(13)
王都クルスの宮殿内を、大地は歩いている。
その足取りはいささか重い。
エグバートとの謁見がようやく終わって一息ついたはずだが、どうも身体が休まる気がしなかった。
「はぁ……」
何度目か分からないため息も止まらない。
一国の国王と謁見するなど初めての経験なので仕方ない部分もあるが、それでも大地は早く横になりたいと思っていた。
「どうだった?」
隣を歩くエリーナが興味津々といったように尋ねてくる。
「どうもなにも……。王様っていう人と会うのも初めてだぞ。あんなに緊張するとは――」
「はは。まぁ、確かに最初はそうかもね。お父様、見た目は優しそうだけど、性格は違うからね」
よく笑って言えるな、と大地は胸中で思う。
(娘だから?)
そんなわけないか、と思い直した大地はエリーナの案内で宮殿をどんどんと歩いていく。
エグバート王に謁見した後に、休む前に予見者にも会ってほしい、とエリーナが言っていたのだ。
「予見者って人も怖い人なのか?」
「そんな事はないわよ。ヨーラは優しい人よ」
どうやら予見者の名前はヨーラというらしい、とぼんやりと大地は思う。緊張が解れたばかりで、思考がのんびりとしているようだ。
「私も予見のオーブを持つ人に会うのは初めて」
ふとリーシェが口にした。
「そうなの? ……まぁ、珍しいオーブだもんね」
「うん。知り合いにはいなかったわ」
「へぇ~。町の学校も楽しそうね」
「えぇ~? 王族とか貴族が行く学校は楽しくないの?」
「そんな事はないけど……。リーシェが行ってた学校だったら、もっと遊び回ってられたのかなって――」
「王都じゃ出来なかったの?」
「周りがみんな貴族とか騎士の子供ばっかりだったからね」
エリーナの昔を懐かしむ表情が、どこか悔やんでいるものに見えた。大地やリーシェには分からない――貴族たちの世界の話に、嫌気がさしているようにも見えた。
「窮屈だったとか?」
「う~ん。まぁ、そんなもんかな」
「こんな裕福な暮らしが窮屈なのか?」
率直な疑問だった。
大地には何不自由ない暮らしに思える。父親は国王であり、自身は第一王女。王位継承者でも高位に当たり、パンゲアに存在しているオーブでも強力な力を持っている。これ以上に何を求めているのだろうか。
「市民の人たちには悪いけれど、そりゃ貧しいって思った事はないわよ。でも、裕福じゃない事と窮屈だと感じない事は私の中で繋がらないわ。こういう生活をしてたからこそ、普通の生活にも憧れるものよ」
(そういうもんかな~)
と、大地にはやはり、いまいち分からない。
「なんだか貴族も大変なんだね」
「そうかもね。あ、着いたよ」
突然足を止めたエリーナに倣って、二人も歩きを止める。
目の前にあるのは、王族が暮らしている宮殿にしてはやけに落ち着いた型の扉だった。
「ここに、その予見者がいるのか?」
「えぇ。王族お抱えの予見者だから、一緒に宮殿で暮らしてるのよ。宮殿での暮らしはあんまり好きじゃないって言ってる人だけどね」
少し苦笑しながら、エリーナは扉を数回ノックした。
しかし、中から返事はない。
「……? いないのか?」
「そんな事はないと思うわ。きっと予見中なんだと思う。集中してるから、気付かないのよ」
そう言って、エリーナは勝手に扉を開けて部屋へ入っていく。
「お、おい」
大地が慌てて止めるが、すでにエリーナの姿は部屋の中だった。
「いいのかよ」
「いいのよ。予見中だったら、返事できなくて当然だわ」
なんとも軽い答えだ。
一瞬悩んだ大地だが、エリーナの後に続いた。その後にリーシェが部屋の中に入っていく。
大地たちが入った部屋は、それまでのベルガイル宮殿の部屋と違い、やけに暗かった。
それは部屋の明るさだけではない。室内の装飾も宮殿の様式とはかけ離れている。この部屋だけ、アーリ町のリーシェの家に似ているように感じた。
「なんか、感じが違う部屋だな」
「そうだね。宮殿の中じゃないみたい」
「あぁ、それは――」
二人の疑問に説明しようとエリーナが口を開いたところで、部屋の奥から人の声がしてきた。
「どなた?」
声のした方から出てきたのは、黒いローブとフードに身を包んだ初老を越えたようなお婆さんだった。シワが目立つようになった顔は柔和な表情をしている。エリーナの言う通り優しそうな雰囲気は表情からだけでなく、全身から溢れ出ているかのようだ。
「あ、ヨーラ!」
「あら、エリーナ様。勝手に私の部屋に入るのはあれほどよして、と言っていますのに。治らないのですか、その性格は?」
「ごめんごめん。返事がなかったから、また予見してるとこだったかなって思って」
謝ってはいるものの、エリーナから悪びれた様子は感じられない。
昔からの付き合いでエリーナの事を分かっているのか、ヨーラは気持ちが入っていない謝り方にも怒る事はなかった。
「違いますわ。あなたたちが来る事は、朝にもう予見していましたから。はじめまして。私が予見者、ヨーラよ」
「は、はじめまして、大地です」
「はじめまして、リーシェと言います」
それぞれ挨拶を交わす。
そして、エグバートの時と同じようにヨーラは、大地たちに部屋に置かれている黒革のソファへ座るように勧めた。
「さて、私に会いに来たという事は、何か知りたい事がある、という事でよろしいかしら?」
「は、はい、そうです」
頷いた大地を、ヨーラは真っ直ぐに見つめる。
二人の視線が交わる。ただそれだけの事なのに、大地はそれ以上に何かを見透かされているような錯覚を抱く。いや、錯覚ではないのかもしれない。ヨーラの瞳が次第に鋭さを増していったのだ。
「……勇者、ですか」
「え?」
「知りたい事は大体分かりました。それでは、一つ一つお話していきましょう」
「お、俺の疑問を分かったんですか!?」
「えぇ。予想は出来るものですよ。あなたの置かれた状況を鑑みれば――」
(そ、そんな簡単に……?)
