味がない」
「は、はぁ……」
「君の世界ではどのような料理があるのか知らないが、エレナ王国で有名美味な料理を用意した。たっぷり食べてくれよ」
「あ、ありがとうございます――」
「うむうむ。では、後ほど一緒にゆっくりと食事をしよう。私はひとまず集まってくれた皆に挨拶をして来ねば――」
「はぁ……」
嵐が過ぎ去るように、あっという間にエグバートは行ってしまった。
その嵐に背中を押されるようにして、大地はようやく晩餐会が開かれている大広間に足を踏み出していく。
一歩一歩歩く度に、視線が向けられる。
エグバートからすでに話を聞いているだろう彼らは、大地がパンゲアに降臨した勇者だと知っているはずだ。向けられている視線が奇異のものや興味深そうなもの、など様々な意味合いを含んでいる事を大地は敏感に感じ取った。
「……やっぱり気まずい」
料理が並べられているテーブルへ足を運ぶが、誰も話しかけてこない。ただただ視線を向けてくるだけだ。
そこで、見慣れた人物を見つけた。
「リーシェ!」
「大地! 来るのが遅いよ」
「わ、悪い。あんまり乗り気じゃなくて――」
「まだそんな事言って――。国王様とも謁見出来たんだから、晩餐会くらいどうって事ないでしょ?」
「晩餐会って知らされてなかったんだよ! って、リーシェも着替えたのか?」
「うん。田舎くさい服じゃ晩餐会には出れないよ」
少し苦笑しているリーシェの姿に、大地はようやく気付いた。
リーシェが着ている服はアーリ町を出た時から着ていたものとは違っている。メイドが用意したのだろうか、エリーナと違って鮮やかな色をしたドレスを着ていた。ポニーテールに結んでいた長い髪も下ろしていて、印象がとても変わって見えた。
「綺麗だな……」
ぽろり、と本音が零れた。
「えっ?」
「あ、い、いや……」
「ふふ。どう?」
「……き、綺麗だなって思ったよ」
「ありがとう」
本当に綺麗なのだ。
リーシェにはエリーナと違った綺麗さがあるように思えた。いきなりパンゲアで目が覚めたばかりの大地に手を差し出してくれた時、天使のようだと思った。その時と同じような印象を、今のリーシェからは感じられた。
「食べないの? 美味しいよ」
「あ、あぁ」
リーシェも大地と同じようにケンブルを出てから何も口にしていない。そのため、リーシェが手にしている皿にはたくさんの料理が盛られていた。
「……それ、全部食べるのか?」
「え? うん。お腹空いてたからね」
「そ、そっか」
(意外に大食いなのか?)
自分が盛った皿の倍近く料理が載せられたリーシェの皿を見て、大地は唖然とした。それらの料理を、リーシェは手を休める事なく口に運んでいる。
「…………」
「どうしたの?」
「い、いや……」
「……?」
女の子と思えない大食漢の様に大地は若干引いているが、当のリーシェは気付いていないようだ。
「俺は少し風に当たってくるよ」
「うん。私はもう少し食べてるね、お腹ぺこぺこなの」
「分かった。また後でな」
「あぁ」
晩餐会で賑わっている大広間を後にして、大地は大きな窓のそばに向かった。
窓際の壁に背中を預けると、胸の内の不安を洗い流すかのように優しい風が頬を撫でた。王都クルスの夜に、緩やかな風が吹いているのだ。大広間で催されている晩餐会の賑やかさも、広大な宮殿が放つ静けさを完全に塗り替える事は出来ないようで、窓の外はとても静かだった。
「……勇者か」
ぽつりと言葉が零れる。
(急な話だよな)
パンゲアで目が覚めて、リーシェやエリーナ、エグバートやヨーラたちが話す事に必死についてきた。
訳の分からない世界に対する不安は決して拭えない。帰る方法も分からずに、縋るしかないものは勇者が世界を救うおとぎ話だけだ。それを信じて、突然与えられたオーブで勇者になってパンゲアを旅するなど、簡単に受け容れられるものじゃない。
「でも」
それしかないのだ。
何も知らない大地に、彼らは教えてくれた。
考える材料をくれた。
あとは自分がどうしたいか決めるだけ。
大地がしたい事など明瞭で、それを成し遂げるためにはおとぎ話をなぞらえるしかない事も分かっている。
なら。
「やるしかないだろ」
また、ぽつりと言葉が零れる。
大広間の喧騒から離れて、ようやく大地は考える事が出来た。
エグバートが招いた客人は大地の事を勇者だと信じているのだろう。彼らが望んでいる事は勇者の力で大陸統一を為す事かもしれない。もっと直接的に言えば、エレナ王国の発展のためかもしれない。
