(10)
「……ん、何の音だ?」
聞こえてきた音に、大地は目を覚ます。
重たい瞼を擦りながら身体を起こすと、聞こえてきた音はドアからだった。どうやら、ドアを誰かがノックしているようだ。
「……さっきのは――」
脳裏に残る映像を消すように頭を振る。アーリ町やケンブルまでの道程に懐かしさを感じたから見たのだろうか。
(いやなもん思い出したな)
「誰だよ、ったく」
起き上がった大地は鳴り止まないノックを見かねて、ようやく部屋のドアを開けた。
「あれ……」
「どうしたの、大地?」
そこにいたのは、リーシェだった。
「…………。あぁ、俺、こっちの世界にきてたんだっけ」
思い出したように、大地は言う。
「忘れてたの?」
ぼけっとしている大地を見て、リーシェはクスッと笑った。
「いや、懐かしいもん思い出して」
「懐かしいもの?」
「なんでもないさ」
「それより、どうした?」と大地ははぐらかす。
「もうみんな下に集まってるよ。大地が遅いから、まだ眠ってるのかなって」
「あ、あぁ、そっか。すぐ行く」
エリーナとその護衛隊が大地を勇者として迎えに来ていた事もようやく思い出した。その場で返事をしなかった事に、エリーナは一晩でも考えてみて、と言っていた。その答えを聞こうと大地を待っているのだろう。
急いで身支度を整えて、大地は昨日と同じ酒場に向かう。
階段を下りると、リーシェとマルスと呼ばれていた護衛隊長の姿があった。
「遅いぞ」
「疲れてたんだよ」
と、言葉を返す。
「疲労は察するが、こちらにも都合はある。なるべく早く起床してほしいものだ」
「なら、もっと早く起こしに来ればいいじゃないか」
ムッとして言い返すが、マルスは取り合わずに先を歩いていった。
後を追いかけると、昨日と同じ席にエリーナは座って待っていた。大地の姿が見えると、椅子から立ち上がって手招きする。
「こっちよ」
「遅くなって悪い」
「構わないわ。今日中にはクルスへ戻れればいいから」
マルスの話と食い違っている事に、大地は説明を求めるようにジトッと視線をマルスへ向けた。しかし、やはりマルスは取り合わない。
「近いのか?」
「半日近くはかかるわ。だから、すぐにでも出発したいのだけど……」
「?」
歯切れの悪いエリーナに、大地は首をかしげる。
「…………」
何かを言いたそうにしているが、エリーナの口からは何も出てこない。その場にいるリーシェも不思議そうにエリーナを見つめている。
「姫様?」
「わ、分かってるわ」
マルスの声に、エリーナはハッとしたように意識を戻した。意を決したように、もう一度口を開く。
「だ、大地。――昨日もお願いしたけど、私はあなたの力を必要としてる。あなたの力を借りたいと思ってる。すごく辛い旅になるかもしれないけど、勇者になって、この世界を救ってほしい」
それで、とエリーナは言葉を続ける。
「大地の答えを聞かせてほしいの」
声は震えていた。
昨日までの威勢のよさがまるで見えない。
大地の答えを聞く事にとても怯えているようなエリーナの姿は、やけに縮こまって見えた。
「……俺は」
対して。
大地もゆっくりと口を開いた。
慎重に。
言葉を選ぶように。
「気が付いたらこの世界にいた理由もまだよく分かってない。オーブだとか勇者だとか言われても、はっきり言ってさっぱりだ」
エリーナもその通りだと思う。
それでも、エリーナは自分の叶えたい夢のために大地にお願いをした。
「いきなり全部を受け容れるなんてやっぱり無理だ。早く元の世界へ帰りたいって気持ちが正直強い」
大地の話す言葉を、エリーナはじっと聞いている。呼吸も瞬きも止めて、ただ大地の言葉を飲み込むように耳を傾けている。
それは、リーシェもマルスも同様だった。
「その方法が知りたくて、この町まで来たし、可能性があるなら、この国の王都にも行ってみようって考えてた。元の世界へ戻れる唯一の方法が、おとぎ話に出てくる宝玉だって言うなら、俺はそれが欲しい。そのためなら、俺は旅に出るつもりだ」
「それじゃ――」
大地の言葉に、エリーナは表情が明るくなりかける。
しかし、大地の話はそこで終わらなかった。
「でも、それは勇者としてじゃない」
「え……?」
「俺はこの国の事も、この世界の事情も何も知らない。勇者になるには、それじゃ駄目だと思うんだ。勇者として、エリーナが言ったようにパンゲアを救うために冒険に出るなら、俺はそれを知っておきたい」
「この世界の事情を?」