あまりにあっけなく言うヨーラの言葉が、大地には俄かに信じられない。大地はまだ何も言っていないのだ。
「何から聞きたいですか? 伝承について、でしょうか? 勇者について、ですか? このパンゲアの歴史について、ですか?」
ヨーラの口から一つ一つ大地の疑問を挙げられていく。
それは間違いではない。どれも大地がもっと深く知りたいと思っている事だ。
それら大地の疑問を、ヨーラは大地の置かれた状況から全て推測したというのだ。やはり、大地には驚きだった。
「……伝承や勇者の事はこの国の王様や学校の校長からも聞きました。まず知りたいのはこの世界の事です。それを知らないと、簡単に勇者になるなんて言えない」
「律儀なのですね。私たちの世界の事を一から知りたいとおっしゃるなんて。私が想像していたあなたの印象とは随分違うようです」
「印象?」
「えぇ。もっと自分の欲求に素直な人だと思っていたのですよ。元の世界へ帰りたい、という気持ちをもっと押しだすと予想していました」
「……そこまでは予見出来ないんですか?」
「予見出来る事は、予見者のオーブの力によって様々です。私が予見出来るのは、簡単な事柄だけです。この日にどういう事が起こるか、といった程度ですよ。もっと強い力を持つ予見者はその日の会話まで予見する事が出来ますが――」
どうやら同じ種類のオーブでも、持つ人によって力の強さは違うようだ。
それは遺伝や個人の宝玉によって違いが現れるらしい。「個性と同じようなものだ」とエリーナは大地に説明した。
「へぇ~。それで、ヨーラさんは俺が来る事は予見出来たけど、どういう人物かまでは予見出来なかったって事か……」
「そうなります。別の予見者はあなたの人柄まで予見していたかもしれませんね」
さて、とヨーラは話を戻していく。
「この世界の事について私が知っている事を少しお話しましょう」
ヨーラの表情が真剣な面持ちに変わって、大地は自然と姿勢を正した。対して、大地たちの対面に座っているヨーラはゆっくりと言葉を選んで話し始める。
「パンゲアと呼ばれているこの世界には、古来から多くの国が争いを繰り返してきました。今でこそ七つの国がありますが、一〇以上の国が乱立した乱世の時代もありました。その時代から、この世界にはオーブがありました。オーブの力が争いの原因という見方もあるほど、私たちの生活にはオーブはなくてはならないものでした」
巨大な一つの大陸しかないため争いは絶えなかった、とヨーラは説明をする。
一人に一つのオーブ。
それらのオーブを奪い合うために、戦争を行ってきたのだ。大陸統一を為すという事は、つまり世界中のオーブを手中に収める事に他ならない。
「パンゲアの歴史は、オーブの奪い合いの歴史と言ってもいいでしょう」
「オーブの奪い合い……」
「そうです。私たちは複数のオーブを使う事は出来ませんから、有力なオーブを欲した場合、どうしてもオーブの持ち主を捕虜という形で奪うしかありません。宝玉だけを奪っても、使い物にならないのです」
そこまで聞いて、大地はふと思った。
「じゃあ、エリーナの大陸統一の夢もそのためなのか?」
大地を勇者として誘う時、エリーナは自分の夢を叶えるために力を貸してほしいと言っていた。その夢が、戦争を自分の代で止め、大陸統一を達成する事だとも口にしていた。
「オーブが欲しいからじゃないわ。血が流れるのを止めたいから、よ」
「本当に?」
「な、なに疑ってるのよ。私はおじい様が王位についてた時から、オーブばかりを欲してきた戦争を見てきたわ。パンゲアに来たばかりの大地は知らないのは当たり前だけど、悲惨な時代だったのよ」
エリーナの言葉に補足を加えたのはヨーラだ。
「エリーナ様の言う通りなのです。本当に、とても悲惨な時代でした。今の国王であるエグバート様が親和王と呼ばれているのも、不可能だと思われた友好条約を結んだためです」
ヨーラも予見者として、エリーナの言う悲惨な時代を体験したのだろう。大地の隣に座っているリーシェも戦場へ行く事はなかったにしても、戦争の影響を多大に受けた生活をしていたのだろう。
そのどれもが、大地には分からないものだ。
「その時代は、具体的にどんな時代だったんですか?」
「隣国と毎日争いを繰り返していた時代です。エレナ王国の南にあるゴルドナ帝国との敵対関係は特に長く、国境戦線は激しかったと聞きます。その辺りはリーシェさんから聞いたほうがいいでしょう」