(俺はただ誰かに利用されるために旅に出るんじゃない。俺の意思で旅に出るんだ)
止まる事のない優しい風は、大地の頬を軽くさするように吹いていく。妙にくすぐったいその風は、とても自然に起きているものには思えないほどだ。
「……神様でも見てんのかな」
そこへ、コツコツと足音が聞こえてきた。
「やぁ、君が勇者なんだね」
掛けられた声に振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。
大地とそれほど歳が離れているとは思えない少年だ。見るからに高級そうな服装をしていて、所々につけている宝石が嫌な眩しさを発していた。
「……そうだけど」
「意外だなぁ。もっと強そうな男だと思ってたよ」
少年の言葉に、大地はムッとする。
「そんなに意外かよ」
「あぁ、そうだね。世界中の権力者が望んだ勇者が、あまりに貧相だったから」
「ちょ、ちょっと!」
割って入ったのは、エリーナだ。
近くにはいなかったはずだが、どうやら言い合っているのを見て飛んできたようだ。
「何か用ですか、お姫様」
「そんな事言わなくてもいいでしょ」
「僕は彼を傷つけるつもりはありませんでしたよ。ちょっと事実を言ったまでで」
「それが傷つけてるって言ってんのよ」
「あ、そうでしたか。では、以後気をつけましょう。今日の晩餐会、呼んで頂いてありがとうございました」
大袈裟に礼をして、少年は大地の前から離れていった。
「ごめんね、うっかりしてた」
「いや、いいんだけど。なんだ、あいつは」
大地は少年の態度や話し方に、嫌な感じを受けていた。それを隠しもせず、口にする。
すると。
「エルヴァー・マルコラス。マルコラス伯爵の息子よ。嫌味ったらしい奴よ、気をつけて」
「お前も気に入ってないのか?」
「あんまり好きじゃないわ。あの態度、大地も見たでしょ?」
「あぁ。それで気をつけてって事か?」
「それもあるけれど――。エルヴァーは面倒な人よ。きっと私たちの旅にも何かと首を突っ込んできかねないわ」
「ちょっかいかけてくるって事か」
「えぇ。彼の立場を考えるとね」
「立場?」
「それはまた今度話すわ。この場で話すような内容じゃないの」
「……? 分かった」
エリーナの真意が分からない大地は首をかしげる。
分からないままだが、いずれ話すというのなら今は追及しなくてもいいか、と安易に考えた。
「ところで、何をしてたの?」
大地が窓際にいた事を、エリーナは尋ねた。
「ちょっと人酔いだよ。や、場所酔いって言えばいいのかも。とりあえず風に当たってた」
「場所酔い?」
「あぁ。こういうの初めてだから」
「……そう」
その様子を見て、しんみりとした表情をエリーナは見せる。
「ごめんなさい。嘘ついて連れてきて」
「……え?」
「晩餐会は嫌だったんでしょ?」
「……あぁ、うん。向こうの世界じゃ、俺は一般人さ。国王とか王女とかに会えるような身分じゃないし、こういう場所に呼ばれるなんて事もまずありえないからな。そりゃ気だって滅入るさ」
「……そう、よね」
「でも、エリーナが気にする事じゃないさ」
気を落としているエリーナに、大地は笑顔で返した。
大地をこの場に招いたのはエグバートだ。エリーナも関わっているのかもしれないが、大地は彼女にとやかく言う事はしなかった。
「大地……」
「……エリーナ。今、ちょっといいか?」
「え、う、うん」
突然、真剣な口調に変わった大地に、エリーナは戸惑う。
まっすぐエリーナを見つめる瞳もそれまでと変わっている。強い意思を垣間見せる瞳に見つめられて、エリーナは何も言えない。じっと大地が何か言うのを待つだけだ。
「一日経っちまったけど、決めたよ」
「…………」
「俺、勇者になる」
「……大地」
言い切った大地の言葉に、エリーナはようやくそれだけ返せた。
「ほんとは一日でも思い切ったほうだと思うんだけど、いろんな話聞いてやるしかないって思えたんだ」
「大地……。ありがとう」
大地の言う通りだ。
エリーナやヨーラたちの話を聞いて、大地は一日で勇者になる事を決めた。それは、あまりに短い時間での決心だっただろう。本当ならもっと考える時間、落ち着ける時間が欲しかっただろう。
なのに、大地は勇者になるとはっきりと云った。
その事に、エリーナは自然とお礼を述べた。
「ばか。まだ何にもしてねぇよ」
「ううん、ありがとうで合ってるわ。私は、大地にそれしか言えないから――」
「……? おかしな奴だな」
そう言う大地は、かすかに微笑んでいた。




