◇エピローグ
月曜のお昼休み、わたしはバルトロマーニ先生の部屋を訪ねた。
コンコン、としても反応がない。
扉をちょっと開けて、見ると中にいた。
低いテーブルを挟み、ルナデッタ先生と話し込んでいる。
「あのー、先生……」
しかし、二人はどことなくモジモジしながら見つめ合って話していて、全然気づいてくれない。まずいところに入ってしまったかと、一瞬固まってしまった。
「そうですね。期日までには書類を揃えて……」
「術式文化学概論の講師を招いて……」
しかし、会話の内容はどう聞いても仕事の話しかしていない。それなのに、なぜそうも揃って妙に緊張しているし、モジモジしているのだ。
わたしは一度扉の外に出た。
ドンドンドンドン!
力強く扉を叩く。
「先生! 中にいますね! わかってるんですよ! 逃げても無駄です! 入りますよ!」
先輩の真似をして扉を開けると、二人ともやっと気づいてくれた。
「エルミか。似てきたな……」
「エルミさん、悪い影響受けちゃダメだよ。調子はどう?」
「元気です! 先輩が恋人になってくれました!」
「え? ほんとうに?」
バルトロマーニ先生だけでなく、ルナデッタ先生も驚いた顔をして詰め寄ってくる。
「わたしが留年を免れるためです! 優しいんですよ! 先輩は!」
バルトロマーニ先生は「ああ、そっか」と言って鼻の頭を掻いた。
「いや、エルミさんががんばり屋なのは知ってるから、どの道留年は免れるように動こうと思ってたんだけど……」
「そ、そうだったんですか!?」
「いや、ごめんね。あの時僕も正気じゃなかった。関係ないことを取引材料にすべきじゃなかったのに……ごめんね」
バルトロマーニ先生はようやくちゃんと寝れるようになったのか、目の下のクマも消えていたし、髪型も戻っていて、かなり持ち直していた。
よかった。正気に返ってくれてほんとうによかった。やはり睡眠不足は人から正気を奪うんだな。
「いや、でもよくがんばってくれたね! おめでとう!」
「いや、わたしはそんなにがんばってはないんですけど……先輩のほうから……急に、いいよって」
「え? ほんとうに?! アレが!?」
「アレがそれをです!」
「それなら、広めておこう」
ルナデッタ先生が腕組みして頷き言う。
「な、なんでですか?」
「レアンドロは気性が激しく、男子生徒の敵が多い。女子生徒もほとんどから避けられてるのに実はちょっと人気があるという、学院としても非常に扱いが難しい生徒だ。それが特級の資格まで持った。多感な年齢の集まった学院では今後、関わる者を巻き込んだ火種になりかねない人間だ。本人もそれを理解している」
「は、はぁ」
「ただ、彼が君を巻き込まない、とするのではなく、巻き込んだ上で責任を持って対応すると決めたんだろう。覚悟を持ったなら広めてしまったほうが安全だと、私はそう思う」
うーん。なるほど。
どの道先輩に付きまとう女子がいたら、女子からは睨まれ、男子からも恨みの飛び火の対象となる。
それなら恋人とはっきり公言されていたほうが、まだマシなんじゃないかと。そんなようなことだろうか。
「恋人なら、公然と守れるしね」
バルトロマーニ先生の言葉にわたしはポッとなって両頬を押さえた。
なにそれ……カッコいい!
先生たち、先輩がすごいわたしを好きみたいなノリで話を進めてくるので最高にテンションが上がる。
実際問題そこまで好かれているわけじゃないのは本人だからわかっている。
先輩は、わたしにそこまで熱いわけじゃないけれど、死ぬのとか留年は阻止してくれる。なんだかんだ倫理観がしっかりしていて優しいのだ。きっと揉め事にも巻き込まないようにしてくれるだろうけれど、それも世話焼きの責任感が半分くらいだろう。
ひとまず、わたしは二年生をループする呪いから解放された。はーと大きな息を吐く。
「先生、あとわたし、元気は元気なんですが……秘薬が効いてた三日の記憶がだいぶ混濁してるんですけど……」
ていうか、先輩を十日間忘れる秘薬を飲んでからの記憶がほとんどない。
それは、ついさっきまで見ていた夢をまったく思い出せない感覚と似ていた。
気がついたら因縁の妖精がまわりをふわふわするようになっていたのも、なぜか知ってるから驚きはしないもののその経緯はまるで思い出せない。
「うん……妖精が関与して、三日で秘薬の効果が強引に打ち切られているから、その辺の影響だろうね……ただ、体に別状はないはずだよ」
「ほ、ほんとうですか?」
バルトロマーニ先生はこれで、十六歳からそこらの時には秘薬学のすごい論文を書いて天才美少年として脚光を浴び、十八歳の時には秘薬が体に与えるとされる悪影響を大幅に減らす術式を開発したとかで、実は結構すごい人だとかなんとか聞いたことがある。
だからたぶん大丈夫……そう思うしかない。
部屋から出ると、すぐ外の壁に先輩が腕組みしてもたれていた。
「あ、先輩。先生に用ですか?」
「いや……お前の用はすんだのかよ」
「はい。おかげさまでちゃんと留年免れました!」
「……また妙な薬飲まされてねえだろうな」
「へ?」
「油断すんな。在学中のあいつのあだ名、ジャンキーマッドバーサーカーだったらしいぞ、手当たり次第薬を飲ませて人体実験をして……」
「レアンドロ、人の部屋の前で大声で悪評を言うのやめてくれないかな?」
先生が扉を細く開けて苦情を申し立てる。
先輩はチッと舌打ちをした。わたしの肩を抱いてどこかに行こうとする。
「あれ? 先輩、先生に用があったんじゃ……」
「ねえよ。ツラも見たくねえ」
「ん? じゃあ……」
なんでここにいたの。
「……昼飯食いにいくぞ」
「………………はい!」
先輩がお昼に誘ってくれた。嬉しい。大概のことがどうでもよくなる感じに嬉しい。
外に出て、学食の外の席に二人で座った。
そういえば平日のお昼にこんな目立つところで一緒に食べるのは初めてかもしれない。
相変わらずチラリと見ていく生徒はいるけれど、もう前ほどじゃない。先輩とわたしのセットも、そこまで珍しくなくなってきたということだろうか。
「あれ? 先輩、今日は野生パンじゃないんですか?」
「たまにはちげえのも食うわ!」
先輩がハムタマゴサンドとチーズとトマトのスープのセットを食べようとしている。大丈夫かな。硬さ足りなくないかな。
野生パン以外を食べるレアンドロ・アルドナートを見逃してはならない。いや、前にクッキー食べてるの見てるんだけど。飯類と菓子類は別カテゴリだから。
先輩が食べるのを見ていて、しみじみと実感する。
わたしはちゃんと、レアンドロ・アルドナートのいる世界に戻ってこられた。
あらためて、三日間も先輩の存在を知らない世界にいたなんて、ゾッとする。
わたしはまだまだいろんなレアンドロ・アルドナートを見たい。
瞬きする間も惜しいくらいに。
わたしはしっかりと刮目した。
レアンドロ・アルドナートとふたりのジュゼム・エルミ ◆おしまい◆




