はじめてのデートは日曜日
日曜日。
思い切ってデートに誘ってみると、先輩はあっさり承諾してくれた。ちょっと拍子抜けした。
湖広場で待ち合わせ。ぽつぽつカップルはいたけれど、夏に比べればその数は少ない。それに広いから、とても静かだ。
約束の三十分前に湖広場へ行くと、すぐに先輩が現れた。わたしはろくな服がないからいつもと同じ制服だったけれど、先輩も黒地に縁が緑で同じ色で刺繍が入った学院男子用制服だった。
「え? 先輩来るの早すぎません?」
「あ? ちょうどよかったじゃねえかよ……文句あんのか」
まるでわたしが待ち合わせの三十分前待機することを予期していたかのような動き。特級魔術師は違うな……。
でも、好きな人がいるのに『積極的な後輩女』に誘われてほいほいデートに来るなんて、浮気症なんだろうか。嬉しいのに、素直に喜べない。
「先輩、好きな人とは会わなくていいの?」
「知んねえけど……あと七日もすりゃ会えんじゃねえか……? それまでお前と話してりゃいいだろ」
先輩が思った以上に不誠実でおののく。
それ、わたしにもその人にも失礼じゃないの?!
もしかして遊び人……なのかな。
だとしてもなぜだか嫌いになれる気がまったくしない。そんな自分が怖い。
このままだとわたし、股がけされて弄ばれちゃうかも。貢げって言われたら……貢いじゃいそうだし。誰かにやめなよ! って言われても、違うもんあの人はほんとうは優しい人で……って力説しちゃいそう。きつい。恋って、きっつい。
それでも、先輩の顔を見ていると、そんなのも全部、色々どうでもよくなってくる。
依然頭はぼんやり霞がかっているし、あまり深くものを考えようとすると疲れてしまう。
それなのに、先輩を好きな気持ちだけは疲れを知らないようで、よどみなく無尽蔵に湧いてくるのだ。
もうここは前向きに、先輩が好きな人と会うらしい七日後までに、わたしのほうに気持ちを向けてしまえばいい。
わたしはベンチに腰掛けて、先輩を手招きする。
先輩は普通に隣に座ってくれた。
よし、細かいことはもうどうでもいい!
先輩を落とすぞ!
行け! ジュゼム・エルミ!
今は本能に従ってめいっぱい愛を伝えるのみ!
わたしはすうっと息を吸う。
「先輩! 好きです! ぎゅってさして!」
「急に何言ってんだ」
「じゃあ手握って!」
「なんか聞いたことあんな……」
「匂い嗅がせて!」
「おい、大丈夫か?」
精一杯愛を伝えて攻めているというのに、なんか変な流され方してる。わたしに恋愛経験がないからだろうか。なんか間違ってる……?
先輩は何か考え込んでいたけれど、横目でわたしを見て、ボソリと言う。
「なぁ、昨日言ってた……」
「ん?」
「お互い気持ちが……あって、恋人にならない状態っていうのは……そんなに、アレなのか?」
「え? そりゃあ……なんていうか、不安定ですよね。恋人って肩書きがないと、わたしみたいな後輩当て馬女がほかにも平気でわんさか湧くってことですし……そんなのその人からしたら不安以外の何ものでもないですし、それに先輩の好きな人だってめちゃくちゃ可愛いんですよね? ほかに安心をくれる誠実な男性がいたらそっち行くんじゃないですか?」
先輩は「ほーん」と言って遠くを見た。
何を考えているのかはわからない。わたしはうっかり背を押すようなことを言ってしまったことを早速後悔した。しかし、先輩は続けて思いもよらないことを聞いてくる。
「おめーはなりたいと思うのかよ?」
えっ、わたし関係あるの? 嬉しいけど、何その質問。
「先輩の恋人ですか? そりゃあ! なれるもんなら……なりたいですけど」
ひっくり返った声でそう言ったあと、首を捻る。
「んん、でも、先輩の気持ちが一番ですよ! わたしは……なんというか……先輩至上主義ですから! 先輩がほんとうは気が向かなくて嫌々ならぜんぜん嬉しくないですもん!」
「へー」
「先輩がそうしたいって思ってくれたら一番嬉しい……」
そう呟いたわたしはしばし、妄想の世界へほわんと飛んだ。
はっと気がついた時、先輩が呆れた顔でわたしを見つめていた。
「あ、失敬失敬。どこか行きますか?」
「そうだな……星見塔でいいんじゃねえの」
「なんで?」
「デートなんだろ。その辺が定番って聞いた」
誰に? 先輩、なんだか嬉しそう。
「ま、前に、好きな人と一緒に行った場所だったりしますか……?」
だとしたらだいぶ嫌だ。
そんな権利は微塵もないのに、怒りが抑えきれない。
先輩はだいぶ呆れた息を吐いた。
「べつに……ほかの奴と行った場所じゃねえよ」
「……な、ならいいですけど」
すっかり寒くなり、休日の星見塔の一階はあかあかと暖炉の火がついている。その周辺にカップルが点在している。
空いている椅子もあったけれど、先輩はそのまま階段をどんどん上がっていく。
三階に上がると、隅に人の気配がした。
そちらを見て驚きに目が飛び出した。
「……ひゃあっ! せっ、せんぱ……」
思わず小声で言って彼の袖を引く。
「なんだよ」
「し、静かに! あ、あ、あそこ! ちゅーしてます!」
柱の陰には周りなど目に入らない様子でキスをぶちかますカップルがいた。
「せんぱ……? ちゅー、ちゅー……」
「ちゅーちゅーうっせえな。ネズミかてめぇは。さっさとテッペン行くぞ」
「待って。先輩もうちょっと……いま、舌が……たいへんなことに……」
「アホ! いつまでも見てんじゃねえ! 行くぞ」
先輩がわたしを引きずるようにして、階段を上がる。
「先輩、なんで驚かないの?! ちゅーですよ?」
「……前、聞いたことがあったからな」
「そう言われると……わたしもどこかで聞いて知っていた気がします……」
あれ?