「あぁ。だから、まずはそれを聞かせてくれ。何も知らない俺がいきなり勇者になるのも、そんな勇者が世界を救うってのも、俺は納得できないんだ」
大地の瞳は、確かな意思を示していた。
答えを聞いて、マルスは心の内で感心していた。
(元の世界へ戻りたい一心で頷くと思ったが……)
そうではなかった。
パンゲアに住む人を救う冒険に、余所者の大地がいきなり勇者になると宣言して旅立つのは自分の中で納得できない。その決意はエリーナにもマルスにも確かに届いていた。
「そ、そうよね……。分かったわ。でも、王都には来てくれる?」
「それはもちろん。今日中には戻らないといけないんだろ?」
笑顔で答えた大地の表情は変わらない。
返事を聞いて、エリーナはようやく安堵した。ホッとしたような表情を見せているエリーナに、リーシェは「良かったね」と声をかけた。
「うん。断られるんじゃないかって思ってたから――」
「そ、そうなのか?」
「何よ」
「や、なんか意外だったから。俺がついてきて当然って思ってたんじゃ――」
「そんなわけないじゃない。そこまで自分勝手じゃないわよ」
そっぽを向くエリーナ。
その横顔が昨日見たような毅然としたものとは随分違っていて、大地は思わずドキンとした。
「大地の返答も聞いた事ですし、そろそろクルスに帰りましょう」
側に控えていたマルスが進言する。
「そうね」と頷いたエリーナと大地が立ち上がろうとする隣で、リーシェが困ったような顔をしていた。
「……あなたはどうする?」
椅子に座ったままのリーシェを見て、エリーナが訊いた。
「えっ?」
「アーリ町で大地を助けてくれた事は、私たちにとって本当にありがたかったわ。一晩付き合わせる形になっちゃったけど、部下にアーリ町まで送らせる事もできる」
説明をした上で、エリーナはもう一度尋ねる。
「あなたはどうする?」
と。
リーシェは俯いて考える。
(私は……)
大地は自分の意思をはっきりと言葉で云った。
元の世界へ帰りたいという願いのために、パンゲアを巡る冒険に出る覚悟がある、と。その旅がパンゲアを救う事に繋がるのなら、この世界の事をもっと知りたい、と。
(じゃあ、私には……)
何があるだろうか。
アーリ町で見かけた大地に声をかけたのも、お人好しの性格が強いためだ。困っている人を見たら放っておくな、という親の教えに忠実に動いただけである。
「リーシェはどうしたいの?」
再度、エリーナの問いかけが聞こえてきた。
(どうしたい……)
考える。
自分がどうしたいのか。
アーリ町で困っている大地を助けた。
元の世界へ帰る方法を探そうと提案して、ケンブルまで案内してきた。
大地がパンゲアに来た理由も、背負わされた運命も、エリーナと出会った事でわかった。
それらを聞いて、大地は王都へ向かうと言った。
(それじゃあ、これからは――)
自分がいなくても大地は大丈夫だと思えた。
エレナ王国の王女であるエリーナが大地を引っ張っていくだろう。自分のお人好しも必要はなくなる。アーリ町には帰る家も、家族もいる。
でも。
(一人だけ帰るなんて嫌)
どうしたいのか。
答えは簡単だった。
「私も一緒に行きたいっ」
大地と同じ覚悟とは決して言えない。
だけど、おとぎ話の真相を掴んで、一人だけ引き返すなんて考えられなかった。
「ここで私だけ帰るなんて嫌なの。大地やエリーナの力になれるなんて思えないけど、一緒に行きたい」
「いいの?」
エリーナの低い声が、鼓膜に響く。
身体がゾッとするような感覚に襲われる。それほどエリーナの声は低くて、重たい。リーシェの覚悟を試しているかのようだ。
「うん」
その問いにも、リーシェははっきりと答えた。
「わかったわ。リーシェも宮殿に招くわよ、マルス」
「はっ、了解です」
二人の返事を受けて、マルスはすぐに動いた。
「二人とも準備をお願い。すぐに王都へ向かうわ」
「わかった」
「うん」
大地もリーシェも頷く。
同じように立ち上がったリーシェは急いで部屋へと戻っていく。大地は身体一つでこの世界に来たため荷物を持っていないが、リーシェは一応荷物を持ってきていたのだ。
大地もとりあえずといった感じで、リーシェの後を追いかける。
そこへ、エリーナの声が届いた。
「あと、大地!」
「なんだ?」
急に呼びとめられて、大地は首だけ振り返る。
「あなたの宝玉。とっても大事な物だから、絶対に無くさないでね」
「あぁ、わかったよ」
返事をして、階段を駆け上がっていく。
これからの冒険が決して平坦な道ではないと表しているかのような階段を。