「わ、私ですか?」
突然話を振られて、聞き役に回っていたリーシェは驚いた。
「えぇ。戦争の被害はあなたたちがよく知っていると思いますから」
「……ゴルドナ帝国との国境防衛線は本当にひどかったって聞いた事があります。国境近くの町や村は防衛基地として利用されて、そこに住んでた人はエレナ王国の中央付近の町や村に避難してきました」
エレナ王国の中央の町。
それはケンブルや、リーシェが暮らしているアーリ町などだ。
リーシェは戦争最前線の町で暮らしていた人たちから、その惨劇を見聞きしたのだろう。その顔色は決して穏やかではない。
「急に町に人が増えて、食べる物も足りなくて、不満や不平が町の中で多く聞こえていました……。小さい料理屋をやってる私の家も圧迫されて――」
「そこまででいいでしょう」
それ以上話す事は、ヨーラが止めさせた。
「ありがとう。彼女の言った通り、戦争はそこで戦っている兵士たちだけが関係しているわけではありません。多くの市民たちにも多大な影響と深い傷を負わせました。そのような時代が長い間続いたのです」
「……そんなに」
話を聞いた大地は絶句していた。
戦争という単語は、学校の教科書の中でしか知らない。身近に感じた事のないそれを想像する事は難しく、ヨーラやリーシェの口から聞かされる話はあまりに惨い話だったのだ。
「今もその戦争は終わってはいないのです」
「今も……? でも平和条約を結んだんじゃ――」
「それは少数の国と、です。何よりエレナ王国を南北で挟むドンゴア帝国とゴルドナ帝国とは緊張状態は今も続いています。クルニカ王国とは以前より友好的な関係を築いてきていますが、いつ情勢が悪化するかも分からない」
エレナ王国が平和条約や友好条約を結んだのはクルニカ王国やノーラン公国との間のようだ。どちらもエレナ王国と敵対関係が強い両帝国を牽制するためらしく、今は効力があるが、いつ条約の効果がなくなっても不思議ではないようだ。
「それでエリーナは俺に――」
「そうよ。どの国も長く続いた戦争を終わらせたいと思ってる。その決定打が勇者の登場ってわけ」
決定打。
その言葉に、大地は不思議と身震いをした。
大地には自信がない。初めてオーブを使った時は無我夢中で、よく覚えていない。見た事のないオーブだとリーシェもエグバートも言っていたが、具体的な力は分からないままである。
だからこそ、不安なのだ。
「……本当に俺が勇者として、エリーナの言うように世界を救う事なんて出来るんですか?」
だからこそ、大地の口から出た疑問は自然なものだった。
「自分の力を信じられない?」
「そ、そりゃ……」
「そうですか……。では、あなたにおとぎ話の真相に近づく手掛かりを与えましょう」
「手掛かり?」
「えぇ、そうです。パンゲアの歴史についてはお話しました。あとは、あなたが勇者になるかどうか自分で決める事です。そして、決めた上であなたが今後行くべき道の道標、です」
「みち、しるべ……」
大地は勇者になる事を完全に否定するわけではない。この世界の事情を何も知らない自分がなる事に抵抗があるだけだ。世界の事情を知った今、勇者になるための壁はなくなったと言える。
そして、勇者になると決めた後、どうしていけばいいか。その疑問を解消するための手掛かり。
それは。
「クルニカ王国。そのトマッシュ地方に、おとぎ話――いえ、伝承が発祥したとされる噂があります。聞くところによると、伝承の本文も残されているとのことです」
「伝承の本文!?」
それは、エリーナにも驚きの事だった。
ヨーラの話では、おとぎ話は伝承に書かれている文を元にして作られたものらしい。伝承の原文が書かれたものは失われた可能性が高いが、原文を写したものが今も存在しているそうだ。
「それが、手掛かり」
「えぇ、そうです。トマッシュ地方へ行けば、何かが分かるかもしれません」
「本当ですか?」
思わず手に入ったおとぎ話の手掛かりに、大地は身を乗り出して訊いた。
「えぇ、きっと」
「良い情報を手に入れたわ!」
驚いていたエリーナも、大地と同じように興奮が冷めない。
「そこへ行けば、きっと大地が帰る方法も分かるんじゃないかしら」
それはリーシェも同様で、三人の高揚は自然と高まる。
旅を始める前から良い情報を手に入れられた事で、幸先良い出発になりそうだった。