変な感じ、する。
階段を上る先輩の背中が、一瞬だけ二重にダブって見えた。
階段を上るうちに息が切れてきた。
それでもなんとか星見塔の頂上まで行って、先輩と外を眺めた。
「わー、前来た時も思ったんですけど……昼来てもほんとなんも見るものないですね」
わたしの侘び寂びのない感想に、先輩がこちらを見た。
「前……いつ来た?」
ん? あれ? わたし、前も来てる?
いつ、誰と? 誰かと?
急に心の中に、不安な気持ちが広がった。
先輩を見ると頭にきぃん、と音がした。
──あ……うん、カッコいいな。
思考しようとしたことがカッコよさに塗りつぶされた……まぁいいか。
「忘れちゃいました」
星見塔から出た。でもまだ、どこか不安な気持ちは続いている。何かが胸でつかえている。
「先輩……わたし……」
「んだよ」
「………………好きなんです」
「ああ」
たぶんこれだと思ったもの、これしかないだろうという言葉を吐き出したのに、なぜだかちっともすっきりしない。違和感がある。
さっきからずっと、もどかしい気持ちでいた。
何か、届きそうで届かないような、一瞬前にやろうとしていたことを急に忘れてしまったような、そんな焦りがある。
わたしは先輩に手を伸ばす。
そうっと、腕のあたりを掴んだ。
避けられなかった。そのことにほっとする。
「…………ん?」
両手で掴んでみる。
怒られない。
そのままぐるんと腕を絡めて、こてんと頭をのせる。
「……………………」
「あ、レアンドロ、いたいた!」
ザカザカと土を踏む音と共にバルトロマーニ先生が走ってきた。
「てめえ! バルトロマーニ! 俺ァまだ許してねえからな!」
先輩がバチバチ怒りの魔力帯電した。
べつに痛くないのでそのままくっついていた。
「ごめんて……ちょっと急ぎで書いてほしい書類があるんだよ……あれ?」
先生がわたしに気づいて一瞬動きを止める。
「エルミさん……もしかして元に戻ってる……?」
先輩の腕に掴まっているわたしを見て、先生が不思議そうに言う。その質問には先輩が間髪入れずに返した。
「戻ってねえよ!」
「……じゃあ、何してるの?」
「デートです!」
「え?」
「先生、わたし今、大好きな先輩と過ごせる、ものすごく貴重な時間なんです! 遠慮してもらえますか!」
「戻ってるじゃない」
「いや、戻ってねえってんだよ!」
「いやいやどう見ても……」
わたしの目の前で謎の論争が始まってしまった。何の話をしているのかよくわからない。
「戻ってないのにこうなってるの? 効きが悪かったのかな。いや、あれは結構強いやつだから……エルミさんの執念? 妄念……?」
先生がブツブツ言っている。わたしの前に妖精が、ふわっと飛んできた。
「あ、バン。どっか行ってたと思ったら……」
「ん?」
「あ、こいつ、前わたしにひどい呪いをかけた妖精です。最近よく来るから名前つけました」
わたしの手の甲にのったバンをすいっと差し出すが、ふたりとも見えないようで首を捻って顔を見合わせている。
先生がはっと気づいたような顔で言う。
「……妖精? 一緒にいたの? いつから?」
「え? 金曜くらいからですけど」
先生が頷いた。
「そうか! 妖精は人の感情に共鳴する性質があるから……その子がエルミさんの中にある抑え込まれた強い感情を増幅している可能性はあるな……!」
先生が何を言っているのかわからないのに、胸の中の焦燥感は増していく。
わたし、何か大事なことを忘れているのかな。
胸がざわざわする。
その時、バンがわたしの前でくるんとまわって、すいっとどこかに行こうとする。
「先輩、行きましょう」
「ん? どこ行くんだよ」
「えっ、ちょっと待って……レアンドロ、この書類にサインだけでも……」
「先生すみません! またあとで!」




